今度、俺の名前を呼びやがったら・・・
さっきの大きなセットが去った後も、 まだアウトには30人弱のサーファー達がバラバラと波待ちしていた。
その中で波を取れるのは、ピークの中のたった一人だけだ。
もしくはもう一人、あまり形良いチューブにはなりにくい、グフィー方向の波で妥協した者だけ。
波の両脇の、ショルダー部分で波待ちしていたら、 ピークの誰かがテイクオフでしくじってパーリングしたり、 ライディング中にミスして無様なワイプアウトを披露した隙を狙わない限り、 波に乗れる可能性は絶対に無い。
それでもしつこく、おこぼれを狙って、ハイエナのようにジッと強風に耐えるビジター達。
そんな中で、ピークに入ることを許されたラッキーなタケルであったが、 今度はそのピークの中で波待ちするローカル達から、最高と思える波を1本、 今日は何としてでも頂戴しなくてはならない。
『オンナと約束しちゃったから、良い波一本下さいな』
と頼めれば良いのだけれど、そんな事言えるはずもない。
タケルとササラは、大きなうねりに小舟のように上下に弄ばれながら、 ようやくアウトのショルダーの端に到着した。
すると少し右寄りに、薄いショートボードにまたがって、 二人がやって来るのをジッと待っている男がいた。
がっちりとした体に、黒の薄いラバーの、ロングスリーブのタッパを着て、 クレイジーカラーの派手なサーフトランクスを履いているのは、 さっきのセットが入る前に、頭半ほどの波に乗って行ったローカルの一人だった。
それを見て、ササラはチッ!と舌打ちした。
男は、岩石のように頬骨とエラの張った顔をしていて、 伸びかけのソフトモヒカンのような髪を、強いオンショアの風に潰され、 埴輪のような小さな目でササラを見てニヤリと笑い、それからタケルのことをじっと見た。
タケルはちょっと距離があるな、とは思ったが、
「こんにちは、ゴウさん」
と、張りのある声で挨拶した。
するとササラは、鋭い目をしてタケルの方を振り向き、
「本郷に話しかけんじゃねえ!」
と吐き捨てるように言った。
その声は、本郷と呼ばれた男の耳にも届いていたようで、 感情の読み取りにくい、小さな目の奥に潜んだ敵意をキラりと光らせ、 それからタケルからスッと視線を外すと、ササラに向かって言った。
「よう、ロミオ!今頃来ても、そろそろクローズだぜ?」
「うっせぇ、黙れ」
ササラはほとんど相手にしないで、そのまま本郷に水を掛けるようにパドルして 横を通り過ぎていったが、タケルは本郷の言った言葉を聞いて、 思わず口を不自然にすぼめて顔を引きつらせ、聞こえなかったフリをした。
本郷は『黙れ』と凄まれても全く平然とした様子で、 ササラのすぐ横に並ぶと、自分もしぶきを上げてパドルを開始した。
それに気付いたササラは、うっとうしそうに片目を細めて言った。
「何、付いて来てんだょ、おめ—らの時間はとっくに終わっただろが」
「は。いいじゃねーか。もう乗らねーよ、そのかわり見物ぐれーしたって良いべ? おめ—の舎弟のピークデビュー、見せろよ!」
「タケルは舎弟なんかじゃねぇんだよ!」
ササラに軽く怒鳴られ本郷は、少し後ろを大人しく付いて来るタケルの事を、 チラッと見て鼻で笑った。
「よう、アイルのライダー!ホントはビビって『入りたくねー』って、オカでグズッてたんだろ?」
「おい、本郷!おめ—がそうやってゴチャゴチャしゃべるとウゼぇんだよ! ピークに残ってるあと二人連れて、サッサと上がれや!!」
タケルが何か言う前に、ササラがピシャリと言い放ったので、タケルは黙って大きな目を見開き、口を横いっぱいに広げて本郷に白い歯を見せ、笑顔を返す。
その笑顔の浮かんだ鼻の横に、ピリッと稲妻のように細い横ジワが走る。
途中、ショルダーで波待ちしている何人かのサーファーが、 ササラに『こんにちは』と挨拶してきたが、ササラはそれを一切無視し、 タケルはその後ろを、軽く会釈しながらパドルで付いて行く。
