わがまま王女は侍女たちに相談する
王宮東館、衣裳部屋
部屋中を埋め尽くした色とりどりのドレスを前にミラは途方に暮れていた。ルングーザの市に出かける際、どんな格好で行けばよいのかさっぱりわからなくなってしまっていたのだ。
昨日届いたオクセインからの手紙に書かれていた指示はいたって簡潔なものだった。
『普通の貴族のお嬢様がおしのびに来ているような格好で。余計な工夫は一切するな』
そういうことであれば自分の趣味で選べばよいのだから、と勢い込んで衣裳部屋に籠もってみたのが小一時間ばかり前のこと。吊るされたドレスの間をさまよい、宝飾品のしまわれた箪笥の引き出しを開け閉めし、帽子や靴の入れられた箱を片っ端から開けてみて……結果としては、完璧に整理整頓されていた部屋の中身を乱雑に散らかしただけに終わっている。
「王女としての格式や儀式の決まりごとにとらわれずに自由に服を選ぶってことがこんなに難しいとは思わなかったわ。でも、普通の貴族令嬢のごく普通のおしのび衣装の正解ってどういうのよ? 模範的な貴族令嬢はおしのびで市にもぐり込んだりせず、付添人や護衛を伴っておしとやかに見て回るものでしょうに」
自分でも半ば理解不能の愚痴を言いながら、ミラはたまたま目についた白いレースの日傘を広げ、意味もなく振り回す。
市を満喫するために、兄上様におねだりしておしのびの段取りをさせることは果たして模範的な嫡出の王女のなさることでございましょうか? などと指摘してくるキリアはここにはいない。来月の晩餐会の準備のため、侍従長や料理長と打ち合わせの最中だ。
「……それに今回のことはキリアに相談しても駄目な気がするのよねえ、侍女頭としてはとっても優秀なのだけれど」
キリアの父親は正妃クロエの実家である公爵家の執事であり、彼女自身も幼い頃から公爵家の小間使いのようなことをしていた。そして公爵家の侍女を何年か務めた後、自然な成り行きで王宮に上がり、クロエの側仕えになったわけで、上流社会や宮廷に関しては詳しいが、下級貴族や庶民の風俗についてはあまり知る機会がなかっただろう。
ミラは日傘を広げたまま床に放り出した。そして、自分自身は近くにあった低い椅子に座って考え込む。
次の間に控える侍女たちに相談してみようかという考えがぼんやりと浮かんだ。手の空いていそうな若い者を適当に連れて来たので名前が思い出せないが、確か地方出身の新参者が多かったはずだ。
「都会的に洗練され過ぎていたら、かえって周囲から浮き上がりそうだし、少々流行遅れなぐらいの方がいいのかもしれないわね……問題は、思っていることを正直に言ってくれるかなんだけど……」
ぶつぶつと呟きながらもミラは適当なドレスと靴を選び、着替えのために侍女たちを呼び寄せた。
「この格好でどこに出かけるんだと思う?」
薄緑色の小花柄のドレスを身につけ、白い日傘を差して、ミラはくるりと回って見せた。高い踵の靴で転んだりしないよう、細心の注意を払いながら。
四人の侍女は互いに顔を見合わせ、発言を譲り合っている。
一列に並んだ彼女たちの名前は、向かって左から、リルヤ、ネリー、クレーヴェル、シュリナ。
着替えを手伝ってもらうついでに簡単な自己紹介もしてもらった。王女付きになる際、最初の挨拶で名前と出身地ぐらいは聞いていたはずだが、さすがに一度で何もかも覚えられるほど優れた記憶力をミラは持ち合わせていなかった。
「どこかのお屋敷でガーデンパーティーでも開かれるのでございましょうか?」
思い切ったように口を開いたのは一番左にいたリルヤであった。女性にしては背が高く、骨格もがっしりとしている。彼女の出身地は王都からかなり離れた北の国境近辺だ。
「ああ、やっぱりそんな風に見えるのねえ。じゃあ、駄目だわ、やり直さなきゃ。ネリー、手伝って」
さっさとドレスを脱ぎだしたミラに向かって、リルヤがほとんど突進するような勢いで迫って来た。青ざめた顔色でほとんど涙声になっている。
「わ、私、何か良くないことを申しましたでしょうか……」
「違うのよ。私が自分のセンスの無さを再確認してしまっただけ。率直な意見をくれたあなたには感謝しているわ」
穏やかな口調でリルヤを慰めている下着姿のミラを気遣うように、ネリーがガウンを着せかける。小柄で赤毛の彼女は王都の下町の出身だ。
「どちらにお出かけになるためのドレスか、おうかがいしてもよろしいでしょうか?」
東方の訛りをかすかに感じさせるおっとりとした物言いはクレーヴェルのものだ。
「明後日ルングーザの市に行くの、おしのびで。だから、一般的な貴族令嬢がこっそり遊びに来ているぐらいに見える格好をしてみようと思ったんだけど、なんだかよくわからなくなって……」
「まあ、おしのびでお出かけに」
四人の侍女はほぼ声を揃えてそう言うと、額を寄せ集め、なにやらひそひそ話を始める。
そのように危険なことをして大丈夫なのですか、とたしなめられた時のためにオクセインの名前を出す心積もりをしていたミラは予想外の展開に気を揉んだが、幸いなことに侍女たちの話し合いは短時間で終わった。
代表者に選ばれたらしいシュリナが一歩進み出て口を開く。西方の地方貴族の庶子だという彼女は、落ち着いた風情のなかなかの美人である。
「私はルングーザの市に参ったことがございます。ですから、少しはお役に立てようかと……王女殿下のご希望に添えるかどうか心もとなくはございますが」
