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あたしはアヒル3  作者: るりまつ
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タケル、二十歳の誕生日




「井田って誰?」



 タケルは、ハナコのパールホワイトの二つ折り携帯を、太い指先で器用にクルクルッと回転させながら訊ねた。

 すると、バーカウンターのスツールに腰掛けているタケルの背中に手を当てて、さっきまで間近に顔を寄せ、電話の内容に聞き耳を立てていたハナコは、タケルのそばから素っ気なく身を離して答えた。


「吉祥寺で御園生社長が始めた、ブルーガーデンっていうサーフショップの店長さんよ。セレクトショップのグリーンガーデンの中では、すごいやり手だった人みたい。……タケルも哲郎さんから、店の名前くらい聞いてるでしょう?」


「てっさんから?……さぁ……忘れた」   


      グスッ。


 自分で訊いておきながら、大して興味無さそうに短く答え、鼻をすするタケル。


「つまり半分、ここのスタッフみたいな人よ」


 その態度に、ハナコも適当にそれだけ言うと、あとはカウンターテーブルに後ろ手にもたれ、広いラウンジの大きな窓の向こうに見える美しい入江と、その先の空を流れる早い雲を見つめた。



       ブウゥゥン……



 時折、開け放された窓から強く吹き込む風が、天井のシーリングファンに当たって、クマバチの羽音のような音を立てる。



 そろそろ窓を閉じたほうが良いかしら……?

 台風の備えもしなきゃ……。



「そいつ、ここには良く来るの?」



 店がどこにあるとかそんな事よりも、そっちの方が気になるようで、タケルは一重まぶたのわりには大きくて、夜の猫のように黒々とした目で、ハナコの横顔をチラリと見た。

 ハナコはデッキの向こうの海を眺めたまま、ぼんやりと考え事でもしているように見えた。

 その隙に、タケルは遠慮なくその美しい横顔を、自分だけのものとしてジッと見つめた。

 見つめながら、ストラップの無いハナコの携帯電話を、またクルリと回転させる。


 タケルは、ハナコが何か他の事に気を取られているのが気に入らなかった。

 今日、千葉北のオーバーヘッドの波で、軽く日の出サーフを済ませ、営業時間のだいぶ前から、この小さな入り江の店にやって来たのには理由があった。

 この日、二十歳はたちの誕生日を迎えたタケルは、どうしてもハナコに伝えたい事があった。

 だからこの貴重な、二人だけの限られた時間に、他の男と電話で長話しをされたり、うわの空のような顔をされると、タケルはその事をどう切り出したらいいのか分からなくて、ただむやみに携帯をいじりまわすしかなかった。




 ちゃんと、オレの事を見てよ……




「ねぇよぉ」       クルッ


「え?……あぁ、ごめんなさい。たまにしか来ないわ」


「一人で来るの?」        グスッ……


「井田さんが一人で来た事はないわ。大体は御園生社長か、お客さんが一緒」


「ふうん」



 それを聞いて、タケルはようやくムスッとした厚みのある唇の端を緩めると、パールホワイトの携帯電話を無言で差し出してきたので、ハナコはそれを受け取ろうとした。

 しかしハナコがそれを手にする前に、タケルはスッと自分の手を引っこめた。



「……?」



 ようやくハナコがタケルを見た。

 するとタケルはニヤッと笑い、もう一度、携帯電話を差し出した。

 その不敵な笑みを横目で見ながら、今度はゆっくりと慎重に手を伸ばし、細く長い指が携帯に触れる……その一瞬前に、タケルはまたしても手を引っ込めた。

 ハナコはやれやれと言うように腕組みをすると、



「返してちょうだい」



 と、静かな声で言った。

 しかしタケルは、ハナコの目の前で再びクルクルッ、と携帯を回転させて、取れるもんなら取ってみな、と言うように、子供じみたイタズラを仕掛けてくる。

 ハナコは深くため息をつくと、タケルの大きなつり目をジッと睨んだ。

 そして片腕を組んだまま、小さくすぼめた唇に人差し指をトントンと当て、いかにも困ったというような仕草を見せ、タケルを一瞬油断させると、まるでマングースがコブラの後頭部に噛み付くような素早さで、この4歳年下の生意気なガキの右手首をパシッ!と捉えた。