そしてそれをからかうように、本郷がまた大きな声で気に障ることを呟いた。
「タケル君は良いよな〜。ロミオのお陰で、ビジターでもピーク入れちゃうんだもんな〜」
周りにいた何人かのサーファーが、タケルの事を一斉に見る。
ササラは、パドルしていた手を一瞬止めた。
そして素早く上体を起こしてボードにまたがり、凄まじい形相で、すぐ横を這いつくばるようにパドルしていた本郷のソフトモヒカンを鷲づかみにし、 その上半身をグイッと力任せに持ちあげた。
岩のような顔を覆った分厚いツラの皮が引きつれ歪む。
それからササラはその固い石頭に、自分の長い腕を絡みつけ、 万力のようにジワリと力を込めて押さえ込むと、呪うような低い声で囁いた。
「今度、俺の名前をココで呼びやがったら……てめぇぶっ殺す」
力こぶの浮いた二の腕で、龍の刺青が生き物のようにのそりと動く。
それから突き放すように腕を解くと、本郷は水しぶきを上げてボードごと横に引っくり返った。
一瞬、ショルダーで波待ちするビジター達の間で緊張が高まった。
しかし本郷はニヤニヤとしながらボードに這い上がり、 ササラは再びパドルを開始すると、ピークのローカル達の中へ入って行き、 タケルも転がった本郷の事はもう無視して、黙ってササラの後を追った。
ピークには、アウト寄りの一番良い位置に、紺色のスプリングのウェットスーツを着た、30代半ば位の男が背中を丸め、露出した黒い腕を組みながらボードにまたがり、沖を見つめて波待ちしていた。
ササラは、男に後ろから声を掛けて挨拶を済ませると、 タケルの方を振り返り、そしてその男に対して挨拶するよう、目で促した。
タケルは頷き、上体を起してボードにまたがると、 風にかき消されないよう、ハッキリとした声で、
「ケンジさん、こんにちは」
と言った。 ケンジと呼ばれた男はタケルを見ると、
「よ、待ってたぜ〜」
と軽く答え、両の眉毛を下げて笑ってくれた。 タケルはホッとして、
「よろしくお願いします」
と言うと、 他の若い三人のローカル達にも丁寧に会釈した。
すると、他の三人もつられて会釈を返したが、その内の二人はハッとして、 すぐに本郷の顔色を伺うように、チラリと視線を横に走らせた。
「ケンジさん、こいつ、どこに居て良いっすか?」
ササラが訊くとケンジは、
「 ん? 」
と言って自分の後ろをちょろっと見渡した。そして
「そこでいんじゃね?」
と言って、レギュラー側の、ショルダーとピークの境目の、 さっきからずっと、若手ローカルの一人が波待ちしている前の辺りをアゴで指し示した。
ササラとタケルは、それを聞いて思わず目を合わせてニマッと笑った。
「ありがとうございます」
タケルはケンジに素直に礼を言うと、タケルの後ろに回ることになってしまった若いローカルの一人の方を向き、
「いつもごめんね、コンノ君」
と小さく謝り、それから待ち位置が前後に重ならないように注意して、言われた位置より少しショルダー側に寄って、ボードにまたがった。
コンノと呼ばれた少年は、
「気にしないで下さい。オレ、もうそろそろ限界。 さっきのセットで、すげぇパーリングぶっこいちゃったし、乗れるの来たら速攻上がりまーす」
と言いながら肩をすくめて脅えて見せると、無邪気に笑った。
そして本郷は面白くなさそうにフンッ、と鼻を鳴らし、 それからしつこく、ササラと他のグーフィー側で待機している若手二人の間に入り込み、 ケンジの後ろ側を陣取った。
その態度は『もう乗らねぇ』と言ったクセに、 まだ乗る気満々としか思えなかった。
タケルはそれを見て大きく息を吸い込み、それからフーッと、長くゆっくりと息を吐いた。
ゴウさん、早く上がってくんねーかな……
一緒に居るとササラ君がイラついて来て、こっちまで調子狂っちゃうよ……
そして自分の心もなだめるように、少し長めのボードのノーズからレールにかけてを 、白い仔馬の首を撫でる様に、優しくなぞるのだった




