66◆どうやら魔神案件らしい
異変はまたも唐突にやってきた。
冒険者の街『ゼクスハイム』を突如として黒い霧が覆い尽くしたのだ。
前回同様、陽の光がぼんやりとしか届かず、洗濯物が乾きにくいとの苦情が多く議会に寄せられているそうな。しかし実質的な被害というか影響はその程度。
ただ『冒険者大感謝祭』を間近に控えた今、街の人たちはとても不安がっていた。
前回と同じ現象だとすれば、原因に心当たりがあるのが俺たちだ。
「ベリアルのせいじゃないんだよね?」
「うん。きっと別の魔神が現れた」
黒い霧の発生は、ベリアルのいた異界から流れ込んできた魔素がこちらの魔素と反応することが原因らしい。細かい条件はあるものの、ちょうど街の上空で滞留してしまうのだとか。
闇属性の強力な武具やアイテムから流れ出るのも似たような仕組みだが、異界の魔素が直接関係しているため、何日にもわたって街は黒い霧に覆われてしまうのだ。
「てことは、放っておけばそのうち消えるのか」
「でも今回は、前回より長くなるかも」
「うーん、お祭りまでに晴れてくれればいいけど……」
「それより、どんな魔神がなんの目的でこちらの世界に来たか、わからない」
「そうだね。みんながみんなベリアルみたいにいい魔神だとは限らないし」
むしろ害悪である可能性のほうが高かった。
「ベリアルに心当たりはある?」
「わたしが容姿まで知ってる魔神は、ひとりだけ」
お友だちが少なかったのかな? てか魔神ってつるまないものなのだろうか。
「どんな魔神なの?」
「災厄級に――」
何それ一大事じゃないか!
「ウザい子」
「えぇ……」
脱力してしまった。
「何かとわたしに絡んできて迷惑してた。異界にいたころのわたしは、一人が好きだったから」
裏を返せば今のベリアルはリィルたちと一緒がいいってことだな。よかった。
「もしかしたらその魔神がベリアルに会いに来たのかもね」
「えっ」
ものすごく困った顔をしているぞ?
「苦手なの?」
「嫌いとかじゃないけど……そうかも」
ふむ。まあ可能性のひとつとしてはあるんだ。いちおう特徴を訊いておこう、と質問しての第一声は、
「ウサ耳」
なるほどなかなか特徴的だなあ、と思う俺でした――。
俺は黒騎士モードになって冒険者ギルドの本部を訪れた。
「おい、なんであいつが?」
「ついに冒険者登録するってのか?」
「入ったとたんにSランクかな?」
「それより正体がようやくわかるんじゃねえか?」
ひそひそ話は声を抑えてほしい。
もちろん俺は正体を隠したいので冒険者登録のために訪れたのではない。
顔を引きつらせて緊張した感じの受付のお姉さんに告げた。
「ギルドマスターに会いたい。緊急の要件だ」
「と、言われましても登録されていない方をお通しするのは……」
「街を覆っている黒い霧について、情報を持ってきた」
聞き耳を立てていた周囲が騒然とする中、受付のお姉さんは「少々お待ちを!」と慌てて奥へと引っこんだ。
「やあ、会うのは初めてだね。僕は冒険者ギルドのギルマス、リオネル・ダーツだ」
眠そうな目で現れたスーツ姿の青年。リオネルさんだ。アイテム強化ショップのアリトとしては何度も会っているけど、たしかにこの姿では初めてだな。
「込み入った話のようだし、奥へ来てくれるかな?」
そう言って、俺を自ら案内してくれた。
応接室で向かい合う俺たち。
「なるほど……魔神ね。これはまた厄介なものだ」
ベリアルの存在は隠し、現象の理由と魔神襲来の可能性について説明した。
「霧自体に問題はなくても、魔神が現れるとなれば街ができて以来の危機だろうね」
しかし、と眠そうな目をギラリと光らせる。
「君の話が確かならひとつ不可解な点がある。前回の黒い霧、その原因となったであろう魔神は、いったいどうなったのかな?」
当然の疑問だよね。だからいちおう回答は用意しておいた。
「俺が平和的に対処した。俺一人の功績ではないがね」
「ほう? しかし具体的には? その魔神が今どうしているかも含めてね」
「悪いがそれは言えない。害はない、と俺だけの保証では心許ないとは思うが、納得してもらう以外はない」
「魔神が関わるとなれば大事だ。情報は詳らかにしてもらわないと困るよ」
