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あたしはアヒル3  作者: るりまつ
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言いつけを破る




「ぎえぇぇぇぇーーーーーーーーーーーー!!!!」


                    

              ガッシャンッ



 ホナミが突然、甲高い悲鳴を上げたので、井田は指で心臓をど突かれたように驚いた。

 いつのまにかハナコの生々しい語り口に、すっかり引きずり込まれていて、握りしめたカップが皿とぶつかり、大きな音を立てた。


「屍姦の話し、終わったか?」


 哲郎は忌々し気にハナコに訊いた。


「あとちょっとで終わり」

「……ま、まだ続きがあるんですか?」

「そんで結局どうなったんスか??」


 井田は平静を装って、コーヒーの残りを一口、ゴクリと音を立てて飲み込んだ。

 ホナミは両手を太腿の間に挟み、ハナコの方に身を乗り出して続きをせがむ。

 そして哲郎はもう耳は塞がず、フゥとため息だけをついた。


「次の日の朝早くね、その男の父親が入り江に来たら、いつもならとっくに起きて、堤防で船の支度をしているはずの息子が見当たらないの。

 で、おかしいな、まだ寝てるのかな、と思って二階に上がって、仮眠所の扉を開いて中を覗いたらね、せんべい布団の上で素っ裸の息子と、髪の長い女が白目をむいて死んでたんですって。しかもなぜか騎乗位で、、、あっはっはっはっ!!!」


 結末を一気に言い終え、ハナコはさも可笑しそうに大きく口を開いて笑った。

 しかし井田は全く笑えなかった。


  き、騎乗位で??


 するとホナミが真顔で訊いた。


「ねえリョウさん、きじょーいって何?」

「へっ?!……何って、、、それは、、、」


 その死に様について、ホナミがまた次元のズレた質問をしてきたので、答えに困った井田に代わって、哲郎がニヤニヤしながら説明した。


「騎乗位ってのは仰向けに寝てる男の上に、女がまたがってエッチする事だよ。ホナミンはやった事ないのか?」

「あー!そっか、分かった!!やったこと??あるあるある」


 ホナミは哲郎の質問返しに、まるで跳び箱に跨る程度にカラリと答え、果たして本当に意味が分かっているのか怪しいものだった。

 井田はこのまま話しが、聞きたくもない跳び箱体験談に発展するのを恐れて、ホナミを無視して自分の疑問を口にした。


「でもそれ、、、死んだ女が上って、かなり不可能じゃないですか? ていうかその話し自体、ちょっと矛盾してますよね?」

「リョウ君的には不可能か……」


 哲郎がカウンターに肘を付き、唇の下の短いヒゲをつまみながら神妙につぶやいた。

 井田もつられて片腕を組み、アゴをこすりながらその可能性について想像を巡らせる。


「……うーん、対面座位ならともかく、、、て、何言わせるんですかっ!?」

「ひゃっはっはっはっ!!う、いけねぇ。また『はしたない』って怒鳴らないでくれよな?」


 まんまと下ネタに乗った井田を、哲郎はからかうように笑った。

 井田は、思わずホナミの方をチラリと見たが、ホナミはきょとんとしていて、全く意味が分かって無いようだった。


「でもな、この建物の二階で、地元の信用も厚かった青年が、死亡推定時刻の全く違う、身元不明の女を股の上に座らせたまま死んでたのは事実だ。

 どうしてそれが実現可能だったのかは分かんねぇ。リョウ君が言ったように、座位でイッて、そのあと男の方が後ろに倒れたのかもな。

 女の方はとっくに死後硬直してたから、そのまんまだったとか? 

 結合部からは大量の精液が溢れ出てたんだと。 それも一回分だけじゃない。

 男が、死ぬほど良くって自分からやれるだけやりまくったのか…… それとも死んでる女に上に乗られて、何度も何度も絞り取られて、挙句の果てには命まで吸い上げられちまったか?

 ……いずれにしても男の俺達にしてみりゃ、ちょいとゾッとしねぇ話しだろ?」


 哲郎は肩をすくめ、そしてさらに付け足した。


「……ちなみにハナコの心肺蘇生の話しは、誰かが事件を面白おかしくしようとして、後から作られたでっち上げだ」

「え、、、?作り話なんですか?!?!そっちの話しこそ本当かと思いました!……でもそうですよね、男も死んでたんなら、そんな細かい事まで 分かるわけないですからね……変だとは思ったんです」

「なーんだ、超びびっちゃった!ハナさんスゴイ、迫真の語り!!」

「うふふ。夏にね、この部屋でロウソク立ててお客さんにこのお話すると、みんな、怖い怖いって言って喜ぶのよ」


 ハナコは自分の話が、二人を充分に怖がらせた事に満足そうだった。


「そんな話、べらべらしゃべるからローカル達に嫌がられて、オマエがフカ女とか呼ばれるんだぞ?たいがいにしとけよ」


 哲郎に横目でジロリと睨まれ注意され、ハナコが長い舌をぺろりと見せる。

 その桃色の舌を見て、井田はまさにハナコこそフカ女だと思った。

 そしてふと気になった事を口にした。


「ところでハナコさん、、、その仮眠所って……つまりこの上、なんですよね?」

「そうよ」


 井田とホナミは同時に天井を見上げた。


 黄色い間接照明を受けた吹き抜けの天井で、黒いシーリングファンが、こちらを見下ろしながらゆっくりと回転している。


「この上って、今もマジで部屋があるんすか?あっち側は穴あいてるけど」

「あるわ。私、その穴の奥で寝てるんだもの」

「……ハナコさん、、、」


 井田は思わず絶句した。


  信じられない……そんな薄気味悪い事件の起きた建物の、しかもその部屋で寝起きしてるなんて……この人はいったい、、、


「ハナコの神経はフツウじゃない」


 井田の心を読み取るように、哲郎は言いながら胸ポケットからタバコを取り出し、ハナコがショートパンツから細いライターを差し出す前に、自分の銀色のオイルライターを出し、蓋を開いて火を付けた。

