わがまま王女は早朝の薔薇園を訪れる
第四王子ヴィトスの屋敷 庭園
「ええ、我が家の薔薇園はヴィトスが、いえ夫が結婚の贈り物として私のために造らせたものですの。あの人ったら『薔薇の花束など君は見慣れているだろう、だから私は量で勝負するしかない。これだけあれば珍しい薔薇の一輪や二輪は紛れ込んでいるかもしれないから』なんて申しましてね。ヴィトスから贈られたのならその辺に生えている野の花でも私は一生大事にしましたのに、鈍感な殿方というのは本当に困ってしまいますわ」
困っている風などみじんもなく、上機嫌でトゥーラは話し続けている。早朝の訪問を二つ返事で承知してくれたのは非常に有り難かったし、兄に対する盲愛もほほえましいと常々は思っているミラであったがこのまま聞き続けていると胸焼けがしてきそうな予感に襲われた。
「でもここの薔薇の見事さはトゥーラ様のお手柄よ。ヴィトス兄様ならきっと庭師に任せきりにしていただけでしょうから」
トゥーラが息継ぎするわずかなすき間をとらえてミラは口を挟んだ。トゥーラは小首をかしげるのと頷くのを混ぜ合わせたような仕草を見せる。
「そうかもしれませんわねえ、『何にでも専門家がいるのだから、得手な者に任せればよい』というのがヴィトスの口癖ですもの。でも私はどうしても自分でちょっと手を出してみたくなってしまうのですわ。あ、もちろん庭師の邪魔になるようなことは決してしていないつもりですけれど」
「まさかご自身で土いじりもなさるの?」
ミラはトゥーラの美しく整えられた爪先をしげしげと眺めた。トゥーラはその細長い指をひらひらとさせて、軽やかな笑い声を上げる。
「ごくたまに、ですわ。やってみると結構楽しいものなのですけれど、シミやしわができないように気をつけようとすると手袋だの帽子だのと準備して、その後のお手入れにも何かと時間がかかってしまって。ほら、私何かと要領が悪いところがございますでしょう? あちこちに手を出しすぎると全部が中途半端になってしまいますの」
だから普段は庭師に任せ、自分は季節ごとに植える薔薇の種類や配置を考えるのを専らにしている、とトゥーラは言った。彼女の出すアイデアが独創的かつ理にかなったものであるのだろう、庭師たちも作業に一層身が入るのだという評判だった。
「ところでペリファニア様、急に我が家の薔薇をご覧になりたくなった理由を教えていただけます?」
腰ぐらいの高さの生垣が続く小道を先立って歩きながら、トゥーラは浮き浮きとした調子で尋ねてきた。
「たぶんトゥーラ様が予想されている通りの理由で当たっていると思うわ」
ミラは小声でささやき、紅潮する頬を隠すかのように扇をかざした。その様子にトゥーラは「やっぱり、そうでしたのね」と瞳を輝かせる。
「……ごめんなさいね、それでなくてもトゥーラ様には忙しい思いをさせてしまっているのに」
「あら、そんなことは全くお気になさらずに。どこかでお昼寝の時間をとればよいだけのことですもの。それに早起きした鳥は良い餌を捕らえる、でしたかしら?」
トゥーラは意味ありげに微笑んで「後ほど朝食をご一緒いたしましょうね」と言い添えた。ある程度の詮索は覚悟の上であったからミラも同種の微笑みを見せて、「ええ、後ほどまた」と短く答える。トゥーラが自身の侍女を伴って館の方へ引き上げたので、薔薇園の入り口にはミラと侍女たちのみが残された。
「まことに申し訳ございませんでした」
「謝ってほしいわけじゃないのよ、あなたに少し尋ねたいことがあるだけ」
薔薇園の中央で一人の侍女がほとんど這いつくばるような姿勢で謝罪していた。お仕着せのドレスは泥まみれになっているがミラも周囲の侍女たちも同情する様子はない。
もっともミラが固い表情をしているのは吹き出すのを必死でこらえているためかもしれなかった。男性にしては小柄で可愛らしい顔をしているレノスとはいえ、侍女用のドレスが似合っているとはどうにも言い難い。
そう、土下座をしている侍女はマカーリオの従者であるレノスだった。周囲を四人の侍女、リルヤ、ネリー、クレーヴェル、シュリナに固められてここまで連れてこられた理由は彼自身説明されるまでもなく承知していたようで、多少の大声を出しても大丈夫だろうと思える場所に来たところでいきなり地面に平伏したのだった。
「全ては私の独断で行ったこと、マカーリオ殿下に一切の関わりはございません。どんな罰でもお受けいたしますのでどうか……」
「罰って、そんな大げさな。ああ、それなら……これでもう済んだことにするわ」
王宮に呼び出され、いきなり強引に侍女用のドレスに着替えさせられたあげく、行先も告げられぬまま馬車に押し込められたのだ。ここに来るまでに十分以上の冷汗はかいただろうし、そもそもミラがレノスを呼び出した目的は罰を与えることでも謝罪させることでもなかった。
「どうせ私は『アストラフトのわがまま姫』ですからね。大事な主君が人生を棒に振るようなことにならないよう、先回りして手を打っておきたかったというあなたの気持ちはわからなくはないのよ。でも、今回のはまずいやり方だったわね」
