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わがまま王女は月を眺める

 王宮東館、王女の寝室


 寝間着姿のミラは窓辺の椅子に腰かけ、枕を抱きかかえながらぼんやりと外を眺めていた。晴れた夏の夜空に下弦の月が頼りなげな光を投げかけている。かなり長い時間を同じ姿勢で過ごしていただろうか、彼女は不意に立ち上がり、後悔に満ちた言葉を吐き出した。


「……私、とっても余計なことをしてしまったんだわ」



 ラディ北東部の伝統的な剣舞をミラは以前に見たことがあった。エラトが習い覚えたばかりの頃にこっそりと見せてくれたのだ。「まだまだ練習途中だからね」と断った上で。

 曲はエラトが口ずさみながらであったし、動きのぎこちなさが感じられる部分もあったが、舞の美しさ優雅さは十分に伝わった。いつか本格的なものを見る機会が得られれば、とも思っていた。そして、実際に目にしたマカーリオの舞は即興で行われたにもかかわらず素晴らしいの一言に尽きた。

 しかし、それはそれとして、地味な踊りであることも確かである。仕方がないだろう、宴で客に披露して喝采を受けるのを目的としているようなものではないのだから。

 剣舞の話を持ち出したおとなしい伯爵令嬢はともかく、ほとんどの令嬢は剣の舞と聞いて心浮き立つような華々しい踊りを期待していたに違いなかった。アストラフトの人間としてはごく当たり前の反応で、それを非難するつもりは毛頭なかったが、彼女たちが失望の表情を見せるかもしれないと思うとミラはなぜだか悔しいような気がした。

 だから、マカーリオが舞い始める前、こっそりと彼の耳元で囁いたのだった。


「踊りの最後にちょっとだけ仮面を外していただけません? きっと面白い趣向を添えることになりますわ」


 それを聞いたマカーリオは口元に笑みを浮かべ頷いていた。自分の容貌が優れていることは自覚しているらしいとミラは感じたが、そのことを別に不快には思わなかった。むしろ「何のためにそんなことを?」などと聞き返されなくて良かったとすら思える。


「あああ、でもでも、このままだと絶対にまずいことになるような気がする。私はお母様とは違うのよ。複数の妾妃との関係を円満に調整するなんて絶対に出来っこないのに!!」


 ミラは持っていた枕を力任せに放り投げた。

 水鳥の羽根の詰まった柔らかな枕ではあるが、投げた先にあった木彫りの置物が台の上から転がり落ちてしまう。そこまで大きな音がしたわけではなかったのだが次の間に控えていた侍女の耳には届いたのだろう。しばらくして遠慮がちなノックの音とともに侍女頭のキリアが部屋に入って来た。


「何かございましたか?」

「何でもない、こともないわ。眠れなくて、つい枕を投げてしまったの」


 無表情に答えるミラの視線の先にある置物をキリアは床から拾い上げ、壊れていないか簡単に調べてから元の場所に戻した。そうして、穏やかな声音でミラに話しかける。


「マカーリオ殿下と諍いでもなさいましたか?」

「するわけがないわ。あの方はとても……なんというか……大人びていらっしゃる? とでもいうのかしら? たとえ私が喧嘩を吹っかけてもきっと上手にかわしてしまわれると思う。もちろん、そんなことはやらないけど」


 剣舞の後、さらなる積極性を発揮し始めた令嬢たちに取り巻かれてマカーリオは困惑した様子を見せつつも、どうにか落ち着いて対処していた。幸い、しばらくしたところでエラトが合流し令嬢たちの半数ほどはそちらに気を取られたので、マカーリオはミラをダンスに誘いさりげなくその場を離れることに成功した。そして、二つばかり簡単な曲を踊った後で、「お疲れではありませんか? もしよろしければ王宮までお送りしますが」と尋ねてきたのだ。

 ミラは少しも疲れてなどいなかったが、マカーリオの伝えたい意味はよく分かったから「そうですね、お願いします」と素直な口調で応じたのだった。



「きっと、お国元ではいろいろご苦労がおありなのでしょうねえ」


 言いながらキリアはベッドに戻るよう視線でミラに促した。手持ちぶさたな様子で部屋の中をうろうろしていたミラは、一旦はベッドに向かいかけたものの、思い直したように窓辺の椅子に再び腰かけた。そして、キリアにも空いた椅子に座るよう手ぶりで示す。仕方がないと言いたげな表情でキリアが椅子に着くのを待ちかねたように、ミラが勢いこんで話しかけてきた。


「やっぱりキリアもそう思う? 生まれつきの性格もあるんでしょうけど、あれだけ気配りができるっていうことは、相当人間関係の苦労を経験してるってことよね」

「そうでございますねえ。ラディ宮廷のわずらわしさは何かと聞き及んでおります。しかも殿下は庶出で、さらにあれほど際立った容姿に恵まれた方ですから……、何かと言動には注意が必要なのではないでしょうか。出る杭は打たれるとかいうことわざもございますし」

「万事控えめにと心がけてはいらっしゃるのでしょうけれど、中身もかなり優秀ですものね。『ラディの双子王子』は嫡出だし、二人とも能力的にはなかなかの人物らしいから、国法を変えてまでマカーリオ様を後継ぎにすることはありえないでしょうけれど」


 そこでミラは思案する表情になった。「もしかしたら両派閥のどちらに付くのか迫られてでもいるのかしら……」などという呟きが漏れる。


「政治向きのことを懸念されておいでですの?」

「あ、そういうわけじゃないわ。ちょっと考えてみただけ。お父様がいくら私に甘くても政治的にまずい相手との縁談を進めようとするはずがないもの。国際情勢が大きく変わるようなことでもあれば話は別だけど、そんなことになったらますます私が口を出せる問題ではなくなるし。違うのよ、私が考え……ううん、悩んでいたのはもっと個人的なこと」


