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見習い神官は脅迫される

王都エレシス 地下道


 規則正しい足音とともに暗闇の中をカンテラの灯が移動していた。左手にカンテラを持ち、右手を壁に当てて進んでいくのは地母神の見習い神官であるクライブ。公爵家出身のこの青年は王女ミラの元婚約者候補でもある。


「なんだって僕がこんな真似を……確かに王女殿下には返しても返しきれないほどの恩があるがそれにしたって」


 誰も聞く人などいないことを幸いとして大声で愚痴を言いいつつも、クライブは決して歩みを止めようとはしなかった。優れた職人の手によって造られた地下道は年月の経過にも関わらず堅牢さを維持しているが、湿気と何とも形容しがたい臭いとがもたらす不快さから一刻も早く逃げ出したいのに違いない。


「前回通った時にはこれほどまでとは思わなかったような気がするんだが、あの時は僕も進退窮まっていたからな……周囲の状況なんてお構いなしだったか」



 およそ一年半前、クライブはアルダート公爵家に伝えられる古びた地図だけを頼りにこの地下道を使って王宮に忍び込んだのだ。様々な意味でほとんど死を覚悟しての行動だったが、地下道で落盤事故に遭うことも警備の騎士に捕らえられることもなく王女ミラの住む東館にたどり着くことができた。何よりの僥倖であったのは真夜中の書斎に亡霊のごとく現れたクライブを見つけたミラが意外に冷静だったことだろう。

 切羽詰まった口調で語られるクライブの打ち明け話をミラは無表情よりも恐ろしい笑顔で聞いていたが、それでも問答無用で手討ちにされるよりはるかにましというものだ。


「私はあなたと結婚してもかまわないのよ。夫婦とは名ばかりで実際にはそれぞれに愛人を持っているなんて、王族や貴族の間ではそれほど珍しくもないでしょう」


 とりあえず嫌味の一つでも言っておかないと気が済まなかったのだろうか、ミラは冷ややかに言い、それから大きくため息をついて「冗談よ」と付け加えた。


「わかったわ、あなたとの縁談は私の方からお断りします。ただし、あなたにもやってもらわなければならないことがあるの」


 ミラの提案を拒む理由がクライブにはなかった。むしろもっと過酷な条件を突きつけられるものと予想していただけに意外の念に打たれた。


「それだけでいいのかい?」

「せいぜい美味しいものをたっぷり食べて自堕落な生活を送っていなさいな。不潔に……は難しいかもしれないけど、あなた確か小さい頃から肌が弱かったから不摂生がたたればなんとかなるんじゃないかしら」

「だが、破談の理由がそれでは君に非難が集中しすぎるんじゃ……」

「いいのよ。私が幼なじみって呼べる人なんて、あなたぐらいですもの。今になってみればアルダート公爵がライバルを排除するためにあれこれ画策したんだろうなって想像はつくけれど、だからといってあなたとの友情が消えて無くなるわけじゃないから」

「すまない、この恩はいつか必ず返すよ」


 それは心の底からの言葉だったとクライブの記憶に間違いなく刻まれている。が、ロジェンでの儀式の折すれ違いざまに「恩返しをしてもらうわよ」と囁かれ、手のひらに小さく折りたたまれた手紙を押し付けられるとは思いもしなかった。


 人目をはばかってその場で問い返すこともかなわず、手紙をゆっくり読むことができたのさえ王都に戻ってからのことだった。手紙を読み終えたクライブはあまりに無茶な頼みごとに頭を抱えたが、自分に断るという選択肢が与えられていないことにも気づいた。


『……私の願いがかなわないとしたら、それはきっと地母神のお怒りのせいに違いありません。そしてそれは神に仕えるにふさわしくない方が傍におられるため。ですから私はあなたの還俗を父上に願い出ることにいたします。父上の意向は量りかねますが、おそらく公爵御夫妻はお喜びになることでしょう』


 流麗な筆跡の端々に苛立ちの跡らしきものが感じられたのは、クライブの気のせいというわけではなさそうだった。結局のところミラの頼みは無茶ではあるが不可能事ではなく、クライブは自身の総力を挙げてやり遂げるほかはなかったのだ。



「まあいい、後は王女殿下の元に届けるだけだ。それにしてもどういうわけでこんなものを秘密裏に……ニキタス殿を通すなりして正式に貸し出しを依頼すればいいだけじゃないか」

「全くだ。あの方のやることときたら、さすがアストラフトのわがまま姫にふさわしい」


 暗闇の先から投げかけられた言葉にクライブは腰を抜かしそうになった。戦乱の折に王宮から逃れようとしてかなわなかった王族の幽霊が今でも地下道をさまよっているらしいというのは神話や伝説の類ではなく、十分に信ぴょう性のある逸話なのだ。


