表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
あたしはアヒル3  作者: るりまつ
7/48

出発準備完了



 ほとんど脅迫されたような形で、ホナミと千葉へ波乗りに行く羽目となり、井田はシクシクと痛むみぞおちの辺りをさすりながら、片手でガレージのシャッターを上げた。

 中には実用的なシルバーのハイエースと、愛嬌のあるミルクホワイトのワーゲンバスが出番を待ちかまえていた。


 コイツか、ハイエースか……さて、どっちで行こうか?


 デジタル表示の腕時計を見ると、時間は朝7時をとっくに回っている。

 ホナミは20分で海の支度をして、ここに戻って来ると言った。


 女の子だからきっと、何だかんだ遅れて来るとして、8時過ぎに出発……

 千葉北はもう波、デカ過ぎだろうから内房にしようか。

 それとも南の千倉か平砂浦だったら、まだギリギリイケるかな。

 いずれにしても10時過ぎにどっかのポイントに着くとして、2時間入水?

 いや、俺はきっとそんなに入ってられないぞ。

 でもあのコはあの調子じゃ、しつこくねばるに違いない……


 井田はさっきのホナミの走りっぷりと、頭くらいのサイズの波と聞いて『上等じゃん』と、自信ありげに言い放った横顔を思い出し、うんざりした。


 ま、それでも4時くらいには帰って来れるかな……


 とりあえず気象予報を確認しようと、急いで店に戻って2階に上がり、リビングとして使っている二間続きの手前の和室のTVをつける。

 ニュース番組にチャンネルを合わせると、生真面目な顔をした男性アナウンサーの頭上に、台風に関する情報が字幕で横に流れていた。

 それによると、『大型で強い台風9号は、宮崎と高知の間の太平洋上を、ややゆっくりとした速度で東北東へ進んでいる』との事。


 今頃スバル君は、夕方の河口の波に期待して、ワクワクしてるんだろうな……。

 それに比べて、俺はワクワクどころか、ムカムカするぜ……クソ。


 井田は字幕の文字を目で追いながら、顔をしかめた。

 気になったのはホナミの事より、その台風の進路だ。

 朝一に、携帯の波情報で確認した予想進路より、だいぶ本州寄りに移動していて、もしかしたら関東に非常に接近するか、もしくは上陸する可能性が出てきている。


 万が一東京直撃になったら、果たしてこの古い家は耐えられるのか……?

 明日になったら屋根が吹っ飛んで店ん中もメチャメチャに、なんてシャレにならんのだけど。


 関西の一部は既に大きな暴風域に入っていて、大雨洪水強風に関する注意をさかんに呼びかけている。


 とにかく早めに切り上げて帰ってこようっと。


 井田は気象情報を横目で見ながら狭い洗面所に向かい、洗面台の横のドラム式洗濯機に、汗で濡れたランニングウェアを脱いで投げ込み、シャワーに入ろうとして一瞬迷った。


 ……時間も無いし、デートじゃないし。ま、いっか。


 念のため腋の下の匂いをクンクン嗅いで、臭くないのを確かめると、シャワーを浴びるのは止め、そのままフルチンでぶらぶらと台所に戻る。

 そして冷蔵庫から牛乳とトマトジュースを取り出して、それらを一つのコップに同量注ぎ、指で簡単に混ぜてから、そのドロッとしたピンク色の液体を、一気にグビグビ飲み干した。

 それから部屋に戻ってチェストから派手な幾何学模様のブリーフを出して穿き、籐のカゴに放り込んであったチノ素材のショートパンツを穿いて、スネ毛を軽く撫でつけ、携帯電話で再び波情報をチェックした。

 するとこちらも更新されていて、千葉は北も南もほぼ頭オーバーの波となり、所によってはジャンク、クローズアウト、サーフィン不可、と表示されたポイントも出始めている。


「もうダメじゃん、俺」


 井田は思わず声に出して苦笑した。

 そしてあまり気が進まなかったけれど、ハナコの携帯に電話して、入り江の波の様子を訊くことにした。


 長い呼び出し音が続く。

 その間に、鴨居に吊るした木製ハンガーに手を伸ばし、チャコールグレーに細いイエローのラインが入った古着のポロシャツを身に付ける。

 その時、店の格子戸がカラカラと開く音がして、甲高いかすれ声が井田の名前を呼ぶのが聞こえた。


「リョウさん!」


「早ッ!!」


 井田は慌てて電話を切り、携帯をショートパンツのポケットに突っ込み、ドタドタと階段を駆け降りた。

 すると格子戸の外に、四角い大きなカメの甲羅のような荷物を背負ったホナミが、さっきとは打って変わって、にこやかに立っていた。


「あれ?」

「へへへ、時間通りだったでしょ?ねぇ、荷物、車に積んでいい?」

「あ、うん。ナカムラさんソレは……ボディボードなの?」

「そう。身軽で良いでしょ?」


 井田はホナミの、その少年のような雰囲気から、てっきりバリバリのショートボーダーと決め込んでいたので、ボディボードを担いだその姿にちょっと驚いた。


「荷物、それだけ?」

「うん。ボードもフィンも、タオルも着替えも全部入ってる」

「ウェットスーツは?」

「無し」

「えぇ!?ウェット無し?」

「うん。だって夏じゃん。水着にトランクスで充分でしょ」

「タッパやラッシュガードも無し??」※

「うん」


 ケロッとして答えるホナミに、井田は呆れた。


「ナカムラさん、今日、波デカイんだよ。水着だけでもし……」波に巻かれて、オッパイぽろっと出ちゃったらどうすんの?


