わがまま王女は追いつめられる
王宮南館 小謁見室
「お父様にお話があるの。もちろん順番はきちんと守るわ。ここで待っていればよいのでしょう」
侍女の先触れもなしにいきなりやって来たミラはそう言い、空いていた木の椅子に座り込んだ。
控えの間に居合わせた貴族や商人数名はあたふたと立ち上がり、部屋を出るべきか王女の御機嫌うかがいをするべきか悩んでいる。近衛騎士の一人が一瞬の自失から立ち直り、全速力で上司を呼びに行った。
(ごめんなさい……)
ほどなくして控えの間にいた人々は騎士たちに半ば追い立てられるようにして部屋を出て行った。その様子を扇のかげから見送りながら、ミラは心のうちに申し訳なさをつのらせていた。今回ばかりは父王の私室で騒ぎ立てたぐらいではもみ消されてしまう恐れがあるからと覚悟の上でこうして乗り込んできたものの、緊急で重要な案件を抱えた者があの中にいたならと懸念せずにはいられない。
「王女殿下、お待たせいたしました。どうぞお通りください」
近衛騎士の一人がかしこまって声を掛けてきた。後で謁見希望者の名簿を調べることを頭の隅に刻み込みながらミラは立ち上がった。近衛騎士は隣の椅子に立てかけられていた包みを指し示す。
「そちらのお荷物は私がお運びいたしましょう」
「結構よ。これはとても大切なものだから他人の手に触れさせたくないの」
とりすました表情で言い、ミラは茶色い布で包まれた荷物を抱え上げる。大きな荷物を抱えた状態で美しい姿勢を保ちつつ歩くのははなかなかの難事であったが、王女としての矜持であろうかミラはそれをやり遂げた。
「ちょうどよかった、ミラ。今しがた呼びに行かせようとしていたのだが、そなたの方から来てくれるとはな」
いきなりの父アグノスの言葉にミラの警戒心が刺激された。ちょうどよかったと言っているにも関わらず父の表情は堅苦しく、口調も重々しい。
「何か御用でしたかしら?」
「ああ、お前に少々尋ねたいことがあってな。ヴィトス、こちらへ来てくれ」
「ヴィトス兄様!?」
壁際から歩み寄ったヴィトスはミラの手元を見やりながら言った。
「まずその大荷物をおろしてはどうだ」
「……そうさせていただきますわ」
玉座近くの台にミラはゆっくりと包みを置いた。丁寧に扱っている風をよそおい必死で時間を稼ぐ。
(ヴィトス兄様が呼び出されるまでは想定していたけど、もう来てるってどういうこと?)
「実はな……ミラ。今朝がた、マカーリオ殿下がラディ大使館に居を移されたそうだ。あまりに突然の出来事で私も驚いているのだが、そなた何か心当たりはないか?」
「心当たりですか……ええ、ないことも……ないのですけれど……」
口ごもったふりで語尾を濁しつつ、ミラは慌ただしく考えを巡らせる。
(確かに私の作戦を詳しく説明してはいなかったけれど、だってマカーリオ様は全て心得てらっしゃるようで、ちゃんと私の望み通りの絵を描いてくださったし。ああそうよ、きっとヴィトス兄様が責任を取らなくていいようにとか、そんな風に考えられたんだわ。あらゆる面で配慮の行き届いた方ですもの)
自分を納得させるだけの理屈にたどり着き、ミラはどうにか平常心を取り戻した。毅然とした態度で、きっぱりと断言する。
「あらそう。これで私も心が決まりましたわ。お父様、マカーリオ様との縁談は白紙に戻してくださいませ」
「そなたの気持ちはそれとして、まずは理由を説明してくれないか?」
「私、あの方に肖像画を描いてくださるようにお願いいたしましたの」
「ほう」
「あの方も絵には自信がおありのようで二つ返事で引き受けてくださいました」
「それはよかったではないか」
「……でも、あの方の画風はラディ風なのか、私からすると独特の癖がありすぎるように感じられたので、ほんの少しそれを抑えてくださるようにお願いしましたの。私本当に気を使って、控えめな態度でお願いしましたのよ」
「うむ、そうであろうな」
「なのにあの方ときたら、それ以来むっつりと黙り込んでしまわれるようになって。嫌なら嫌とはっきりとおっしゃっていただけましたら、私だって無理にとは申し上げませんでしたのに」
「それでは、絵は完成しなかったのか」
「いいえ、そうではありませんのよ」
ミラはつかつかと台に近づき、茶色の包みに手をかけた。
