「やばいでしょ?」
家に帰る道中、トリカは自分の気になったものについてあれこれ無邪気に尋ねてきた。建物や車、人々のなりわいなど、目についたもの全てに疑問を持ち、知識を吸収しているようだった。
その疑問のなかには僕が答えられないような難解なものもあり、トリカに呆れられるシーンもあった。国の仕組みとかいまいち明解に説明できなかった。
家に着くなり濡れた服を着替えて自室に入る。本当なら夕飯を食べたいのだが、それより先に解決しておくべき問題がある。
トリカがベッドに腰を下ろしたので、僕は床にどっかり座り込んだ。
さて、さっそく話を聞こう。
「じゃあ、まず」
「まず、どうしてアキラが指輪を持つ必要があるのかということだけど、それは私の今の状態と関係してくるわ」
「それはど」
「それはどういうことって話よね? 実はね、私はその指輪に封印されている身なの」
「封」
「封印による制約は主に二つで、魔力が自然回復しないことと、自由に移動ができないこと」
「ど」
「どうして封印されているかって言われると困っちゃうけど、まあ私の力が強大すぎるってところかしらね」
「さ」
「さっきから食い気味すぎる! って言いたいのよね?」
「そ」
「そうだよ! って言いたいのね?」
「そ」
「そうだよ! ね?」
「……!」
僕の質問に先回りできるのはわかるが、いちいち被せられると逆に面白くなってくる。集中できない。
「ふふ、ごめんなさい。誰かと会話をするのが久々だから、つい、ね」
トリカはまるで普通の少女のように微笑んだ。これは会話ではない。
それにしても本人が自賛したように、確かに美人である。このやけに自信満々な態度もうなずける。さぞかし男をいいように使ってきたに違いない。
「初めて心を見た時から思ってたけど、あなたの嫉妬心と劣等感って相当なものよね」
「……それよりさ」
図星だったので話題を戻す。
「自由に移動できないっていうのは?」
「私が指輪から離れられない。あと指輪を動かすこともできない」
「なんで動かせないの?」
「私がその指輪に触れることができないから。触ろうとすると弾かれるの」
それも封印によるものだとトリカは説明した。
しかし封印されている割に、こうして姿を見せているのはどういうことなのだろう。
そう思っていると、トリカが答えてくれた。
「もちろん、本来は姿を見せることもできない封印よ」
「じゃあ、なんでトリカは姿を現すことができるの?」
「これは魔力で私の姿を指輪の外に映しているだけ。だからこの世界の人間には認識されないのよね。魔力が見えないみたいだから」
「魔力が指輪の外に漏れてるってこと? 不完全な封印だな」
「そう、これは不完全な封印。だけど、完全には魔力が漏れないように指輪から結界が張られているの。私の魔力の及ぶ範囲が、そのままこの姿の行動範囲になるわ」
指輪の中にトリカの肉体が封じられているものの、結界の内側なら魔力を行使することができるらしい。
「実際、範囲ってどれくらい?」
「その指輪から、私の歩幅で二十歩ってところね」
指輪を中心に半径二十歩。仮にトリカの歩幅を50センチとすると、10メートルといったところか。指輪の結界も中途半端に広いな。
リードに繋がれた犬のようだと考えていると、トリカは眉根を寄せた。
「細かい説明は省くけど、これでも封印の七割は破壊したの。だからこれだけの行動範囲を確保できたわけ。正確には魔力の及ぶ範囲だけど」
そんな厳重な封印を施されるトリカはいったい何者なんだと思ってしまう。
内心の動揺を態度に出さないようにしつつ、尋ねる。
「えーとつまり、トリカは指輪を動かすことができないから、僕が指輪を持ってトリカの足になれ、と」
「それもあるけど、もうひとつ。あなたの魔力を定期的に分けて欲しいの」
そもそも魔力なんてものが僕にあるのだろうか。
「魔力がまったくない人間の方が少ないと思う。認識していないだけであなたにも魔力はあるわ」
「そうなんだ」
人間の脳はフル活用されていないという話や火事場の馬鹿力なんて言葉もあるし、潜在的な話なんだろうと認識する。