「は、殿下にもお叱りを受けました。行き過ぎの忠誠はかえって不忠だと。反省しております」
すでにレノスはマカーリオに一通りの事情を打ち明けたようだった。マカーリオがミラと結婚の意思を固めた以上は話さざるをえなかったのだろう。
「それだけ? あなたがマカーリオ様の悪口を言いふらしていたことについては何もおっしゃらなかったの?」
「それはその……殿下は自分にそのような面があることは確かだからと、それが理由で王女殿下に結婚を拒まれるのであればやむを得ないとおっしゃっておいででした」
いかにもあの方らしいことと呟きながら、ミラはゆるやかに扇をあおいだ。ミラに促されようやく顔を上げたレノスだがその顔面は蒼白になっている。様々な意味で居心地が悪いであろうことは承知しているが今少し会話を続けなければならない。
「ところで、あなた。王都の海神神殿に行ったことはある?」
「はい。エレシスに到着して間もない頃、船旅の無事を感謝するために参りました。殿下は何かとお忙しかったので私一人で」
「ずいぶんと熱心な信者なのね」
ミラがそう言ったのは、アージュの港ですでに参拝しているはずだからだ。アージュの海神神殿はアストラフト国内では最も大規模なものであり、兄王子であるエラトは船旅の前後に祈りを捧げることを習慣にしている。今回もそうしたであろうし、その際には当然マカーリオも伴ったであろう。
「熱心なというほどのこともございませんが、神々への感謝は常に心掛けております」
生真面目に返答しながらもレノスはミラがなぜそのようなことに関心をもつのかと不審に思っている表情である。ミラはわずかに思案を巡らせてから何気ない口調で言った。
「私もたぶん同じ時に海神の神殿に詣でていたのよ。じゃあやっぱりあの時彼と一緒にいたのはあなただったのかしら? 声を掛けようかと思ったのだけれど、誰かと何だか熱心に話し込んでいる様子だったから遠慮しておいたの」
ミラは人物の容姿を詳しく描写してみせ、「神官にしては俗っぽい色男風の雰囲気の人よ」と付け加える。レノスは曖昧な表情でうなずきながら言った。
「左様でしたか……私が帰り道に迷っていたところへ声を掛けてくださったご親切な神官様がおられましたが……王女殿下に縁あるお方だったのですね」
「縁、そうね、なくはないわ。ただ気を付けてね。あの人が誰かに親切にするのは下心があるときだけよ」
とくに男女問わず自分好みの相手に対してはね、とまでは口に出さなかったがミラの目つきと仕草からレノスにはその意が十分伝わったのだろう。青ざめていた顔に血色が戻ってくる。
「そのような方には……見えませんでしたが……本当にただの親切心からと……」
戸惑い口ごもるレノスの様子にミラはかえって安堵を覚えていた。
どうやら自分の考えすぎだったようだ、マカーリオの従者があのデニスと会っていたからといって何か特別な意味があるとは限らない。デニスが太陽神殿の副神殿長の職務でもそれ以外の理由でも他神の神殿を頻繁に訪れるのは常態と化しているし、偶然の出会いをきっかけとして彼がレノスに興味を持ったのだとしてもそれはあくまでも個人的なものなのだろう。
「さてと、聞きたいことは全部聞いたし、これ以上引き留めておくのは気の毒ね。馬車の中かどこかで着替えたら帰っていいわよ」
ミラは朗らかに言ったが、クレーヴェルが進みでて告げたところによればレノスがもともと着ていた服は王宮に置いたままだという。
「あら、どうしたものかしら? 私はもうしばらく帰れないし……」
トゥーラとの朝食をいきなり取りやめるのは礼儀に反するし、何より彼女の好意を踏みにじることになってしまう。
「ここから離れまではそれほどの距離もございませんし、なるべく人目に付かない道を選んで戻ることにいたします」
レノスは一刻も早く解放されたいという様子を露わにしている。ミラは軽くため息をついてから、できるだけ穏やかに言った。
「そう、マカーリオ様には私の気まぐれにつき合わされたとでも言い訳しておくといいわ」
「おそらく殿下はまだお戻りではないでしょう。夜明けとともに遠駆けに出られましたので」
「お一人で?」
エラトは船出したきり所在不明であり、ヴィトスも現在王都を離れている。オクセインは特別の用件がない限り夜明け前に起きるなどありえない。
「いえ、ペトラ殿下にお誘いを受けたからとおっしゃっておいででした」
そんな大事な情報があるのなら一番先に知らせなさいよ、と思わず大声を上げそうになったミラだったがすんでのところで思いとどまった。レノスはマカーリオの大切な部下である。今さら好意を勝ち取るのは難しいだろうが、せめて敬意ぐらいは持ってもらいたい。
「まあ、ペトラ兄様には珍しいこと。先日の対面でよほど気が合われたのね」
母クロエの肖像画を思い出しながら、ミラは精いっぱい柔らかな微笑みを浮かべてみたのだった。




