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わがまま王女は家庭教師に質問する

 王宮東館 書斎


 アストラフト王女ペリファニア・ミラと隣国ラディの第三王子マカーリオの交際は順調すぎるほど順調に進んでいた。

 ミラは当然のごとく多忙の身でありマカーリオの方も決して無聊を持て余しているわけではなかったが、だからこそ二人はともに過ごす時を作ることに努力を惜しまない。今日は家庭教師が来るのを待つ短い時間にマカーリオがミラのもとを訪れ、一般的にはたわいもないが彼らにとってはおそらく重要であるにちがいない種々の雑談に花を咲かせていた。


「兄妹仲良く、ですか? そういえば母に言われたことは一度もありませんわ。少なくとも私の記憶の中では」


 くつろいだ姿勢でソファに腰かけたミラは、マカーリオの整った横顔に遠慮なく見とれながらそう言った。


「不思議ですね、いや不思議でもないのか。おそらくそんなことを言う必要もなかったのでしょう、あなた方には」


 羨望の想いをにじませた口調でマカーリオは言い、しばらく遠くを眺める目つきになった。


「どうかしら……仲は良かった方だと思うのですけれど、しょっちゅう会うわけでもありませんでしたし。それに兄たちとは年が結構離れていますから、むきになって喧嘩をするのも馬鹿馬鹿しいと思われていただけかもしれません」


 ミラはややわざとらしく拗ねた様子を見せた。マカーリオはいかにも幸福そうな笑みを浮かべてそんな彼女を見守ってから、「エラト殿が言っていたのはこういうことか……」と小声で呟いた。


「エラト兄様が何か?」


 何か悪口でも言っていたのだろうかとミラは急に心配になった。年が最も近いだけに一番親しみを感じている兄ではあるが、思ったことをそのまま口にしすぎるという欠点は見過ごせない。


「あなたには決してかなわないと、どうやらそれは真実のようです」


 マカーリオが柔らかな笑みを浮かべて生真面目な口調で言ったために、ミラは彼の言葉を冗談として受けとめるべきか大いに迷った。結果として中途半端にこわばった表情のまま、冗談として受けとめたようなふりをしてしまう。


「ダンス、剣術、それとも木登りかしら? 違うわね。ああ……お勉強ならエラト兄様には負けませんわ。もちろんフィロ兄様やヴィトス兄様には到底かないませんけれど」

「ペトラ殿やオクセイン殿にはいかがです?」


 愉快そうな声音でマカーリオが調子を合わせてきてくれたので、ミラはほっとしながら問いに答えた。


「数学では絶対オクセイン兄様には勝てませんし……古典、とりわけ詩作に関してはペトラ兄様は素晴らしいとしか言いようがありませんし」

「ペトラ殿が詩作を……意外といっては失礼かな?」

「失礼じゃありませんけれど、あまり話を広めてくださらないでね。柔弱だと思われると部下に示しがつかないのだとかなんとか言っていましたから」

「承知しました。二人きりでお会いする機会があった時にでもラディの古典詩についてお話をさせていただくことにしましょう」

「それは兄もきっと喜ぶと思いますわ」


 ミラがにっこり笑うと同時に扉を叩く音がした。続いて「ニキタス先生がおいでになりました」と部屋の外から告げられる。

 それを聞いてマカーリオはすぐに立ち上がり、名残を惜しむわずかな時間を置いてから書斎を後にした。残されたミラは不承不承机の上に置いていた分厚い本を開き、とりあえずは神妙な顔つきで文字の列をたどり始めた。



 地母神の神官であり王女の家庭教師でもあるニキタスは小柄な人物である。それゆえかあるいは単なる習慣によるものかは明らかではないが彼がミラを教える際には常に立ったままでいる。いや、講義をしながらひたすら室内を落ち着きなく歩き回っているといった方がより正確だろうか。

 今のように複雑な数学の計算をしている時にはできればじっとしてもらいたいとミラは思うのだが、その願いを口にしたとしてもこの程度で集中力が乱れるようでは未熟さの証だと一蹴されかねないとも思っている。

 様々な理由から集中力を欠きがちなミラではあったが、それなりの時間をかけてどうにか問題を解き終えた。が、数式と答えを確認したニキタスは白髪頭を横に振りながら重々しく言った。


「美しくありませんな」

「答えは合っているのでしょう?」

「合ってはおります。しかし、この辺り……まるで美しくない」


 紙の一部分をペンに付いた羽根で指し示しながら、ニキタスは渋面を作っている。確かにその辺りはごちゃごちゃと余分な計算をしてしまった自覚のあるミラだったが、美しくないと連呼されては面白くなかった。ついつい不満が口をついて出る。


