38◆ドラゴンの癒し
北門の近くにある大きな酒場。
やや高級感漂う店が前ではあるが、高ランクの冒険者が多く集まるためか、そこかしこで威勢のいい声が上がって騒がしい。
「いらっしゃーい! お一人様、ですか……?」
そこへ、大剣を背負った少女が現れた。喧騒が一瞬、ぴたりと静まる。迎えた店員も、超有名人の登場に仰け反っていた。
「おい、あれってダルクだろ?」
「ギルラムの最深到達記録保持者だよな?」
「また今日も更新したって話だぜ」
喧騒が戻ってくる。
注目を一身に集めるダルクは、店員に「待ち合わせだから」と告げ、眠そうな目をきょろきょろさせた。
「お、いたいた」
目的の人物より先に、壁に立てかけた錫杖を見つけ、ダルクは店の隅っこの席へと向かう。
「お待たせー」
「ダルクさん、お疲れさまです」
「見るからに疲れた顔をしておるなあ」
席にいたのはセイラとクオリス。
この会合はクオリスが開いたものだった。
「いやー、マジちょっちヤバいかもねー。アレが始まったんだけど、なんか周期が早まってる気がするよ」
ダルクが席に座ると、クオリスがコップに酒を注ぎ、彼女に手渡した。
「あんがと。んじゃ、遅ればせながら、かんぱーい♪」
杯を合わせ、さっそく空にしたダルクが言う。
「てか、セイラちゃんも始まったんっしょ?」
「はい。しばらくは家でゆっくりしていようと思います。ダルクさんも休まれたほうがよいのではありませんか?」
「いやいやいや、休んでたって悶々とするだけっしょ。ダンジョンで暴れてたほうが楽だよー。セイラちゃんもそうしたら?」
「それは、そうですけど……」
セイラは、イライラをぶつけるために魔物狩りをするようで、抵抗があった。もちろん、ダルクのやり方を批判するつもりはない。
コレを鎮めるには、肉体的にも精神的にも、発散させるのが有効だからだ。
彼女らは、神竜が人に姿を変えた存在である。
巨大な体を維持し、絶大な力を振るうには、莫大な魔力が必要となる。
そのため、普段から体の内に魔力を大量に貯めこみ、外部の『魔素』も勢いよく消費していた。
だが人の姿でいる分には、さほど魔力を必要としない。常人を超える量ではあるが、ドラゴンの姿に比すれば微々たるものだ。
しかし、体内魔力容量はいずれも同じ。外部の魔素を吸いこむ勢いも、あまり変わらなかった。
結果、魔力が飽和状態に陥り、人の体では耐えられなくなる。
自然に落ち着くのを待つか、どこかで発散させなければならないのだ。
二人の会話を、ちびちび酒を飲みながら聞いていたクオリスが口を開く。
「それなのだがな」
杯を傾けていたダルク、料理にフォークを伸ばしていたセイラが注目する中、クオリスはお酒をひと口含んでから、
「もっとよい対処方法が、あるやもしれぬ」
「は?」
「本当ですか!?」
クオリスはぐびーっとコップを空にして、ぷはっと息をついてうなずいた。
「どんな方法なん?」
「教えてください!」
「セイラよ、必死だな」
「うえっ!? そ、それは、まあ、その……」
「一人で悶々とするのってけっこう辛いもんね」
「へその下あたりが疼きまくるものなあ」
「そそそそういうのはいいですからっ」
誰か聞き耳を立ててやしないかと、きょろきょろするセイラ。
「で? クオリスちゃん、もったいぶってないで教えてよ。どうすればアレを抑えられるん?」
「いや、抑えるのではない。そもそもアレが始まらぬのだ」
「どゆこと?」
「アレって体質みたいなものですよね? 体質を改善する方法があるのですか?」
うむ、とクオリスがうなずく。
「我が人の姿になったのは数ヵ月前。もうとっくにアレが始まってもおかしくはないのだが、兆候すらない。いや、やる気がいつもより削がれる程度はあるのだが、逆に言えばその程度だ」
それはなぜ? と二人が表情で問う。
「体質が、変わったのだ。そのきっかけを探ってみたところ、思い当たるのはひとつしかなかった」
「あ……」(ダルク、察し顔)
「えっ? なんですか?」(セイラ、わかってない)
クオリスは空いたコップにこぽこぽお酒を注ぎながら、ぼそりと言った。
「アリトと交わったことだ」
やっぱりかーとダルクはお酒を飲み干す。セイラは固まった。
「今からでも遅くはなかろう。どうだ? 今夜あたり一発決めてみては」
「しょんなこりょできりゃな――」
「セイラちゃん落ち着きなよ」
顔を真っ赤にして取り乱すセイラを横目に、ダルクは真剣な表情となった。
