65◆ウサ耳女の正体は?
ギルラム洞窟第五階層の浜辺で一人の美女が体についた泥を洗い流していた。
「さんざんな目に遭いましたわ」
チューブトップタイプのタイトなロングドレス風の衣装は、頭に生えたウサ耳と丸い尻尾も相まってバニーガールを想起させる。
「この魔神フェイラスとあろう者が、泥に頭から突っこむだなんて……。エレガントではありませんわ!」
そう、彼女こそ未踏の階層に現れた魔神――フェイラスであった。上を目指すも迷いに迷って三日かかり、ようやく水辺にたどり着いたのだ。
ピンクの長い髪をばちゃばちゃと乱雑に洗うたび、豊満な胸が揺れて零れ落ちそう。
「これでよろしいかしら?」
海水でずっしり濡れた髪と服のまま砂浜まで歩いた彼女は静かに目を閉じて魔力を高めた。
その身から光が溢れ、ぶわっと風が舞ったかと思うと、水気はきれいに蒸発してさらさらの髪をなびかせる。
「さて、さっそくお姉様を探さなくてはなりませんけれど……おや?」
ぴんとウサギの耳が立つ。
遠くを見やれば人で賑わっていた。
「ここはダンジョンの中、ですわよね? にしては何やら楽しそうに、水遊びに興じているような気がしますけれど……?」
しかし、とフェイラスはキランと赤い目を光らせた。
「久々のこちら側。七百年も経てば文化も思想も生活様式も変わるでしょう。今すぐお姉様を見つけ出したいのは山々ではありますけれど――」
肩にかかった髪を優雅に払うと、
「まずは情報収集。そのためにもわらわは正体を隠し、異種族コミュニケーション! ですわね」
ずんずんと賑わう海水浴場へ突き進んだ。
突然現れたウサ耳でぴっちりドレスの爆乳美女に海水浴客は騒然とする。
ここにはリザードマンなど人とかけ離れた容姿の者もいたが、獲物を狙う肉食獣じみたギラつく赤い瞳に、ナンパ男たちも遠巻きに眺める始末だ。
「ちょっとそこの貴方」
ウサ耳女に指差され、きょろきょろしつつ「俺っすか?」とキョドる青年。
「他に誰がおりまして? まあ、たくさんおりますけれど。ともあれ貴方ですわ」
青年は連れの女性と顔を見合わせ、おどおどしながら一歩前へ出た。
「ここで何をしていますの?」
「えっ? そりゃあ、海水浴っすけど……」
「海水浴? ダンジョンの只中で、ですの?」
「洞窟の入り口に案内がありましたよね? 見てないんっすか?」
「ええ。わらわは下から来ましたもの」
青年は首をひねる。この海水浴場ができてから一週間は経っていた。その間ずっとダンジョンの下層にいたのだろうか? 長くダンジョンに潜る冒険者はいなくもないが、単身で、しかも冒険するとはまったく思えない格好に疑問しか浮かばない。
「なにゆえ魔物の類を狩りもせず、かような場所で水遊びに興じているのですの?」
「え? まあ、息抜きみたいなもんっすかね。この近くには海がないんで、日ごろ冒険で疲れた体を癒すっていうか」
「なるほど」
フェイラスは大きくうなずくも、
(いくら近場に海がないとはいえ、ダンジョン内で遊興を求めるなどあり得ますでしょうか?)
ダンジョン内は魔物の巣窟。たとえ事前に一掃していてもまた自然に発生して襲いかかってくるものだ。
彼女は泥を洗い流す間だけでも三度の襲撃を受けていた。
大ガニの強さは片手を振るう程度で撃退できたものの、沖から突っこんできた巨大ザメは(今は隠しているが)武器での応戦を余儀なくされた。
にもかかわらず、この場にいる者どもはほとんとが丸腰状態。
(わらわのように【収納】スキルを多くの者が保持しているというの?)
Sランク冒険者でも易々とは持ちえない稀有なスキルだ。
(となると、この一帯で活動する冒険者はかなりの手練れぞろい。まさか、お姉さまがお戻りにならないのは卑劣な彼らに捕らえられたからでは!?)