「……」
俺が押し黙ると、リオネルさんはにやりと笑った。
「と、無理を言っては君の協力が得られないかな。いや失礼。魔神の脅威はおとぎ話レベルで実感が湧かないのが僕の正直な感想だ。けれど災厄に発展しかねない以上、魔神と対峙したと言う君の協力は必須なのさ」
だから、とリオネルさんは真顔に戻る。
「ぜひとも協力をお願いしたい。できれば我らと連携してね」
「可能な限り俺も前に出るつもりだ」
「ありがとう。本来なら冒険者ギルドに登録してほしいところだけど、まあそれは免除しよう。事情があって正体を隠したいみたいだしね」
「助かる」
「うん、ではさっそくだけど、魔神の特徴について心当たりは?」
「まだ特定できていない。逆に問うが、それらしき者が街に現れたとの報告はないか?」
リオネルさんは腕を組んで考える。
「無差別に誰かが襲われたとは聞いてないね。魔神というからには、そういった危険があるのだろうし……」
「いや、話せばわかるタイプもいる。前回はそうだった」
「ふむ、そういえば『平和的に』対処したのだったか。見た目で人や亜人と区別がつかないのなら、目的があって街や周辺に潜伏している可能性はあるか」
「ここ数日でよそから街へ入った者は調べられるか?」
リオネルさんは肩を竦めて首を横に振った。
「この街には冒険者を志して毎日のように若者がやってくる。商売をしたいという者もね。さすがに全部は把握できないよ。冒険者ギルド(ここ)を含め、どこかのギルドへ登録した人物や銀行口座を開設した者ならどうにかなるかもしれないけどね」
可能性は低いけど、当たるだけ当たってみたほうがいいな。
「頼む」
「了解だ。それじゃあ僕は、各ギルドマスターを招集して対策会議を開くとするよ。問題は君の話だけでどう説得するかだけど……そこは僕の腕の見せ所かな」
よく考えたら、正体不明の男の言葉をこの人はよく信じてくれたよな。
「なんとなくだけど、『どうして僕が君の話を信じるのか』疑問に思っている様子だね」
さすが眠そうな目をしているけどギルマスだ。鋭い。
「君、小さなアイテム強化ショップを経営しているアリト君とつながりがあるんだろう?」
ぎくり。
「どうやら彼も一枚噛んでいるようだね。とりあえず君との連絡はアリト君を経由すればいいのかな?」
その辺りはアイテム商店ギルドのオレマンさんにもバレバレなのでいいっちゃいいんだけど。
俺はちょっと考えてから、二枚のカードを取り出した。
「アリトとは商売上のつながりしかないのでね。あまり迷惑はかけられない。これで俺と直接連絡が取れる」
「は? いや、でもこれってギリーカードだよね?」
そう、銀行で発行される口座管理とお金のやり取りができる便利なカードだ。
でも俺はこれを【混沌】属性で強化して、離れた場所にいる者同士が話をしたり文字を送り合ったりできる機能を付与している。
使い方を説明し、実際に実演してみせると、リオネルさんは魔神の話以上に驚いていた。
「まさかこんな使い方ができるとは……どうやってこんなものを作ったんだい?」
「俺にしかできない方法だ。説明しても意味はない」
「いや、しかし……これはすごいよ。ダンジョン攻略に革命が起きる。いや、一般に普及しても街の生活が劇的に変わるだろう」
情報の即時伝達が可能なこのアイテムはリオネルさんの言うようにあらゆるシーンで革命的な変化をもたらすだろう。だから今までは内緒にしていた。
でも、そろそろ一部ではあっても公開すべきだと俺は常々考えていた。
いい機会、だと思う。
魔神への対処にこのアイテムは絶対に役に立つと信じていた。
また、別の思惑があっての開示でもある。
「全住民に配るのは現状では無理がある。が、魔神への対応でいくらかは用意できる。他のギルドマスターや議会連中が俺の言葉を信じないと主張するなら、これを対価に交渉してほしい」
本当はリオネルさんが俺の話を信じないときの切り札にするつもりだったけど、無条件で信頼してくれた彼に報いたい気持ちが湧いたのだ。
「いやはや、君という男は底が知れないね。では僕も君の信頼には答えよう」
差し出された手を、俺はがっしりと握った――。