王女は隣国の王子と対面する
王都エレシス、第四王子ヴィトスの屋敷
ラディの第三王子マカーリオの王都での滞在先はヴィトスの屋敷である。非公式の訪問であるため王宮やラディ大使館はふさわしくない。といって、一般の旅館に泊まるのも何かと不都合であろうというわけで、まずまず妥当な選択だ。
ヴィトスの妻トゥーラに会うというのを口実に王女ミラはこの屋敷を訪れ、そこで偶然居合わせたマカーリオ王子を紹介されるという運びとなっていた。
ちなみにアストラフトの五人の王子のうち妻帯者は二名のみ、この屋敷の主人であるヴィトスと三男のオクセインである。神官である長男のフィロが生涯独身で通すのは戒律で定められたことであり、五男のエラトは恋人はいるが結婚には今のところ興味はない様子だ。次男のペトラには婚約者がいるが、相手がまだ十四歳であるため正式な結婚はもう少し先となるだろう。
「まあ、殿下はルシエンヌの港町で初めてこの件をご承知になったのですか!?」
挨拶と簡単な自己紹介の後、こうして対面するに至った経緯についてマカーリオから聞かされたミラは驚きを隠すことができなかった。
彼女との縁談があることをマカーリオが知ったのは、ルシエンヌでアストラフト駐在のラディ大使からの手紙を受け取った時だという。しかもその手紙を届けたのが兄のエラトだというのだから、事前工作も根回しも期待できるはずがない。現ラディ大使と父王アグノスは古い知己だというから気軽に話を持ち掛けたのかもしれないが、二人を会わせさえすればなんとかなるだろうという楽観的思考をもとに物事を計画するのはやめてほしいとミラは本気で思った。
「父と兄に代わってお詫び申し上げます。さぞ、驚かれたことでしょう」
眼前の王子はにこやかな表情を崩さないが、自分を軽視したやり口とひそかに機嫌を損ねている可能性は大いにある。ミラはとりあえず低姿勢に出ておくことにした。少なくともマカーリオの第一印象は悪くなかったから、破談に向かって一直線に突き進むことは本意ではない。
「いえいえ、きっと大使は一年ほど前の約束を果たしてくだっさたのだと思いまして……これも何かの御縁だろうと」
『殿下はすでに決まった方がいらっしゃるのですか?』『いいえ、良い方がいれば是非ご紹介ください』というパーティーでの会話は決して約束とは呼ばないだろう。掛け値なしの社交辞令だ。
マカーリオは自分から詳しく状況を語ったわけではないが、ミラがそうした推測をほのめかしたところ、苦笑まじりに頷いたのだった。
「本当に何と言ってよいやら……、きっと父は私のことが心配でならなかったのですわ。噂はすでにお聞き及びかもしれませんが……」
『アストラフトのわがまま姫』の呼称が仮にアグノスの耳に届いていたとしても、娘が行き遅れになる心配などはつゆほどもしていないはずだったが、ここは嘘も方便というものである。
「どうか、あまりお気に病まずに。アストラフトの王女殿下にお目にかかる機会を得たのは本当に光栄なことと思っておりますので」
あくまで礼儀正しく、マカーリオは言った。歯の浮いたようなお世辞を並べ立てる真似をしなかったことにミラは好感を持つ。
「私のことはペリファニアとお呼びくださいな」
「では私のこともマカーリオと」
アストラフトの王女とラディの王子は微笑み合った。儀礼と遠慮の壁を完全に取り払うまではいかないが、互いにまずまず心を寛げて会話を続けられそうだった。
「以前から見聞を広めるために外国を訪れてみたいと思っていたもので……エラト殿からすでにお聞き及びでしょうが、私は離宮のある田舎町とラディの王都ぐらいしか知らずに育ったものですから」
公務や縁談のためでなければ、なぜ我が国にいらっしゃったのですかというミラの問いに、マカーリオは答えていた。
「そのようなことは兄から少し……では今回の旅は楽しんでいただけましたかしら? ルシエンヌからアージュへの船旅もアージュからエレシスまでの馬車の旅もとても順調だったとは聞いておりますけれど」
予定より早く着き過ぎ、しかもその旨の連絡を入れていなかったためにエラトがヴィトスから小言を言われていたことは内密にしておくべきだろう。
「見るのも聞くのも初めてのものだらけで、あっという間に時間が過ぎて行きました。ルシエンヌの町はラディと行き来も多いですし、服装なども似たようなところがありますが、アージュに着くと町並みから何からがらりと変わるんですね。驚きました」
