わがまま王女は侍女頭に謝罪する
王宮南館 王女の私室
木から落ちたミラには怪我一つなかったが、大事を取って三日間は安静にして過ごすようにというのが診察を行った侍医からの指示であった。
一刻も早くマカーリオと話し合いたいミラだったが、さすがにこの状況でこっそり部屋を抜け出すわけにもいかない。迷ったあげくにミラは侍女頭のキリアを呼んだ。彼女と二人きりになったところでミラの口からまず出たのは謝罪の言葉であった。
「本当にごめんなさい、キリア」
部屋に入って来た時には厳しい表情を繕っていたキリアであったが、神妙に頭を下げるミラを見つめるうちに自然と笑みがこぼれだす。
「よろしいのですよ、姫様の心配をすることが私の仕事のようなものですから。それに木から落ちたのも、国王陛下のところに押しかけていかれたのも、こっそりお部屋から抜け出されたのも初めてのことではございませんし、もうすっかり慣れてしまいました。まあ今回は少しばかり派手な成り行きではございましたけれど」
「……そう言ってもらえるのなら嬉し、くはないけれど、とりあえずその言葉に甘えておくことにするわ。で、あの申し訳ないんだけど、一つ頼みたいことがあって」
「私でよろしいのですか? 姫様が最近お気に入りの四人を連れてまいりましょうか?」
あくまで冗談めかしたキリアの口調であったが、ミラは念のため確認しておかずにはいられなかった。
「まさかあの四人に何か厳しい処分を下したりはしていないわよね。彼女たちは私の命令に従っただけなんだから」
「前後の事情を速やかに私に報告しなかったことをきつく注意しましたけれど、それだけです。あの子たちは有能で、しかも長く勤めてくれそうですからね。この程度のことで暇をとらせるのはもったいなさすぎますもの」
「よかった。じゃああらためてキリアにお願いがあるんだけど」
「マカーリオ様とお会いになりたいのですね」
侍女頭の察しの良さをありがたく思いながらミラは頷いた。
「こっそり、来ていただく方法はあるかしら? この部屋は今かなり厳重に見張られているはずよね」
「はい。とにかく姫様には静かにご養生いただくようにということで、お見舞いも一切お断りせよと」
「あの侍医にはお父様も逆らえないものね。ああもう、この前も思ったことだけど書斎の隠し扉の方もそのまま残しておけばよかった」
「クライブ様が出て来られたところでございますか? 大幅な模様替えにかこつけて分厚い石壁で完全に塞いでしまいましたわねえ」
「だって心配じゃない。鍵なんていくら頑丈なのを掛けておいたって絶対に破られない保証はないんだし……館の隅っこならともかく自分の部屋に直接つながってるのはちょっとね。あの時にはそれが一番いい考えだと思ってたんだけど」
ミラの視線があてもなくさまよう。決して壁を壊すのに適した道具を探していたわけではないが、奇跡が起こってその場につるはしが出現したなら彼女は躊躇なくそれを手にし、書斎に突進したかもしれない。もちろんつるはしを振り下ろすずっと手前で冷静さを取り戻しただろうが。
「大丈夫ですわ、姫様」
さまよい続けたミラの視線が自分の方に戻ってくるのを待ち、キリアは朗らかに言った。
「マカーリオ様はずっと書斎で姫様のお目覚めをお待ちになっておいでです。どうか外の者に気取られぬよう、穏やかにお話し合いをなさってくださいませ」
マカーリオに抱えられて部屋まで運ばれた時の断片的な記憶がミラの脳裏によみがえって来た。羞恥に頬を染めたミラは、それでもしっかりとした足取りで書斎へと向かって行った。
王位継承権放棄に関するフィロの計画について、マカーリオは自身が推測したことも含めて包み隠さずミラに語った。聞き終えたミラはかなり長い時間考え込んでから、一つの問いを口にした。
「えっと、とりあえずオクセイン兄様が言ってたのは事実っていうことでいいのよね。その、マリサがおめでたとかいう……」
「はい。予定日は来年の春先とうかがいました」
