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わがまま王女は樹上に潜む

 王宮南館 庭園の大樹


 生い茂った葉の間からは騎士たちの動きがよく見えた。遠巻きにこちらを見守っているがこの木に登ってくる様子はない。おそらくうかつに近づいて彼女を刺激することを避けているのだろう。ミラはかなり高いところまで登ってきていたから、バランスを崩して落ちたりでもすれば確実に怪我をする。ごつごつした枝の座り心地は決して良いものではなかったが、独りになれる場所を確保するという目的は果たせたわけだった。


「お父様とお兄様が何が何でもマカーリオ様と私を結婚させるつもりなんだってわかっていたら、私だってあんな馬鹿な真似はしなかったわ……」


 ミラは力なく呟いて、いつの間にか濡れていた頬を手で乱雑にぬぐった。

 全ての事情を知り、よくある政略結婚だと事の初めから納得していたなら、ミラとてむやみにマカーリオの内面に踏み込もうとはしなかった。節度ある態度で、時間をかけて夫婦としての信頼感を育てていこうと努力したはずだ。


(それとも……わがままな私には理屈など通用しないと思われたのかしら……)


 思われても仕方がない、婚約者選びに際してのミラの態度は決して褒められたものではなかった。マカーリオは完璧すぎるほど完璧な貴公子で、彼との結婚を望まない女性などいるはずもない。それならば何も知らせぬまま、自然の流れで婚姻に持ち込めばよいという算段だったのだろう。


 あの夜マカーリオの申し出に即座に応じていたら、という後悔がミラの胸の奥底でざわめく。


 マカーリオと二人で、いや従者のレノスも入れて三人だろうか、朝一番にこっそりと王都を抜け出すことは可能だっただろう。アージュの港まで馬をとばし、追手が来る前に出港間近の船に乗りこんでしまえば別の大陸に渡ることさえ案外簡単にできたかもしれない。


 しかし、ミラは答えを迷った。マカーリオが遮らなければ断りの返事すら口にしていただろう。


 失敗を恐れたということは無論ある。追手につかまればミラの言い分がどうであろうとマカーリオは王女誘拐の罪に問われてしまう。

 侍女たちの責任問題となることを危ぶんだということもある。実際に手を貸したリルヤ、ネリー、クレーヴェル、シュリナの四人だけでなく、侍女頭であるキリアの監督責任も問われるに違いない。


 だがそれ以上にミラが恐れたのは、自分が所詮アストラフトの王女でしかないということだった。

 

 自分が王位に就くことは定められた運命のようなものだと、物心つくころからミラは何かにつけて思い知らされていた。王位継承権を放棄するなどという言葉はたとえ冗談であろうがめったに口にしなかったし、それを口にする相手も姉のように慕うキリアただ一人であった。

 そして仮にミラが王位継承権を放棄したところで、市井で庶民のような暮らしを送ることがが許されるはずがない。しかるべき家柄の貴族に嫁ぐか、一生独り身を通す覚悟で地方の離宮なりで隠遁生活を送るか、せいぜいそんなところであろう。どちらを選ぶにせよ、夢と希望にあふれた人生であるとは思いがたかった。


(どうせ不自由な思いをするなら、いい女王様になれるように頑張る方がやりがいがある分ずっとましだと思って)


 自分がおとなしく玉座に座ってさえいれば優秀な兄たちは無駄な争いに力を費やさずに済み、それぞれの分野で手腕を発揮してくれるはずだとミラは信じていた。それならば凡庸な自分にも少しは存在価値らしきものがあるのだという自信を持つことができるような気もしていた。


(どこか遠くに旅立って一人で生きていけるようになんてできるとも……ううん、できるようにならないとなんて考えたこともなかった)


 料理も洗濯も裁縫もしたことがない。それどころか町の商店で買い物をしたことすら数えるほどだ。一般的な貴族の娘であれば手すさびとして覚えるであろう刺繍も身につくはるか以前にやめてしまった。ミラの予定は膨大な社交や公務、学問やダンスといった習い事に埋めつくされており、たまに訪れる余暇は何をするというでもなくただぼんやりと過ごしてしまうことがほとんどだった。


(王女でなくなった私ではきっとマカーリオ様を幸せにできない……むしろ足手まといになるだけ)


 ミラは大きく息をつき、木の幹にもたれかかった。彼女の視線の先で見慣れぬ羽色をした小鳥が枝先に止まり、すぐにまた飛び立っていく。


「ずっとここにいるわけにはいかないわよね」


 自分自身に言い聞かせるようにミラは言った。

 マカーリオと結婚することはすでに決定事項となっている。これ以上の醜態をさらしたところで事態が悪化するばかりだ。もうしばらくしたら木から降り、せいぜい反省した態度で父と兄たちに謝ろう。

 父は決して暴君などではないし、兄たちも無謀な野心に足をすくわれる人間ではない。マカーリオが祖国との板挟みで苦しむことがないようにとできる限りの配慮を求めれば聞く耳ぐらいは持ってくれるはずだ。


