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五人の王子は話し合う

 アストラフト王国王宮、南館


 広々とした遊戯室の片隅に五人の青年が集まっていた。彼らは皆ペリファニア・ミラ王女の異母兄である。それぞれ別の妾妃の所生である彼らが一堂に会することはめったになく、重要な公式行事の類か、神の采配による偶然か、あるいは彼ら全員が同程度の深刻さをもって話し合いの必要があると認めた場合に限られる。


「エラト、お前が悪い、なぜあそこまで本気を出した」


 不機嫌そうに言うのは次男のペトラである。騎士団の精兵を率いる将軍である彼の声は抑えられてはいても十分他者に威圧感を与えるものだ。


「なぜと言われても……嬉しかったんですよ。ミラが僕と踊りたいと言ってくれたのが……で、つい」


 口ごもりつつも、五男のエラトはさして悪びれた様子も見せずに反論した。


「気持ちはわからないでもないけど……よりによってあの難曲をあんな風に踊りこなすなんてねえ」


 辛辣さと親密さを混ぜ合わせた口調で割って入ったのは三男のオクセインだ。中性的な美貌を持つ彼は長めの前髪を気にしながらペトラとエラトを等分に見やる。


「ええ、ミラも懸命に練習したのでしょうね。三年前とはまるで違っていた」


 ペトラに睨まれ、オクセインに観察するような視線を向けられてもなお、エラトは嬉しさを隠さない。そう、彼にとっては昨夜の出来事は喜び以外の何ものでもなかったのだ。その直後にミラと踊る羽目になった侯爵家の子息にとっては災厄としか呼びようがないものだったとしても。



 三年前、ミラが社交界デビューをする際にエスコート役を務めたのはエラトだった。他の四人が公務などで多忙であったせいもあるが、舞踏の才に秀でたエラトがその役割を引き受けるのは自然な流れでもあった。

 金髪碧眼のミラと黒髪黒目のエラト、対照的な外見を持つ二人が華やかにダンスをする様子はまるで物語の中の光景のようだと人々は口々にほめそやした。

 しかし、ダンスを続けるうちに人々の注目が自分ではなく明らかにエラトに向けられていることをミラは敏感に感じ取ってしまったらしい。パーティーからの帰り道、『私は二度とエラト兄様とは踊りません』と彼女は唇を震わせながら言い、実際、昨夜まで決してエラトと踊ろうとはしなかった。


「あれから僕も反省しました。ダンスをする時には自分が楽しく踊ることよりも相手の女性がより美しく魅力的に見えることを優先させなければならないんだってね。僕の努力がようやくミラにも伝わったのかと思ったんですが……」

「伝わったのは、まあ、確かかもしれないんだけど、ね」

「なんにせよ、タイミングが最悪だ」


 昨夜王宮で開かれたパーティーは本来ならスアレス侯爵家の長子エルナンが王女ペリファニア・ミラの婚約者として内定したことを披露する場となるはずだった。だからこそ、庶出の五人の王子が全員出席していたのだ。

 会食を終え、ほどよく場が盛り上がったところで長男のフィロが国王アグノス四世の名代としてさりげない形で発表する手はずになっていたのだが……


「エラト兄様、兄様お得意のあの曲を私と一緒に踊っていただけません? 私、一生懸命練習して、どうにか人前で踊っても恥ずかしくないぐらいにはなれたと思いますの」


 ダンス用の大広間に場所を移してすぐ、輝くような笑顔でミラに言われ、エラトは二つ返事で応じた。彼が楽団に指示し、曲が大広間に流れ出すと、どこからともなくため息にも似た声が上がった。

『虹の精霊の円舞』、舞踏の名曲ではあるが、あまりに技巧が過ぎて、かえってパーティーでは人気がないというほどの難曲でもある。

 エラトも普段はほとんど踊ることがない。それでも定期的な練習を欠かさずにいるのはダンス自慢の貴族令嬢から是非にと所望されることがまれにあるからだ。

 そこそこ踊れる女性が相手であっても、この曲は手強い。ミスを最低限にとどめ、一定水準以上の出来に仕上げるには、相手の苦手なところを補い、長所を引き上げられるほどの技量が必要となる。

 

「お兄様、お手柔らかに」


 エラトが手を取ると、ミラは品よく微笑んだ。後で思い返せば子どもの頃こっそり悪戯を仕掛けてきた時の表情に似ていたようにも思うが、その時にエラトの胸中にあったのは小さな妹がすっかり大人の女性になったという感慨だった。

 前奏が終わり、ステップを踏み出すと感慨が驚きに変わる。負けず嫌いの妹のこと、それなり以上に踊れる自信があっての申し出と思ってはいたが、予想外に巧みな足さばきであった。


