仮面舞踏会は大いに盛り上がる(前)
ヴィトスの屋敷、庭園
よく晴れた夏の日の夜であった。あちこちに焚かれたかがり火が手入れの行き届いた庭園を明るく照らし出している。
第四王子の屋敷で開かれる舞踏会とはいってもさして形式ばったものではなかった。芝生の一角にダンスのための場所が設けられているものの、楽隊が演奏するのは単純な拍子の陽気な音楽が中心であり、誰もが気の向くまま踊りの輪に加わっては離れていく。参加者に仮面の着用が義務付けられていることもあって、どこかカーニバルめいた雰囲気が漂っていた。
木の柱に屋根を葺いただけの簡素なあずまやの下にはお喋りを楽しみたい女性たちが集まっていた。その中心にいるのはヴィトスの妻トゥーラである。光沢のある薄手の織物で出来た華やかなドレスを纏い、宝石をちりばめた仮面で申し訳程度に目元を隠している。
「そのような布を以前どこかでみたような気がするわ、私の思い違いかしら?」
噂好きで知られる子爵夫人は仮面の上に棒付きの眼鏡を重ね、トゥーラの衣装をじっくりと検分していた。
「思い違いではありませんわ、やはり気づかれてしまいましたのね」
「まあ、ではやはりノゲイラ伯爵が着ていた例の服に使われていたものですの?」
「正確にはかの伯爵の領地の工房で織られた同種の布、ということなのですけれど……」
「よろしいの? そのう、今夜は王女殿下もいらしているのに……」
「事前にご了解いただいておりますから……服や布に罪は無いからと、あっさりとおっしゃっておいででしたわ」
子爵夫人とトゥーラが妙に含みの多い会話を交わしているのにはわけがある。ノゲイラ伯爵ジェレミアもまた王女ペリファニア・ミラの元婚約者候補だったのだ。
ミラの婚約者候補として選ばれてからしばらく後、ジェレミアは斬新と言えば聞こえはよいが、有り体に言って珍奇としかいいようのないデザインの衣装を身につけてパーティーに現れるようになった。ノゲイラ伯爵家は資産家として知られており、衣装の素材や装飾品はすべて相当に高価な品であった。が、財を費消すればセンスの良さが培われるというわけにいかないこともよく知られた真実である。
王女ミラは何度か遠回しに苦言を呈していたが、ジェレミアは鈍感であったのか頑固であったのか、あるいは双方ともであったのか、ともかく同様の衣装を着続けることを止めなかった。そうするうちに、とうとうミラの忍耐力が限界に達したに違いない。ある日のパーティーでジェレミアと顔を合わせるやいなや、彼女は火のついた油紙のような勢いでまくしたてたのだった。
「確かに個人の趣味と言えばそれまでですわ、公式行事というわけでもございませんし、私があれこれ文句をつける筋合いではないのかもしれません。でも、私、何度も何度も申し上げたはずですの、もう少し落ち着いた雰囲気の装いの方が好みですと。それなのに、ジェレミア様は完全にそれを無視なさいました。長い時間をともに過ごす相手が、歩み寄る姿勢すら見せてくださらないのは悲しいものですわ。私が狭量であることはよくよく承知しております。ええ、だからこそ、ジェレミア様にはもっと包容力のある大らかな方を見つけていただきたいと思うのです、お互いのために」
言うべきことをいってしまうと、ミラは体調不良を理由にさっさとその場を立ち去った。呆然とした表情で取り残されたジェレミアを数人の友人が慰めに行ったが、多くの者は同情と納得をないまぜにした表情で目くばせし合っていたのだった。
「ノゲイラ伯もねえ、商売の方ではやり手でいらっしゃるようなのに、どうも女心の機微に疎いというのか、察しが悪いところがありましたわね。まあ殿方というのは多かれ少なかれそんなものですけれど、王女殿下はまだお若いですし……我慢がならなかったのでしょうねえ」
「何事も相性ですからね。でも、結局のところペリファニア様のご縁は良い方へつながっているようですわ……」
子爵夫人とトゥーラは池の傍の小道を歩く男女に目をやった。腰まである長い金髪の女性とそれをエスコートする癖のない銀髪の男性。ミラとマカーリオである。