「あの子とだったらまあいっか、とは思うけどさ。アレがなくなるってことは、ちょっとやそっとの体質改善じゃないっしょ。ううん、そもそも『改善』じゃ、ないんじゃない?」
セイラが冷静さを取り戻す。
「他にも、何か体に変調があるのではありませんか?」
「うむ。魔力がダダ漏れになっているのか、力はかなり制限されておるな。あとは、やはりドラゴンの姿には戻れそうにない」
「前にも言いましたけど、それってかなり深刻な問題ですよ?」
「前にも言ったが、人の姿のまま星とともに朽ちるのも悪くない。ま、お薦めはせぬがな」
「前にも言ったけど、クオリスちゃんってマジ軽いよねー」
場の空気が緩む。
互いに杯を空け、再びの乾杯で仕切り直す。
「ま、ぶっちゃけ我慢や発散できるもんだしねー。今回はしょーがないってことで諦めるよ」
「そうですね。今後もちょこちょこやってきますけど、耐えるしかありませんね」
「んー、でもさ。周期が早まってるのはなんでだろ?」
「わたくしはそうでもありませんよ? 魔物相手の戦いが多いから、ではないでしょうか? わたくしはなんだかんだでサポート役ばかりですから」
「うげっ、それって職種選択ミスったってこと? クオリスちゃんみたく、職人系にすればよかったかなー」
「それなのだがな」
ぼそりとしたつぶやきに、さすがの二人も『今度は何?』と半眼で見やった。
「ああ、いや。周期が早まるだとか、職業選択がどうとかの話ではなく、先ほどの話に戻るのだが」
「別の対策があるってこと?」
クオリスはうむとうなずく。
「実のところ、我はアレがなくなった代わりに、やる気の低下が顕著になってな」
「それはいつものことでは?」
「前からそうっしょ」
「自己評価との乖離に驚きを隠せぬがそれはそれとして。やる気が失せたときにとある方法を用いると、極上の癒しを体感し、何も手につかなくなるのだ」
「あの、何を言っているのかさっぱりわかりません」
「それ、人としてもドラゴンとしてもダメなヤツだよね?」
「批判はあろうが、まあ聞け。つまりだな、ものすごく癒されるということは、アレにも効くのではないか、と考えられるわけで」
要領を得ないものの、結論だけは理解できた二人。
「で、その方法って?」
「ど、どんな方法なんですか?」
「うむ。それはな――」
~~~
酔っ払い三人が帰ってきた。厳密にはこの家の住人は一人だけなのだが、まあ、いつものことなので気にしない。
そう。
三人そろって『ただいまー』と帰ってきたのは、べつによいのだけど……。
「うはっ! やっばい。マジ癒されるぅ~」
なにゆえダルクさんは俺に抱き着いているのか!? しかも胸の谷間に顔が挟まる極楽ポジション。息ができずに昇天間近。
「そ、そんなに効果があるんですか?」
「とりま今夜はぐっすり眠れそう」
「そこまでの……ですが、どうしてでしょうか?」
「ふむ。我らには穏やかならぬ〝縁〟がある。加えて全属性持ちであるから、良相性のみならず相克する属性もなんらか影響しているやもしれぬな。まあ、理屈はどうあれ、効果は抜群であることが証明された」
お三方は俺には理解不能な話をしていらっしゃる。
「ぷはっ! なんなんですかいったい!?」
「アリトよ、深く考えるでない。詳しい事情は語れぬが、我らのストレス解消、明日への活力注入に必要なことだと理解してほしい、ということでひとつ」
なんだかよくわからないが、リィルが俺を抱き枕代わりにするのと同じ理屈なのだろうか?
「あ、あの、わたくしも、いいですか?」
尋ねつつも、俺の背後からぴっとり抱き着いてくる。今度は後頭部が柔らかなものに包まれた。
「はわ~なんですか、これぇ~」
顎を持ち上げて見やれば、セイラさんが蕩けた顔になっていた。
いや、まあね。日ごろからお世話になっている彼女たちのためであり、俺にしてみればご褒美みたいな状況で喜んでいただけてるのであれば、拒む理由はないのですが――。
「なんか……体が、熱く……?」
胸の奥底から煮えたぎるような感覚に戸惑う。
「こらこら、そこらでやめておけよ。どうやらアレが絡むと、アリトに何かしらの負担がかかるようであるからな」
「ああ、ゴメンゴメン」
「す、すみません」
パッと二人が離れた。酔っ払っているためか顔は上気しつつも、なんか肌がつやつやしてるような?
「ではアリトよ、邪魔したな」
「ときどき頼むねー」
「よ、よろしくお願いします……」
結局なんだかわからないうちに、お三方は部屋を出て行ったわけだが。
「眠れん!」
その夜、俺は謎の昂ぶりに襲われ、あっちもこっちもギンギンで一睡もできなかった――。