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王女は隣国の王子と市に出かける(後)

 ルングーザの市、中央広場


 ミラとマカーリオは人の流れにそって広場までやって来ていた。お手玉を使った曲芸を披露する大道芸人の前ではしばし足を止め、それから食べ物の屋台が立ち並ぶ一角へと向かった。


「これは何の肉?」


 炭火の上に並べられた串刺し肉を指差してミラが訪ねると、店主は不愛想に「羊の肉だ」と返事をよこした。


「食べてみてもいいかしら?」


 隣に立つマカーリオに尋ねると、彼はすぐに財布を取り出し「二本、もらおう」と何枚かの銅貨を台に置いた。店主は不愛想なまま「どれでも好きなのを取りな」と言い、肉の仕込みを続けている。よく焼けていそうな串を選び、それぞれ一本ずつ手にした。

 歩きながら食べるのはさすがにためらわれたので、目についたところにあった木箱に二人で腰かける。


「羊の肉ですね。この味は間違いなく」


 一口かじって、マカーリオは悪戯っぽく笑って見せた。

 ミラも同じようにかじってから、わざと不機嫌さをにじませた声で応じた。


「あら残念。野犬か何か、あやしげな材料でも使っているようだったら腕によりをかけて懲らしめてさしあげるつもりでしたのに」

「あなた様が直接手を下す必要はありませんよ。お命じいただければ私がしかるべく対処いたしますから」


 マカーリオは芝居がかった様子で調子を合わせてきた。

 今日の彼らは『おしのびで市に遊びに来た貴族令嬢とその従者』ということになっている。年頃の娘と若くて美男の従者を二人きりで出かけさせるなどそれなりの貴族の家柄ではまずありえないが、そのように装って恋人同士が出かけることはしばしば行われているらしい。


「そう、ではその時はよろしくね」


 尊大ぶった態度をとってみせたミラだったが内心では綱渡りを終えたような気分だった。先刻のマカーリオの冗談にとっさに反応できなかったことが気にかかっていたため挽回しようとしたのだが、今度は少々やりすぎたかもしれないと心配になってくる。


 濃い灰色のチュニックに身をつつみ、癖のない銀髪を生成り色の布で隠したマカーリオは一見いかにも従者らしく見えた。しかしながら、串焼きの肉を口でくわえて引き抜きながら食べるような真似をしてもなお彼の品の良さは全く失われていない。

 オクセイン兄様ですら寝不足で身なりにかまわない折などは興ざめするほどだらしなく見えるというのになどとミラは胸中で呟きつつ、ベール越しであることを幸いにマカーリオの横顔に見惚れていた。



「お口に合いませんか?」


 ミラの手にある肉が二口ほどしか食べられていないことに気付いたのだろう、マカーリオがやや心配そうに話しかけてきた。


「そんなことはありませんわ、素朴だけれど、塩と香草がよく効いていて美味ですもの。ただちょっと熱すぎたので冷めるのを待っていましたの」


 ミラは猫舌とは無縁であるが、さすがのマカーリオもまだそこまでは知りようがない。「焼きたての肉を頬張る機会などめったにないでしょうからね」と頷いてくれた。


 とはいえ、ミラにとって根本的な問題はまだ解決していなかった。意中の男性の前で串焼きの肉を上品に食べ終えるにはどうしたらよいのだろうか。彼に背を向けてしまったりしては不作法どころではすまない。

 こんなことならマカーリオの注意がこちらに向く前にさっさと食べ終えておくのだったとミラは後悔しながら、肉の端っこを時間稼ぎでもするかのように少しずつかじった。


「ちょっと失礼、目にゴミが入ったようです」


 不意にマカーリオはそう言い、ポケットからハンカチを取り出した。「ああ、どうかご心配なく。しばらくこうしていれば治ると思いますから」と目元を抑えている。


「……この辺りは土がむき出しになっていますものね」


 あやふやな口調で応じてから、ミラはこの機会を幸いと残りの肉を一気に食べ終えてしまう。水筒の水で喉を潤していると、ようやく落ち着いたのかマカーリオがハンカチをしまい、こちらに向き直った。


「お見苦しい真似をして申し訳ありませんでした」


 苦笑する表情のマカーリオだが、それほど恐縮しているようには見えなかった。この人が節度ある親しみ以上のものを自分に感じる可能性はどれぐらいあるのだろうとミラは考え、きっと限りなく低いに違いないと自身で結論付ける。