「上手くなったね、ミラ」

「頑張りましたもの」


 わずかに入る緩やかな曲調の部分で兄妹は短く声を掛け合う。

 変則的な楽節が次第に速さを増してきたところでエラトは力を込めて妹の手を握った。兄の心の声を受け止めたのだろう、ミラも強く握り返してきた。

 エラトがミラを抱え上げ、軽やかに回転すると、彼女の梳き流した金髪が月光でできたヴェールのように広がる。ミラがエラトの腕から逃げ出そうとするかのように、その身を翻しながら複雑なステップを踏むと、黒曜石のような瞳を輝かせてエラトがそれを追う。その動きの一つ一つが流れる旋律の全てと調和し、空気の色さえ染め上げるようだ。

 最後の音の余韻が消え去ると周囲は完全に静寂に包まれ、その一瞬後、割れんばかりの拍手が大広間に響き渡った。

 

「あの後でミラと踊らざるをえなかったエルナン殿は非常に気の毒だった。完全に平常心を失っていたからな」


 淡々と事実を述べるような口ぶりは、王都の執政官を務める四男ヴィトスのものだ。いずれも美男子ぞろいの五人の中では一番平凡に近い顔立ちで、焦げ茶色の髪と瞳も地味な印象を与える。


「まさしく浮足立つ、って感じだったからねえ」

「エルナン殿も決して下手な踊り手ではないはずなんですが……」

「周りの状況もほとんど目に入っていないような有様だったからな」


 エラトとミラの圧巻の踊りを見た後では、大広間にいる人々は皆気おくれし、しばらくは踊り出す者もいなかった。それでも曲が変わり、ゆったりとした調べが流れるうちに徐々に踊りの輪ができていく。

 とはいうものの、さすがにミラにダンスを申し込もうとする剛の者はいない。所在無げにしているミラにエラトが声を掛けようとしたその時、ミラがエルナンに話しかけていた。


「エルナン様、私と踊っていただけます?」

「……光栄です。喜んで」


 光栄ではあるがけっして喜んでいないことがありありとわかる声音と表情であったが、彼はミラの手を取り、緊張で顔を青ざめさせながら大広間の中心へと向かっていった。


「途中まではなんとかなりそうではあったよね」

「でも、ミラはかなり踊りにくそうでした。エルナン殿は背が高い、身長差のある相手を女性側がフォローするのは難しいですから」

「ああそうだな。俺はダンスには疎いが、常日頃からあの調子ではもっと早くにミラに見限られていただろう」


 ペリファニア・ミラ王女の婚約者候補として名を上げられていたのはもともと五名だった。それがこの一年余りで一人去り、二人去り、どうにか最後まで残っていたのがスアレス家のエルナンだったのだ。

 一度のダンスが少々まずかろうが、彼はその他の条件は満たしており、ミラ自身もこれまで嫌がる素振りは見せていない。長男のフィロは二人がダンスを終えたところで婚約を発表するつもりらしいと見て取った他の四人は視線を交わし、軽く頷き合っていた。ところが……


「きゃっ!」

「うわっと!」


 大広間の中心で驚きと戸惑いの声が上がり、それとほぼ同時に、優雅に流れる音楽をかき乱すような騒々しい音がした。人々は踊りを止め、何が起こったのかと物見高い視線を向ける。

 磨き上げられた床になんとも無様な格好で転がっていたのはスアレス侯爵家のエルナンであった。


「うっかりステップを踏み間違ったエルナン殿がすぐそばにいた伯爵夫人とぶつかりそうになり、それに気づいたミラが思わず声を上げ、その声に驚いたエルナン殿が逆に焦って不自然な動きになってしまった。あやうくミラを巻き込んで転倒しそうになるのをどうにか自分一人の被害に収めようとしてああなった、ということらしい」


 平板な口調でヴィトスが言い、「エルナン殿は手首と足首を捻挫、ミラには怪我はなかった」と付け加えた。


「不幸中の幸い、と言えばいいのかなあ……」

「すみません、近くにいた僕がすぐにミラをなだめていれば……」

「あれの行動は素早すぎたからな……」


 出席者が騒然とする中、スアレス家の従者がエルナンを担架に乗せて運び出し、スアレス侯爵夫妻も息子に付き添って帰って行った。一方、ミラはいつの間にか大広間から姿を消し、なんと国王アグノスの私室へと向かっていたのだ。

 扉を守る衛兵を王女の権威を振りかざして退け、一日の執務を終えてくつろいでいた父王のもとへ駈け込んだミラはほとんど泣かんばかりの勢いで事の次第を訴えた。


「『エラト兄様に比肩しうるほど華麗に踊ってくださいなどと贅沢なことは申しません。けれど、あのような見苦しい真似はとても我慢がなりません。それに、緊張で自分を見失うような方ではこの先の数々の儀式の折、隣に立つ私は気が気ではありませんわ。どうかあの方、スアレス家のエルナン様とのお話は無かったことにしてくださいまし!』と、こんな感じだったそうだ。近侍の者から直接話を聞いたからほぼ間違いはないだろう」

