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王子二人はチェスをする

 第四王子ヴィトスの屋敷、居間


 白と黒の駒を並べた盤を間に挟み、二人の青年は真剣な表情で向かい合っていた。昼食後から始められたチェスの勝負は一勝一敗で、現在行われているのは三局目である。そろそろ夕食のために着替えをしなければならない時刻が迫っていたが、両人とも早急に切り上げるつもりはなさそうだ。

 何度目かの長考の後、屋敷の主人であるヴィトスは白の歩兵を一段進め、「チェック」と低声で呟いた。

 ラディの第三王子マカーリオは癖のない銀髪を雑にかきあげ、眉間に軽くしわを寄せる。


「これは、どこへも動きたくありませんね」

「申し訳ないが、パスはできませんよ」

「そうですね、では、せいぜい悪あがきを」


 苦笑しつつマカーリオは黒の女王を動かした。ヴィトスは片眉を上げ、白の騎士へと手を伸ばす。が、思い直して、先程とは別の歩兵を進めた。それを見たマカーリオはしばしの沈黙を置いてから、「降参です」という言葉を吐息とともに吐き出した。


 その日の夕食はヴィトスとマカーリオの二人きりということもあって、家族用の小食堂の方で供されていた。トゥーラの趣味を前面に押し出して飾り付けられた来客用の食堂とは違い、こちらはいかにも実用的な家具調度でまとめられている。


「ヴィトス殿は本当にお強いですね。一勝出来たのも偶然のようなものでした」


 柔らかな仔牛肉にナイフを入れながら、マカーリオは朗らかに言った。銀糸の刺繍をちりばめた鮮紅色のチュニックをさらりと着こなした姿は大そうあでやかだ。


「いやいや、私もここまで苦戦する相手と対したのは久しぶりです。学生時代には気軽に指せる相手が身近に幾人もいたのですが」


 かつてヴィトスはアストラフト東方の小都市コルボーの学院で三年間、法律学を学んでいた。一般教養は家庭教師について学び、専門分野を深めたい者のみが各地にある上級の学院に進学するというのがアストラフトの王族・貴族子弟の一般的な教育方法である。


「ご兄弟とは指されませんか?」

「他の兄弟はチェスにはほとんど興味がありませんから。長兄のフィロは少々たしなみますが、チェスの手を考えている最中に別方面の思索を始めたりするもので……」

「勝負は二の次になりがち、というわけですか。それは少々物足りないかもしれませんね」

「ええ、そんなところで。まあ、勝ち負けにこだわりすぎる相手との対戦も厄介ですが……」


 ヴィトスが苦笑しながら自然と思い浮かべていたのはミラのことである。最近ではめったに機会がないが、ミラが幼い頃はしばしば手合わせしていた。

 もっともヴィトスとミラは八歳違いだ。ようやく駒の動かし方を覚えた程度の妹に本気になるのも大人げないと、ヴィトスは当初かなり手を抜いていたものだ。ところが、ミラはすぐに上達し、まずまずの力を示し始めた。そうするとヴィトスの方もある程度真剣に取り組むことになった。

 とはいえ、生来負けず嫌いな妹である。負ければ半日は機嫌が悪い。それではと、適当なところでわざと勝たせてやったりすると、それに気づかれたら最後、三日間は不機嫌な状態が続いてしまう。

 今ではもうそんなこともないだろう、と思いはするが、もしもこの先ミラとチェスで対戦する機会があれば手かげんは一切せず、まともに勝負することにしようとヴィトスは心に決めているのだった。


 食後のデザートとして出されたのは淡泊な風味のチーズに数種の果物を添えたものだった。イチジクの後ろに隠れていたナツメヤシを見つけたヴィトスは、さりげない仕草で彼にとっては甘すぎるその果実を飾り用の香草の下に押し込んだ。マカーリオはヴィトスの行動を見咎める風でもなく、小さなフォークで蜂蜜のソースのかかったチーズを品よく口に運んでいる。


「ところで、何かご不自由な点はありませんか? 執事や侍女たちにはよく言いつけているつもりだが、最近留守がちなために行き届かないところがあるのではと妻が気にしておりまして」