「捕まえたっ!!」



 ハナコは得意げにそう叫ぶと、今度は力づくで携帯電話を取り戻そうと、その手首をグイグイ引っ張った。


「おおっと!ハナ、顔の割にスゲェ馬鹿力!!」


 タケルは大げさな声を上げて驚いてみせる。しかし、携帯は依然としてタケルの手の中にしっかりと握られたままで、ハナコは顔を真っ赤にながら、両手でムキになってタケルの太い指を一本ずつ解きにかかった。


「やべぇ、オレ負けそうじゃん!?」


 そう言いながら、必死のハナコをからかうように、タケルは軽いバーベルトレーニングをこなすがごとく、握られた右手を自分の方に引き寄せたり戻したりして、鼻歌交じりに余裕を見せる。


「フフフ、返して欲しかったら、オレのお願い聞いてよ」


 タケルが小憎らしい笑みを浮かべ、勝ち誇ったように言うので、ハナコは次にタケルが腕を引いた瞬間、


「もういらないわ」


 と言って、掴んでいた手をパッと突き放した。



「うわっ、わ、わっ・・・!!!!」



 すると、突然手を離されてバランスを失ったタケルは、携帯を握ったまま両手をバタつかせ、背面から海にエントリーするダイバーのように脚を上げてスツールごと後ろにひっくり返っていった。



  わああああぁぁぁぁ……

 


               ガッツーーーン!!!

             


 スツールが床に叩きつけられる音が響き渡り、ハナコは目を丸くしてその場に立ち尽くした。



「ぃぃぃいいいい痛ってぇぇぇぇ〜〜〜〜〜〜〜〜!!!」



 タケルは床に放り出され、エビのように体を丸めて後頭部を押さえた。



「タケル!!」



 その見事なコケっぷりに、さすがのハナコも血相を変え、うずくまるタケルのそばに駆け寄り、ヒザを付き、苦痛に歪むその顔をのぞき込んだ。

 その傍らにパールホワイトの携帯が転がっていたが、もうそれどころでは無い。


「頭打ったの?大丈夫?!?!」


「……痛ぇなぁ、、、もう、何すんだよぉ」


「だって、あなたが子供みたいなことしてふざけるから、、、」


「子供じゃねぇよぉ……オレ、もう成人男子だし……つぅかマジ、痛ぇし、、、」


 タケルは痛がりつつもさり気なく、自分が誕生日を迎え、ハナコに男として一歩近づいた事をほのめかした。

 数か月後にはまた一歩離され、その距離は永遠に縮まらないのだけれど……



「どこが痛いの?」


「……全部に決まってんじゃん」



 心配して優しく訊ねるハナコに、ふてくされたように答えるタケルは、ちっとも成人男子らしく見えなかった。

 それでもハナコはしゃがんだまま身を乗り出すと、タケルの後頭部に手をまわし、金茶色のキジトラ猫のようなひどい色に染まった髪を優しく撫でてやった。



 どうしてこんな、おかしな頭をしているのかしら……



 ハナコは、ゴワゴワした髪に指を通しながら、改めてその色を見た。

 根元から五センチ位までは、元々の真っ黒な太いクセっ毛で、そこから先の無理に染めた金髪が、潮と陽にさらされてボロボロに痛んで千切れ、せっかくの金色は、もはや毛先に1センチ程の残骸を、まばらに残すのみとなっている。

 ハナコがその壊滅的な髪の状態を、念入りに点検するように指でくと、タケルは気持ち良さそうに目を細めた。



「背中も痛い……」


 

