王女は隣国の王子を肖像画の間に案内する
王宮南館 中庭を囲む歩廊
やはり素晴らしく絵になる人だと、噴水近くにたたずむマカーリオの姿を目にしたミラは思った。
今日の彼は濃紺の生地に控えめな銀糸の刺繍の施された上着をまとっているだけで、派手な装飾品も流行りのレース飾りも一切身に着けてはいない。中背というよりはやや長身の部類ではあろうが、体格そのものがひどく人目を引くというわけでもない。
ただ、誰にも真似できないのではないかと思わせるほどの洗練された優雅さが何気ない立ち姿にさえあらわれている。
もちろん顔立ちそのものが完璧に近いほど整っているのは事実であり、肩の上あたりで切りそろえられた癖のない銀髪が典雅な印象をさらに強めていることもあるだろう。
「それとも、こういうのが全部私のひいき目ってこともあるのかしら? よく言うわよね『恋は盲目』って」
不意にミラは振り向き、二歩ばかり遅れてついてきていたキリアに尋ねる。侍女頭は長年の経験にものをいわせたのか『こういうの、とはどういうものでございましょうか?』などと聞き返すことはせず、穏やかな口調で答えた。
「それほどに強い想いを寄せることのできる殿方と巡り合われたということでございましょう。姫様にとってはむしろ喜ばしいほどかと存じます」
「いいのかしら? 何だかこのところどんどんまともな判断力がなくなってる気がするのよ……もともと大してあるわけじゃないのに」
「大丈夫でございますよ。そもそも姫様のご決断に何か問題があると思われたのであれば、陛下が本日の件をご承知になるはずがございませんもの」
「それはそうなんだけど……」
できるだけ大仰でない形でと今日の会見の段取りをつけたつもりのミラだったが、実際に二人が顔を合わせた後でどういう運びになるのかは全く予想がつかない。
私的な場でむやみに高圧的になる父ではないと信じているが、国王として将来の王配となるべき人物の人となりを見極めようとわざと面倒な言いがかりをつけてくる可能性は捨てきれなかった。
「私ができるだけ盾になって……なんて、たぶん必要ないでしょうね。そうよ、きっとあの方は上手にこなしてしてしまわれるんだわ、いつも通り、そう、そうに決まってるじゃない。私があれこれ気を揉む必要なんて何一つないはずよ」
キリアは軽く咳払いした。不気味な百面相をしながら不明瞭な独り言を柱の彫刻に向かってあびせ続ける王女を放置しておくわけにはいかなかったのだろう。
ミラははっとしたように顔を上げ、落ち込んだ口調で「やっぱり最近の私はまともじゃないわ」と呟いた。
「誰しもそのような一時期はございますもの、無理にお気持ちを押し込めようとなさらずともよろしいのですよ」
『ほぼいつも通りの姫様のご様子にお見受けいたしますけれど』などと冷静に指摘しなかったのはキリアの海よりも深い優しさゆえに違いない。
「ミラ、お前もここに来ていたのか」
「あらお父様。ええ、マカーリオ殿下に母様の肖像画をお見せしたくて」
「そうだったのか、いや私も久しぶりにこちらにある肖像画を見たくなってな」
偶然を装った予定通りの台詞のやり取りに続いて一通りの会話を済ませ、ミラはとりあえずほっとしていた。
言うまでもないことだがマカーリオの態度はそつが無いどころか、お手本として王立博物館に展示しておきたいような完璧さである。自身についても、マカーリオに対して親愛の情を十分に示しつつも礼儀と節度を保ったまずまず合格の出来と思えた。
彼女たちが今いるのはアストラフト王宮にいくつかある肖像画の間の一つである。ミラの母、故クロエ王妃の肖像画が飾られているこの部屋は別名を家族の間といい、ミラや五人の兄王子たちの子ども時代の肖像画の多くもここにあった。
「まことにお美しい方ですね」
感じ入ったような呟きを漏らし、マカーリオは春待ちの祭りの装束をまとったクロエの姿を眺めている。ある宮廷画家の手になるその作品は在りし日のクロエの姿を生き生きと映し出していた。
アグノスも懐かし気にしばらく目を留めていたが、ふと思いついたようにミラに視線を向けた。
「お前もますますクロエに似てきたな」
また悪い御冗談をと返しかけて、ミラはアグノスの視線の一部がマカーリオに向けられていることに気付いた。取り立てて鋭い眼光を放っているというわけでもないのだが、何となく圧倒されるような気がして口ごもる。
「……そう、だといいのですけれど」
