王女は隣国の王子と対決する
第四王子ヴィトスの屋敷 離れ
侍女ネリーが調達した辻馬車に乗り、ミラは無事にヴィトスの屋敷の裏口にたどり着いた。そこで待っていたのはマカーリオの従者であるレノスだ。彼がどのような手段で説得されたものかは知れないが、ともかくもマカーリオの元へ案内してくれるらしい。
「あなたたちはここで待っていて」
離れの玄関の扉の前でミラは後ろを振り向いた。リルヤとネリーはやむをえないという表情でうなずく。
「あなたもよ、レノス」
扉を開けてミラを通し、当然のごとく後に続こうとした従者をミラは鋭く制した。ミラの言葉と同時にリルヤがレノスの二の腕を抑え、ネリーは彼とミラとの間に立ちふさがる。
「これをお返ししておきます」
ネリーが差し出したのは用心のためにとミラが彼女に持たせた小鳥のブローチであった。これを警笛として使うような状況になるとは想像したくもなかったが、王女として自身の安全を守る義務がある。ミラは黙って小鳥を受け取り、お仕着せのドレスのポケットにそっとしのばせた。
玄関の扉を入ってすぐの居間はなんとはなしに殺風景なものを感じさせた。一通りの家具調度は申し分なくしつらえられているが、人が快適に暮らすために必要となるはずのこまごまとした日用品の類がほとんど見当たらないせいだろうか。
(見苦しい雑貨は引き出しにしまうなりして人目に触れさせないのがラディの流儀なのかもしれないけれど……)
「ペリファニア様、なにやら大事なご用件があるとうかがいましたが?」
ミラが軽く頭を振って悪い予感を追い出すのと、マカーリオが部屋の隅の椅子から立ち上がって声をかけたのはほぼ同時だった。
「ええ」
短く答えたミラはマカーリオが手振りで示したソファーを断った。そして先刻まで彼が座っていた椅子と小卓を挟んで向かい合う位置に書き物机の前にあった椅子を運び、腰を下ろす。マカーリオはいつも通りの感じのよい笑みをたたえたまま、ミラの行動を静かに見守っていた。
「私のやり方が礼儀どころか常識にも外れていることは幾重にもお詫びいたします。でも、私どうしても早急に内密でマカーリオ様におうかがいしなければならないことがあって、それで……」
マカーリオが椅子に座ると同時にミラは話し出した。が、言葉とともに感情があふれそうになるのを抑えられずいったん言葉を切る。左の手のひらでポケットの中の小鳥を握りしめ息を整えてから、あえて単純な質問を投げかけた。
「マカーリオ様、あなたはなぜ年齢を偽ったりなさったの?」
感情を抑えようとするあまりミラの表情も口調も凍り付く寸前のような冷ややかさになっている。が、マカーリオは穏やかな口調で軽口めいた答えを返してきた。
「あまりに年嵩だと若いあなたに敬遠されるのではないかと心配になったものですから」
「そんな稚拙な言い訳で私が得心するとでも?」
ミラの語気が強まった。全てを正直に打ち明けてもらうことはもとより望んではいなかったが、冗談で誤魔化されることだけは我慢がならなかった。たとえ相手がマカーリオであろうとも。
「申し訳ない。ついあなたの優しさにつけこむような真似をしてしまいました」
「私は優しくなどありません。『アストラフトのわがまま姫』の噂は不愉快ではありますけれど、少なくとも半分ぐらいは事実ですし」
「あなたは嘘のつけない方ですからね。他人だけでなくご自身にも」
「それは褒め言葉と受け取ってもよろしいの?」
「もちろんです。私があなたに惹かれた最大の理由がその点なのですから」
「ご自分が嘘の多い人生を送って来られたからかしら?」
「そうかもしれません」
マカーリオは一瞬だけ自嘲的な笑みをひらめかせた。ミラは会話の流れが相手の思惑に沿って進んでいることに気付いていたが、無理に引き戻そうとはしなかった。知性も経験も確実に勝っている相手に真っ向勝負を挑むのは愚行の極みだ。ましてマカーリオはラディ人である。大陸中央部に位置するラディが千年以上の歴史を誇っていられるのは、外交的な駆け引きに長けているからにほかならない。
「その割にはあの時の嘘はあまりお上手ではありませんでしたわね。私が相手ということで油断なさった?」
「常に気を張り続けているのは難しいということでしょう。なんとか取り繕えたと思っていたのですが、どうやらそれがかえってあだとなったようだ」
その通りだった。出産後すぐに死去したマカーリオの母が彼に直接遺言を残せるはずがないことなど、あの場では思いつきもしなかった。乳母について語る彼の口調には真実味があり、疑念など生じる余地はなさそうにも思われた。せいぜいが饒舌すぎるという漠然とした印象を感じたという程度であろうか。
「別の折であれば取り紛れて忘れていたのかもしれませんけれど、こっそり調べる方法を思いついてしまって、それで私、調べてみずにはいられなくて……」
「日食の記録をご覧になった、ということですね」
「はい」