四人の侍女は新参ながら相当に有能であったようだ。シュリナを中心に何種類かのドレスや靴を選び出すのと並行して、ネリーの指示のもと室内の整理整頓を進めていく。
ミラは椅子に座ったまま、彼女四人の働きぶりを舌を巻く思いで見つめていた。細かな指示など出す必要は全くない。リルヤが掲げて見せたドレスの一つを指差し、クレーヴェルが持って来た靴の中からもっとも履きなれているものを選んだ程度で済んでしまった。
下着まで着替えさせられたために完成にはそれなりの時間がかかったが、最終的に鏡に映った自分の姿は十分にミラを満足させるものだった。
足元は乗馬用のブーツ。これは通りのほとんどが石畳などで舗装されてはおらず、土がむき出しになっているためだという。
「ぬかるみなどに足を取られないともかぎりませんし。それに、男女の歩幅の差もありますから、一緒に長時間歩く場合には実用性を優先した方がよろしいでしょう」と、シュリナは言った。
日傘を持つのではなくベール付きの帽子をかぶる。人混みで日傘を広げては邪魔になるというのが理由だが、さりげなく顔を隠す効果もあるので一石二鳥だそうだ。
「女性のベールの中をのぞき込むような不心得者はまずおりませんでしょう。万が一そんなことがあったとして、同行の女性に対する無礼を見過ごすような男性であれば、お付き合いそのものを考え直すべきですわ」とは、クレーヴェルの言である。
大きな花柄のドレスは派手すぎることもなく、ミラのともすれば冷ややかに見えがちな表情を明るく引き立てていた。
「王女殿下はすらりとした体形をしていらっしゃいますから、こうした大胆な柄でも上品に着こなしてしまえるのですわ。大丈夫です。全ての男性が豊満な体形の女性を好むわけではありませんから」と、なぜかネリーは励ます口調だった。
首筋と胸元を隠すようにふんわりと薄手のショールが巻かれていた。意外な器用さでショールの結び目を綺麗に整えながらリルヤは言ったのだ。
「少々暑いかもしれませんが堪えて下さいませ。王女殿下は本当に透き通った白い肌をしていらっしゃいますから、日焼けにはよくよく注意しなければ。それに人前で肌を露わにすることをはしたないと断じる頭の固い男性もおりますので」
四人はそれぞれに充実の表情を浮かべており、ミラ自身も自然と笑顔になっていた。が、頭の隅に引っかかるものがある。
彼女たちは自分が意中の男性とおしのびで出かけるものと決めてかかっているらしいが、何故そんな風に思ったのだろう。誰と出かけるのかなど一言も漏らしていないというのに。
ミラの疑念に気付く様子もなく、部屋の隅に固まった侍女たちは興奮気味に話し合っていた。ミラに聞かれることもまるで気にしていないのか、その声は高い。
「これなら気難しいと評判のラディの御方のおめがねにもかなうのではないかしら」
「派手な女性は好みではないとおっしゃっているとかいう噂も聞きましたけれど……上辺ばかりに気を使っているのは好ましくないとか」
「あら、保守的なラディの殿方は美しい女性の中身が花と菓子で出来ているとでもお考えなの? そこらの御令嬢だって単に着飾ってダンスとお喋りだけで時を過ごしているわけでもありませんのに」
「しかも王女殿下は公務をこなすだけでなく、多くの時間を家庭教師との勉強に充てられておりますのよ。その上、乗馬や護身術の訓練も懸命になさっていて。音楽やダンスのレッスンは言うに及ばずですし」
「目の回るような忙しさの隙間を縫って、こうして王女殿下自ら装いに工夫を凝らされるのですもの。その熱意に心動かされない男性はいないと思いますわ」
「そうですわね。あの御方は多少面倒な性格をしていらっしゃるのかもしれませんけれど、王女殿下がこんなにも思い入っておられるのですから、きっと良い所もたくさんおありなのでしょう。お顔とご身分以外にも」
彼女たちの話の内容を耳にしたミラは頭を抱えて床にうずくまりたくなった。
褒めてもらえるのも努力を認めてもらえるのも嬉しくないわけではないが、それ以上に、おしのびで共に出かけるのがマカーリオだということが完全にばれているのが恥ずかしい。さらに言えば、どういうわけだか彼女たちの間でマカーリオの評判が微妙に悪いのも気にかかった。
様々な考えが錯綜し、鏡の中のミラの笑顔はひきつり気味になっている。とりあえずマカーリオに関してどんな噂が流れているのか問いただしてみようかと思い定めたところへ、夕刻の鐘の音が鳴り響いた。そういえば、今夜は王族の長老たちが集まる夕食会に出席しなければならないのだった。
仕方がないと心の中で自分に言い聞かせた後で息と表情を整え、ミラは後ろを振り返った。
「それではこれらを明後日の早朝に着て行けるように準備しておいてちょうだい。それから、何度も着替えるのは面倒だからこのままここで夕食用の第三正装に着替えていくことにするわ。誰か一人、私の部屋で待っているはずの整髪係を呼びに行ってくれるかしら。あ、それからキリアがそろそろ戻っているはずだから彼女にもその旨、伝言しておいて」
ミラの指示に従ってリルヤが衣裳部屋から次の間に出て行った。残った三人はきびきびとした動きで、第三正装のドレスを取り出し、必要な小物類を揃えていくのだった。