「ペリファニア様」


 真下から呼びかける声がした。その声がマカーリオのものであると気づいて、平静を取り戻しかけていたミラの心が再び波立つ。


「おそばに行ってもかまいませんか? お話ししたいことがあるのです」


 彼の声から感情の波立ちは感じられなかった。それはミラにいくらかの失望感を与えたが、同時に平静さを取り戻す手助けともなった。


「どうぞ、いらして」


 喉奥に引っかかるようなかすれた声ではあったがマカーリオの耳には届いたらしい。危なげのない動作で彼はミラの座る枝のすぐそばまで登ってきた。


「いろいろと驚かしてしまって申し訳ありませんでした。あなたの兄君たちから固く口止めされていたものですから」

「私こそ、勝手な思い込みで先走った行動をとってしまいました。ご迷惑をおかけしてしまってなんとお詫びしたらいいのか」

「謝っていただく必要などありませんよ。確かにあの絵はひどい出来でしたから、あなたの酷評ももっともですしね」


 そこまで言ったところでマカーリオは微笑んで見せた。いつも通りの感じのよい穏やかな笑顔にいつもとは違う何かが混じっている。その何かが不安をかきたてるのか、ミラは落ち着かない気分になった。


「そういうことにしておこう、ということですの?」

「そういうこと、とは?」

「その、つまり私たちは肖像画のことで喧嘩をして、でも話し合って仲直りしたという段取りで進めようということかと」

「いや、そもそも私たちは肖像画の件で喧嘩などしていない。そうでしょう?」

「ええ、それはそうなのですけれど。でも……」


 マカーリオはまた冗談を言おうとしているのだろうか、あるいはラディ人らしく婉曲的な表現で何かをほのめかそうとしているのか。ミラがあれこれと頭を悩ませているところへ、マカーリオは妙にさっぱりとした口調で告げた。


「どうも私たちは物事を複雑にとらえすぎていたようです」

「それは当然じゃありませんか。深刻で複雑な事情は間違いないのですもの」

「ラディ王家にとってはそうかもしれません。しかし、私個人がそれに巻き込まれないようにするには単純な解決方法がありますよね」


 ミラは何度かまばたきを繰り返した後で独り言のようにつぶやいた。


「王位継承権を放棄なさる? でもそんなことが可能かしら……だってそもそも」

「そもそも私の王位継承権は公式には認められていませんからね」


 ミラの台詞を引きとったマカーリオは淀みなく話し続けた。


「シルビオ陛下が一公爵家の子息に過ぎなかった時に私の母と極秘に結婚していたことを明らかにし、私が正式の婚姻関係から生まれたことを証明すれば、ラディ王家も太陽神神殿も私の王位継承権を認めざるを得ないでしょう。そのうえで明確に王位継承権を放棄すれば何の問題もありません」

「……何の問題もない? マカーリオ様、あなた本気でそう思っていらっしゃるの? もしそうならむしろあなたの正気を疑うわ」


 マカーリオが嫡出の長子であることが明るみに出れば、ラディ王家の王位継承問題を一気に解決する手段として彼の立太子を望む声が高くなるであろうことは想像にかたくない。さらにいえばシルビオ国王とリディア王妃が結婚した当時、マカーリオの母はまだ存命だった。ということはラディの双子王子の嫡出が否認される可能性すらあるということだ。そんな状況下でマカーリオが王位継承権の放棄を望んだとして、すんなりと認められるはずがあろうか。

 アストラフト王家がミラとの結婚の条件としてマカーリオの王位継承権放棄を提案したとして、ラディ王家がそれを受け入れるとも到底考えられない。それどころかアストラフトに対する不快感と反発心が王族や貴族のみならず、一般庶民にまで広がる恐れすらある。


 そこまで考えたところで、ミラははっとした。自分にすらこの程度のことは思いつく。であればマカーリオがそれを思いつかないはずなどない。

 ほとんど睨み付けるようにしてミラはまっすぐにマカーリオを見つめた。彼は臆する様子もなくミラを見つめ返してきた。


「正確には、私が王位継承権を放棄済みであるという既成事実をつくりあげることになりますか。手続きの詳細に関してはフィロ殿がよろしく取り計らってくださいます」

「フィロ兄様が……まさか」


 確かにフィロは地母神の神官であり、スフェーラにある地母神の最高神殿にも縁が深い。証拠の隠滅、あるいは書類の偽造などをやろうと思えばできない立場ではないかもしれない。ただ、清廉潔白を絵に描いたような人物として知られる兄がそのような行為に手を染めようとはミラはにわかには信じがたかった。


「この先は少々こみいった話になります。よろしければここから降りて、あなたのお部屋なりでじっくりと話し合いませんか?」


 ミラはとりあえず黙って頷いた。ひどく難解な言語で記された興味深い内容の書物を読んでいる時のような気分のまま、座っていた枝から離れ、木から降りようとする。

 登る時よりも降りる時にこそ慎重になるべしという木登りの鉄則を忘れていたわけではなかった。が、あと三分の一というところでミラは足を踏み外した。とっさに近くの枝をつかもうとした手は虚しく空を切る。怪我を最低限にとどめようとミラは受け身をとった。しかし……


「あなたの身は全力でお守りすると約束しましたからね」


 どうやらその必要はなかったようだ。先に木から降りていたマカーリオがミラの体をしっかりと受け止めていた。

 もっとも彼の言葉はミラには届かなかったかもしれない。衝撃で気を失った彼女が目を覚ましたのは自室に運ばれた後のことであったから。


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