驚きました、とでも付け加えておくべきだろうかとミラは迷ったが、結局沈黙を選んだ。個人的な感想を述べて場を和ませる余裕は心理的にも時間的にも持ち合わせていなかった。
「年齢を偽ったのはシルビオ陛下の御意向ですの?」
ラディで皆既日食が起こったのは二十三年前。もしもその日にマカーリオが生まれたのだとすれば、彼は『ラディの双子王子』よりも年上だということになる。
「その通りです。王位継承についてこれ以上の問題を抱えたくはなかったのだろうと拝察いたしました」
庶出の兄がいるという状況は弟たちにとって目障りなものではあろう。だが、ラディ王家については嫡出男子しか王位につけないという厳格な規定がある。マカーリオが双子王子よりも年上であったとして、そこまで重大な問題となるであろうか。
「そしてまた、王妃陛下へのご配慮ということもあったでしょう」
確かに夫となる人が結婚前にすでに他の女性と子どもをもうけていると聞いて心穏やかでいられる女性は少数派に違いない。とはいえ、マカーリオの母はすでに故人である。夫のかつての恋人にあからさまな嫉妬心を見せるほどリディア王妃が狭量な女性とも思えない。仮にそうだとすれば、マカーリオの認知そのものを許さなければ済む話であろうとも思える。
マカーリオの口調は変わらず穏やかだった。表情もいつも通りの微笑みを絶やさない。ミラは悩んだ。ここで話を終わらせることもできるのかもしれなかった。何も知り得なければ、この先何が起ころうとも自分が責任を感じる必要はない。
長い沈黙が二人の間に置かれ、しかし、結局のところミラは自分自身を騙すことが得意ではなかった。唐突に無神経ともいえるほど直截的な問いを投げつける。
「マカーリオ様、あなたはラディの王位を望んでいらっしゃるの?」
再び長い沈黙が二人の間に置かれた。
マカーリオの答えが肯定であれば何も問題はない。いや問題がないわけではないが、それは政治や軍事に関するものであり、ミラには口も手も出せない。マカーリオの望みは正当なものである。アストラフトの国益にもかなうことなのだから、父も兄も彼に援助を惜しまないだろう。その場合ミラにできることといえば、できる限り平和的な手段で事がおさまるよう祈るぐらいだ。
だがミラの見る限り、マカーリオは野心とは無縁の人となりである。翻って父王アグノスは少なくとも若い頃には野心と覇気に満ちていることで有名な人物だった。年を経て人柄に温厚さを加えたというのが昨今の評判ではあるが、国際社会における主導権を握る機会をみすみす見逃すほどに積極性を失ったとは考えづらい。それどころか初めから全ての事情を知った上でマカーリオの血筋を利用するためにミラとの縁談を進めていたという可能性すら充分にありうる。
(お兄様たちはどうかしら? エラト兄様はマカーリオ様や私が望まないことは決して賛成しないだろうけれど、ヴィトス兄様はお父様に味方しそうな気がする。オクセイン兄様が中立を守ってくれたとして……ペトラ兄様は……?ああそれよりも肝心なのはフィロ兄様よ。そもそもソチェタス神殿長の意向をお父様に伝えたのがフィロ兄様らしいし、ということは……)
「ペリファニア様」
「え?」
長兄の目論見はどのようなものであろうと思いを巡らせていたミラはうっかり気の抜けた返事を口にしてしまった。慌てて咳払いすると姿勢を正し、そっけない口調で問い返す。
「お心が定まりまして?」
「その前に、私もあなたにおうかがいしたいことがあります」
「なんでしょう?」
「もしも私がこの国を去るとしたら、あなたは私とともに来てくださいますか?」
「ともに? ラディへということ?」
「そうではありません。王族という身分を捨て、二人で別の大陸にでも渡ってみませんか? 無論、あなたの身は私が全力でお守りいたします」
その後に置かれた沈黙は短かった。「申し訳ありません、私は……」という台詞がミラの脳裏に浮かびかけたところで、マカーリオが口を開く。
「またつまらぬ戯言を申し上げてしまいました。どうかお忘れください」
マカーリオの表情から感じのよい微笑みは消えている。彼の視線の先には後悔と絶望があるようで、しかし口調だけはかろうじて穏やかさを保っていた。
「故郷であるラディも、あなたの住まうこのアストラフトも私にとって大切な国です。両国がこれまで通り平和的な関係であることを私は望んでおります」
これまで通りという言葉をマカーリオは特に協調したわけではなかった。それでも、ミラはその部分を重く受け止めた。きっとそれが彼の本意であろうと信じて。
「残念ですわ。私、このたびの縁談こそはと思っておりましたのに。でも、仕方がありませんわね」
声の震えにマカーリオが気付かないでくれるようにと願いながらミラは立ち上がる。「帰ります」と扉の方へ向かいかけ、そこで何かを思いついたように振り向いた。
「最後に一つだけお願いしたいことがありますの。マカーリオ様、私の肖像画を描いていただけるかしら?」




