なぜにあなたはロミオなの?
荒れ始めた台風の海で、強いオンショアの風に吹かれながら、しぶとく波待ちするサーファー達。
例えばメガネを掛けた気象予報士の横に、 傘と強風マークが全国的に点滅する日本地図が映し出され、その背景に、こういったサーファーと海の映像が映し出されると、『あいつら、バッカじゃねーの?』とお茶の間から冷笑される。
そんな本カガミの本日の顔ぶれは、 万年中堅ローカルのケンジを中心に、レギュラー側にササラ、タケル、そして気弱に見せかけておきながら、実は『ぶっ込みのコンちゃん』と呼ばれているコンノ少年。
心優しき中堅ローカル・ケンジの本業は漁師。
そして自宅の庭の片隅に建っているプレハブ小屋で、 副業としてサーフボードのリペアもやっている。
ヒマさえあれば週刊青年コミック誌を読んでいて、無駄に声が大きく、 身だしなみにも気を使わないガサツな男。
しかし根が親切で細かい事は気にしないタイプなので、ボードの修理代も大ざっぱで格安だ。
けれどそのガサツさがリペア技術にも反映されていて、例え無料で直すと言われても、お気に入りのボードなら絶対にお願いしない方が良いと評判の、 何のためにやっているのか分からないインチキ修理屋だ。
この男が、果たして絡んだ魚網をキチンと解けているのかどうかは、カガミハマの謎だった。
小柄なコンノ君は、今、デカい波が面白くてたまらない、という17歳の少年だ。
一見、謙虚に怖がるようなフリはするものの、バックリと落ちて来るダブルほどの波にも、際どい位置から攻めのテイクオフを仕掛けていく。
それが見事に決まって、ボトムターンで弾丸のようにリップに駆け上がってくる事もあれば、恥ずかしいほどのM字開脚で、頭からブッスリとボトムに突き刺さる事もあり、見る者をハラハラと楽しませてくれる。
なので、波がデカめの日には必ずピークの端っこに、カレーの福神漬けのように添えられている期待の未成年だ。
そしてその反対、グーフィー側には岩石のような顔をした本郷と、その舎弟AとB。
本郷はササラの宿敵である。
本郷とササラは生まれた時から仲が悪い、と言っても過言では無い。
家業は同じ宿泊業で、親同士も徹底的に仲が悪く、マルカワの病院で二人の母親がほぼ同時に産気づいた時、それぞれ分娩室に運ばれる寸前まで、 ののしり合いのケンカをしていた、と言うウワサがあるほどだった。
狭い地域なので、小、中、高と同じ学校で、幸いなことにクラスは別々であったけれど、顔を合わせればすぐに取っ組み合いのケンカが始まった。
宿命的に仲が悪いのでどうしようもないのだけど、そのクセいつも同じような趣味を持って、同じような場所に出入りし、同じような女を取り合っていた。
しかし、二人とも顔にキツイ特徴があるので、たいがいどちらも同じようにフラれていたが。
しかしササラの方が、父親の民宿で働きだした年上の女に誘惑されて、20才であっさりデキ婚し、二児の父となってしまったのが本郷は面白くなかった。
なので最近は、最後の切り札を使ってササラの挑発を試みる。
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氏 名:笹良 艪美雄
ふりがな:ささら ろみお
(姓と名の間はスペースを空けて下さい)
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カガミハマの隣町、マルカワに一つだけあるレンタルビデオ屋に残されたこの記録は、氷のように冷たくトカゲのような目を持つ男、ササラの本名であり、その登録用紙には、本人の運転免許証のコピーが添えられている。
コピー用紙に浮かび上がった白黒写真は、そのあまりの凶悪さに、アルバイトの女のコ達が切り抜くのを恐れて、しばらくスタッフルームの掲示板に画鋲留めされ、さらし物になっていたという。
まるでブラックリスト会員のように。新規登録だったけど。
長男の名前は明で、祖父が名付けた。
なので『次男は是非、私に』と、母親がわざわざ懇願して付けたのが 、このロミオという顔に似合わないDQNネームだった。
小学校4年を過ぎる頃から、この名前をクラスメートにからかわれると、ササラは発狂したように怒り出し、辺りが血の海と化すようになったので、そのうち教師達も、ササラのことは苗字でしか呼ばないようになり、今、堂々とこの名を口に出して呼べるのは、妻の摩璃華婦人と本郷くらいなものだった。
ちなみにマリカは、中学最初の中間テストで、名前を書くのに時間が掛かるから、最後に書こうと思っているうちに、うっかり名無しでテスト用紙を提出してしまい、0点を食らったことがあるという。……それはまあ、どうでも良い話であるが。
そんなDQNネームを持ちだして、ササラを挑発したがる本郷は、両親の営むペンションを適当に手伝う淋しがり屋の長男坊で、いつも近所の後輩であるAとBを従えて行動している。
たまに窮屈なカガミハマを脱出し、東南アジアにサーフトリップに行き、良い波に乗って、女にモテた気になって帰って来る24才。
AとBは、タケルが知り合った時からローカル達に「エー」と「ビー」と呼ばれていたので、タケル自身は彼らの本名が何なのかは知らない。
ここにも何か秘密は隠されているのかもしれないが、誰もあまり興味を持つことは無いようだ。
そんなアウトサイドのピークの顔ぶれ。
大きな波のうねりが、回転しないメリーゴーランドのように、タケル達をゆっくりと持ち上げて、また降ろす。
波のサイズは充分あっても、フェイスがガタガタになってきて、乗る気をそそる波がなかなか来ない。
このまま待っていても、風で波は悪くなる一方だった。
ピークの7人は数本の波をスルーして、それを拾ったビジターが、レギュラーとグーフィーに消えて行った。
せっかくレギュラーで波待ちさせてもらえたのに、もうカガミハマ特有の、美しいチューブは望めない。
入れて一瞬、それもすぐに強いオンショアで押し潰されてしまうだろう。
本カガミのピークデビューの期待と興奮は半減し、タケルは苦虫をかみつぶしたような表情で、沖の西側の空と海の色が、黒っぽく変わったのを眺めていた。