「もし、もしもよ。このままマカーリオ様と結婚することになったとして……やっぱり、あの方の妾妃になりたがる女性はたくさんいるんだろうなあと思い知ってしまったの」

「ずいぶんと先走ったお悩みという気がいたしますわ。それに、そんなにご心配なら妾妃をお認めにならなければよろしいだけのことではございませんか?」

「そんなことできないわよ。確かにアストラフトの儀礼はラディに比べたら堅苦しくはないけれど、慣れるまでは逆にその違いに戸惑うかもしれない。それでなくても王配なんて権限は大してないのに気苦労ばかり多い立場なのよ……心癒してくれる女性を傍に置くことぐらい認めなかったら、私はわがまま姫どころか非道な女王になってしまうじゃない。私自身は男性の機嫌をとったりとか、そんなのは全然得意じゃないし。今は精一杯猫をかぶってるけど、結婚後ずっとそんな態度を続けられる自信はないもの」

「そのあたりは殿下のお気持次第ではないかと……ともあれ、姫様がそこまで覚悟しておられるのなら何の問題もございませんでしょうに」

「だから、一人かせいぜい二人なら仕方ないと思うの。でも、このままだと妾妃になりたがる令嬢たちが列を作りそうな気がして……甘い親なら、娘の望みを叶えてやりたいと頼み込んでくるかもしれない……それが国政に影響力のある家門だったりしたら、断れないでしょう? あちらの令嬢はよくて、うちの娘では不足とは一体いかなるご存念でございましょう、なんて詰め寄られたら……ねえ」

「……なんと申しましょうか、すでにどなたか心当たりがおありのような口ぶりでございますね」


 ミラの描く妙に具体的な未来図に対して、キリアはあまり熱心ではなく相槌を打った。ミラはキリアの反応の薄さを気に掛けることなく、独り言を続けている。


「いっそマカーリオ様にラディから馴染みの女性を連れてきていただこうかしら。その方に後宮の責任者のような役目を引き受けてもらえば……そんな方がいらっしゃらない……わけはないはよねえ。女性の扱いに慣れてらっしゃらない風にはとても見えなかったし……あああ」


 どうやらミラの豊かな想像力が暴走気味であるらしいと見て取ったのだろう、キリアは表情を改め、厳しい声音でミラに言った。


「姫様、少々、よろしいでしょうか?」

「なあに」

「姫様が起こってもいないことに対してあれこれ気を揉まれる性質であることは承知しております。ですが、この度はいささか行き過ぎのような気がいたします。はっきりと申し上げてお二人の関係はまだまだこれからでございますのに」


 キリアにたしなめられ、ミラはハッとした表情になると、両手で顔を覆った。

 夏とはいえ、明け方近くともなれば過ごしやすい気温となる。手のひらに伝わる頬の火照りは彼女の内側から生じたものだ。


「そうだったわ。そうよ、そもそもマカーリオ様が私と結婚したがってるかもわからないのに。我が国のことも……私のことも褒めては下さるけれど、それらは社交辞令に過ぎないでしょうに、私ったら、馬鹿みたい」

「まあまあ、そうしたことも含めてまだまだこれから、と申し上げたのですわ。恋に焦りは禁物ですから」

「恋って……恋?」

「そうでございましょう? 姫様のそのようなご様子は初めて拝見いたしますもの」

「えっ、だって、恋って、なんていうか、周囲にバラ色の霞がかかって毎日幸せでたまらなくて世界中が自分の味方だから私は無敵、みたいに思える感じなんじゃないの? こんな取り越し苦労な考えばかりが頭に浮かんでじたばたするんじゃなくって……」


 まさしくそれが恋でございますよ、などと指摘することをキリアはしなかった。「人それぞれでございますから」と真顔でさらりと述べ、それから苦笑気味に続ける。


「姫様の言われるのはおそらく亡きクロエ王妃様やトゥーラ様のことでございましょうが、そのお二方を恋に落ちた女性の例として引かれるのは……おやめになったほうがよろしいかと。あの方々はいろいろな意味で一般的ではありませんから」


 確かに、年上の個性的な妾妃五人を相手取って常に本心からの笑顔を絶やさず、「愛する人のために苦労するのは楽しいものですから」が口癖だった正妃クロエや、どこが結婚の決め手になったのかを尋ねられて「すべてに決まっていますわ。世界中探し回ったとしてもあの人以上の男性に出会えるがありませんもの」と真面目に答えるトゥーラをお手本として参考にするのは適切ではないだろう。


「そ、そう。でも、ペトラ兄様の婚約者も似たような感じよ。オクセイン兄様のところは……よくわからないけど」


 ミラは口ごもる。アストラフト王国唯一の嫡出の王女である彼女には、恋愛の打ち明け話をするような親友がいない。彼女の知る恋といえば古い物語や侍女たちの噂話の中に存在するものがほとんどで、それ以外の例を探そうとすれば身近な家族にたどり着くしかないのだった。


 そろそろベッドに戻るようキリアに再度促され、ミラは今度はおとなしく従った。明日の午前中は特に何の予定も入っていなかったはずだから少しだけ遅寝を許して欲しいとキリアに告げる。彼女は心得顔で頷き、ミラが布団の中に納まるのを見届けてから寝室を去った。


「とにかく、今夜はしっかり眠って、明日頭がはっきりしたらもう一度考えてみることにしよう……」


 ミラの呟きの大半は言葉の形をとることなく、静かな寝息に紛れていった。窓の外ではすでに東の空が白み始めていたが、きちんと閉められた分厚いカーテンが曙光のまぶしさをしっかりと遮っていたのだった。

 

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