いいのかどうかはともかくとして、ミラの外見ははっきりと父親似であって母とはまるで共通点がない。ミラとアグノスは金髪碧眼でともすれば冷ややかにも見える鋭角的な目鼻立ちをしているが、明るい栗色の髪と榛色の瞳であるクロエは全体的に柔らかな印象を与える容貌の持ち主だった。
「親のひいき目というのは困ったものですわね。どうぞ聞き流してくださいな」
ようやく思いついたミラの軽口めかした言葉をマカーリオはいつも通りの感じのよい笑顔で受け止めたが、ややあってからゆっくりと口を開いた。
「声が似ておられるのではありませんか、もしかしたら話し方も」
「ああ、その通りだ。特に私が働きすぎだと叱る時のこれの物言いときたら、クロエがあの世から舞い戻ってきたかと思ってしまうほどなのだよ」
そう言ってアグノスは鷹揚に笑ってみせた。そしてミラが何か言うべきか迷っているうちに「私はそろそろ行かねばならないな」と何気ない調子で会見の終わりを告げる。
「あとは二人でゆっくりと過ごすといい、いずれまた一緒に食事でもしよう」
アグノスが片手を上げると同時に部屋の扉が開かれた。部屋の外では書類挟みを抱えた主席秘書官と数名の近衛騎士がすでに待ち構えているのだった。
「よくあんな返事を思いつかれましたわね」
兄妹そろってカード遊びに興じる様子を描いた一枚の前でミラは言った。
「先ほどの……あなたと母上の声が似ているというあれですか?」
「ええ」
マカーリオは悪戯めいた表情をちらりとのぞかせた。
「本当にそうだったんですね。ひょっとしたらアグノス陛下が私に調子を合わせてくださっただけかもしれないと思っていたのですが」
「話し方がどうこうというのは父の思い込みかもしれませんけれど、母と私の声は実際わりと似ているらしいですわ。自分ではよくわかりませんし、それほど多くの人に言われるわけでもありませんけれど」
主にそれを言うのは母方の祖父母である公爵夫妻など年配の親戚だった。もっとも、それ以上の熱心さで顔立ちがアグノスの幼い頃にそっくりだと繰り返し言われてしまうわけだったが。
どちらにせよ宮廷人の噂話に好んで取り上げられるほどの話題ではないはずで、マカーリオも当てずっぽうで言ってみただけのようだ。そのことをどこか残念に感じたミラの内心が彼女の表情を曇らせでもしたのだろうか、マカーリオは少し考え込む風を見せてから言った。
「実は全くの当て推量というわけでもないのです」
マカーリオはクロエ王妃の肖像画の前に戻っていった。ミラも黙って後を追う。
「顎の形や首筋あたりの線があなたとよく似ていらっしゃる気がしたので。アストラフトの昨今の画風は写実を旨とするということですから、余分な修正はしておられないであろうとも思いましたし」
ミラは改めて丁寧に母の肖像画を見直し、毎朝鏡の中に見る自分の姿と比べてみた。確かにそう言われればそのように見えなくもないが、今一つ確信は持てない。ミラは「よくわかりませんわ」と率直に言い、話題を転じた。
「ずいぶんと絵画にお詳しいのね」
「詳しいといえるほどではありませんが、そう、昔から絵に興味はありますね。書物も挿絵の美しいものについつい目が行ってしまいがちです」
「ご自分でもお描きになりますの?」
「そちらはほんの手慰みですが……あ、これは決して謙遜などではありませんよ」
マカーリオの視線がわずかに泳いだのは仮面舞踏会での剣舞の件を思い出したためだろう。ミラは含み笑いの形になった口元を半ば広げた扇で隠しながら言った。
「安心してくださいな、いきなり私の肖像画を描いてくださいなどとお願いしたりはしませんから」
「よかった。実は人物を描くのは本当に苦手なのです」
それを聞いてミラは声を上げて笑った。
「マカーリオ様にも苦手なものがおありですのね」
「結構たくさんありますよ。ああそうだ、チェスもあなたには敵いませんでした」
「あれは序盤の作戦がたまたま上手くいっただけで……まぐれみたいなものですわ」
それに、と続けかけてミラは口をつぐんだ。兄ヴィトスと勝負するときのためにとっておいたあの作戦はある人物が気まぐれのように教えてくれたものだった。「相手が油断していたら、あなたでも十回に一回ぐらいは成功するかもしれないな」という嫌味たっぷりな台詞とともに。
「ともあれ、アグノス陛下へのご挨拶が無事に済んでよかった」
「ええ」
さすがにほっとした表情を見せるマカーリオの横顔を眺めながら、ミラはあと一つだけ解決しておかなければならないささやかな問題があったことを思い出していた。