そうに違いない! と彼女は怒りに身を震わせた。
「えっと……どうかしたんすか?」
ぎろりとにらまれ、「ひえっ」と声を上げる。
「貴方、ベリアルという名の女性を知りませんこと? つややかな銀の髪に、赤く澄んだ目をした、わらわをも超える美の化身ですの。隠すとためになりませんわよ?」
「へ? えっとその……おい、知ってるか?」
振り向いて連れの女性に尋ねるも、ふるふると首を横に振る。
フェイラスは遠巻きに見ていた海水浴客に尋ね回る。
と、ついに一人が答えた。
「女性っていうか、そう呼ばれてる女の子なら知ってるぜ」
「女の子?」
「ああ、でっかい肉まんをひと口で、しかもすげえ数を平らげたんだよ。だから印象に残ってたんだ。一緒にいた少年がそう呼んでたのを覚えてる」
それなら、と横にいた女性が控えめに割って入った。
「あたしが見たのは例の黒い騎士と一緒だったところかな。体のサイズに合わない大きな鎌を持ってたわ。灰色っぽい髪に赤い目をしてたわね」
今度は別の男。
「ん? 待て待て。大鎌は知らねえけど、黒い騎士と一緒の女なら俺も見た。けっこうイカした姉ちゃんだったぜ? 白っぽい髪で赤い目をして、飛びきりの美人だったな。なんていうか、表情は乏しいんだが『お腹いっぱいで満足した』って顔してたな」
さらに子連れの中年男性が言う。
「それってギルド登録してない大鎌の女じゃないかな? 最近だと『斬竜姫』のダルクのパーティーにいたって話を聞いたよ」
「斬竜姫の、ダルク?」
「ああ、ここらじゃ有名なSランク冒険者さ。ここギルラム洞窟の最深部到達記録を今も保持してる大剣使いだよ」
「では、黒い騎士とは?」
「そっちは謎が多いな。ギルド登録してないし、単身で動き回ってるし。腕は確かだけどね」
ふむ、とフェイラスはウサ耳をぴくぴくさせた。
情報が混沌としている。彼女の処理能力を超えていたので、まずは余計な部分から除外しようと試みた。
まずもって『肉まんをひと口で平らげた女の子』は無視してよいだろう。
(ふふふ、ベリアルお姉様がまさかそんなはしたないことを、ふふふ)
次に大鎌。なんでも器用に使いこなす彼女ではあるが、わざわざ選ぶとは思えなかった。
(お姉さまにふさわしいのは鞭でしょうね。ええ、すばらしくぴったりですわ。打ちこまれたい……お仕置きされたい……って想像して興奮するのはまだ早いですわよ、フェイラス!)
ぴしぴしと自らの頬を叩き始めた妙な美女に周りが戸惑うのを気にも留めず。
(ともかく、武骨な武器を仕方なくお使いになるという線もあまり考えられませんわね)
最後に黒い騎士と大剣使いのSランク冒険者はどうか?
(お姉様が人ごときをお仲間に? あり得ませんわ。あの気高く美しく最高に禍々しいお姉様が、ふふふ、まさかそんな、ふふふ)
というわけで。
(お姉様につながる情報は皆無ですわね)
意図的に隠しているとも考えたが、尋問して口を割ってくれるなら苦労はしない。
魔神は人に仇なす者。
そして人に連なる者どもは『個』ではなく『群』にて力を発揮する連中だ。我が身可愛さに全体を危険に晒すマネなど、なかなかしないとフェイラスは確信していた。
個々の力は弱くとも、群れで連携して狩りをするのが連中の特徴にして最大の武器だ。
しかも今の世は冒険者の実力がかなり高くなっていると考えられる。
(ならば慎重に行動しなくてはいけませんわね)
仮にベリアルが囚われている場合、自身の行動で彼女を危険に晒しかねなかった。
(想像は、したくありませんけれど)
だが、しかし。
(わらわがお姉様を救い出せば、日ごろちょっとだけ素っ気なかったお姉様がわらわにゾッコンになってしまわれるのでは!? わらわ大勝利ではありませんのありがとう!)
難しい顔をしたり蕩けたり怒ったりしたかと思えば跳ね回ってはしゃぐ彼女から、見物人は遠ざかっていく。
フェイラスがそれに気づくのは、夜になってからだった――。