73◆魔神戦、決着
事前に魔物を狩りまくり、魔力十分の大人の姿。
「ぁ、ぁあ……っ! ベリアルお姉様ぁ!」
だばーっと涙を滝のように流しながら、フェイラスはスキップして駆け寄っていく。
ジャキッ、と。
大鎌が彼女の鼻先に伸ばされ行く手を遮る。
「お姉、様……?」
「フェイラス、わたしのことはもう放っておいて」
「……ぇ?」
「わたしはあの街が好き。だからしばらくは住むつもり。異界へは、戻らない」
フェイラスはわなわな震えて問う。
「しばらく、とはいつまでですの?」
「アリトが死ぬまで」
「ではさっそく――」
「殺したら許さない!」
ベリアルは素早く回りこみ、距離はあるけど俺を庇うように立ちふさがった。
でもそうかー。ベリアルは俺が死ぬまでいてくれるのかー。ただ今言うことじゃなかったね。俺の命が風前の灯火に!
「ふ、ふふふふ……」
おや? フェイラスの様子が……?
「おーほっほっほっ! って笑い事ではありませんわ!」
何がしたいのさ?
「洗脳、ですわね」
そうきたかー。
「ベリアルお姉様はきっとあの男に卑劣な手段を用いられ、心をいじくり回されているに違いありませんわ」
「ちがうよ」
「ほらやっぱり! 洗脳されている者はみなそう言うのですわ!」
もはや言葉は届かないなこりゃ。
ベリアルもため息をひとつ。
「なら、力づくで信じさせる」
「ああ、お可哀そうなお姉様。今わらわが救って差し上げますわ。愛のパワーで!」
同時に武器を振りかぶり、轟音が鳴り響いた。
「わちゃー、すごいね。さっきより速度が上がってる」
「愛のパワー、なんでしょうか?」
ダルクさんとセイラさんは半ば呆れて眺めている。
ここから先はベリアルが一人で片を付けたいとお願いされている。俺たちはただ見守るのみだ。
大地を揺るがすほどの激しい攻防は、俺の目から見てもほぼ互角。
しかし長丁場はベリアルに圧倒的不利となる。
なにせ彼女、燃費がものすごく悪いのだ。同じペースだと力尽きるのはベリアルが先なのは確定的に明らか。
ゆえにこそ――。
「ベリアル、受け取って!」
俺は腰のポーチから巨大肉まんを取り出しては放る。
ぱくぱくぱくっ。
ベリアルは攻撃と防御の隙間でものすごく器用に飛びついてはひと口で飲みこんだ。
「はしたないですわ! でもなんだか愛らしい!」
よし、敬愛するお姉様の食事の邪魔はしないと考えたけど、見事に的中したようだ。
これですこしは持つだろう。
あとはタイミングをベリアルが計って――。
ちらりと、ベリアルが俺に目配せした。
ここだな。
俺はすぐさま鎧を脱ぎ散らかす。
「ダルクさん、セイラさん、お願いします」
「はいよー」
「了解です」
セイラさんが光の矢を放つ。それを追いかけるようにしてダルクさんが斬りこんだ。
入れ替わってベリアルが戻ってきた。
俺とセイラさんは異次元ポーチと鎧を置いてその場を離れる。
「何を――ッ!? まさか!」
ベリアルは異次元ポーチから大量の肉まんを空中へ放り投げた。落ちてくる肉まんをぱくぱく腹に収めつつ魔鎧を装備して――。
「これで、終わり!」
最後に兜を被ったところで、魔鎧から大量の黒い霧が噴き出した。
見た目からして禍々しい。なんの害もない街の上空を覆う霧とはまったくの別物。あれに触れたら俺なんかじゃひとたまりもないな。熱病に侵されて数秒で死に至るかも。
「アリトさん、わたくしから離れないでくださいね」
でもセイラさんが『破邪の聖域』を展開してくれているので大丈夫。
「いくよ、フェイラス」
大人の姿で、さらに自身の鎧を装備したベリアルはまさしく完全体。
巨大な鎌を振りかぶり、一瞬にしてフェイラスへ肉薄すると、
ズババッ!
特殊効果【二重斬撃】も相まって、一刀のもとにフェイラスを沈黙させた――。
ベリアルの大鎌には【即死+】の特殊効果もあるのだけど、それは強すぎる相手には有効とならない。なので遠慮なく斬り伏せたわけだが。
ばたり。
「ベリアルーっ!?」
「お姉様ーっ!?」
彼女は前のめりに倒れてしまった。黒い霧は放出を止め、ぴくりとも動かない。
フェイラスも倒れて動けずにいるので、俺たちは駆け寄って鎧を脱がせた。
「お姉様がスモールサイズにぃ!?」
ちょっと黙っててくれるかな?
とりあえず肉まんをいくつか口にあてがうと、ぱっと消えてベリアルはむくりと身を起こす 。
「わたしも、この世界の魔素を吸収できない。だから力を使うとこうなる」
「なにゆえそのようなお姿になってまで、この世界に留まろうとおっしゃるのですか?」
哀しそうなフェイラスの頬にそっと手を当て、
「ひとつ、質問に答えて」
逆にベリアルは問うた。
「異界へ戻る方法を、あなたは知ってるの?」
ひゅーっと風が通り抜けていく。
「来た道を戻るのでは?」「無理」
「どこかにつながる場所があるのでは?」「ない」
ベリアルが街に留まると決めたあと、いちおう調べてみたことはある。
彼女が出てきた場所はふさがっていたし、異界へ通じる道は噂にも上っていなかった。
「……では、どうやって戻れば?」
「やっぱり、知らなかったんだ」
またもひゅーっと哀しく風が通り過ぎる。
ベリアルは異次元ポーチを持ってきて、中から肉まんを取り出した。
「食べて」
フェイラス、がつがつと食す。まあ、はしたない。
彼女はむくりと起き上がったものの足元がふらついていた。
「わらわが、間違っていましたわ。お姉様はお姉様のまま、この世界に留まることを決めたのですわね」
「うん」
「ですがわらわは諦めませんわ。異界へ戻る方法を必ず見つけ、そのときこそお姉様とご一緒いたします」
「考えとく」
フェイラスは謎空間に釘付きこん棒を収めると、俺をずびしっと指差した。
「貴方ごときにお姉様を預けるのは癪ですけれど、今は恥辱に耐えましょう。必ず、必ずわらわは異界へ通ずる道を見つけ出し、ベリアルお姉様をお迎えに上がりますわ!」
ほーっほっほっほ、と最後に高笑いを蒼天に放ってから、
「ではさらば、ですわ!」
びゅびゅんとどこかへ走り去った。街の方角ですけど?
「見逃しちゃっていいの?」とダルクさん。
「大丈夫じゃないですかね?」
困ったお婆さんに手を貸してあげるような性格だ。性根は悪い魔神じゃない。ベリアルに関する誤解が解けた以上、街を破壊しようとは考えないだろう。たぶん。
ところで。
「異界へ戻る道が見つかったら、本当に帰っちゃうの?」
俺の質問に、ベリアルは相変わらずの無表情で、
「考えはする。でもきっと、戻る選択はしない」
しれっと言い放つのだった――。