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五人の王子は再び話し合う(後)

 王都エレシス 第五王子エラトの別宅


 とりあえず水でも浴びてさっぱりして来いとペトラに言われ、エラトは素直に従った。彼が水浴びと着替えを終えて二階に戻ってくるとオクセインが黒い液体の入った大きなカップを差し出す。


「まだ眠ってもらうわけにはいかないからね。これを飲んでおいて」

「何ですか、これ? 香りは悪くないですが……うわっ、苦いし酸っぱいし……まさか毒じゃないですよね」

「眠気覚ましの薬みたいなもんさ。砂糖とミルクを入れれば嗜好品にもなるけど効果が薄れるかもしれないから我慢してくれ」


 三人の兄に見つめられ、エラトはしぶしぶ正体不明の液体を飲み干した。空になったカップをテーブルに置くと今度はヴィトスが詰問調で話しかけてくる。


「その様子だと私からの手紙は読んでいないようだな」

「手紙? 何のことです?」

「まあいい、それよりお前はどうやってエレシスに戻って来た。アージュの港には立ち寄らなかったのか?」

「ああ、最初はそのつもりだったんですけどね。この季節にしては風向きが悪くてなかなかアージュの港に入れなかったんですよ。で、ちょっと西に戻ってダーランに船をつけたんですが、だめですね、あそこは。漁港に毛が生えたようなところだから宿が貧相なのは仕方がないとして、馬を借りようにもろくなのがいないのには参りました。王都までの旧街道は悪路に決まってると思ったんで足が速くてしかも丈夫そうな馬が欲しかったんですよ、幸いにも偶然通りかかったエルナン殿に彼の馬を譲ってもらえたんで助かりましたが」

「ちょっと待て、エルナン殿とはスアレス侯爵家の子息か? あの辺りに侯爵家のゆかりがあったとは聞いたことがないが」

「侯爵家のというより、個人的な知りあいがいるような雰囲気でしたね。あの人もいろいろありましたから、ゆっくり心安らげる時と場所が必要なんじゃないかな」


 いろいろあった責任の一端を自身が担っていることはすっかり忘れたのか、エラトは訳知り顔でうなずいている。その点を指摘してやろうと思いついたらしいオクセインが口を開きかけたが、ヴィトスに視線でペトラには動作で制された。つまらなさそうな表情でそっぽを向くオクセインを多少は気にしていたエラトだったがペトラに促されて話を続けた。


「ええっと、どこまで話しましたっけ……そうそうエルナン殿から借りた馬は結構いい馬で、これなら順調にエレシスに着けそうだって安心してたんですよ。ところが街道が倒木でふさがれてるところがありましてね。そのままにしておくわけにもいかないから近くの村で人手を集めて倒木の始末をして、村人にはやたら感謝されたし温かい食事も振る舞ってもらえたんでそれは良かったんですが、その後も何かと引き止められてしまって結局その日は村に泊まることになって、で次の日も何やかやと……どんな感じかっていうと……」

「もういい、途中は適当に端折れ」

「……そうですか、で、ともかくも王都までたどり着いたんですが、その時にはもう完全に日が暮れてしまってたんです」

「それなら城壁外の宿に泊まるという手もあっただろう」

「まあそうなんですが、いくら僕が旅好きとはいってもここまで来たら一刻も早く自分の部屋に戻りたくなってしまって……西の通用門からこっそり入れてもらったんです。ちょうど顔見知りの門番がいたんで頼み込んで……」


 エラトがそこまで言ったところでヴィトスが唇の片端を引きつらせた。


「西の通用門……まさかお前、普段あの門から出入りしてるのか?」


 王都エレシスの西の通用門といえば別名『不浄の門』である。城壁内で処分しきれない廃棄物や動物の死骸、場合によっては罪人の死体などがそこから運び出されていく。


「いつもじゃありませんよ、ただあそこからこの家まで近くて便利なんでたまに。門番がきちんと仕事をしてるんで特に不潔ってこともありませんし、僕一人さっと通る分には何の問題もなさそうですが」

「問題はないといえばないが」


 仮にも一国の王子として推奨される行動ではなかろうと言いたげなヴィトスの表情には気付かなかったのか、エラトは不意に明るい声を上げた。


「でね、ヴィトス兄さん。僕が思いついたことがあるんですよ」

「なんだ?」

「ダーランの港なんですが、せっかくいい場所にあるんですから北東風からの避難港として整備するわけにはいきませんか、もちろん港と王都を結ぶ旧街道も合わせて」

「悪くない計画だが、予算がどの程度かかるかによるな。それにダーラン周辺は小貴族の領地が多い一帯だ、担当者を誰にするかというのも……お前が責任をもって引き受けるというなら話は早いが」

