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隣国の王子は薔薇の花束を捧げる

 王宮東館 応接室


 昼食は和やかな雰囲気のまま進んでいた。

 約束の時刻にわずかばかり遅れて現れたマカーリオはいつも通りの感じのよい笑みをたたえて最近ヴィトスに借りたという古代の喜劇に関する書物について語り、ミラは落ち着きと朗らかさを見事に両立させながら熱心に相槌を打っている。

 

「デザートはテラスでいただきません?」


 主菜である鶏肉のクリーム煮を食べ終えたところでミラは言った。マカーリオは窓の外を眺めて頷いた。


「おあつらえ向きの木陰が出来ていますね」

「ええ、夏の午後を快適に過ごすのにとても良い場所ですの」


 それに二人きりで大切な話をするのにもと心の中でミラは付け加え、ゆっくりと立ち上がるとテラスへと向かった。やや間をおいてからマカーリオが後に続く。

 テラスに置かれた小さなテーブルを挟んで二人が向かい合ったところにガラスの器に入ったシャーベットが運ばれてきた。



「大事なお話があるということでしたけれど」


 木苺のシャーベットを半ば食べ終えたところでミラは言った。口調と表情に若干の深刻さが混じっている。

 ここまでマカーリオはたわいのない雑談に時を費やしていた。それが気後れのためか、単刀直入に本題を切り出さないのがラディ人の流儀であるためかミラには測りかねていた。あるいは手紙を書いた後で考えを変えたという可能性があるのだろうか。


「その通りです」


 短く言ってマカーリオはシャーベットに添えられていた梨を口に運んだ。彼の表情から笑みは消えている。ミラは無言でマカーリオの次の言葉を待った。彼が再び口を開いたのは二人の器が空になってからのことだ。


「私の従者をこちらに呼び寄せて構いませんでしょうか?」

「ええ、もちろん」


 簡単に応じたもののミラはマカーリオの意図がどちらに向かっているのかさっぱりわからなくなっていた。ミラとしては侍女や給仕を少しでも遠ざけておいた方が話を切り出しやすいだろうとテラスに出てきたつもりだったのだが。


「ありがとうございます。お願いついでで申し訳ないのですが、よろしければあちらを向いてしばらく目をつぶっていていただけませんか?」


 毒を食らわば皿までと口の中で呪文のように唱えながらミラは庭の方に体を向け、ぎゅっと瞼に力を入れた。



「ペリファニア様」


 名前を呼ばれたのでミラは目を開けた。まず目に入ったのは大きな薔薇の花束だった。ざっと見て百本以上はあるだろうか、深紅色の咲きかけの薔薇が馥郁たる香りを放っている。

 ラディでは別れの印に薔薇を送る習慣があるのかしらというひどく的外れな考えがミラの脳裏をかすめた。が、いくらなんでもそんなことがあるわけがない。男性がひざまずいて薔薇の花束を捧げる行為の意味するところは大陸中で共通のはずだ。


「マ、マカーリオ様、まさか……あなた、私に求婚していらっしゃるの?」


 動揺のあまりぞんざいな口調になってしまったことに気付いてミラは赤面した。マカーリオは「もちろん、そのつもりなのですが……」と困惑気味に答えてから、生真面目な表情で付け加えた。


「薔薇の花束などありきたりで面白みがないでしょうか? 奇をてらいすぎては失敗した時にいっそう見苦しいと思ったのですが」

「いいえ、そんな、嬉しいですわ。それに失敗なんて……どうしてそんな……」


 しどろもどろになりながらもとりあえずミラは薔薇の花束を受け取り、それから扇を広げてやたらと顔をあおいだ。そうして少しだけ落ち着いたところでマカーリオが床にひざまずいたままでいることに気付いて、椅子に戻ってくれるように頼む。が、彼は動く様子を見せなかった。

 そういえば求婚に対する返事をきちんとしていなかったとミラは思い出し、呼吸を整えた上でゆっくりと言葉を紡いだ。 


「アストラフト王女としてのご返事はこの場ではいたしかねますけれど、ペリファニア・ミラ個人としては喜んでお受けしますわ」


 それを聞いたマカーリオはいつも通りの微笑みを浮かべた。


「ありがとうございます。あなたのお気持ちをいただけただけで私には十分すぎるほどです」


 彼の慎重な言い回しにミラはあっと思った。もしかしたら正式に求婚を断る前提として受け取られたのかもしれないと。それで慌てて言葉を重ねる。


「あ、あの、父は私にはとても甘いので、おそらく大丈夫だと思います。兄たちもあなたのことは認めているようですし。私のあずかり知らないところで我が国とラディの間に問題が起こっている可能性も非常に少ないでしょうし……ですから……ただ、世の中には予期せぬ不都合というものもありますので……」


 これでは結局何を言いたいのかさっぱりわからないとミラは自分自身の無能さに呆れ果てた。この先政治的な事情か何かが原因で万が一破談となるようなことがあってもそれはけっして自分の本意ではないことを伝えたいだけなのだが。


「つまり私はあなたと結婚したいと思っているということですわ。そしてマカーリオ様も同じ気持ちでいてくださると、そういうことでよろしいかしら?」


 正確さを優先させるためとはいえ、なんという潤いに欠ける物言いだろうとミラは絶望すら感じ始めていた。しかし、マカーリオはいつも以上に優し気な視線を彼女に向けている。彼はようやく立ち上がると元々座っていた席へと戻りながら言った。


「互いに自分自身以外のものを背負う立場ですからね。いや、私の立場などあなたに比べれば何ほどのものでもありませんが」


 微力ではありますが私があなたの支えとなることができれば嬉しいとマカーリオは呟くように付け加えた。その様子が彼にしては珍しく照れているように見え、ミラは驚きと喜びで胸が満たされていくような気がした。