「そ、そろそろ行きましょうか、あちらの通りに何か面白いものがありそうですわ」


 ほとんど乱暴と言えそうな仕草でミラは立ち上がり、やや大股で歩きだした。


 少なくとも彼との結婚の見込みが全くないというわけではなかった。庶出の王子にとって大国の王女の婿となるのは幸運といってよいはずだ。だから彼が『まあ結婚してもよい』ぐらいに思ってくれれば、後は周囲が勝手に話を進めてくれるだろう。すべての夫婦が情熱的な恋愛の果てに結ばれているというわけではないし、政略結婚後に時間をかけて愛を育んだ夫婦の例も数多くある。


 まずはこの国での暮らしに興味と好意を持ってもらおう。自分のような『わがまま姫』が彼のように完璧な男性の愛情を得ようとするよりも、その方が遥かにたやすいことのようにミラには思われた。



「あと一回だけ、今度こそ絶対に成功するから」

 

 甲高い声がした方向に目を向けると、輪投げの店の前で七、八歳ぐらいと思しき男の子が顔を真っ赤にして訴えかけていた。彼の視線の先には困り顔の小柄な女性がいて、首を横に振っている。服装からして乳母や家庭教師ではなさそうだ。まだ若いが母親であろう。


「さっきもそう言いましたよ。これで最後にすると」

「でも、あともうちょっとだったんだよ。ここであきらめたら絶対に後悔する」


 てこでも動かないといった風情の男の子の様子にミラはやれやれと肩をすくめた。ああなったら理屈なんて通じない、駄目なものは駄目ときっぱり言ってしまえばよいものを。


「ずいぶんとつぎ込んだようですね、どうしても欲しい景品でもあるのかな?」


 マカーリオは彼らの横に立つ初老の男性に目を向けていた。男性の手にした籠には、小さな木彫りの人形や派手な布で作られた飾り物などがあふれかえっている。


「たぶん、一番奥にあるあれが欲しいんだと思いますわ」


 ミラは立派な台座に乗った騎士の像をそっと指さした。抜き身の剣を持ち、羽を広げた竜にまたがった男性は神話時代の英雄パティアスだ。


「確かになかなかの品のようですね。あるいは名のある職人の手になる物かもしれない」

「まあ、それもあるでしょうけれど……英雄パティアスは我が国の男の子の間では特に人気が高いのですわ。私などは次から次へと怪物と戦うだけの物語は退屈に感じますけれど、兄たちが子どもの頃は彼の武勲詩を何度も喜んで聞いていたそうです」

「そうですか、パティアスの名はラディではさほど知られていませんが……確か神々によって七つの試練を与えられたという英雄でしたでしょうか?」

「ええ、元々はそうですわ。ただ吟遊詩人の創作で小さな冒険の逸話が付け加えられていっているそうですから、最新版では試練の数はいったい幾つになっていることやら」


 ミラは思わずため息をついていた。某公爵夫人のサロンで披露された叙事詩のひどさを思い出したのだ。女性受けを狙ったのか恋愛めいたやり取りがふんだんに付け加えられていたのだが、無骨さがむしろ売りであるはずのパティアスがどこからか借りてきたような口説き文句を並べ立てるのには我慢がならなかった。あの詩人は美声で歌も上手かったから、妙な小細工はせずに昔ながらの七章の武勲詩を歌いあげてくれていたなら、面白みはなくとも技量の見事さだけは素直に感心できただろうに。


「なるほど、吟遊詩人にとってはその方が実入りがよいのでしょうね」


 何気なくマカーリオは言ったが、ミラとしてははっとさせられる思いだった。七章だけならば一日で済んでしまうが、間に別の章を挟めば数日かかる。公爵夫人の謝礼がどのように支払われるものかは知らないが、少なくとも大勢の上客の前で披露できる機会が増えるのは間違いない。実際、ミラの思いとは裏腹にあの吟遊詩人はあちこちのサロンに呼ばれているというから、付け加えられた部分を含めて彼の詩を聞いてみたいという人は多かったのだろう。好みは人それぞれだから、新章の方が好みだと思う人もいるのかもしれなかった。


 ミラとしてはできれば全く別の物語と登場人物でそれをやって欲しいところだったが、英雄パティアスの物語だからこそ人々は無名の吟遊詩人の歌にも耳を傾けるのだろう。あの詩人にしても公爵夫人の後ろ盾と一定の人気を得たところで満を持して新作を発表する心づもりであるのかもしれない。



「本当に、もう一度だけですからね」


 ミラとマカーリオが声を低めて話し合っている間に若い母親は根負けしたらしい。財布を開き、輪投げ屋の店主に銀貨を一枚渡している。店主は満面の笑みを浮かべながら五本が一束になった輪を男の子に差し出した。


「あら」


 ミラが声を上げたのは、男の子が三本目の輪を投げ終えたところだった。投げられた輪は残念ながら竜の羽にひっかかかってしまっている。台座の下まできちんと通らなければ景品はもらえない。