いまいち実感しにくい話だが、魔力なんて使っていないのだから分けること自体は問題はない。
「結界があっても魔力のやりとりはできるんだ?」
「そうね。この封印は私の魔力を外に出さないことが至上命令の術式みたいだから、それ以外のことについてはかなりずさんね。結界範囲内に誰でも入れることからも明らかだわ」
「なるほど。僕の魔力を分けることで僕に何か弊害はないの?」
「ないわね。さっきは多く取りすぎちゃって魔力以上のものを吸っちゃったけど、魔力っていうのは体力の余剰分みたいなものだから」
微妙に聞き捨てならない言葉もあったが、なるほど僕に悪影響がないことはわかった。
しかし懸念されることがある。この封印されている得体の知れない少女に魔力を与えることは、果たして問題ない行為なのだろうか。何も知らない純真無垢な僕を捕まえて、いいように丸め込んでいるのではないか。これはもしかすると、後々人類の脅威になるのではないか。そう考え出すと、震えが止まらない。
恐怖する僕を尻目に、トリカは優雅に足を組み直した。
「要は私の素性が知りたいのね?」
「まあ、聞いておきたいすね」
素直に吐露すると、トリカは元いた世界を思い起こすように視線を上げた。
「私は大きなお城に住むお姫様で、幾多の戦争に心を痛める日々を過ごしていたわ。貴族との上辺の付き合いにうんざりして、無断で城下街に繰り出しては近衛兵に捕らわれたりもしたわね。稀に見る魔力量を持つ私は、魔族との戦いになれば一騎当千の活躍をして軍神と恐れられたものよ」
「へぇ~。すげー」
「魔力量以外は全部嘘だけどね」
「うぉい!」
一番物騒なところが真実だった。
トリカは僕の反応を見て楽しげに笑っていた。
「本当は、辺境で静かに過ごしていただけの魔法使いよ。誰にも迷惑をかけずに魔法の研究をしていただけなのに、いきなり封印されそうになったら私だって抵抗するわ」
「抵抗したけど封印されちゃったんだ」
「不完全にね。ちなみに私の魔法と相手の封印術が衝突した影響で、こっちの世界に飛んじゃったの」
「へぇ~」
やべ~こいつ、と思った瞬間には足を踏まれていた。痛くはないが、ビビった。
一度咳払いをして、目的を確かめることにする。
「じゃあ仮に僕が魔力を分けるとするよ。その魔力でトリカは何をするのさ」
「何もしないわ。ただ、力がないことには何もできないでしょう? 私の魔力って今ほとんどないのよ。元の世界に帰る方法を探すにしても、封印を解くにしても、魔力は回復しておきたい」
「なるほどね」
「何より魔力がカラだと落ち着かないのよね」
この泰然とした態度からはまったく窺えないが、本来あるべきものがないわけだから不安なのだろう。
感情的には協力してあげたいが、まだまだ合理的にものを考えていきたい。
「魔力を分ける僕のメリットは?」
「あなたって“霊”とやらに怯えているんでしょう? 私が守ってあげるわ」
「……マジ?」
それは魅力的な話だった。確かに僕は日々の生活で霊の存在に怯えている。直接的な被害はないにしても、視界にちらつくだけでストレスを感じているのだ。
そんな恐怖から解放されるなら、悪魔に魂を売っても……というと誇張気味だが、なんとかしたいと常日頃から思っていた。
強力な用心棒の存在に心が揺らぐ。
「……この世界に危害を加えるつもりはないんだよな?」
「もちろんよ」
「じゃあ、わかった。魔力を分け……でも待って、もうちょっと考えさせて」
「煮え切らないわね!?」
やはり得体が知れない。もうちょっとこのトリカという少女について理解を深めないと、魔力を与えることは危険に思える。
やきもきした様子のトリカに、さらに疑問をぶつける。
「魔力を受け渡す方法は?」
「あなたが指輪に触れていれば、私が勝手に吸い出すことができるわ」
その言葉を聞くなり、僕は銀色の質素な指輪を机の上に置いた。
あんまりにもすぐ指輪を手放したのでトリカの気を悪くしたかと思ったが、特に不満そうな顔はしていなかった。
そうして顔を窺う度、すっげー美人だなと思わせられる。こっちの世界で言うと、どこの国の人間に近いだろう。少なくとも日本ではない。