「だ、誰だ」


 誰何の声は震えて裏返っているが、クライブは逃げ出そうとはしなかった。むやみに逃げ回って道を見失う方が命取りだと考えられる判断力は失っていなかったのだろう。ただ単に足がすくんでいただけだという可能性も残されているが。


「僕だよ。たぶん顔は見知っているはずだと思ったが」


 言いながらカンテラの光の届く範囲に姿を現したのは太陽神の神官であるデニスだった。華やかな、そして印象的な美貌の持ち主である彼を見知っていない者は王都でも数えるほどであろう。


「あなたがこんなところで何を……ああ、そうかこれを取り戻しに」


 観念したようにクライブはその場にうずくまった。それでも無意識に胸元に入れた書類をかばうような仕草になっている。太陽神神殿に忍び込み手に入れた、大陸全土の日食の記録だ。


「なかなか見事なやり口だったね。地母神神殿での修行には隠密行動と錠前破りの訓練も含まれているのかい?」


 皮肉げな口調と微笑みでデニスはクライブに歩み寄る。


「た、たまたま見つからなかっただけです。錠前も、あんな簡単な鍵では駄目ですよ。貴重書庫ならばもう少し複雑なものに交換した方がいい。あ、いえその」


 クライブは幼い頃から錠前いじりを趣味としていたのだった。その技を使って何かを盗み出したのは今回が初めてのことだったが。


「警備担当者にその旨は伝えておこう、で、問題は君の処分だが」


 皮肉げな微笑みは絶やさぬまま、デニスは声音だけをひどく厳しいものに変える。「とりあえず君が持ち出した文書を見せてもらおうか」という彼の言葉にクライブはおとなしく従った。


「最新のものではないな……二十年前あたりか。まあ、我が国にとっては特に重要な時期の記録ではないから、これならしばらくは誤魔化せるか」

「誤魔化せる?」

「見逃してあげようかと思ってね。もちろん君が厳正な処分を望むのであれば、地母神神殿とも協議してしかるべく取り計らうこともできるが」

「望みません、望みませんが……では、このままこれを王女殿下の元に届けてもよい、と?」

「そうだね。ただし、条件がある」


 クライブは息をのんでデニスの次の言葉を待った。太陽神の神官はそんな彼の態度を面白がるようなそぶりを見せた後で再び皮肉げな声音に戻った。


「まず僕に会ったことは王女様には口外無用。これはまあ言うまでもないか、そしてもう一つ」

「はい」

「君の上司に伝言を頼む」


 クライブの上司とは地母神の神官であり、王女ミラの異腹の兄であるフィロのことだ。


「何とお伝えすれば?」

「僕はカレド行きに興味があると」


 その返答にクライブは首をかしげた。デニスが太陽神の最高神殿のあるカレドに興味を持つのは当然ではないのか。


「大丈夫、あいつにはそれで伝わる。いくつか質問されるかもしれないが、それには正直に答えてくれればいい」


 ここでもまたクライブに選択の余地はなかった。「承知しました」と答え、デニスの手から日食の記録文書を取り戻すと再び王宮の方角へと地下道を歩み始めた。



 半ば自業自得とはいえ困難な使命を果たし終えた青年を地母神も哀れみ給うたのだろうか、その後の彼の身に災難が降りかかることはなかった。

 王女ミラは遅参をとがめることなく簡単な礼の言葉とともに文書を受け取り、翌日デニスからの伝言を聞かされた副神殿長フィロも「なるほど、よくわかった」と軽く頷いただけだった。その後通常通りの業務をこなしていたクライブにフィロは何気なく話しかけてきた。


「最近ミラに会ったかい?」

「……ロジェンでの儀式の折に。すれ違う程度でしたので特に何事もありませんでしたが」

「そうか、何かと問題のある妹だがそろそろ落ち着きそうだ。君にはさんざん迷惑をかけてしまったが、寛大な心で許してやってもらえないだろうか」

「いえ、そんな。私こそ現在の穏やかな生活を与えていただいたことを感謝しております」

「そういってもらえるのなら有り難い」


 副神殿長であるフィロの細やかな心遣いにクライブは尊崇の念を厚くした。「質問には正直に答えるように」というデニスの言葉が彼の脳裏に浮かび上がってきたのは一日の仕事を終え自室に引き取った後のことだ。


 無意識についてしまった小さな嘘が何か重大な問題を引き起こすというような事がありうるのだろうか?


 クライブは自問したが答えの導き出せるようなものではなく、相談するにふさわしい相手もいそうになかった。彼はこれまでの人生でたいていの場合そうであったように、しばらくは事の成り行きを見守ることにしたのだった。



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