「そう。ま、オクセイン兄様の性格にいろいろ難があるといっても、この手の嘘はつかないわよね」
ミラは再び考え込む。長兄のフィロがマカーリオの王位継承権放棄に尽力する理由はおおむね納得がいった。兄弟五人が揃って訴えれば父アグノスが考えを変えることも充分にありうるだろう。だが、フィロ以外の四人の兄たちがその計画にあっさり賛同したというのが今一つ信じがたかった。
(だってカード遊びで言えば、とっておきの切り札を自分からみすみす捨てに行くようなものじゃない。しかもあっちこっちに借りまで作って)
「マカーリオ様、あなたに対して何か交換条件とか出されなかったの? 私を懲らしめるのに協力する以外にってことだけど」
「交換条件、ですか。特に思い当たることはありませんが」
「本当に? 愛人は絶対に持つなとか、お小遣いが少なくても我慢しろとか、激務を押し付けられても文句を言うなとか……そんな感じの無茶な約束をさせられたりしていない?」
「そういうことは何も。まあ、愛人を持つ気はもともとありませんし、贅沢はし慣れていないので手許金もさほど必要としません。激務は程度にもよりますが、私の力を必要としてくださるのであればそれはむしろ喜ばしいことです」
「それならいいんだけど……」
ミラは心の中で大きくため息をついた。彼女の直観の告げるところによればマカーリオは嘘はついていない。まったく完璧すぎるほど完璧なお人柄だ。
「あなたが私と結婚してこの国のために尽くしてくれるのなら、外交上の有利さや侵略の大義名分なんて放り出して構わないってことかしら。あなたがアストラフト王家を信頼してくれる方がずっと大事だから」
ようやく考えがまとまってきた様子でミラは呟いた。マカーリオは感じのよい柔らかな微笑みを見せてから、やや諧謔気味に言う。
「方々が何より大事に思われているのはあなたの幸せですよ」
「そりゃあそうでしょうよ。私が本気で逃げ出したら余計に面倒なことになるんだし」
ミラは精一杯のふくれっ面をして見せた。結局のところ自分はまだまだ未熟で、深刻ぶってあれこれ考えてみたところで父や兄たちの手のひらの内から出られないということなのだろう。
「あなたが本気で逃げ出したいということであれば、きっと全力で応援してくださるとも思いますが」
「それはそれで……なんだか嫌な感じ。ねえ、マカーリオ様、こんなわがままな私と結婚なんかして大丈夫? 後悔しない?」
「神ならぬ身には遥か先々を見通すことなどかないませんが、あなたとともに生きられるのであれば何が起ころうと私は希望を失わずにいられると信じています」
複雑な生い立ちの割にはマカーリオはずいぶんと楽観的な考えの持ち主であるようだ。あるいは逆で、そうであるからこそ楽観的な考え方を身につけざるを得なかったのか。
あらゆる意味で理想的な貴公子である彼が自分などを好きになってくれたのがいまだに不思議ではあるが、神々の悪戯だか気まぐれだかでこうしたことはまれに起こるらしい。であれば最大限の感謝を捧げつつこの幸運を受け取ってよいのかもしれない。
考えに考えた末、ミラは決然とした表情でマカーリオに告げた。
「マカーリオ様。もうとっくに思い知っていらっしゃるでしょうけれど、私はどうしょうもなくわがままだし、思い込みも激しいし、かといってこれといった特殊な才能があるわけでもないわ。見た目だってそこまで見苦しくはないかもしれないけれど、あなたと並んだらやっぱり見劣りすると思う。でも、それでもあなたにふさわしい女性になれるよう精一杯努力するから、私の成長を長い目で見守ってくださるかしら?」
「喜んでそういたしましょう。ですが……」
言葉を切ったマカーリオはミラに近づき、そっと唇を触れ合わる。
「あなたは今のままでも充分に魅力的な女性ですよ」
マカーリオは至極真面目にそう言った。そして礼節をくずさぬ態度のまま、侍女たちの協力のもと警備の一瞬の隙をついてミラの部屋から立ち去ったのだった。