そこで今まで感じていた違和感に思い当たる。
「どうして日本語を話してるの?」
とても自然に話すものだから真っ先に聞けなかったが、初めて言葉を交わした時からこの見た目で日本語が出てくることに漠然と違和感を覚えていたのだ。
その質問にトリカはこともなげに答えた。
「林に落ちてた小説と新聞で覚えたわ。今のところ、この世界の知識はその二つによるところが大きいわね」
神域にそんなにゴミが落ちていたらダメだろう。トリカには関係のないことだが。
それにしても文字を眺めているだけで言葉を理解できるものだろうか。
「私ほどの天才にもなれば、文字を眺めていればその言語は理解できちゃうのよ」
「文字だけじゃ発音はわからないと思うんだけど」
「もちろん、それは道行く人の会話を分析したわ」
「えぇ……それだけで理解できちゃうの? やばいな」
「やばいでしょ?」
トリカは得意気に笑った。この少女はこの表情がよく似合う。
「やばいのはいいとして、どんな小説を読んだの?」
「純愛物だったわ。でも、この世界の読み物は過激なのね。恋人を食べちゃうなんて……」
「あ、それはかなりマイナーなジャンルだと思うよ」
案外トリカはなんでも答えてくれるので、聞きたいことはなんでも聞いておこうと思った。
「霊から守るとか言ったけど、こっちでも魔法を使えるの?」
「ええ。魔力をあまり使わないものなら」
そう言うなり、トリカは指を一本立てた。
すると、ボッという音と共に指先に小さな火が生まれた。その火の向こうに得意気な顔がある。
「これを霊に撃ち込んだりできるわ」
「うわー、本物の魔法じゃんかよ。ライターじゃないもんな」
僕が恐れをなしていると、トリカは意地悪そうな笑みを浮かべた。
「これをあなたに撃ち込んだらいったいどうなるかしら」
「や、やめてくれ……!」
後退りしながら懇願すると、トリカは軽く指を振って火を消した。
「冗談に決まってるでしょう? 私をなんだと思ってるのかしら」
僕が本気で怯えたのが気に食わなかったらしく、トリカはつまらなそうに嘆息した。
元の位置に座りなおすと、トリカは前のめりになって聞いてきた。
「で、どう? 指輪を持っててくれる気になった?」
「うーん」
こうして話してみると、トリカは悪いヤツとも思えない。ギブアンドテイクの関係も悪くないと思える。
一方で、魔力を与えることが危険にも思える。魔法を使えることも目の当たりにしたし、実際に問題が起きる可能性もある。
ここまで考えて思ったのだが、そもそも僕に拒否権があるのだろうか。指輪をここに持ってきた経緯から考えても、このまま強引に押し切られそうな気がする。魔法で脅されたりしたら従うほかない。
恐る恐るトリカの方を見る。
「んー?」
僕の心を読んだ上でこの満面の笑みを浮かべるのだからたまらない。
だが、ひるまず一旦強気に出てみる。
「もし僕が断ると言ったら……?」
「その時は別の人間を探すわ。残念だけど」
意外な答えが返ってきた。
「見つかるもんなの?」
「さあ? 今のところ私のことを認識したのはあなたが初めてだけどね」
「いつこっちに来たの?」
「四ヶ月前ね」
今日が四月の十日だから、昨年の十二月にこちらの世界に飛んだようだ。
神社の林で四ヶ月間も孤独に過ごしていたのかと思うと、悲しい気持ちになる。
「優しいのね。私にとってはあっという間の月日だったけど」
「あ、そう」
トリカがけろっとした顔で答えるものだから拍子抜けしてしまった。
だったらまた林に放り出しても問題ない、と結論を出せるほど僕は冷酷非情な人間でもない。正直、ここに連れてきてしまった時点で面倒を見ると了承したようなものである。普通、人間には良心というものがあるのだ。
「……もっかい聞くけど、こっちの世界に危害は加えないんだよな?」
「ええ。約束するわ」
「じゃあ、まあ、なんつーか。よろしく」
「うふふふ、アキラならそう言ってくれると信じてたわ」
僕の何をわかってそんなことを言っているんだ、と心の中で悪態をついた。
トリカはことさらに笑みを深めていた。