76◆ベリアル最強伝説
街の東ブロックから離れ、中心部へとやってきた。
毎度お世話になっているモンテニオ銀行の前にソフトクリームみたいにねじれた形の妙なモニュメントが置かれていた。高さは十メートルにもなる。
「あっ! アリトさん。アリトさーん!」
小さな女の子が手を大きく振って俺の名を呼ぶ。ぴょんぴょん跳ねたら小さな丸メガネがずり落ちそうになった。
「サマンサさん、こんにちは」
「はい、こんにちは。お祭りは楽しんでいますか?」
ぺこりとお辞儀してにっこり微笑む。
「さっきリィルの学校に行ってきたんです」
「学生さんたちの出し物も毎回楽しいものばかりで感心しますよね。あ、アリトさんは初めてでしたか」
「ええ。サマンサさんは何をしてるんですか? 今日はお休みですよね?」
ふふふ、と小さなメガネがきらんと光る。
「これですよ、これ! なんとか完成が間に合いました。ちょうど今、動かそうと思っていたところなんです」
銀行の方々が用意したソフトクリームみたいなモニュメント。
「動かす? あ、もしかして……」
なんのことやらと不思議に思ったが、実は俺、銀行からひとつ依頼を受けていたのだ。
「そうです! アリトさんにお願いした部分もちゃんと、ほら」
モニュメントの周りは円形に囲まれていて、水がうっすら張ってある。
向こう側では銀行の職員さんたちが何やら忙しなく動いていた。やがて人が集まり始める。期待が膨らむような緊張感が増していき、ついにカウントダウンが始まった。
「「「3、2、1……起動!」」」
掛け声とともに、謎のモニュメントのてっぺんから水が噴き出した。モニュメントはゆっくりと回転を始め、側面からも弱めの噴射がいくつも起こる。
「どうですかアリトさん!」
「へえ、俺のアイテムをこうやって使ったんですか」
水を操る系のアイテムで、元は農場で水を撒くのに使うため開発したものだ。ただ素材に『水竜の牙』が必要なのでコストパフォーマンスが悪く、量産には至らなかったボツ企画だった。
それを銀行が買い取ってくれた理由がこれか。
「でもけっこう高額でしたよね? お祭りの出し物に使っちゃっていいんですか?」
「お祭りが終わったら街に寄贈して中央広場に置く計画があるんです。当行は住民のみなさんに支えられていますから、社会貢献です」
えっへんと小さな胸を張るサマンサさん。
「俺もそれに一役買えたのなら嬉しいですね」
「ちゃんとアリトさんの名前もプレートに記しますからね」
「えっ」
中央広場に設置する大型モニュメントに俺の名が……? なんだか大それたことをした気がしてきたぞ。
見物していたちびっ子たちがモニュメントの動きに合わせて走り回っている。
ちょっと気恥ずかしく思う俺ではあったが、
「おーっほっほっほ、なんですのこれ? たーのしー、ですわ!」
ちびっ子に紛れて小躍りするウサ耳美女に白けてしまう。
「隠れる気あるのかな?」
「あの子は二つのことを同時にできない」
俺たちはそろりとその場を離れるのだった――。
通りを練り歩きながら、出店でふだんは食べられない食べ物を買い食いする俺たち。
俺はひと口で味を確認できれば満足だったので、残りはすべてベリアルの胃袋に収まった。本当に胃袋にだけつながっているかは謎だけど。
「さあさあ、他に挑戦者はいないかな? もうすぐ締め切るよー」
大きな声に誘われて近寄ってみれば。
「なになに? 『肉まん大食い競争』?」
通りに広いステージが設置され、その上で冒険者のお兄さんがみんなに呼びかけている。参加者も彼の後ろに控えており、さすがに大食い自慢らしい体格のよい人たちが十人並んでいた。
でもあの中に入ろうという猛者はそれ以上現れない。
優勝賞品は主催店舗特製の肉まんが一年分か。
肉まん好きじゃなければわりと微妙な商品だな。
「でもベリアル向きのイベントだね」
冗談めかして横を向けば、
「いない!?」
すわ迷子か! ときょろきょろした次の瞬間。
「おーっとぉ? ここで可愛らしい挑戦者が現れたぞーっ」
お兄さんの声にステージへ目を向ければ、無表情の女の子がいつの間にか……。
「でも君、大丈夫? 負けたらお代は払ってもらうからね?」
「がんばる」
「まあ、一個二個ならお小遣いでも足りるかな。よーし、彼女で締め切り。いよいよ負けられない戦いが始まるぞー」
