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狩猟パーティーは滞りなく進行する(前)

 王都エレシス郊外 シルベスタ侯爵家の別荘


「大丈夫ですか、ペリファニア様」

「無理をするからだ。どこかで少し休んでいろ」

「ええ、それがよろしいですわ。あちらのテラスに休憩所をもうけておりますのでどうぞ」


 セリナとペトラに強くうながされ、青ざめた顔をしたミラはろくな返事もできないままふらついた足取りで休憩所のベンチに向かった。


「やはりお断りすべきでしたわ。私などは領地でさんざん見慣れておりますけれど、ペリファニア様には刺激が強すぎたのかもしれません」

「どうしても見たいといったのはミラ本人だ。中座をすすめたにもかかわらず聞き入れなかったのだからやむをえまい」


 二人の会話を聞きながらミラは必死で吐き気と戦っていた。決して気の弱い方ではないと自分では思っていたのだが、鼻腔にのこる血の匂いがどうしても先ほどの場面を眼裏によみがえらせてしまう。

 狩りに参加するのは初めてではなかった。しかし、獲物の血抜きから解体まで見届けたのはこれが初めての経験だった。勢子や従者の前ではどうにかとりつくろっていたものの屋敷に戻りついたところで緊張が解け、気分の悪さがどうにも耐え難いものとなってしまったのだ。


「ペトラ様、申し訳ありませんが大広間の様子を見てきてはいただけません? 私はしばらくペリファニア様に付き添っていなければなりませんから」


 セリナは夜の舞踏会の準備の方が気がかりらしかった。ペトラが行ったところで何ほどの役にも立たないだろうが、それはこの場に残っていても同様である。ミラはセリナに詫びたが、年下の侯爵令嬢は「まだ時間の余裕はございますから」と落ち着きはらった態度をくずさない。ミラの服の襟元を目立たぬ程度にゆるめ、扇でそっと風を送る。


「お医者様をお呼びした方がよろしいでしょうか」

「大丈夫よ。しばらくこうしていればよくなるわ」


 実際吐き気は徐々におさまっていた。ミラの明るい口調にセリナもほっとした表情を見せる。この後の舞踏会で行われるマカーリオとの婚約発表を無事に済ませることは誰に指摘されるまでもない最優先事項であったから、大げさな騒ぎにせずにすめばそれに越したことはなかった。


「ペリファニア様のご夕食は軽めのものを用意するよう料理人に申し付けておきます」

「そうね、そうしてもらったほうが……」


 その時ミラは侍女の一人が早足でこちらにやって来るのに気付いた。侍女は二人の傍まで来ると丁寧に頭を下げ、急ぎ大広間まで来てもらいたい旨をセリナに告げる。どうやら招待された妾妃たちの間でなにやら悶着が起こっているようだ。


「早く行ってあげて、ペトラ兄様が下手に対処しようとしていたら逆に火に油を注ぐ結果になりかねないから」

「そんなことは……ありえますわね」


 真顔で言うとセリナは侍女をともなってその場を離れた。去り際に誰かを付き添いによこしましょうかと問われたがミラはそれを断った。侯爵家の屋敷内で身の危険が迫ろうとは考えられなかったし、そもそも声の届く範囲に召使の一人や二人はいるはずだ。マカーリオに傍にいて欲しいと思わなくはなかったが、ミラ以上に本日の主役である彼までもが客の前から姿を消すわけにもいかないだろう。


「マカーリオ様には申し訳ないけれど、まず体調を万全に整えてからよね。招待客と私の双方に気を配りながら愛想よく振る舞うのはいくらあの方でも荷が重いに決まっているもの」