 先程まで漂っていたほろ苦いコーヒーの香に、クセのあるオイルの匂いが微かに混じる。


「最初、不動産屋さんに案内されて、この中を見せてもらった時には、一階の天井はあったの。でもその時は、その部屋には入る事も見ることもできなかったの」


 ハナコは、ほっそりした腕を伸ばし、空いたコーヒーカップをそれぞれの前から集め、再びキッチンの中へ入っていった。


「二階に上がれる階段が、さっきも言ったように、そこのベニヤの扉を出ればあるんだけど、それを昇って行っても、肝心の、部屋に入れる扉自体が無かったの」


「階段はあるのに扉が無い?」


「そう。壁材で長方形に厚く塗り固めた跡があるだけで。不動産屋は何だかゴニョゴニョ誤魔化してたけど、哲郎さん曰く、多分その父親が、扉ごと部屋を封印したんじゃないかって」


 哲郎はタバコの煙に目を細め、カウンターの洋酒の瓶と瓶の間に置かれた、小さな白い巻貝を見つけて、太い指でつまみ上げた。


「その事件があった年は、やたら事故が多くてな。 興味半分でここで肝試しをした中学生が溺れ死んだり、建物を取り壊そうとした工事関係者が大怪我したり、挙句にその会社が倒産しちまったり。

 まあ、小さな村にしてはイヤな事件が色々続いたんだ。

 だからこの建物は、ぶち壊すことも恐れられて、このまま手を付けられずに残された。

 俺達も学校や親から、フカ女の入り江には絶対に近づくなって言われてた。

 そんで結局、良い漁場だったのに、誰もここには寄りつかなくなっちまったんだ。

 ……俺が知ってるのはそこまで」


 そして貝を元の場所にそっと戻すと、おしまい、と言うようにその殻を指で弾いた。



    コツン。


  

 しばらくの間、誰も何も語らず、小さな沈黙が訪れた。


 ハナコはスチールの食器戸棚にもたれて、雨が白く窓に当たるのを眺めている。

 さっきまでスピーカーから流れていた、軽やかなBGMはとっくに終わっていて、聞こえてくるのは、風と雨が吹き交い、唸る音だけ。

 その音に耳を済ませた後、ハナコは天井を見上げて言った。


「4年前にその元の持ち主が亡くなって、ここが売りに出されたってわけなんだけど、哲郎さんは、買うのは絶対やめた方が良いって言って……。

 社長もそんな訳アリの場所なら、渋々諦めようと思ったみたいなんだけど、私が、どうしてもここが気に入っちゃって……。

 それでもう一度……もう一度、見るだけ見たいって、我儘言って、また来たの。

 不動産屋もあんまり同行したくなさそうだったから、鍵だけ借りて社長と哲郎さんと三人でね。

 そしたらね、驚いた事に、その時にはこの天井がすでに崩れ落ちてたの」


「崩れ落ちてた」


 井田はその言葉を繰り返した。


「そう。ぽっかりと大きな穴があいてて、そこの床に瓦礫がれきが積もってたの。

 そして海側の上の窓から、真昼の光が眩しいくらいに、この中いっぱいに差し込んでてね、最初案内された時みたいな、暗い雰囲気は少しも感じられなかったわ。

 まるで生き返ったみたいに、空気が全く違ったの。

 それを見てね、私、直感的に思ったわ。もう悪い事は起こらない、って。

 可笑しく聞こえるかもしれないけど……『私が来たから大丈夫』って確信したの」


 ハナコはきっぱりとした声で言った。

 それを聞いてホナミがぽつんと呟く。


「フカ女の復活」


「まあそんなところね。ふふふ」


 ホナミの補足に、ハナコは気を悪くするどころか逆に誇らし気に見えた。


「なんかさ、カッコいい肩書きじゃないっすか、フカ女。悪女ちっくで。それに、そのきじょーいの女の人、すっげー美人だったんでしょ?」


「そうよ、ホナミン。死んでるって分かっていても、思わず抱きたくなるほどに」


 ハナコは両手で髪を掻き上げ、その長い指で首から肩をゆっくり撫でて微笑んだ。


「そんでもって、てっさんは……」


「ん?」


「言いつけを破って、この入り江にまた来ちゃったんだ」



      

 4年前、御園生に立ち会いを頼まれ、この入り江にやってきた。              

 その時、初めてハナコに会った。


 


 ホナミの何気ない一言に、哲郎は珍しく、返す言葉がすぐには浮かばなかった。

 戸惑いながら、大きな太い指でオイルライターの蓋を弄ぶ。

 傷ついた鏡のような銀色のその蓋に、自分の顔が歪んで映る。


 その時、ジーンズの尻ポケットから、携帯電話の着信音が鳴り響いた。








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