愛らしい挑戦者の登場で会場はいっそう盛り上がる。
長い机が用意され、挑戦者はこちら向きに一列に並んだ。それぞれの前にほかほかの肉まんが山盛りで置かれる。小さなベリアルは一番端で、しかし肉まんの山に隠れてまったく見えない。
「制限時間は十五分。前回の優勝者はなんと二十八個を平らげて記録を更新したぞー。はたして今回はそれを上回る猛者が現れるのか? それではレディ――」
会場のみなが固唾を飲んで見守る中、
「ゴーッ!」
挑戦者たちが一斉に肉まんを両手につかんだ。
大きな口を開けて貪る面々。女性もいるが必死の形相でちょっと怖い。
「さあ、二番の彼は前回の優勝者の弟だ。かなりのハイペースだねー。お兄さんの記録を塗り替えると豪語していたのは伊達じゃないってわけだ。ん? あれ?」
会場がざわつく。
挑戦者も含めてこの場にいる者の視線が一ヵ所に注がれた。
「肉まんが、どんどん消えて……えっ? 消え、ええ?」
山盛りの肉まんが次々なくなっていき、ベリアルの愛らしい顔が現れる。
むんず、ぱくり。むんず、ぱく。
手にした肉まんが小さな口の前で消え去る光景に、しんと静まり返った。
「いやいやいや! 十一番の君、なんか魔法とか使ってない?」
「使ってない。ちゃんと食べてる」
ベリアルは肉まんにかじりついてもぐもぐさせてみせる。
「いや、でもなあ……」
そのひと口も物理的にあり得なくて、司会のお兄さんの疑念は晴れそうになかった。
しかし――。
「その子はちゃんと食べてるぞー」
「ああ、俺も見たことある」
「うちの店の常連だよー」
「ベリアルちゃーん、かわいー」
観客の中にはベリアルを知っている人たちがいた。家のご近所で肉まんを売っているお店の人もいるな。
ついでに会場の一番後ろからは、
「フレー、フレー、おっ姉っ様ぁーっ! ファイトォ、ですわー!!」
フェイラスがぴょんぴょん飛び跳ねながら声援を送っていた。
ベリアルは無表情で肉まんを食べ尽くすと、
「おかわり」
「二分も経たずに十五個を……」
お兄さん、愕然。
「キャーッ♪ ベリアルお姉様ステキー♪」
フェイラス、大歓喜。
他の十人の挑戦者は戦意を失い、優勝者は決定したとの雰囲気だ。会場の空気はもはやベリアルがどれほどの新記録を打ち立てるかに移っていた。
で、十五分が経過して。
「ゆ、優勝は十一番の女の子! 記録は――えっ? 百八十一個? 用意した肉まんを全部食べ尽くしたの?」
ベリアルは十五分を待たずにすべて平らげ、他の挑戦者の分まできれいに食べてしまった。挑戦者十人が食べた以外はすべて彼女のお腹の中だ。
「さすがはベリアルお姉様!」
嬉しすぎてステージに飛び乗り、ベリアルに抱きつくフェイラス。ベリアルはちょっと嫌そうだ。
「えーっと、保護者の方ですか?」
「違いますわ」
「あ、保護者は俺です」
ステージの下で控えめに手を挙げるとお兄さんに引っ張られて二人の横へ。
「この会場にいるみんな、今日は伝説を見たね。優勝者のベリアルちゃんに盛大な拍手を!」
わーっと歓声が巻き起こり、拍手喝采で空気が震えた。
商品の肉まん一年分はスタンプカードになっていて、一日一個換算で自由に食べられる。たぶん三日と持たない。
魔神の話は一般には広まっていないけど、フェイラスの登場で運営側や会場にいた冒険者さんたちがぴりぴりしていた。
でも彼女のはしゃぎっぷりを見て緊張は緩んだようだ。
会場から離れてなおベリアルにくっつくフェイラスに、
「せっかくだし、これから一緒にお祭りを回らない?」
そう誘ってみたものの。
「貴方と一緒なんて御免こうむりますわ。ベリアルお姉様だけとならよろしいですけれど」
「わたしはアリトと一緒がいい」
「ぐ、ぬぬぬぅ……。これで勝ったとは思わないことですわね!」
フェイラスは捨て台詞を残してびゅびゅんと駆け出した。相変わらず迅い。
「なんか意固地になってるね」
「自分の中で複雑な感情を咀嚼できていない。だからイラついてる」
「ベリアルって、彼女のことをよく知ってるよね」
「……付き合いが、長いから」
塩対応は相変わらずだけど、二人の距離感はそういうものなのだろうと思う。
だってベリアルは言ったのだ。フェイラスは苦手だけど、嫌いではない、と。
どうにかならんもんかなあ。再びそう考える俺でした――。