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神官二人は旧交を温める

 王都エレシス、地母神の神殿


 アストラフトの第一王子であるフィロが神官位を望んだのは学院を卒業する直前のことだった。神学においても優秀な成績を修めていた彼にその資格は十分にあったが、庶出であろうと将来的には少なくとも摂政職に準ずる地位につくものと思われていただけに、周囲は大いに驚いた。


 母である妾妃エスカが侍女上がりの平民にすぎないことに引け目を感じたのだろう、あまりに聡明すぎるがために世俗の権力には興味を失ってしまったのだろう、などと当時は様々な憶測が飛び交ったものだが、フィロ本人はただ静かに「地母神の御心に触れる出来事がありましたので」と答えたのみで、学院を卒業するとすぐに地母神の最高神殿がある北の小国スフェーラに赴き、神官としての修業を始めたのだった。


 アストラフト王国を含むミデン大陸西方一体では太陽神、地母神、海神が三大神としてあがめられている。地方によって信仰の形は微妙に異なるが、ほとんどの国や都市にはこの三柱の神々の神殿は存在すると考えてよい。中でも地母神は農業神であり結婚の守護神とも考えられていることから、田舎の小さな村にある祠にも必ず祀られている。


 さて現在のフィロの立場はアストラフトの都エレシスの地母神神殿の副神殿長である。前神殿長のソチェタスが先月他界し後任がまだ決まっていないため、儀式や事務処理の代理を行わねばならず多忙であった。今日は午前中の儀式を終わらせた後で数名の来客に応対し、簡単な昼食を済ませた今は地方の神殿からの報告書に目を通すために執務室へと急ぎ足で向かっているところだった。


「やあ、フィロ。久しぶりだね、元気そうで何よりだ」


 気軽すぎるほど気軽に声を掛けてきたのは、太陽神の神官衣に身を包んだ青年である。太陽神の神殿入りには美貌も条件に含まれると噂されているが、その噂を裏付けるかのような華やかな美貌の持ち主であった。フィロは不承不承といった様子で足を止め、「君もな、デニス」と平板な口調で言った。彼とフィロとは同年で、学院時代には主席の座を争った間柄でもある。


「そっけないな、忙しいのかい?」

「見ての通りだ」

「伯父上が亡くなったせいだな。後任はまだ決まらないのか?」


 前神殿長のソチェタスは公爵家の出身であり、デニスの母方の伯父にあたる。もっとも、伯父上とデニスが口にしたときに浮かんだ皮肉気な笑みに観察力の鋭い者ならば気づいたかもしれない。


「ニキタス殿が固辞しておられるからな、あの方は一介の学僧でいたいのだそうだ。儀式めいたことは苦手だとも常々おっしゃっている」

「王女殿下の家庭教師では一介の学僧とはもはや言えないだろうに」

「それとこれとは話が別なのだろう。少なくともあの方の中では」

「ふうん、では次はやはり……」


 話が長くなりそうな気配を察したのだろうか、フィロに付き従っていた若い神官がそわそわとしはじめた。フィロは軽く手振りをし、先に執務室に行って準備をしておくように告げる。


「彼はすっかり元気になったようだね。アルダート家の……クライブと言ったかな」


 若い神官の背中を見送りながら、デニスはどこか探るような目つきでフィロの表情をうかがう。


「神殿での規則正しい生活が心の安定ももたらしたようだ。今は僕の下で働いてもらっている。細かな書類仕事を苦にしないので助かっているよ」

「いいことだ。一時期は自ら命を絶つのではと心配されていたほどだったからなあ」


 アルダート公爵家のクライブもまた王女ペリファニア・ミラの婚約者候補の一人だった。といってもその期間はごくごく短い。何しろ婚約者候補としての最初の顔合わせの直後に不合格の烙印を押されてしまったのだから。


「人を外見で判断するのはよくないことだとは承知しております。それにあの方、アルダート家のクライブ様がよい方だというのは存じ上げております、幼い頃にはともに遊んだこともございます……ただあの方が夫になるというのは私どうしても受け入れがたくて。だって、夫婦になるということはつまり……寝室を共に……、いえもちろんお父様のお望みであれば嫌も応もありませんし、すべては私の未熟さゆえと言えばそれまでですけれど……」


 頭痛がするという理由で顔合わせの席から早々に退いたミラはその日の夜、父である国王アグノスに向かって唇を震わせながら語り、ついには泣き崩れた。というのが、宮廷人のもっぱらの噂である。真実は杳として知れないが、婚約者候補から外されたクライブが面目を失い、地母神の神殿に引きこもったのは事実であった。


「肌荒れも治ったようだし、体型もましになったな。うちの神殿に採用されるかはわからないが……」


 デニスは独り言のように呟いてから、「ところで」と比較的真面目な表情で切り出した。


「妹君はラディの王子がお気に召したようだね」

「少なくとも破談になったとは聞いていないな。もっともミラの行動は僕にはまるで予測がつかないから、こうして話している間に大喧嘩が勃発していても何の不思議もないが」

「大喧嘩か……あの王子様はなかなかの人物だからそんなへまはしないだろう」

「君はマカーリオ殿と面識があったのか?」

「カレドにいるときにちらと見かけた程度だ。だが、伯父上からいろいろと話は聞いている」


 ラディ南東部の自治都市であるカレドには太陽神の最高神殿があった。ちなみに、海神の最高神殿はルシエンヌ沖のマレハ島にある。


「いろいろとか……」


 フィロは端正な顔立ちに気難しげな表情を浮かべた。マカーリオのアストラフト訪問はもともと前神殿長ソチェタスから持ち込まれた話だった。ソチェタスは若い頃外交使節としてラディに滞在した経験があり、その縁でかの国に友人知人が多かった。


「ああ。伯父上も人を見る目は確かだったようだな」


 欠点の多い人でもあったが、とでも言いたげにデニスは肩をすくめた。


「ソチェタス殿はご立派な神殿長だったよ。あの方の後を継ぐのは誰にとっても重荷だろう」


 あえてデニスの内心を忖度しようとはせず、フィロは物堅い口調で言った。


「だとしても、誰かが務めを果たさなければならないさ。僕としてはニキタス殿か、できれば君に神殿長の座について欲しいところだが」

「僕では他神殿の神殿長の賛同を得られまい。年功序列が絶対ではないが、実績と経験がまだまだ不足しているのは確かだ」

「たとえこの国の王子でも?」

「王子だからこそということもある。世俗の権力とは一定の距離を置くべきというのが神殿における原則的な考えだろう」

「馬鹿馬鹿しい、君でもニキタス殿でもなく……例えばリサーン殿がエレシスの神殿長にでもなってみろ、あの俗物は王家や有力貴族と手を結ぶために平気で戒律の解釈さえ変えるに決まっている」


 アストラフト王国第二の都市、ロジェンの神殿長を務める人物をデニスは遠慮なくこき下ろす。それを聞いたフィロは乾いた笑い声を上げた。


「君に俗物と認定されるとは、リサーン殿にとってむしろ名誉かもしれないね。さて、僕はそろそろ行くよ。今頃は目を通さなければならない書類が山積みになっているはずだ」

「地母神神殿での激務が嫌になったら、いつでもうちに来るといい。君ならあらゆる面において歓迎されるはずだ」


 冗談口を叩く太陽神の神官にはそれ以上構わず、フィロは足早にその場を立ち去った。


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