53◆魔神のお悩み
くぅとお腹の虫が鳴く。
灰色の長い髪を揺らしながら、白いワンピースを着た女の子がふらふらと歩いていた。
彼女の名はベリアル。魔神である。
くぅ、とまたも音が鳴る。
いくら催促されようと、今は我慢と決めている。
だって朝もいっぱい食べたから。
なのにお腹の虫は騒ぎ立て、彼女の決意を鈍らそうと躍起になっていた。
「おなか、すいた……」
それでも彼女は歩みを止めず、街の中心街にある大きな建物に入っていった。
広いロビーには様々な出で立ちの様々な人たちでごった返している。
剣士に魔法使い、僧侶にレンジャー、大きな斧を背負った巨漢や、眼鏡をかけた事務員風の女性……は受付カウンターの向こうだから職員だろう。とにかく、いろいろだ。
ここはゼクスハイムにある冒険者ギルド、その本部だった。
ベリアルはふらつきながら受付カウンターへ向かう。
小さな彼女を見つけた者は、みな一瞬ギョッとして、やがて苦笑とともに肩をすくめる。迷子だと思われているのかもしれない。
ベリアルは背伸びして、受付カウンターに顔を出す。
「冒険者に、なりたい……」
ぼそりとしたつぶやきに、受付の女性は眼鏡の傾きをくいっと直し、告げた。
「おいくつですか?」
ベリアルは首を傾げる。
冒険者になりたいと言ったのに、数を訊かれたからだ。いったい何の数なのか?
だがさすがは冒険者ギルドの受付担当だ。ベリアルの無表情から疑問を読み取り、説明した。
「……えー、お嬢さんの年齢を、お尋ねしたのですが」
ベリアルはまたも首を傾げた。
なぜ、年齢が関係あるのだろうか?
今度もまた、彼女の疑問を察して受付担当は言う。
「冒険者登録には年齢制限がございます。十五歳に満たない方は登録できません。特例として冒険者学校を修了していれば何歳でも構いませんが、修了証はお持ちですか?」
修了証とやらは持っていないが、年齢ならば問題ない。
「わたしは、二せ――」
「あーっ! いたいた、こんなとこにいたー!」
答えようとして、聞き覚えのある声に遮られた。
「もー、迷子になっちゃダメじゃんよー」
振り返ると、大剣を背負った少女が立っていた。ダルクだ。
彼女はたまたまベリアルが冒険者ギルドの本部に入るところを見かけ、慌てて追いかけてきたのだ。
ベリアルの手を引き、受付カウンターから引き剥がす。
有名人の彼女が現れたことで騒然とする中、ダルクはベリアルを外に連れ出した――。
エキゾチックな雰囲気の飲食店に入り、山盛りの大肉まんを注文する。
「で? なんだって冒険者になろうなんて思ったの?」
ベリアルは眉間に苦悩を集める。
ダルクの質問に答えにくいのではなかった。今日は夕飯まで食事を我慢すると誓ったのに、目の前の女が誘惑してくるから困っていたのだ。
「……お金」
ひとまず気を紛らわせようと、会話に乗ることにした。
「お金? ああ、ここの支払いならアタシがもつし」
「いいのっ?」
「わ、びっくり。そんな大きな声出せたんだ」
支払いが彼女持ちなら遠慮はいらない。アリトからギリーカードを持たされているが、それを使うのは忍びなかった。
タイミングよく山積みになった大肉まんがテーブルに置かれ、ベリアルはウキウキで手を伸ばした。
が、すぐに口には入れず、またも眉間にしわを寄せた。肉まんをじっと見て、涎をじゅるりとすすってから、ぱくりと小さな口でかじった。
ダルクが目をぱちくりさせる中、もぐもぐとゆっくり咀嚼して、ごっくんと飲み下す。以降も、ひと口を噛みしめるように食べる。
「どしたん? なんかヘンだよ?」
「……べつに」
「んー……って、そいや、さっきの質問の答えは?」
