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父と娘はお茶を飲む

 アストラフト王宮北館、応接室


 大理石のテーブルには様々な種類の果物や焼き菓子が大量に並べられていた。爽やかな柑橘系の香りとこうばしいバターの香りが争うように食欲を刺激するのを感じながらミラが案内された席に着くと、程無くして国王アグノスもやって来る。


「呼び立ててすまなかったな。急に予定が空いたので、久しぶりにゆっくりお前と話がしたかったのだ」


 ごく穏やかな調子でアグノスはミラに話しかけた。先日の夜、突然私室に乗り込んでこられたことは不問に付す、どころか、人目を憚ってすぐに自室に引き取らせなければならなかったことを残念にすら思っているようだ。


「こちらこそ、お伺いする準備に手間取りまして申し訳ございません」


 ミラの方も自分から面倒な話題を蒸し返す気はなかったので、当たり障りなく答えを返した。いつもと違う化粧法を試したものの、今一つ似合っていなかったため最初からやり直したことなどはわざわざ説明する必要もない。


「女性というのは装いに時間のかかるものだ。それはよく承知している」


 アグノスの言葉には真実味がこもっていた。正妃一人と妾妃五人を持てば、そのあたりのことは嫌でも承知せざるをえないのだろう。

 ミラは虫も殺さぬ笑顔を作りながら、さっさと焼き菓子に手を伸ばす。急に予定が空いたというのは見え透いた嘘と承知しているが、父親の態度からそれほど深刻な話ではないと踏んだのだ。

 黙ったままアーモンド風味の焼き菓子を食べ、ミルク入りの紅茶を飲む。そんなミラをアグノスはほほえましげに見守っていたが、その一方でさりげなく人払いをしていた。

 お茶のおかわりを頼もうとして給仕がいなくなっていることに気付いたミラは、特に驚く様子もみせず、近くに置かれていたティーポットに手を伸ばした。


「これはかなり重い。私がやろう」


 アグノスは立ち上がってテーブルをまわりこむと大きな銀製のポットを持ち上げ、二人分のカップに紅茶を注いだ。一滴もはねさせない器用さはなかなかのものだ。

 ミラはそのまま一口飲み、アグノスはミルクと砂糖を入れてスプーンでかき混ぜながら冷めるのを待っている。


「それで、今度のお相手はどんな方でしょう?」


 紅茶をもう一口飲んでからミラは明日の天気の話でもするかのようなさりげなさで尋ねた。

 わざわざ人払いをしてまで父王が自分に話さねばならない事柄は一つしか思いつかない。エルナンとの破談からさして日も経っていないのに手回しが良すぎるようにも思うが、婚約者候補が何人か脱落した時点で念のために手を打っておいたということなのだろう。


「……うむ、隣国ラディの王子だ」


 短く言ってカップに口をつけたアグノスは顔を顰めた。どうやらまだ熱かったらしい、慎重にカップを受け皿に戻している。


「かの有名なラディの双子王子、ではありませんよね。とすると……第三王子のマカーリオ様?」

「ああ、その通りだ。あちらが間もなくおしのびで我が国を訪れるゆえ、まずは顔合わせをしてみてはという運びになった」


 しのびとは言っても身分を隠してというわけではないらしい、公務を帯びてではなく私的な訪問というぐらいの意味なのだろうとミラは理解しておく。


「気が合わなければお断りしても構わないということでしょうか?」


 これは大切なところだったのでミラは念を押した。断る自由がないのならば、王族として覚悟を決めなければならない。


「何度も言ったと思うが、私はお前に意に染まぬ相手との結婚を強いるつもりはない。無論国王としてやむを得ない決断をせねばならない状況になれば話は別だが、幸い我が国は現在平和で、そなたの婚姻を政略的に利用しなければならぬようなことはない」

「喜ばしいことですわ」

「ただ、これだけは言っておかねばならないのだが、もしも断る場合には、あらかじめ私に相談してもらわねばな。国内の貴族相手ならばなんとでもやりようがあるが、他国の王子では……禍根を残すような断り方はできん」

「外交的な配慮が必要なことぐらいは承知しております。それに、マカーリオ様の方からお断りされるかもしれませんわ」


 アストラフトのわがまま姫の噂はとうに隣国まで届いているでしょうし、とミラは心の中でつぶやいてみた。

 必要以上に自らを卑下するつもりはないミラではあったが、ラディはアストラフト程の大国ではないにせよ長い歴史と洗練された文化を誇る国である。その第三王子であれば庶出であろうと婿入り先はいくらでも選べる立場だろう。本人の資質によほどの難点でもあれば別だが。


「そなたを一目でも見たら気に入らぬ男などいるはずもないが……」


 存分に親馬鹿ぶりを発揮する父王の台詞をミラは苦笑しつつ適当に受け流す。


「いくらなんでも……誰にもそれぞれ好みのタイプというものがあるはずですから。それで、マカーリオ様はいつこちらに到着される予定ですの?」

「天候さえ良ければ、一週間後にはアージュの港に戻って来られるとエラトは言っていた」


 アージュは王都エレシスの外港である。王都から馬を飛ばせば一日で、馬車でゆるゆると旅しても三日はかからずにたどり着く距離だ。


「エラト兄様がマカーリオ様を迎えに……」


 珍しいこと、とミラは思った。政治や外交にはあまり興味がなく、公式行事と大きなパーティー以外は気まぐれに海に出てしまうことの多い兄である。他国の王子の接待役を喜んで引き受けるタイプではない。


「ラディからならば海路の方が人目に立たないからな」


 アグノスは独り言のように言い、ようやく冷めたらしい紅茶をゆっくりとすすっている。

 ミラは頭の中で地図を広げて納得した。ラディは国境の大河ルーベの西岸中流域に位置している。ルーベ河を船で下り河口の自治都市ルシエンヌまで出れば、あとはアストラフトからの迎えの船に乗り替えるだけだ。河を渡り、多くの町や村を通って王都までやって来るよりずっと面倒は少ないだろう。


「マカーリオ様が船酔いする体質でなければよろしいけれど」


 そう言ったミラの声には笑いが含まれていた。二年ほど前、外海を航海する船に兄妹揃って乗った時のことを思い出したらしい。



 船に慣れているエラトはもちろんのこと、ミラも他の兄たちも意外に船の揺れには強かった。ただ一人、ペトラを除いては。

 日頃の威勢の良さは影を潜め、ペトラは時折青白い顔で甲板に出てくる以外はほぼ船室に引き籠もりきりだった。そんなペトラをエラトは気遣うつもりだったのだろう、船酔いの薬を届けるついでに海や船に関する面白い逸話を披露しようとしたのだが「下らん話はいいから、さっさと出ていけ」と大声で怒鳴られるはめになっていた。

 船室のドアの外でしゅんとするエラトをミラは軽く慰めながらも、内心では船酔いで苦しんでいたとしたら自分もペトラと同じような態度を取っていただろうななどと考えていたのだった。

 もちろんペトラは陸に上がって体調が元に戻るとすぐに謝罪したし、エラトは怒鳴られたことすらその頃にはほとんど記憶にとどめていなかったわけなのだが……



 人懐っこさを身上とするエラトとはいえ、初対面のしかも他国の王族にそこまで馴れ馴れし気な態度を取るとは考えられず、そもそもマカーリオが船に弱いと決まったものではない。


 それでも快適な船旅であるに越したことはないはずだ。天候も風向きも人の力ではどうにもならないものではあるが、明日にでも海神の神殿で祈りを捧げて来ようとミラは思うのだった。


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