「微力なんて……それどころか、あなたが私と結婚したがってくれるなんて思ってもみなかったのよ。今日だっててっきり、円満に破談にする方法を内密に話し合うために来られたものと思い込んでいて。そうじゃなくって本当によかったわ」

 

 気持ちが一気にゆるんだせいだろうか、ミラはすっかりくだけた態度と言葉遣いになってしまっていたが、マカーリオにそれをとがめる風はまるでない。むしろ甘やかすような口調で尋ねた。


「円満に破談とは……いったい何が理由でそんな風に思われたんですか?」

「それはまあ、いろいろと」


 ミラは言葉を濁した。マカーリオの従僕であるレノスが主人の欠点を侍女たちに吹き込んだのもこちらから断らせるための布石だろうと考えていたとか、過去の五人の婚約者候補の例をあれこれ思い出して、きっと今回も同じようになるに違いないと信じ込んでいたことなど、ミラにとってはそれなりの根拠はあっての予測だったのが、今になってみれば思い過ごしも甚だしい。


「また今度お話ししますわ、もっと時間がある時にゆっくりと」


 いつか笑い話として披露しようとミラは思った。マカーリオ自身が結婚の意思を明らかにしてくれた以上、むやみに焦る必要はないのだ。


「この後も何か予定が?」

「すみません、もうしばらくしたら家庭教師がやって来ることになっていますの。このところ予定を変更し続けていたものですから、今日こそはちゃんと授業を受けないと申し訳ない気がして」


 もっとも授業内容がまともに頭に入るかは非常に疑わしかった。地母神の神官でもある家庭教師のニキタスが渋面を作りながら白髪頭を振る光景が目に見えるような気もしたが、今日の予定はミラにとって得意科目である古典と歴史だから何とか無難に乗り切れる可能性も残されている、かもしれない。


 まずは次にいつ会うかを決めておこうと二人が互いの予定を話し合い始めると、頃合いと見たのかマカーリオの従者はテラスから退出していった。彼の動きを視界の隅にとらえたミラはその髪色と背格好に記憶の一部が刺激されるのを感じたが、入れ違うようにテラスにやって来たキリアが遠慮がちに声を掛けたため深く考えを巡らすことはしなかった。


「なあに、もしかしてニキタス先生がもういらしたの? それなら書斎の方で待っていただいて」

「いえ、おいでになったのはシルベスタ侯爵家のセリナ様なのでございます。緊急事態ゆえ早急に取次ぎをとおっしゃっておいでなのですが、いかがいたしましょうか?」


 セリナ・シルベスタはミラの兄ペトラの婚約者である。十四歳という若さではあるものの侯爵令嬢としての規範はすでにしっかりと身につけているはずで、その彼女が非礼を承知で突然の訪問をしてきたからにはそれなりの理由があるのだろう。

 閉じた扇の先を顎の先に当てミラが思案していると、マカーリオが控えめに口を挟んできた。

  

「私は今日のところはもう失礼しましょうか? またお手紙を差し上げますので」

「もしよろしければここにいてくださらない? セリナ様とはお会いになったことがおありだったかしら?」

「いいえ、お噂はかねがね伺っておりますが」

「それでは良い機会ですからお引き合わせしますわ。こみいった用件になりそうなら途中で席を外させていただくかもしれませんが、その点はご容赦くださいな」


 セリナの持ち込む緊急の用件ならば十中八九、兄のペトラかその母である妾妃タニアがらみに違いない。マカーリオに聞かせたくない類の話になりそうなら、その時点でセリナと二人、書斎なりに場所を移せばよいことだ。セリナもまさか入ってくるなり全ての事情をあからさまにぶちまけるような真似はしないだろう。


「ではキリア、セリナ様をこちらにお通しして。あ、その前に、この薔薇を私の寝室の花瓶に活けておいてちょうだい」


 さりげなさを装うことには完全に失敗しているミラの表情と口調には触れず、キリアは「かしこまりました」と静かに答えると薔薇の花束を抱えてテラスを後にした。



 蜂蜜色の巻き毛をもつ侯爵令嬢、セリナ・シルベスタはほとんど駆け込むようにしてテラスにやってきた。そして挨拶も早々に「ペリファニア様、どうかペトラ様をお止めください」と言う。


 どうやらマカーリオの存在に気付いてもいない様子で、これは早々に場所を移した方がよいかもしれないとミラは腰を浮かせ、「セリナ様、書斎の方に参りましょうか?」と促した。しかしながらミラの予想以上にセリナは冷静さを失っていたらしく、その場で両手を揉み絞りながら口早に話し続けている。


「ペトラ様がマカーリオ殿下に決闘を申し込むというのです。私、お義母様からその話を聞いて心配でたまらなくて。だって、前回のファビオ様の時とは違うのですもの。マカーリオ様にこれといった落ち度があるなどという噂は耳にしておりませんし。ペトラ様がたいそうな妹想いで、ペリファニア様のお相手はしかるべき力量をもった人物でなければなどと常々口にしておられるのも事実ですわ。でもだからといって……」

「おい、セリナ。俺は別に決闘などという物騒な話をした覚えはないぞ」

「でも、今朝確かに私……え、あらペトラ様」


 のっそりと厚みのある長身を現したペトラを見てセリナは目を丸くしている。ミラは扇の陰で小さなため息をつくと、侍女たちに四人分のお茶を用意するよう言い付けた。


 ニキタス先生には本当に申し訳ないが、またもや予定していた授業を先延ばしにしてもらうほかはないようだ。


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