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王子二人は密約を結ぶ

 第四王子ヴィトスの屋敷 離れ


 時は少しさかのぼる。ミラが小謁見室に乗り込み、父と兄たちに見事に返り討ちにされたその前夜。


 ゆったりとした姿勢でソファに向かい合ったフィロとマカーリオはしばらくの間無言で互いの出方をうかがっていた。壁際で二人の様子を見守るレノスも物音ひとつ立てることなく、ほとんど気配すら消し去っている。やがて根負けしたかのような素振りで口を開いたのはフィロの方だった。


「私がこんな夜更けに突然訪ねてきた理由はおわかりでしょうか?」

「いいえ……まさか単なる世間話をするために立ち寄られたということはないでしょうが」

「さすがに私もそこまで俗世間のならわしに疎くなってはいませんよ。言うまでもないことですが、あなたに重要なご相談があったからです」


 そこで言葉を切り、フィロは画架上の絵を指し示した。


「あれはミラですね」

「ええ、まことに拙い出来で。お恥ずかしい限りです」

「……なるほど、今回はそういう手なのか」


 見え透いたほのめかしとしか思えぬフィロの呟きに乗るマカーリオではなかった。穏やかに微笑んだまま次の言葉を待つ。フィロは苦笑しながら立ち上がると部屋の中をうろうろと歩き回り、そして何事もなかったかのように元の場所に座りなおした。


「失礼しました。このところ面倒な相手との駆け引きが続いていたもので、その癖がなかなか抜けないようだ。あなたには対しては率直に話した方がずっと早い。そうでしょう?」

「……多分」

「では、まずこれを。現物はまだあなたもご覧になったことがないはずです」


 そう言ってフィロは二通の書類をマカーリオへと差し出した。


「あなたの父君と母君の結婚証明書、そしてあなたご自身の出生証明書です。いずれもルクーザの地母神神殿において保管されておりました」

「ルクーザの地母神神殿はおよそ二十年前、大きな火災に遭ったと聞いています。その際に多くの重要書類が焼失してしまったとも」

「これらはそれ以前に持ち出されたものです。貴族の婚姻、出生に関しては後々のことも鑑みて正式な写しがスフェーラの最高神殿にも納められますが、そちらの方は私ごときがおいそれと持ち出すことなどできませんからね」

「ルクーザの神殿からこれらの書類を持ち出したのは……ソチェタス殿ですか」

「ええ。先の神殿長は尊敬すべき方でしたが、時折独断で思い切ったことをする方でもありました」


 なぜそのようなことをとはマカーリオは尋ねなかった。おそらくは亡き乳母イリーナの密かな依頼によるものであろうとは思われたが今となっては確かめようもない。だから口に出したのは別の問いであった。


「これらを私にどうせよと?」

「どのようにでも。不要であれば焼き捨てていただいてもかまいませんが」

「でしょうね。最高神殿に写しがある以上、あなた方にとって特に必要なものでもない」


 マカーリオの口調に尖ったものを感じたのだろう、フィロは再び苦笑した。


「そういう言い方をされてしまうと身も蓋もありませんが、あなたの判断の一助ともなるかと思いまして」


 マカーリオは二通の書類に再び目を落とした。彼の父と母の名に続いて保証人として当時のルクーザの地母神神殿長の名前が記されている。マカーリオはその名を確かにどこかで耳にしたことがあった。


「何やら企みがおありになるようですね」

「いっそ悪だくみ又は詐欺行為と言った方が適切かもしれませんが。というわけでここから先はあくまでも私の想像力が生んだ仮定の話としてお聞きください」


 マカーリオは黙って頷いた。フィロは膝の上で軽く手を組み合わせ、中空に視線を漂わせながら語りだした。


「あなたとミラが正式に婚約するにあたって改めて身元調査が行われた。そしてその際、以下の事実が判明した……


 かつてあなたの父君は愛した女性との結婚を反対されたことを理由に出奔した。小さな田舎町で密かに結婚式を挙げ、貧しくとも温かい家庭を築くつもりだった。ところが式を挙げて間もなく父君は強引に家に連れ戻される、身ごもっていたあなたの母君を残して。


 家に連れ戻された父君は様々な状況から次期ラディ国王となることを了承せざるを得なかった。そのためにさる権門の令嬢との結婚が必要不可欠であることも知った。ラディ王家と太陽神神殿は協議の末、あなたの母君との離婚を認めた上で、すでに生まれていたあなたについてはラディ王家の直系後継者が不足している点を考慮し嫡出として扱うことを決定した。いずれも極秘の特例であり公にはされなかった。