 と言いたかったけれど、井田は慎重に言葉を変えた。


「もし……水温冷たかったらどうするの?しばらく南風続いてるから、8月でも千葉だと油断できないよ」


 するとホナミはポカンとして、井田の顔を眺めた。


「南風が続くと水温、冷たくなるの?なんで?? ていうかアタシ、ウェット持ってないし!」


 今度は井田がポカンとした。


「え、持ってないの!?ホントに??……参ったなぁ、、、台風なんだし、これからもっと波がサイズアップしたら、色々ちょっと心配なんですけど……」


 井田はチラッと、店の吊るしのウェットスーツに目をやった。

 するとホナミはすかさず言った。


「買わないよ」

「……あっそう」

「それより早く行こうよ!」


 ホナミは井田の腕を取ると、急かすように格子戸の外に引っ張りだした。

 井田はやれやれという顔をして、重い足取りで再びガレージに向かった。


 休みの日は、ワーゲンバスにエンジンをかけて乗ってやりたかったけど、万が一早めに雨が強まった時の事を考え、結局安全を優先してハイエースで出発することにした。

 そしてガレージの壁フックに、型崩れしないよう丁寧に掛けられたウェットスーツの中から、黒いゴム製のタイトなロングジョン※を選んで車の中に移した。

 レンタル用のウェットでもあれば、ホナミに貸してやれるのだが、残念ながら、まだそこまでは充実していなかった。


 女の子としては身長が高くて、スバル君くらいあるようだけど、井田よりは10センチ以上小さいように見えたし、体つきも、尻以外は華奢に見えた。

 そしてちょっと迷ってから、ラッシュガードなら多少大きくても役に立つかもしれないと思い、自分が昔使っていた白の長袖を1枚、濡れ物用の大きなシリコンバケツに放り込んだ。

 それから、ピンチングハンガーに干しっぱなしになっていたモスグリーンの大麻柄のサーフトランクスも、何となく追加した。


「ナカムラさん、悪いけどコレにそこから水汲んでくれる?」


 井田は空のポリタンクをホナミに手渡し、ガレージの奥のホースの付いた水道を指さした。


「はーい」


 ホナミは素直に返事をすると、キャップを開いて中にザーザーと水を注ぎ始めた。

 その間に、井田は自分のサーフボードが立て掛けてあるラックの前で腕を組み、3本のロングボードと、1本のフィッシュテールのミニボードを眺めた。

 もちろんミニボードは、本日の井田には用が無い。

 小波の時でさえ、乗りこなせないのだから。


 いつものシングルフィンか、それともトライフィンの方にしてみるか……

 ていうか、その前に俺、アウトに出られるのかよ?


 頭の中で大波が崩れ、岸に激しく押し寄せる白い泡波に揉みくちゃにされ、波に乗る以前に沖にさえ出られない自分の姿が容易に浮かぶ。


 井田は小さく舌打ちし、迷った挙句、多分無駄になるだろうと思いながら、9フィートちょいの長さは同じ、だけどボードの裏に取り付ける牙のようなフィンの数が、一つの物(シングルフィン三つの物トライフィン、両方を車に積んだ。

 それから念のため、ボードと足首を繋ぐリーシュコードを、切れた時の予備も含めて2本と、水の入ったズシリと重いポリタンクを載せ、最後にボディボードを適当な隙間に押し込んだ。

 ホナミは点検するように荷室を覗き込むと、


「板、斜めにしないでよ」


 と釘を刺し、さっさと助手席に乗り込んだ。

 そして井田は、相変わらずみぞおちを撫でながら運転席に座った。


「んじゃ、行きますか……」


 自分を励ますようにつぶやくと、後は覚悟を決め、しかし行く先は決まらぬまま、とりあえず千葉に向けてハイエースは出発した。


 空は青かった。

 その空を、小さくちぎったような雲が、上空の早い風に乗ってどんどん流れていった。

 その風は、公園の木々の枝を怪しく揺らし、セミの声と重なりあって、不穏な気配をかき立てた。






※ロングジョン  

丈は足首で袖は無い、体にフィットするオーバーオールのようなタイプのウェットスーツ。レトロスタイルを好む人が着る場合が多い。タッパと合わせれば気温の低い春秋もOK


※タッパ

夏場、トランクス一枚では冷えそうな場合に着る上半身用のウェットスーツ。ジャージ素材、ゴム素材、半袖、長袖、袖なしなど色々ある。


※ラッシュガード

タッパよりもっと簡易的な、上半身用のナイロン素材のウェア。冷え対策というよりは、過度の日焼け防止や、怪我防止に着る。安価なので、初心者の頃はまず買い揃えるアイテムの一つ。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