「充分すぎるほどにおもてなしいただいております。私だけでなく供の者にもよくしていただいているようで、有難いことです」


 マカーリオがラディから伴ったのはレノスという名の年若い従僕ただ一人であった。街道を旅する際などには護衛の騎士が付くが、それはラディ大使からのいわば借り物である。自身の単独行動が当たり前になっているエラトはまるで気にしていなかったようだが、ヴィトスは初対面の折にはかなり驚いたものだ。何かにつけ形式ばったやり方を好むというラディの人間であれば、おしのびとはいえ相当数のお供を引きつれて旅をしているはずという思い込みのせいもあったかもしれないが。


「若いのによく気が利く働き者だと、執事が褒めておりました。侍女たちにも何やら評判が良いようで」

 レノスは明るく愛想のよい性格で、その上なかなか可愛らしい顔立ちをしていた。侍女たちは何かと理由を付けては彼に手作りの菓子だのちょっとした身の回りの品だのを贈っているという。

「ご厚意に甘えすぎないように注意しておいた方がいいかもしれませんね。彼も初めての外国旅行ですから、いろいろと舞い上がってしまっているかもしれない」


 冗談交じりの口調でマカーリオは言い、小さなグラスに入った香辛料入りの赤ワインに口をつけた。一口飲んだだけでグラスを置いてしまったのは、強すぎる刺激があまり好みではなかったのだろうか。

 ヴィトスはその様子を頭の隅に残しながら、打ち解けた態度でコルボーでの学生生活について尋ねてくるマカーリオに対して誠実に応じていた。


 夕食後、マカーリオは滞在中の居室に充てられている離れに引き取り、ヴィトスは居間で蒸留酒と簡単なつまみを楽しみながら、一人でくつろいでいた。そうするうちにふと思い立って、先刻のチェスの盤面を再現しようと記憶を頼りに駒を並べだす。白黒の駒をほぼ並べ終えたところにトゥーラが帰って来た。


「遅くなってしまって申し訳ありません。夕食後もあれこれと引き留められてしまって」


 トゥーラの今日の訪問先は美しいと評判の三人の娘を持つ某侯爵家であった。先日の仮面舞踏会でトゥーラの着ていたドレスが好評で、同様の品をぜひ作りたいと頼みこんでくる令嬢が数多くおり、侯爵家の令嬢たちもその例にもれなかったというわけだ。

 仕立屋を紹介するだけで済まないのは、令嬢たちがドレスのデザインについて助言を求めてくるためである。もちろん令嬢たちにはそれを口実にトゥーラからマカーリオの情報を聞き出そうという目論見もあるのだろう。


「頼りにされるのはいいことだよ。それに、あの布地が流行するようにでもなればノゲイラ伯も少しは名誉を挽回することができる」


 珍妙な衣装センスが原因で破談となったミラの元婚約者候補は、現在ほとんど王都の社交界には顔を出さない。家業である織物業は順調であり、昔からの友人との交流は続けているようだが、基本的には領地で母親と二人、静かに暮らしているようだ。


「ああした風合いの生地は使いどころが難しいのですわ。それに、正直に言ってジェレミア様には似合わない色味ばかり選んでおいででしたし。もしかしたらお母上が一時期やたらと入れ込んでいたとかいう占い師の意見だったのかもしれませんけれど」

「そんな話があったのかい?」

「あら、私お話していませんでしたかしら? なんでも前伯爵の死後、気落ちされた伯爵未亡人は占いに凝るようになってしまわれたらしく……中でも外国出身のとある占い師には様々なことを相談されていたようですわ。不確かな噂ではありますけれど、伯爵家と取引のある工房の職人たちにまであれこれ指図し出したせいで、職人たちの間では不満が広がっていたとかも……」

「それが事実なら、ひとつ間違えば大変な騒ぎになっていたかもしれないな。不確かな噂で済んだということは、大事にならぬうちに手を打ったのか。さすがノゲイラ伯だな」


 感心するヴィトスに対して、トゥーラは「でも、自分の着る衣装に関して母親に任せきりという殿方は、女性としてはあまり喜ばしくありませんのよ。あなたは出会ったその日から私を信頼して全て任せてくださいましたけれど」と軽口を叩く。