「どうかなさいましたか? 何か不審な点でも?」

「ううん、そうじゃなくて、あの女性をどこかで見覚えがあるような気がしていたの。今思い出したわ、ほんの短い間だけど侍女として仕えてくれていた人よ」


 確かどこかの子爵に見初められて後妻になったはず、とミラは記憶をたぐりよせる。キリアの次に髪を結うのが上手だった。もっとも控えめすぎる性格が災いしてか、王女付きの整髪係として定着するまでにはいたらなかったのだが。


 結局男の子は五本目の輪も外し、おそらく義理の母親であろう元侍女相手に再び駄々をこねだしていた。


「ひょっとして、ああいった遊びもお得意かしら?」


 ミラに尋ねられて、マカーリオは軽く首を傾げた。


「得意、といってよいのかはわかりませんが、多少の経験はあります。ただ、気になるのは……」

「何かしら?」

「あの店主が正直者ではないかもしれません」


 マカーリオの言葉にミラはしばし考え込んだものの、ややあって「正直者、だと思いますわ」と答えた。それからさらに付け加えて「もし、そうでなかったら……これを吹きます」と、スカーフに留められた小鳥を指さした。


 護衛を呼び集めてしまったらその時点で今日のおしのびは終わりになるが、ミラとしてはこのまま立ち去る気にはどうしてもなれなかったのだ。単なるおせっかいにすぎないというのは重々承知しているつもりではあるのだが。


「わかりました。成功を祈っていてください」

 

 穏やかな笑顔でマカーリオは言い、男の子の手より一瞬早く店主に銀貨を差し出した。五本の輪を受けとった彼は大して気負った風でもなく地面に描かれた線の上に立ち、竜騎士の像に向けて輪を投げ始める。三本目が不成功に終わったところで、後ろで待っている男の子がそわそわし出した。

 ミラは祈りながらというよりはほとんど息を詰めて見守っていた。マカーリオが成功したらどうするかはすでに決めている。もし失敗したら……何事もなかったように立ち去るしかないだろうか……


「うわっ、嘘だろ」


 竜騎士の像が台座ごと四本目の輪に綺麗に収まっていた。まっすぐな軌道を描いた輪が像の真上からすとんと落ちたのだった。微妙なずれでもあればどこかに引っかかっていたであろうぎりぎりの大きさで、技量もさることながら運が味方したということも多分にあっただろう。


「お見事だ。しょうがねえ、こいつは持っていきな」


 店主は竜騎士パティアスの像を丁寧に持ち上げると、適当な布でくるんでマカーリオに渡した。ミラは無礼を承知でつかつかと歩み寄ると彼の手からそれを奪い取った。そして、悔しさで顔を真っ赤にしている男の子に向かって傲然と言い放つ。


「残念でした。これはあなたのような子どもが持つには勿体無いということよ」

「僕だって、もう少しのところだったんだ」

「あらそう、では大人になったら挑戦しにいらっしゃい。私が誰かはあなたのお母さまがよくご存じだから」


 ミラは慌てて近づいてきた小柄な女性をまっすぐ見つめた。これだけ近ければベール越しであろうと顔立ちは何となくわかるであろうし、何より声と話し方でそれと気づくはずだ。


「帰りますよ、ゾーイ。すっかり遅くなってしまいました」

「でも、まだ……それに……この人は一体……」

「家に帰ったらきちんと話します。さあ、馬車に戻りましょう」

「はあい……はい」


 その場を立ち去る前に女性は振り向き、深々と一礼した。ミラは軽く会釈しながら、ほっと胸をなでおろしていた。



「なんだいこのガラクタの山は」


 帰りの馬車に持ち込んだ雑多な品々にオクセインは呆れていた。パティアスの像は「近くで見たらあまり気に入らなかった」という理由をつけて輪投げ屋の店主に返し、代わりに侍女たちへのお土産になりそうな景品を大量にもらったのだが、確かに一見しただけで作りの粗さがわかる。


「いいのよ、これは市に行った記念品、というかむしろ戦利品だから」

「戦利品? 一体何をやらかしたんだい?」

「決まってますわ、悪徳商人の不正を見逃す代わりにちょっとした賄賂をいただきましたのよ」


 わざとらしく高笑いをするミラに「お前が楽しめたのなら何よりだ」とオクセインは肩をすくめ、マカーリオにちらりと視線を送った。

 マカーリオは感じの良い笑みを口元に浮かべながら、どこか奇妙な光をたたえた眼差しでミラを見つめていた。


 マカーリオに無茶な頼み事をしたのがこれで二度目になってしまったことにミラが気付いたのは、馬車が走り出してしばらくしてからのことだった。



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