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あたしはアヒル3  作者: るりまつ
34/48

パドルアウト PM2:00



 カガミハマの上空は、すでに重苦しい灰色の雲にすっかり覆われ、生暖かい湿気を含んだ南風が、沖の方から強く送りこまれてくる。


 その沖に向かって左にタケル、右にササラ。

 二人は3メートルほどの間をあけて、本カガミのアウトサイドへ並んでパドルアウトしていた。


 激しいオンショアに押し戻されないようにと、強いストロークで海水を掻く。速く、確実に、腕を繰り出す。


 カレントは強烈で、これに乗れば普段ならあっという間に沖に出られるはずだったが、 吹き付ける風がそれを阻み、見えない手のひらのように容赦なくタケルとササラを押し返そうとする。


 大きな波は、一番高く盛り上がった波の頂点(ピーク)から、 海に向かって左のレギュラー方向と、右のグーフィー方向へ、 その波先をボトム深くねじ込みながら、三角形に崩れて行く。

 そして大量の気泡をその内側に取り込んで、 白い塊りに姿を変え、岸をめがけて押し寄せる。

 そのせいで波打ち際(インサイド)は、沸騰したミルクの鍋を引っくり返したように白く泡立って見えた。


 タケルは、斜め前を行くササラの位置をチラリと確認した。

 ササラのパドルは速い。

 身長が180センチ近くあるササラは、 長い腕を繰り出し、スープ(泡波)の上をぐんぐん進んで行く。


 日に焼けて、ソバカスの浮いた褐色の肩と滑らかな背中、 そして波と龍が絡み合う、タトゥーの入った二の腕に、 かっちりとした筋肉が躍動する。

 Tシャツを着ていると、そのほっそりとした体に、そんな逞しい筋肉が隠れている事も、 両腕にそんな墨が刻まれている事も全く分からない。 


 ササラはかなり強引で、口うるさくお節介だ。

 しかし、実はすごく優しく情の厚い男だと言うことを、タケルは分かっていた。

 そして氷のように冷たい顔に似合わず、ロマンチストで照れ屋なことも。


 過去には殴られ、酷い目にあったけれど、今ではタケルを気の置けない仲間として扱ってくれるし、タケル自身もササラの事を信頼していた。

 そんなササラに置いて行かれないように、タケルもしっかりパドルする。


「んが〜!もぉ、たまんないねこの風、、、鼻の穴にしぶきが吹き込むよ!!」

「ははは!おめー鼻、でけぇかんな!俺の細目でも開けてんのキツイわ、こりゃ!!」


 前からの風を避けるように二人は横を向き、お互いのしかめ面を見て笑った。

 するとその風より強く、ボードがグググッ、と沖へ引かれるような感覚が伝わり、 目を凝らすと、そこに大きなウネリの影が入って来るのが見えた。

 その影は、見る見るうちに濃く横幅を広げ、そして次第に高さを増して行った。


 濃紺の、巨大な波のセット。



「ヒューーーーーーーーッ!!」

「ヒョーーーーーーーーッ!!」



 ササラとタケルは同時にため息のような奇声を発し、パドルする手を休めると、 その巨大なセットの動向を見守った。


「来た来た来たぁぁぁーーーーーーーっ!」

「こりゃ今日にしちゃ、でっけぇーなぁーっ!!」


 一本目の波は、大人二人分の身長を、優に越すほどの高さがあった。

 それはほとんどのサーファーが波待ちしていた位置より、だいぶ沖で早くもえぐれ、そして荒いノコギリのようにギザギザとした波先は、オンショアに急かされ、あっという間に崩れ始めた。


 ピーク周辺にいたローカルサーファー達は、 目の前に広がった固すぎるゼリーのような波の壁に、ボードの先端を突き刺して潜りこみ、その裏側へと逃げ込んだ。

 逃げ遅れた一部の者が数人、ノコギリの餌食になって、 そのまま為す術も無くボトムに叩き込まれ、切り刻まれた。

 それでも一人、ショルダーから果敢にテイクオフした若いビジターサーファーがいた。

 国道から見ているギャラリー達から一斉に、「行けー!行けーー!!」と歓声が上がる。

 そのビジターは、斜面を滑り降りながら、波の中腹で一度バウンドし、バランスを崩しかけた。が、なんとかボトムまで降り切ってターンを決め、再び波のトップへ駆け上がり始めた。