二人とも顔の上半分を隠す白い仮面をつけているが、ミラの方は髪色と体形でほとんどの出席者に正体がばれている。『王女殿下の新しいお相手はいったいどこの誰なのか?』と興味をかき立てる趣向のようにも見えるが、主だった招待客にはマカーリオのこともすでに知らされているから、『まだ公にする段階ではないので、どうかあまり騒がずに見守っていて欲しい』というメッセージが込められていると言った方がよいだろう。
出席者の中にはトゥーラの目の前にいる子爵夫人に限らず噂好きな者は多いが、アストラフト王国の貴族ともなれば、噂話を口にする際に一定の節度を心得ている者が大半であるはずだった。
「なかなか良さそうな方ですのね。仮面の下のお顔はどのようなものかしら? トゥーラ様は当然ご覧になっているのでしょう?」
年若な侯爵令嬢が興味津々といった風で尋ねてきた。トゥーラは小首をかしげ、同性の目から見ても蠱惑的としか表現しようのないであろう微笑みを浮かべる。
「そうですわね。人の好みはそれぞれで、ことに顔の美醜というものは見る人次第なところがありますけれど……私の見る限り、オクセイン様と結構いい勝負ではないかという気がいたしますわ。つまり、私の夫にはまるでかなわないということなのですけれども、それでも世間一般の基準で言えばまあまあ端正なお顔立ちの部類に入るのではないかしら?」
「まあまあ……ですの?」
侯爵令嬢はトゥーラの返答に戸惑ったような顔をしていた。
社交界の花と讃えられるトゥーラの美的センスは何に関しても素晴らしいと定評があった。ただし、ヴィトスに関しては恋は盲目状態が遺憾なく発揮されることでも有名で、その際には 頭の中でトゥーラの発言のうちヴィトスに関する部分を消去し、全体的に修正を施す作業が必要となる。
「……ということは、つまり……オクセイン殿下なみに整った顔立ちをしていらっしゃる?」
慎重に言葉を選びつつ、侯爵令嬢は探るような視線をトゥーラに向ける。
「ええ、そう言って差し支えないと思いますわ」
トゥーラは無邪気に肯定した。それを聞いて侯爵令嬢とその友人数名、いずれも独身の妙齢の女性たちの目の色が明らかに変わった。
第三王子オクセインは中性的な容貌を持つ美男子である。既婚者であり、外見に似合わず物堅い性質であるのか浮いた噂はほとんどない。しかも、皮肉な物言いと辛辣な性格が知られているため、女性からの人気は実はそれほど高くはないのだった。
しかし、それらの欠点を脇にどけておいても差し支えがないほどにオクセインの顔立ちは比類なく整っている。かつては太陽神にさらわれる美少年に例えられ、現在では太陽神の化身とまで呼ばれているのだ。
マカーリオの外見はそのオクセインに匹敵するという。トゥーラの見立てが甘かった場合を考慮に入れて仮に七割程度の美貌と見積もっても、まあまあどころか十分すぎるほどの美男子であろう。
アストラフト王国において妾妃の地位は決して低くはない、マカーリオがこのまま順当にミラと結ばれ王配となった際、その愛人には当然妾妃と同等の待遇が与えられるだろう。平凡な貴族の男性と結婚して夫婦関係や領地経営に苦労するより、気楽な愛人生活が望ましいと考える女性は当然いる。まして相手が、庶出とはいえ隣国の第三王子で、しかも文句のつけようのない美男子であるとなれば……
「私、ちょっと踊ってこようかしら、ここでお喋りばかりして時を過ごしているのももったいない気がしますもの」
若い令嬢たちは口々にそんなことを言い、次々と足早にあずまやから立ち去っていく。競争相手が増えぬうちにまずは偵察をというところだろうか。
彼女たちを見送りながらトゥーラは何やら憂いを帯びた表情になっていた。
「……ペリファニア様とマカーリオ様がとてもお似合いと言いたかっただけなのに、私、何か失敗してしまったのかしら……後からヴィトスに怒られてしまうかもしれないわ、どうしましょう」
小声でなにやら呟きながらの困り顔さえ麗しかったとは、偶然その近くを通りかかった某男爵が後に友人に語ったところであった。