 時は過ぎ、ラディ王妃となった令嬢は自分が夫から愛する女性を奪った形になっていたことを知った。夫への愛情と正妃としての義務感から彼女は今は亡き愛人が生んだ子を王族として遇することを進言した。地方の離宮で養育されていたあなたは騎士として王宮に迎えられたが、その際に将来の禍根とならぬよう王位継承権の放棄を決意する。すでにラディ王家には二人の王子がおり後継者不足の心配はなかったため、あなたの意向はラディ王家と太陽神神殿に問題なく認められた」


 フィロの語った内容はマカーリオが知る事実とは微妙に異なっている。しかしながら事実と同等かそれ以上の真実味を持ち合わせていた。

 だが実際のところ太陽神神殿は教義として離婚を認めていない。だからこそラディ国王シルビオはマカーリオの母との結婚を隠し通すほかなかったのだ。


「アストラフト王家はそこまでカレドに対して影響力がおありですか……」


 マカーリオの口ぶりはどこか憮然としたものだった。少なくとも現在のラディ王家には太陽神神殿に教義に反する配慮を強いるだけの力はない。


「ありません、というよりもこの件はアストラフト王家とはできる限り無関係で処理したいというのが地母神に仕える身である私の希望です」


 地母神の神官という立場を強調するフィロの言葉を聞いて、マカーリオは先ほど書類で見た名がいかなる人物のものかはっきりと思い出した。その人物は今の時期、教義に関して太陽神神殿と争いになるような事態は絶対に避けたいに違いない。


「私の個人的な知り合いが太陽神神殿にいます。いくつかの条件と引き換えで彼の協力を得られることになりました。先ほどの話を既成事実とするために必要な書類を整え、カレドの文書保管庫のしかるべき場所にそれらを紛れ込ませておいてくれるそうです」

「ずいぶんと簡単そうにおっしゃるのですね」


 完敗だなと心の中でマカーリオは呟き、それからそのことに自身で驚いた。稀代の俊秀と名高いアストラフトの第一王子に勝ろうなどという大それた望みを自分は抱いていたのかと。

 彼のわずかな表情の変化をフィロは目の端でとらえていたが、無論それには触れず話を進めた。


「簡単ではありませんが、もっとも確実な手段です。彼も成功させる自信があるからこそ引き受けたのでしょうし」

「有能で信頼の厚い御友人がいらっしゃるようですね」

「友人とは呼びたくありませんし全面的に信頼しているわけでもありませんが、すさまじく有能なのは疑いの余地がありません」

「なるほど……」


 フィロの言い様には聖職者らしからぬ毒が含まれていた。それが思わず漏れた本音であるのか否かをマカーリオはあえて追求しなかった。彼は差し出された王位継承権放棄の書類に署名し、後の処理をすべてフィロとその友人の手にゆだねることにした。



「さてと、ここまでは順調でしたが。大きな山が一つまだ残っています」


 署名済みの書類を丁寧に確認し終えたフィロはやや深刻そうな表情でマカーリオを真正面から見つめた。


「アグノス陛下の御意向ですね」

「いいえ、そちらは何の問題もありません。父が亡きクロエ様の御遺言を違えることは決してありませんから」

「ご遺言とはどのような?」

「それはいずれまた詳しくお話しする機会もあるでしょう。今は何より時間が惜しい」

「そうでした。アグノス陛下でなければ何が問題なのでしょうか?」

「ミラですよ。それならそうと初めから全て打ち明けてくれていればよかったのになどとへそを曲げられたら万事休すです」

「誠意をもって正直に話せばわかってくれる方だと信じてはおりますが」

「あなたが妹の良い面を積極的に評価してくださっているのは大変喜ばしいことではあるのですが……あいつが負けず嫌いの意地っ張りであることもまた事実ですから」

「あの方が私を許してくださらないとすれば、それは全てつまらぬ嘘をついた私の責任です。先ほどのお話は仮定のままにしておいてくださればいい。当初の予定通り私がこの国を去れば済むことです」

「いや、こちらにはこちらの都合というものがありまして、是非ともあなたにはミラと結婚していただきたいのですよ。もちろんあなたがあいつとの結婚を望むのであれば、ですが」

「望まないわけがありましょうか」

「それならよかった。ではミラとの話し合いをあなたが有利に進められるよう僕たち兄弟が協力しましょう。これまでさんざん悪戯を仕掛けられてきた意趣返しにもなることですしね」


 若々しいというよりもむしろ子どもっぽいと表現した方がよさそうな笑顔をフィロは浮かべ、右手を差し出した。マカーリオは契約成立の際に行われるというアストラフトの習慣を思い出し、その手をしっかりと握り返す。

 いくらかの雑談を挟みつつ計画の打ち合わせを終えたフィロが帰途についた頃には夜明けがもう間近に迫っていた。


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