 そして目を閉じながら、独り言のように催促する。

 ハナコは黙って、そのままの体勢で手を移動し、しっかりと筋肉の付いた、引き締まった背中も撫でてやった。



「ケツも痛いよ……」



 ハナコは、タケルの下がりかけたデニムパンツから覗く、煮卵を割ったように日焼けで2色に色分けされた尻を、ポンポン、とあやすように軽く叩いた。

 優しくされ、すっかり機嫌を良くしたタケルは、そのまましばらくジッとしていた。

 しかし次第にソワソワと落ち着かない気分になって、そっと薄眼を開けた。

 すると目の前に、ハナコのマドラスチェックのショートパンツから、スラリと伸びた長い足が、くの字に畳まれているのが見えた。

 それはムダ毛も無く、いかにもスベスベと手触りが良さそうで、しかもタケルのすぐ手の届く所にあった。

 さらにチラッと見上げると、白いフレンチスリーブのカットソーの袖ぐりからは、ふっくらと量感のある胸の一部が、タケルに触れるたび、それに合わせて揺れるのが見える。



「……」



 しばらくそんな光景に目を奪われていると、体の一部が否応なしに反応してきた。

 それを自覚すると、タケルは恥ずかしがるでもなく、無言のまま頭の下に入れていた自分の片手を、ハナコの無防備な腰にまわした。

 ふだん大人しいタケルが、あつかましいオス犬に変わる瞬間だった。


 ハナコはハッと手を止めた。

 タケルは横たわったまま、薄く開いた切れ長の目で、表情も無くハナコを見上げている。

 そしてもう片方の手でハナコの手を取ると、ゆっくりと自分の体の前へと持っていこうとした。



「……コレも痛くなってきたんだけど」



 ぬけぬけと言うタケルに、ハナコは平静を装って言い返す。



「もっと痛くされたいの?」


「……痛いのはもう終わり」



 それだけ言うと、タケルはハナコの腰にまわした手を強く引き寄せ、ぐるりと体勢を入れ替えると、今度は自分がハナコの上に覆いかぶさった。


 一瞬のことだった。


 ハナコの目の前に、タケルの陽に焼けた精悍な顔があり、タケルの腕の中に、長い髪を乱したハナコがいた。

 ハナコは驚いたように目を大きく広げ、何か抗議しようと、形の良い唇を半ば開きかけた。


 が、すぐにやめた。


 ハナコからの反撃がないことが分かると、タケルは表情を和らげ、別人のように優しい笑みを浮かべた。

 そしてハナコの顔に掛かったしなやかな髪の毛を、指でそっと梳き上げた。

 一見、武骨そうに見え、実は繊細な動きをするタケルの指先が、ハナコの頬や唇をかすめる。

 するとハナコの体の内側にも、微妙な変化が起き始めた。


 それは潤んだ瞳の奥を覗けば明らかだった。


 その微妙な信号を読みとると、タケルはハナコの小さな美しい顔を両手で包み込み、心の中でつぶやいた。



   全部、オレにちょうだい……



 ハナコは自分の柔らかい下腹部に、タケルの体の一部が硬く押し当たっているのが分かっても、嫌がる素振りを見せなかった。

 そしてそれが、ハナコの答えだった。

 タケルは自然と荒くなる呼吸を、抑えることがむずかしくなってきた。

 乾いた唇を、すぐにでもハナコの濡れた唇に押しつけてしまいたかった。



 ……でもその前に、ちゃんと『言葉』で伝えなきゃ……



 ハナコはその言葉を待つかのように、じっとタケルを見上げていた。

 その瞳の強さに負けてしまいそうになり、タケルは一度目をつむると、ハナコの額に自分の額をそっと当て、言うべき言葉を心の中で確認した。




 『 ハナが好きだ 』




 そう、その一言だ

 

 それ以外に、何も無い……




 タケルは勇気を出して顔を上げた。





「ハナ……オレ、ハナが……」


   

「きゃあっっ!!!」





 溢れる思いを口にしようとしたその瞬間、ハナコが短い悲鳴を上げた。


          


「うわぁっ!!!!」




 それと同時にタケルも叫び、慌てて跳ね起き、両手で自分の顔を覆った。


 溢れる思いよりも先に、タケルの鼻に溜まった海水が、ボタボタと見苦しく溢れ出る。




 

  「ハナが……出た。 、、、なんつって 」





 言った直後、股間に一発、ハナコの強烈な蹴りが入った。








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