 しかし鋭いリップは再び右の方からあっという間に迫り来て、 その姿を、サーフボードを、白くさざめく波のベールで覆い隠し……

 ギャラリーは息を呑み……


 そして、そのサーファーは姿を見せないまま、 失敗したトリックショーのように、波が一気に崩れ落ちた。


 鈍い音が、カガミハマの湾一面に響く。

 同時にギャラリーから、「あぁーーーー!!!」という、同情のどよめきが起こった。

 二本目も同じような波で、ピークから一人、頭から突っ込んでパーリング。

 ショルダーの高い位置からもう一人、やはりテイクオフ失敗。

 すぐにその後、また一人が挑んで行き、今度はテイクオフには成功したものの、ボトムターンで上に上がり切れないまま分厚いスープに呑まれて見えなくなり、結局、綺麗に一本メイクできた者は誰もいなかった。

 そしてようやく、少し小ぶりになった3本目の波には、気弱になったサーファー達が殺到し、『一つの波に乗れるのは一人』というワンマン・ワン・ウェーブというサーフィンの鉄則を破り、前乗り上等とばかりに、ショルダーから一斉テイクオフし、その波を横ではなく、真っすぐ前に滑り降り、逃げる様にアウトからミドルへ、そしてそのまま岸に向かってパドルして行った。


「はは〜。今の一撃で、大分みんな上がんな。……少しはくべゃ」


 ササラが、気の抜けたような声で呟いた。

 

 そしてセットの余波で、ミドルの波も、今までより大きく膨れ上がった。

 波面は、まだサーフィンに決定的な支障をきたすほどではなかったが、 真昼の頃の整ったフェイスに比べると、明らかにささくれ立って乗りにくそうだ。

 押し寄せる厚みのある白いスープを、2回ほどドルフィンスルーでくぐり抜け、 二人はさっきより更にペースを上げて、アウトへの中間地点を越えて行く。


 本カガミのアウトサイドは、岸からの距離がかなり遠い。

 ミドル付近の中途半端な波で、『本日最後の一本』というようにライディングして行くサーファー達を、右に見送る。

 そしてタケルとササラは横に並んで、そういった波には目もくれずにアウトを目指す。

 せり上がる、いびつに歪んだ頭サイズの波。

 それを強いパドルで加速して、崩れる前に登り切ろうとする。

 しかし、サーフボードの先端が、波より高く突き出た時、予期せぬ突風が吹きつけた。


 砂嵐のような音を立てて海面を走る強風。


 水しぶきが小石のように顔に叩きつけられ、 思わず口に力を込めて目をつむりそうになる。


 その時、タケルのボードの先端が、フワリと浮き上がった。


 まるで強風にノーズを掴まれ、そのまま後ろに押し倒されるかのようになり……


「うおっ!!」


 タケルは短く叫ぶと、慌てて右手を伸ばし、早押しゲームのごとくノーズを叩き抑えた。

 そしてパドルで後ろに回っていた左手も勢い良く前に振り出し、 上半身で、風に煽られたボードの前を思い切り押し返す。



  フッ・・・ 

       


 と、脚が宙に浮くような感覚……



 しかしすぐにバシャンッ!!と大きな音を立て、ボードはなんとか波を登り切り、前のめりに着水した。

 リーシュコードが鞭のように波面を打つ。


 ササラもボードの前に体重を掛け、 頭を低くしてノーズを押さえ込んでいた。

 一陣の強風が収まると、タケルは思わず目を丸くして、


「引っくり返されっかと思った……!!」


 と、つぶやいた。

 ササラはタケルの方をチラリと見て、


「風、やっべえな」


 と短く言うと、そのまますぐに前を向いてパドルを開始した。


 ササラが妙に冷静なので、タケルもそれを見てホッとした。

 しかし心の中では、自分の真新しいサーフボードの事が気になった。

 今までいくら台風とは言え、ゲッティングアウト中に、ボードがこんなに風を食らうことは一度も無かった。



 いつものボードより長いせいか?


 いや、4インチくれーじゃ変わんねーだろ??


 でも……やっぱ、こんくらいの波のサイズだったら、いつものにしとけば良かったかな?


 すぐ慣れるって、気にすんな。大丈夫だ。


 でも……何かテイクオフで、この鼻、刺さりそう。


 バカだな、ノーズロッカーも強めになってんだから。刺さらねーよ。


 でも……面も荒れてきたし、もっと波いい時に試してからにすれば良かったかな、、、


 心配すんな、こいつを信じろ!!



 両手の中にある、白く真新しいサーフボード。

 タケルの脳裏に、あの時哲郎が見せた、自信に溢れた笑顔が浮かぶ。



  そうだ。オレは信じる。



 ひとしきり自問自答を終えると、タケルは一人頷いた。

 そして右手でボードの鼻先をポンポン、と軽く叩いてやり、それから金茶色のクセ毛をいじくりまわす強風を振り払うように、 顔を上げ、胸を張り、再び力強くパドリングを開始した。


 すぐにササラに追いついた。


 そして本カガミのアウトサイドはもうすぐそこだ。







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