「大河ルーベを境に文化風俗が大きく変わる、と家庭教師から習いましたわ、そういえば」
「私も本でそうした知識は得ていたはずなんですが、実際に見ると衝撃、というのかな……自分がいかに狭い世界で生きてきたのか思い知らされる気がしました」
「私もきっとそうなんでしょうね。王都から出る機会もめったにありませんし……儀式に参加するためにたまに地方の神殿に行くぐらいですもの」
「でも、アージュから船に乗られたことはおありですよね。エラト殿からはそう伺いましたが」
「『南海の女王』号の試験航海のことですわね。ええ、あれが初めてというか、唯一の船旅ですの。本当は兄たちだけが乗り込む予定だったのですけれど、私もどうしても乗ってみたくて……父に頼み込んで……でも、そのせいで三日程度のほんの短い航海になってしまって、兄たちには申し訳ないことをしましたわ」
「え、たった三日の航海だったんですか? 航海が終わるころにはペリファニア様が熟練船員並みにマスト登りをこなせるようになっていたと聞いたので、きっと長期の航海だったのだろうと……」
そこまで話したところでマカーリオは口を閉ざした。ミラがなんとも微妙な表情であらぬ方向を見やっているのに気づいたようだ。
「……エラト兄様、そんなことまで……馬鹿……」
扇の陰でミラは淑女らしからぬ呟きを漏らす。無理やり船に乗り込むぐらいなら『可愛らしいわがまま』で済むだろうが、熟練の船員並みにマスト登りをやってのけるのは『可愛げのないじゃじゃ馬』以外の何ものでもない。
わがまま姫の噂を完全否定するのもかえって信憑性がないと思い、少々わがままだが可愛げのある女性というあたりの演出を狙ってみようとしていたミラだったが、初手からつまずいてしまったようだ。
「マカーリオ様……そのことは、あまり口外しないでいただけますか……」
あまり触れてほしくない話題だという意味合いをにじませるような口調でミラは言った。できれば忘れてくださいとでも言いたいところだったが、そこまで強く言うとかえって印象に残ってしまうのではないかと恐れたのだ。ところが、マカーリオは意外な反応を見せる。
「これは失礼しました。私の配慮が足りず申し訳ありません」
そう言って、少し離れたところで控えている侍女や護衛騎士を気にする風だ。ミラはマカーリオが何を案じているのかよくわからないながらも「ここにいるのは信頼できる者たちばかりですから大丈夫ですわ」と言っておく。
「そうですか、それなら良かった。私がうっかり口を滑らせたせいで誰かの責任問題になるのではないかと……以後は気をつけます」
「そうしていただければ……」
ミラは曖昧な表情を緩やかな扇の動きでさらに隠した。マカーリオの生真面目さに対して申し訳ないような思いにかられながら。
常識的に考えて、嫡出の王女が船のマストに登りたいなどと言い出したら周囲は何が何でも止めるだろう。いや、『南海の女王』号の船長はもちろん止めたのだ。しかし五人の兄のうち、もっとも反対しそうなペトラは船酔いのために船室に引き籠もっていた。エラトは自分がすぐ下についていれば大丈夫だろうと簡単に賛成し、オクセインは小さい頃から妹は木登りが得意だったんだからと余裕ある態度で船員たちに説明して回っていた。ヴィトスは船員たちに指示してクッションをマストの下に敷き詰めさせ、さらに力自慢の船員数名に網で受け止める練習をさせていた。そして最終的にフィロがすべての責任は僕たちが取るからと船長を納得させたのだった。
実はなんとなく興味本位でやってみたかっただけのマスト登りだったのだが、兄たちにそこまでさせてはミラも引っ込みがつかなかった。熟練船員の指導のもと熱心に練習した結果、持ち前の身軽さも幸いして凄まじい上達を見せたというわけだ。
マカーリオの態度からして、そこまでの詳しい話は聞いていないようだ。あまり広めてよい話ではないのは確かで知る人も限られているはずだから、他から耳に入ることもないだろう。
念のためエラト兄様にはしっかり口止めしておこうと、ミラがこっそり考えていたところでノックの音がした。ややあって姿を現したのはヴィトスの妻トゥーラである。アストラフト社交界の花と讃えられる美女はたおやかに一礼すると、銀の鈴を震わせるような声で言った。
「お話のお邪魔をして申し訳ありません。仮面舞踏会の衣装についてご相談したいことがありますので、少々お時間をいただけますかしら?」