 ヴィトスが手招きするのとトゥーラが彼の隣に座るのはほぼ同時であった。寄り添う妻をさらに抱き寄せながらヴィトスは温かな口調で言う。


「私の母は着飾ることにまるで関心がない人だからな。動きやすく手入れがしやすいことが一番だと、そればかり言っている。私も学生時代まではそれに同意見だったが……」


 ヴィトスの母シンシアは、伯爵令嬢でありながら修辞学と古典を修めるために特例で学院に進み、王国の歴史の中でも数少ない女性官僚となった人物である。生涯独身を通すものと本人も周囲も思い込んでいたのだが、アグノス四世が王太子であった時に秘書官を務めたのがきっかけで、彼の妾妃となったのだった。


「お義母様の服のご趣味は決して悪くないと思いますの。ただ……お洒落や社交に費やす時間をもったいないとつい考えてしまうのだとよくおっしゃっておいでですから。私も半日かけて結い上げたあげくに、馬車の乗り降りにも苦労するような髪形が流行した時にはそんな風にも思いましたし……でも、やっぱり華やかなドレスを着ていると心が弾みますし、気の置けない方たちとお喋りするのは楽しいものですし……ですから……」


 王国一の才女と称される人からすれば自分は軽薄な女に見えているかもしれないとトゥーラは気にしているようだった。ヴィトスは柔和な笑みを浮かべながら、彼女の髪を優しくなでた。


「大丈夫だよ。母は君のことを私以上に評価しているんだ。先日のお茶会でも楽しい時を過ごしたと、わざわざ手紙を寄越してきた」

「まあ、あなたにまで。私あてにもとても素敵なお礼状を下さったのですわ。古代宮廷語の詩句などが引用されていて、さすがお義母様だと思っておりましたの。これは張り切って次のご招待の準備をしなければいけませんわね」


 盛りの花がほころぶような晴れやかな笑顔のトゥーラを見ながら、ヴィトスはやや諭すような口調で言った。


「……ああ、そうだね。だが、君には令嬢方のドレスの件もあるし、マカーリオ殿の滞在中は使用人への細々とした指示も必要だろう。忙しい時をやり過ごして、時間の余裕ができてからの方がいいんじゃないかな」



「マカーリオ様はチェスがお強いのですか?」


 トゥーラが傍らのテーブルに並べられた駒に目を留めたため、話題は昼間のチェスのことに移っていた。


「私も油断したらあっさりやられるぐらいには」


 ヴィトスの返答にトゥーラは驚いた表情を見せ、それから何かを思い出したかのようにふふっと短く笑った。


「どうしたんだい?」

「先日のお茶会にペリファニア様とマカーリオ様もお招きいたしましたでしょう? お客様のほとんどが帰られた後で、お二人がチェスをしておいででしたの」

「負けたミラはさぞ悔しがっていただろうな」

「そう思われます? ところがペリファニア様はご機嫌麗しく『マカーリオ様にも一つぐらい苦手なものがあると知って嬉しいですわ』なんておっしゃっていらして。きっとマカーリオ様は勝ちを譲って差し上げたのでしょうね。本当にお優しい方ですこと」


 トゥーラも上機嫌のようである。やはり若い女性にとって恋の話以上に楽しい話題はないのだろう。しかし、それを聞いたヴィトスは無表情になり、黙り込んでしまった。

 ミラのチェスの腕前はマカーリオには到底及ばないだろう。しかし、手を抜いた勝負をされて全く気付かないほどの実力差があるとも思えない。何らかの感情が妹の鋭い観察眼を曇らせているのだろうか、などとヴィトスは考えながら、三局目の終盤を表した駒を見やった。そうしていると、うっすらと感じていた違和感のようなものを思い出した。

 あの時、ヴィトスが予想していた手は王を守るために城を動かすというものだった。しかし、マカーリオは何故か黒の女王を動かした。それは悪あがきというよりは悪手に近かった。

 だが、もしもマカーリオにパスが許されていたとしたらどうだろうか、むしろ逆転の一手となったかもしれない。

 仮定に仮定を積み上げるような思考は本来ヴィトスの好むところではなかった。しかし、一旦思いついてしまえば、容易にその考えからは逃れられない。


「そうそう、収穫祭のパーティー用におそろいの衣装を作ろうと思っていますの。今度仕立屋を呼んで打ち合わせをしますから、ぜひあなたも同席してくださいね」


 いつの間にか話題が変わっていたが、ヴィトスはそのことに気付いてはいなかった。心地よい音楽のように妻の声を聞きながら、いい加減な相槌を打っていたのだった。

 

 

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