「今朝になってこれが届けられてきて、よりによってこんな嫌味なやり方を……これがラディの洗練された芸術とでもおっしゃるのかしら」
劇的な効果を狙って、しかし狙いすぎてしらけさせてしまわぬようにと心掛けながらミラは勢いよく布をはぎ取り肖像画を露わにした。
「これは……」
「なるほど、これでは……」
父と兄が言葉を失うさまにミラは安堵と満足を覚えた。かろうじて人物が描かれているのがわかるその絵は筆致も色使いも大胆に過ぎて、ありていに言えば子どものいたずら描きと大差のない仕上がりに見える。
「デヤナトアル様式か、いわゆる古典派の描き方と若干の差異はあるようだがこれはこれで悪くない」
後ろからかかった声にミラはぎょっとする。
「フィロ兄様!?」
「デヤナトアル……聞き覚えがあるな。大陸西端の小国であったか」
「その通りです。険しい山々に囲まれ、他国との交流も薄いため文化風俗も独自の発展をとげているとか」
「ああ、その独特な文化によって生み出されてきた芸術が昨今注目を集め始めているらしい」
「残念ながら私はそういった方面にはまるで疎いものですから」
「僕もそれほど詳しくはない。まだルーベ河西岸地域の流行りにとどまっているのではないかな。あちらの方面から戻って来た神官たちの中には興味をもつものがいたから、いずれ我が国にもそのような動きがあるかもしれないが」
「動き……大丈夫ですか兄上、デヤナトアルでは偶像崇拝が禁じられていると耳にしたことがありますが」
「大丈夫だよ。デヤナトアルは狂信者の集団ではないし、我が国の神官は信仰と理性をつねに両立させることを心掛けている。いきなり神々の像を破壊して回ったりはしないさ」
「すみません。余計なことを申し上げました」
ヴィトスとフィロはなにやら小難しい話を始め、どういうわけかアグノスも興味深げに耳を傾けている。このままの流れでいくとミラにとって非常にまずいことになりそうだ。
「お父様。この絵がそのデヤナ……なんとかいう画風であろうとなかろうと、私がそもそも気に入らないのはマカーリオ様の態度ですの」
声を張り上げたミラにアグノスはすまなそうな視線を向けた。
「ラディと我が国では流儀も違う、何かと戸惑うことが多いではあろうな」
「ええ、そうですの。思い返してみれば、」
なだめるような父の言葉にミラは力を得て話し続けようとする、が、それを遮ってアグノスが言った。
「とはいえ、他国のやり方を受け入れる懐の深さも時には必要なのではあるまいか」
「そ、それは、時には。でも、物事には限度というものがございますもの。侍女の噂話によればあの方は基本的に女性というものを下に見ていらっしゃるとしか思えないのです」
気圧されつつも、ミラは必死で反論の糸口を見出そうとした。アグノスもミラの懸命さに心動かされたのか、穏やかな声音で「それはどういうことか」と問いかけた。ミラは心の中で大きく頷き、勢い込んで話を再開しようとしたところへ割り込んでくる声がある。
「一体なにがどうなってるんですか? 長い待ち時間を覚悟してやってきたのにあっちには誰もいない。まあいいかと入ってきてみればなんだかお取込みの真っ最中だ」
「オクセイン兄様!?」
ミラは面食らったものの頭の中で素早く計算を行った。マリサを妻としていることでもわかる通り、オクセインは自立している女性を高く評価する。ラディ人の男尊女卑傾向を非難するのであれば、きっと助けとなってくれるに違いない。
「どうしたオクセイン、急ぎの用件か」
後回しにしろと言わんばかりのアグノスの口調であったがオクセインはまるで気にする風も見せない。にやけた表情を取り繕おうともせず、彼は上機嫌で言った。
「いやあ、実はですね。マリサが身ごもりました。父上には一刻も早くご報告しようと思いまして」
「そうかそうか。それはめでたい」
「奥方がご懐妊ですか。喜ばしいことですが……仕事の方には少々差し支えがありそうですね」
「そうだねえ、とりあえず新しい注文は絶対引き受けるなと厳しく言ってるんだ。マリサはもともと働きすぎなところがあったからね。しばらくは自分の体と子どものことだけを考えて過ごしてもらいたいと思っている」
「そういうことならやむをえないか……トゥーラには何か別の物を考えます。このたびの件は自分のもてなしが至らなかったせいに違いないと気落ちしているようなので、珍しい装飾品でも贈って慰めようかと考えていたんですが」
