48◆隠し事は隠さない
とある日の夕方。俺は家の近くの商店街にある、隠れ家的名スイーツ店にいた。
カウンター越しに、エプロン姿の気さくなお兄さんと話しこむ。見た目はひょろりとしているが、お菓子作りの腕は一級品。溺愛妻家として知られ、夫婦二人で小さな店を切り盛りしている。
「じゃあ、これでお願いします」
「了解。他ならぬリィルちゃんのためだ。最高のケーキを作ってみせるさ」
お兄さんが細い目をいっそう細めて応じた。
このお店にはリィルのお誕生日ケーキを注文に来た。
当初はセイラさんが自分で作ると息巻いていたのだが、彼女には他の料理もお願いしているし、会場の手配でも尽力してもらっている。あまり負担をかけたくないので、妥協していただいた。
このスイーツ店はリィルのご贔屓でもあり、ときどきお友達とやってくる。若い(といっても二十代後半)ながら腕はしっかりした店主のお兄さんに任せれば俺も安心だ。
「あ、リィルには内緒にしておいてくださいね」
「うん? もしかして、サプライズパーティーなのかな? あ、でも――」
お兄さんの言葉を遮るように、俺の背後でカラコロと音が鳴った。店の扉に付いたカウベルの音だ。
「あれ? アリトお兄ちゃん、どうしたの?」
ぎくり。
紛れもなく我が妹リィルの声だ。
振り向くと、お友達のカタリナちゃんとエリカもいた。二人は俺がなぜここにいるのかを察したらしく、目を泳がせたりあわあわしたり。
「え、ああ、うん、ちょっとな……」
しどろもどろになる俺。
リィルは困ったような悲しんでいるような、複雑な表情をする。
「やあ、リィルちゃんいらっしゃい。アリト君には新作の意見をもらっていたんだよ。君たちも試してみるかい? 試作品だからサービスしておくよ?」
店主のお兄さんが機転を利かせてくれた。
「まあ、それは良いですわね。リィルさん、どうかしら?」
「わ、わたしも興味あります!」
エリカとカタリナちゃんも乗っかってくれた。
リィルに笑顔が戻る。
素直ないい子なので、良くも悪くも企み事を察することがない。
むしろ俺が堂々としていないと不安にさせてしまうから気をつけないと。
俺はほっとして、お兄さんに目礼で感謝を伝えた。そのままリィルたちに挨拶して、お店を出る。内緒にしたままというのも心苦しいが、サプライズパーティーに向け、準備は整いつつあった――。
とある休日。
朝食の最中、俺はそわそわと落ち着かない。
この後はセイラさんとパーティー会場へ行き、担当の人と打ち合わせを行うことになっている。レイアウトの話や、飾り付けなんかもできるところまでする予定だ。
もう見取り図はもらっているので、俺は机の配置を思い描く。ケーキを持ってくるときはリィルをあの位置まで呼んで、背後から気づかれないように、などと妄想を広げていると。
「……ちゃん。お兄ちゃん!」
リィルに呼びかけられているのに気づかなかった。
「な、なに?」
「もう……今日はお休みだし、どこかお出かけしようよ、って言ったの」
珍しくリィルがジト目になっている。
いかんいかん。堂々としなければ。
「ごめん。今日はちょっと仕事の用事があるんだ。ハーフドワーフの鍛冶屋さんと今、ちょっとした武器の話を進めててさ」
俺は流れるように言葉を連ねた。
お仕事ならしょうがないね、といつものリィルなら笑って送り出してくれるはず。そう、思っていたのだけど……。
「ふぅん、そう、なんだ……」
リィルは暗く目を伏せて、
「最近のお兄ちゃん、なんだか変だよ……」
ぼそりと、つぶやいた。
背に怖気が走る感覚。きっと俺はいま、青ざめていると思う。
リィルは、素直でいい子だ。良くも悪くも、企み事を察することはない。
でも人見知りであるがゆえか、他者の感情の機微には敏感だ。
このところ俺はサプライズパーティーの準備で頭がいっぱいだった。リィルに話しかけられても上の空で、きちんと相手をしてやっていなかった。
そんな俺の様子に、リィルは不安になってしまったのだ。
俺は、なんて馬鹿なんだろう。
リィルを喜ばせようとして、逆に悲しませるなんて……。
「ア、アリトさん……」
セイラさんがおろおろしている。
うん、そうだよな。このままじゃいけないよな。
俺は一度大きく深呼吸して、リィルを真摯に見つめた。いまだ不安そうな妹に、優しく語りかける。
「リィル、実は俺、お前に隠し事があるんだ」
「隠し事……。それって……?」
怯えたように表情を曇らせるリィルに、俺はきっぱりと言い放つ。
「何を隠しているかは、まだ言えない」
「アリトさん!?」
困惑するセイラさんとは対照的に、リィルの顔からは不安の色が薄れていた。
「ごめんな。でもお前にとって悪いことじゃないし、もちろん俺やみんなに不都合があることでもない。話せるときが来たらちゃんと話すから、それまで待っててくれ」
まっすぐにリィルの目を見て言うと、
「うんっ。リィル待ってるね!」
満面の笑みで応えてくれた。
そうして、お誕生会当日。
近場にある教会の裏手。そこにある小さな集会所が会場だ。色とりどりの飾り付けと、『お誕生日おめでとう』の横断幕。
そして、リィルを祝いたくてうずうずしている顔馴染みの皆さん。
そこへ、『教会のお手伝いのお手伝いをお願い』とセイラさんに誘われて、リィルが連れてこられた。
「「「リィルちゃん、お誕生日おめでとう!」」」
みんなが一斉に声を合わせる。口笛も響き渡った。
リィルは目をぱちくりさせて、口をあんぐり広げた。
実のところ彼女の誕生日は三日後だ。でもお誕生会はリィルたちの学校がお休みの日にしたかったので、今日になった。
だから予想外過ぎたのだろう。
リィルはしばらく呆けてしまってから、それでも状況を理解して、じわじわこみ上げてくるものがあったのか。
目に涙の玉を浮かべて、精いっぱいの笑顔を作った。
「みんな、ありがとう!」
うん。なんだかんだあったけど、この笑顔が見られて、俺は心の底から嬉しい。
その後、特大ケーキにびっくりしたり、もらったプレゼントを開けて目を輝かせたり、気心知れた人たちとお話ししたり。
リィルは本当に楽しそうだった。
宴もたけなわ。
リィルが俺に寄ってきた。
「お兄ちゃんが秘密にしてたのって、このことだったんだね」
「心配させてごめんな」
「ううん。リィル、すっごく嬉しい」
「これからも、何か隠し事があっても、隠してることはちゃんと言うから」
リィルは一瞬きょとんとして、くすくす笑うと。
「おわっ!」
俺に抱きついてきて、
「アリトお兄ちゃん、大好き♪」
ちゅ、と。
俺の頬に唇を押し付けてきた――。