「いやあ、それはちょっと遠慮したい。というか僕が引き受けたら仕事が滞るだけで全然早くないと思いますよ」

「別にお前に仕事をしろとは言ってない。名目上はお前が総責任者で、実務は誰か他の者に任せればいい」

「なるほど、そういうことなら……誰がいいかな、ダーランに詳しくて信用できるとなると……」


 珍しくエラトが真面目に考え込んでいるところへオクセインが割り込んできた。


「悪いんだけどさ。その話今じゃなくてもいいよね?」

「そうだったな、悪かった」


 謝ったのは無論エラトではなくヴィトスである。エラトは「エルナン殿ならお互い何かと都合が良さそうだ……」などとぶつぶつと呟いており、兄たちの会話はほとんど耳に入っていない。


「話を戻すよ、エラト。お前、ルシエンヌから出て北へ向かったようだって聞いたけどまさかラディに行ってたわけじゃないよね」

「……え、ああ、行ってませんよ、ラディには。結局行かずにすみました」

「行かずにすんだって、やっぱり行こうとはしたのか」


 オクセインは大げさな動きで天井を見上げ、ペトラは腕組みをしたまま眉をひそめた。ヴィトスはただ静かに酒杯を傾けている。


「正確にいうとカレドの太陽神神殿に行こうと思ったんです。ラディの剣舞を教えてくれた踊り子が儀式で舞を奉納すると聞いたので。でもカレドに入るかなり手前で追いつくことができましたから」

「やっぱり例の剣舞がからんでるのか……、マカーリオ殿の舞を見た後のお前の様子が変だったとヴィトスから聞いたからそうかなとは思ってたけどさ」

「で、お前は何がそんなに気にかかった? マカーリオ殿の舞に何か不審な点でもあったか?」

「不審? 何だってそんな風に……え、まさか兄さんたちがここで僕を待ってたのってそのためなんですか?」


 心の底から意外そうにエラトは言い、兄たち三人の顔を順々に見つめた。


「まあね、お前が間に合わなきゃそれはそれで仕方ないとも思ってたけど」

「しかし、お前が反対するような理由があるのなら捨ててはおけん」

「まもなく内々に婚約内定が発表される。できることならその前に問題解決をしておきたい」


 口々に言われてエラトはしばらく呆然としていたが、しばらくして得心したように笑顔を見せた。


「婚約内定、そうかあ、じゃあマカーリオ殿の思いはちゃんとミラに伝わったんですね。よかった、本当によかった」

「よかったということはお前はミラとマカーリオ殿との結婚に反対ではないんだな?」

「もちろんです。反対する理由なんてありますか? 僕が心配していたのはむしろミラが変に考えすぎてしまわないかってことの方でしたから」

「それは大丈夫そうだよ。あれこれ考えすぎるのはいつも通りだが、それはそれとしてミラはマカーリオ殿に夢中のようだ」

「マカーリオ殿は夢中とまではいかないようにも見受けられるが、ラディの人間は内心を露わにすることを好まない傾向があるからな」

「二人そろって盲目的な恋に落ちてる状態っていうのも危なっかしい気がするから、それはそれでいいんじゃないの」

「盲目的、かどうかはわかりませんがマカーリオ殿は始めの頃からかなりミラに対して本気だったと思いますよ。舞ぶりにも表れていましたし、それに剣の代わりにあの花を選んだこともちゃんと意味があったんです」


 そういってエラトは遠くをみる目つきになった。仮面舞踏会の夜のことを思い出しているのだろう。篝火の炎に照らされて幻想的に舞う白い仮面をつけた銀髪の青年と視線を扇で隠すふりをしながら食い入るようにその姿を追っていた妹を。