「お前はすぐそうやって物で解決しようと……まあいいか、そういえば最近入手した南洋産の真珠がある。大粒で光沢も素晴らしい、色も白だけではなく黒や金色があって……」
商談を始めたオクセインとそれに熱心に応じているヴィトスに向かってミラは思いっきり不機嫌なしかめっ面をしてみせたが、二人には完全に無視された。フィロは台上の絵を鑑賞するのに忙しそうで、アグノスは近々初孫が生まれるという慶事にすっかり心を奪われてしまったようだ。
(まずいわ……ううん、もちろんマリサに赤ちゃんができたのはとってもおめでたいことなんだけど)
とはいうのものの、この場で「女というのは良き妻良き母でありさえすればよろしいのですか」といった主張は非常にしづらい。こうなれば孤立無援の戦いを覚悟して、強引にわがままを押し通すしかないように思える。
「お父様、お兄様たちも。私は今、とても真面目なお話をさせていただいておりますのよ」
まずは仕切り直しと、精一杯冷ややかな声と表情を作ってミラは言った。そこへひどく能天気な声がかかる。
「ミラ、よかった。ここにいたんだね」
「エラト兄様!?」
すべての神々に見放されたような気がしてきたミラであったが、背筋を伸ばしあえて愛想よく微笑んだ。とりあえずエラトはたいていの場合自分の味方をしてくれるはずだ。
「帰国なさっていたとは存じ上げなかったわ」
「うん、ちょっと前に帰ってたんだ。旅の疲れとかいろいろあったんでね、別宅の方でのんびりしていた」
「長旅でいらしたのですものね。また異国の面白いお話を聞かせてくださいな」
「そうだね、でも、その前に。あ、ちょっと待っててくれ、すぐに呼んでくるから」
(呼んでくる? 誰を?)
ミラの疑問は数秒で解決した。エラトに連れられてやってきたのは暗い表情をしたマカーリオであった。ミラはうろたえる自分を叱りつけながら、さりげなく視線をそらす。
「喧嘩したんだって? おせっかいかと思ったけど、マカーリオ殿もできれば仲直りしたいそうだからさ。二人でちゃんと話し合ってみたらどうかな」
エラトの表情はひたすら明るい。そして彼にはまったく悪気はない。ただどうしようもなく間が悪い、主にミラにとって。
アグノスはミラの目を見つめ、諭すように言った。
「ミラ、男女の仲が一筋縄ではいかぬことはお前にもわかろう。さまざまに紆余曲折ありつつ、理解を深めてゆく努力を怠らぬことが肝心なのではないか」
「それは……」
じりじりと後ずさりしながらミラは扉に近づいた。ここは頭痛がするとでもいって一旦部屋に引きこもろう。このままここにいてはお膳立てされた仲直り以外に取るべき道がなくなってしまう。
「おっと、すまない。ミラ、大丈夫か」
「ペトラ兄様!?」
扉をふさぐように立っている大柄な兄をミラは見上げた。理由は何であれ今自分は涙目になっていることだろう。この際それを最大限利用するしかない。
(ペトラ兄様は決して弁の立つ方ではないけれど、とにかくお優しいし、きっと盾になってくださるわ……)
「聞いてくださいな、ペトラ兄様。お父様も他の兄様たちもひどいのよ」
「なにがひどいんだ? マカーリオ殿とお前が仲違いしたというような話が扉の向こうから聞こえてきたが」
「ええ、そうなの。私……マカーリオ様を許すことはできない。それなのに……」
ミラは何度かまばたきを繰り返したが、残念ながら彼女の瞳から涙が流れ落ちることはなかった。ペトラは困った様子で頭を掻き、どこか気弱げな口調で言った。
「ミラ。できることならば、考え直してはもらえないか」
「え……?」
「セリナも俺の母も、来月の狩猟パーティーに向けてそれはそれは頑張っているんだ。特にセリナの気合の入りようはすさまじくてな……今さら婚約披露が取りやめになるなどと言ったら悲しむどころでは済まないだろう」
ペトラの言葉をミラは最後まで聞きはしなかった。扉はペトラによってふさがれている。最も近い窓に駆け寄るとドレスの裾をたくし上げ、驚異的な身軽さで窓枠を乗り越えた。
「お父様も、お兄様たちも、マカーリオ様も大っ嫌い!!」
子どもじみた捨て台詞を残して、王女ペリファニア・ミラは逃亡した。