「何ヵ所かは穏やかな表現に言い換えているかもね。ミラが全力で非難を始めたらその程度では済まないはずだから」

「もし、本当にその程度で済んでいたとしたら、エルナン殿に対する好意が少しは残っているのかもしれませんが」

「しかし、ミラの言うことに一理はあるからな……」


 腕組みをしたままペトラが重々しく言い、オクセインとエラトも目を見交わして黙り込む。

 ペリファニア・ミラは現国王アグノス四世の唯一の嫡出子である。彼女が将来、女王として即位する可能性は限りなく高い。その伴侶は王配として国政の責任をともに担える人物であるのが望ましかった。それは求めすぎだとしても、重圧に負けて失態をさらすような胆力の無さはやはり少々心もとない。


「父上はミラに甘いし、おそらく、破談になるんだろうな」

「ミラが言い過ぎを反省して、父上にとりなしてくれるようなことは……ないでしょうね」

「お前が説得してみるか? 俺は絶対にやりたくないが」


「しかし、これで国内のめぼしい貴族の子弟はほぼ全員候補者からはずれてしまったことになる。いろいろと面倒なことになるかもしれないが、外国の王族・貴族の中から探すしかないな。すぐにというわけにはいかないだろうが」


 煩雑な交渉と手続きに思いをはせてか、ヴィトスの表情が曇る。が、それまで沈黙を守っていた長男のフィロが穏やかに口を開いた。


「いや、とりあえず次の手はある」


 丈の長い神官衣の裾を優美な仕草で直しながら、フィロは立ち上がった。


「隣国ラディの第三王子マカーリオ殿下より微行で我が国を訪れたいとの申し出があった」



「ラディの第三王子は確か今年二十歳、歳のつり合いは悪くない」

「これといった公職にはついていないが、三年前に騎士叙勲を済ませている。昨年はワーズ山脈の盗賊団を討伐するのに功があったそうだ」

「母方の身分が低いし、そもそもラディは庶子に王位継承権が無いから宮廷内での力はあまりないかもね……こちらとしてはその方がむしろ都合がいいか」

「ルシエンヌの港で噂を聞いたことがあります。明るく気さくで、といって下品なところもなく……民の評判、とりわけ女性からの評判は上々でしたよ」


 弟たちの反応が肯定的なものであることを確認し、フィロは声にやや力を込めた。


「これまで、僕たちが干渉しては良い結果を生まないと判断して静観してきたが、このままではアストラフト王国のためにも、ミラ個人のためにも良くない。やりすぎにならぬ程度に、かかわっていくべきだろう」


「あの子ももう十七歳だしね」

「アストラフト王国のわがまま姫、が冗談で済まされなくなる前に」

「俺たちも、あれを知らず知らず甘やかしてしまっていたかもしれないな」

「クロエ様が亡くなられてもうすぐ十年、そろそろミラも大人になってよい頃か」


「互いに忙しい身だが、できる限り密に連絡を取り合おう。ただし、ミラには気取られるな。僕たちがそろって何か画策していると知れば、ただの反抗心から話をぶち壊しにしかねない」


 フィロの意見に弟四人が口々に賛意を示す。

 わがままというのもたかが知れており、底意地の悪いようなところはまるでない妹ではある。しかしながら、昔から悪戯好きではあり、負けず嫌いで、従順さという美点は薬にしたくとも見当たらない。

 ミラ本人が聞いたら「私はそこまで子どもではありません」と本格的にへそを曲げそうだが、彼らには妹の不機嫌よりもさらに懸念しなければならない問題があるのだった。

 嫡出の王女の評価があまりにも下がれば、異母兄の内の誰かが王位を継いだ方がよいのではという意見が重臣たちの間から必ず出るであろう。嫡出優先とはいえアストラフト王国の王位継承権は庶子にも与えられているから、その点に関して何ら問題はない。問題は、誰を選ぶのかという過程で少なくとも内紛、下手をすれば内乱が必至だということだ。彼らは王族の兄弟としては例外的なぐらいに仲の良い方だが、それでも立場上、利害が対立することはある。何より彼らの母同士は当然ながらよくて相互不干渉といった間柄だ。

 彼らが幼い頃に妾妃間での目立った諍いや王位継承をめぐる深刻な宮廷闘争が起こらなかったのはひとえに亡き正妃クロエの力であったのだ。


 クロエ様が男子を産んでくださってさえいれば、などという非建設的な愚痴を言うものは誰もいない。ミラが男子であったなら、などという考えは頭の隅にすら浮かばない。

 彼らの望みは妹がしかるべき相手と幸せな結婚をする、ただそれだけだった。


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