「数学の計算に美しさが必要でしょうか? 答えが合っていればそれで事足りるのではありません?」

「当座の用は足りましょう。が、真理は常に美しいものでなければなりません。であるからこそ人は永遠に真理を求めてやまぬのですから」


 いかにも聖職者らしいニキタスの考え方だった。ミラは半ば賛同し、半ば反発を覚えた。


「なんだか疲れてしまいそう。それに、私には真理だの真実だのがそれほど美しいものとも思えませんけれど……」

「真実と真理では少々意味合いが違ってまいりますが、いずれにせよ真実に誠実に向き合うことこそが真理へと至る道ではありましょう。……いやはや説教臭いことを申し上げました。ここは神殿ではないし、あなた様がまず対するべきは世俗の在り様でございますからな」

「……私こそ生意気なことを言ってしまいました」


 ミラは素直に反省し、その後はニキタスの講義を真剣に聞いた。幅広い学識と教育に対する熱意を兼ね備えたニキタスの授業は常に興味深く、苦手科目であっても引き込まれていく。授業は夕刻の鐘の鳴り始める頃まで続けられた。


 帰り支度をするニキタスに向かってミラはふと思い出したように尋ねた。


「先生、日食というのは珍しいものですの?」


 机の上に散らばった筆記具を鞄の中に乱雑にしまい込んでいたニキタスはその手をいったん止め、中空を睨み付けるようにして考え込んだ。


「確かに珍しいといえますな。月食であれば私も何度か観測したことがありますが、日食にはいまだ一度も出会えておりません」

「昼間なのに真夜中のように空が暗くなり、星が瞬くのが見えるとか……本当かしら?」

「それは皆既日食ですな。であれば、ますます稀な現象ということになるでしょう。我が国で観測されたのは百数十年前のことだったかと……。次までに詳しく調べてまいりましょうか」

「そこまでしていただかなくとも……自分の目で見る機会があるかしらと思ってみただけですもの」

「いやいや、そうしたちょっとした好奇心こそ大切にせねばなりませんからな。王都の太陽神神殿にならば大陸各地の記録が集められているはず、最近はかなり研究がすすんで相当な精度で予測ができるようになったという話も聞いております。では次回は天文学を中心にお教えすることにいたしましょう」


 ニキタスの言葉の最後の方はかなり早口になっていた。慌ただしく部屋を辞する家庭教師と入れ替わるようにして侍女頭のキリアが侍女数名を引き連れてやって来る。書斎の後片付けをする侍女たちを残し、化粧室へと移動しながらミラはキリアに話しかけた。


「今夜の晩餐会はどなたが出席されるのだったかしら? 各国の大使方が集まるのよね」

「左様でございます。それからアルダート公爵御夫妻も……お忘れではないと存じますが」

「できれば忘れていたかったけど」


 元婚約者候補であるクライブとの件を思い出し溜め息とともにそう言ったミラだったが、表情のかげりはそれほどでもない。苦手な相手にそれなりに対処する方法は身に着けているつもりだったし、正式な晩餐会での会話は儀礼的に終始するのが通例だから無難に時をやり過ごすのはそこまで困難ではないはずだ。


「晩餐会の後まで引き止められそうになったら全力で逃げ出してくるつもりよ。明日の朝は早起きしなければいけないのだし、長居できない言い訳としてはそれで十分でしょう?」


 ミラは明日からしばらく王都エレシスを離れる予定になっていた。王国第二の都市ロジェンで行われる祭りに参加するためである。

 来年、あるいは再来年の祭りにはマカーリオと二人で参加できるだろうかとミラは思いを巡らせ、そこからマカーリオが話してくれた彼の故郷の祭りのことを思い出した。躾に厳しかった乳母も祭りの時だけは多少の悪ふざけは大目に見てくれていたのだと懐かしそうに語る彼の声音までが耳元によみがえってくる。

 その時何かが頭の隅に引っかかった。彼の母が言い遺した「兄弟仲良くするのですよ」という言葉、それは乳母から何度も繰り返し伝えられたものだという。将来万が一にでも異母兄に対して叛意を抱くことのないよう、彼の母は最期まで気遣っていたのに違いない。その話のどこにも不自然さなどない、はずなのだが。

 整髪係の手で一部の隙も無く結い上げられていく自身の金髪を鏡の中に見ながらミラは考えをまとめようとしてみたが、ことごとく無駄な試みに終わっていた。マカーリオとの会話の内容を正確に思い出そうとはしたのだが、そうするほどに彼のわずかに愁いを帯びた眼差しや雄弁で優雅な手の動きなどの方が鮮明に脳裏に浮かんでしまうのだ。

 

 茫洋としたまま消えそうになっていた何かが突然はっきりした形をとったのは晩餐会の最中、斜め向かいに座っていた大使二人の会話が偶然耳に入った時のことだった。


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