ベリアルはもぐもぐしながら首を傾ける。
「だからぁ、なんで冒険者になろうと思ったのかってこと」
「だから、お金」
「へ?」
ダルクは肉まんをパクつき、ベリアルの様子を窺う。小さな口をせっせと動かす彼女を見て、ピンときた。
「お金を稼ぐってことか。で、食費を浮かせようって?」
ゆっくりよく噛んで食べているのは、食べ過ぎないようにとの練習だろう。
支払いを持つと言われて喜んだのも、アリトのお金を使わなくて済んだからだ。
ベリアルはこくりとうなずく。
「けっこう気にしてたんだ。でも、アリト君は気にしてないと思うよ? 遠慮しなくていいんじゃないかなー?」
「べつに、遠慮はしてない。わたしは、受けた恩を返したいだけ」
「ベリアルちゃんって変わってるねー。あ、魔神にしては、って意味だけど」
ダルクがお茶をずずっと飲む、その最中。
「あなたも、変わってる。神竜なのに、人の姿で冒険者を、やってる」
瞳に赤い輝きが浮かんだのは一瞬。ダルクはふっ、と息をついた。
「さすがにバレちゃってたか。てか、それってアリト君に言っちゃった?」
ベリアルはふるふると首を横に振る。
「訊かれて、ない」
「そっか。できれば誰にも言わないでほしいかなー。セイラちゃんやクオリスちゃんのこともね」
「わかった」
実にあっさりと承諾して、肉まんにかぶりつく。
「んでも、そんなカワイイ姿で魔物と戦えんの?」
「ちょっと本気出せば、危険度Sくらいなら、大丈夫。でも、連続では、つらいかも」
「いっそ例の魔鎧を装備すればいいんじゃん?」
「あれは、ダメ」
「どして?」
「装備するだけで、すごく、おなかがすく……」
んん? とダルクは首を傾げる。
「もしかして、『本気』出してもお腹がすいちゃうの?」
こくりとベリアルはうなずく。
ダルクは腕を組み、うーんとうなった。
「その姿にまで落としてるんだから、やっぱ魔力の消費が激しい体質なのかなー?」
神竜の化身であるダルクたちは、人の姿では魔力消費が低くなり、内に溜まった魔力のせいで体に変調をきたすことがある。
しかしどうやら魔神の場合はその逆で、魔力消費が激しすぎるために常時空腹状態に陥ってしまうらしい。
うん、これは自分の手に余る。
そう結論付けたダルクは、よしっと笑みを作り。
「アリト君に相談しよ♪」
「……彼に、迷惑をかけるのは――」
「だいじょぶだいじょぶ。あの子、すっごい頼りがいがあるし、ベリアルちゃんに頼られるのを嫌がったりしないって」
肉まんがなくなった頃合いでダルクは席を立ち、ベリアルの手を引いた――。
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そんなやり取りがあったと、ダルクさんから聞いた俺。
「なるほど。ベリアルがそこまで思い悩んでいたとは……」
保護者として恥じ入るばかりだ。
「あの、仕事の邪魔になるから、わたしは、そんなに――」
「遠慮なんて水臭いよベリアル。勤労の意欲に燃える子に、力を貸さずして何が保護者か!」
今日はちょっと働き過ぎていたので、妙なテンションだという自覚はある。
が、真面目な話、陰でこそこそやられるよりも、こうして相談してくれたほうがずっといい。一人で冒険に出て、空腹で倒れられたら困るしね。
「それに、冒険がどうのこうの以前に、今でも日常生活に支障が出てるんでしょ?」
常に腹ペコだもんな。何か対策をしなくちゃいけないと思う。
せめてそれを解消できれば、ベリアルはこの街でも楽しく暮らしていける。食費も大幅に削減できる!
というわけで、俺はこの難問に全力で挑む決意をするのだった――。