「あの青い花か、手配していた生花が届かないとトゥーラが当日の朝大騒ぎしていたな……名前は何と言ったか、聞いたはずなんだが失念してしまった」

「アサナシーア、永遠の祈りとかいう意味らしいです」

「愛とか恋とかそういうわかりやすいのじゃないんだ」

「そういった思いは細かな振りにちゃんとこめられていましたよ、こういうところとか」


 エラトは立ち上がり、舞の一部を再現して見せる。「ね、そうでしたよね。ヴィトス兄さん」と同意を求めたが帰って来たのは曖昧な苦笑いだけだった。

 困った様子のエラトに対して、腕組みを解いたペトラが念を押すように尋ねてきた。


「では、お前はマカーリオ殿に対して何も含むところはないんだな?」

「含むところって……えっと、まさか僕がマカーリオ殿の踊りの才能に嫉妬してミラとの結婚に反対するとでも思われてたんですか?」

「そこまでは思っていないが……」


 口ごもるペトラに代わってオクセインが話し出した。


「お株を奪われて悔しいぐらいは思ったんじゃないの?」

「まあ、悔しいといえば悔しかったですよ。なにしろ僕が覚えたものとは足さばきの難しさがまるで違っていましたからね。それで今度こそは正式の振りを徹底的に教えてもらおうとラディ出身の踊り子を探しにいったわけで。大変だったんですよ、ルシエンヌからマレハ島に訪ねて行ったもののすれ違い。ルシエンヌに戻ってみれば今度はカレドに向かったと」

「ふーん、たまにはお前も追いかける苦労を味わったわけだ」

「は? 僕はオクセイン兄さんと違って女性に追いかけられて苦労したことは一度もありませんが。いつも必死で追いかけてみるんですが、どうにも上手くいかない」

「今回も、かい?」

「今回はまあ、上手くいった方ですかね。カレドに出発する期限ぎりぎりまで一緒に過ごせたんで、あ、もちろん大半は踊りの練習でしたよ」

「そうだろうねえ、で、肝心の剣舞の振りはどうなった?」


 にやつくオクセインにしかめっ面をしてみせるとエラトは椅子やテーブルを端に寄せ、部屋の中央にある程度の広さを確保した。


「見ていてください。剣を振り回すだけの空間がないので今回は下半身の動きを中心に行います」


 言い終えると瞬時に研ぎ澄ました表情になったエラトの口から異国風の調べが流れ出す。彼が一歩を踏み出し、再び動きを止めるまで兄王子三人は息をすることも忘れていた。


「やはり見事なものだな。いやもちろんマカーリオ殿の舞も素晴らしかったが」

「あの時は芝生の上でしたからね、たぶん実力の半分も出せていないはずですよ。それであの動きが出来るんだから僕はまだまだ到底かなわない」

「へえ、お前がそこまで認めるんだ。これは僕も一度見てみたいな、機会を設けてお願いしてみよう」

「それはやめておいた方がいいですね、僕も人前、特に高貴な人々が集まる場所では踊らないよう釘を刺されましたから」

「お前も含めて一応僕たちも高貴な身分じゃなかったっけ、まあいいけどさ」

「ああ、それはともかく踊るなというには何か理由があるのか?」

「不吉、と感じる人がいるかもしれないからって。特にラディの王族の前では絶対にやめたほうがいいって」


 オクセインとヴィトスは怪訝そうな視線を交わし、互いに発言を譲り合う風を見せた。が、単刀直入に疑問を口にしたのはペトラであった。


「踊る分にはかまわんのか。マカーリオ殿は紛れもなくラディの王族だが」

「王族であればこそ踊れなければ……つまり神々への奉納の舞は行われるわけですから」

「よくわからん。そういう時には観客はいないのか」

「そんなことはありませんよ。大きな儀式の際には遠方から多くの人々が訪れるそうです」

「ますますわからん。ではなぜラディの王族の前では踊るなと」

「それは呪いというか迷信というか、僕にしてみれば偶然が重なっただけのように思えるんですが。先々代のラディ国王とその前だったかな、いずれも剣舞を観覧していた席で体調を崩されたことがきっかけで亡くなられたとか」

「先々代とその前のラディ国王といえば兄弟、いや叔父と甥の間柄だったか。とにかく二人とも相当に高齢だったはずだ」

「じゃあ順当に天寿を全うされたってことじゃないか、呪いでもなんでもないよ」

「先々代が亡くなられたことで直系が途絶え、傍流から跡継ぎを迎えることにはなったが……先々代の正式な遺言によるものだったから特に揉め事が起こったわけでもない」

「僕だって気にしすぎじゃないかとは思いますが、ラディの人たちのものの考え方は僕たちとは違うのかもしれないんで。マカーリオ殿も気さくで親しみやすい人ではあるんですが、やっぱりラディ人ですからね。万が一にもミラに災いが及ぶようなことがあってはいけないと考えたんじゃないかな。邪気を払う効果があると信じられているアサナーシアの花を持って、上半身の振りもかなり独自のものに変えて……それでもあの剣舞本来の優雅さと力強さを損なうことはなかった。さすがですよ」


 きっぱりとエラトが言い切ったその時、部屋の扉が静かに開いた。


「遅くなってすまない。だが、どうやらほとんど結論は出ているようだ」

 

 俗人の衣服をまとった長兄のフィロは弟たちを見渡し、ごくかすかな笑みを浮かべた。


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