 ベンチの上にはクッションがいくつも置かれ、ひざ掛けも用意されていた。楽な姿勢をとれるようにミラがそれらの位置を直しているところへ不意に声がかかる。


「おやおや、こんなところでのんびりしていて大丈夫なのですか? 今日のパーティーはあなたが主役でしょうに」


 ミラは瞬時に居住まいを正した。聞き覚えのありすぎる声と華やかな美貌の持ち主は太陽神の神官であるデニスだった。


「……あら、お久しぶり。あなたが来ているとは思わなかったわ」

「フィロに招待されたものでね」


 デニスは聖職者らしからぬ俗っぽい笑顔を見せてそう言い、ミラは『招待させた』の間違いでしょうと心の中で呟きながら虫も殺さぬ笑顔で応じた。


「気配を断って近づくのは無礼だとは思われないのかしら。私ももう子どもではありませんのよ」

「そう、あなたももう子どもではない。だから私もこうした機会を逃さなかった」


 逃げ出すなり人を呼ぶなりご自由に、と目つきだけで伝えながら、デニスはごく自然な動作でミラの隣に腰かけた。ミラはさりげなく立ち上がる機会をうかがいながら、表面上は和やかに彼との会話を続ける。


「カレドで忙しくされているのではなかったの?」

「向こうでの滞在は最低限にしたんですよ。私が例の件に関わっていることは可能なかぎり秘さねばなりませんから」

「……上手くいったのね」

「手配はすべて済んでいます。それなりに苦労の多い仕事でしたから、あなたが多少は恩に着てくださるといいのだが」

「恩、じゃなくて借りにしておいて。そのうちきちんと返すから」


『恩義は一生逃れられないが、借りなら踏み倒せばすむ』というのはオクセインの持論であった。ミラは兄と違って踏み倒す気などさらさらないが、デニス相手に恩義を感じるなどという危険をおかすつもりもまるでない。

 そこまで考えたところで、ミラはデニスに釘をさしておかねばならない件があったことを思い出した。


「レノスっていう子を知っているでしょう? マカーリオ様の従者の」


 否定するかと思ったがデニスは意外にあっさりと認めた。「彼のことならよく知っていますよ」と。ミラは頭の中で遠回しな表現を探しながら、慎重に口を開く。


「あの……個人的なお付き合いに口出しをするつもりはないのよ。だから、レノスが納得しているんなら別にいいんだけど、……もしも彼が不本意……というか、マカーリオ様のことで恩を感じてしまってあなたの申し出を断りづらいっていうこともあるのかしら、と思って。だから、あなたには無理強いのつもりはなくても……その……」


 余計なお節介と切り捨てられることは覚悟していたがデニスは面白そうにミラの様子を眺めていた。それはやがて肩を震わせた忍び笑いへと変わっていく。


「ふざけないで。私は真面目に言っているの」

「……失礼、ふざけているつもりはなかったんですが。それにしても私に対する信頼感というものをあなたにお持ちいただくには一体どうしたらよいものやら。私が例の件を引き受けたのはレノスに恩を売るためだと、そう思っていらっしゃるんですか?」

「それも理由の一つじゃないの?」

「レノスのことが理由の一つだというのは否定しませんが、恩を売るつもりはまったくありませんよ。純粋な親切心とか思いやりとかそういう類です」

「あなたにそんなものがあったの!?」


 ミラは本気で驚いていた。デニスの冷血ぶりは徹底しており、例えばオクセインのような半ば見せかけだけのものではない。そう断定して差し支えないほどの証拠はミラの記憶の中にいくつもしまわれている。

 デニスはわざとらしく傷ついたようなそぶりをしてから、からかうように言った。


「ま、兄弟愛というものはあなたたちだけの専売特許ではありませんからね」

「兄弟? まさか……レノスとあなたが……」

「もちろん母親は違いますが」


 勢いよくミラは立ち上がっていた。真っ赤になった顔を見られまいと慌ててその場を立ち去ろうとする。


「他言無用に願いますよ。それであなたへの貸しは帳消しにしておきますので」


 皮肉気なデニスの声だけがミラの背中を追いかけてきた。

 


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