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あたしはアヒル3  作者: るりまつ
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決意と別れ




「井田店長」


「ん?」



 閉店後、井田がソファーに座ってPCに売り上げ報告を打ち込んでいると、店の外照明を消して帰り支度を済ませたスバル君が、横に来てモジモジと立っていた。

 その顔には、いつにもまして生真面目な表情が浮かんでいて、 両手で、前に下げたバックパックの小さな持ち手部分を、固く握りしめていた。


「どした?」


 井田はキーボードを打つ手を止め、 優しい声で、コーヒーテーブルの向かいのイスに座るよう促した。

 しかしスバル君はかたくなに立ったままで、そして言いにくそうに切り出した。


「店、、、辞めたいんです」


 それを聞いて、井田は何か言おうとしたものの、咄嗟に言葉が見つからず、そのまま片腕を組み、アゴの下を細い指で二、三度こすってスバル君の次の言葉を待った。

 アゴをいじるのは、井田の困った時のクセだった。


「徳島に……引っ越そうと思うんです。牟岐むぎってとこに、ボクの婆ちゃんが今一人で住んでて……そこの駅の横で、タバコ屋みたいなのやってるんです。そこからだったら、宍喰ししくい生見いくみも近いし、生見には知り合いのサーファーも何人か住んでて……」


 スバル君の話しかたは、相談と言うより、もう既に心に決めた事の報告だ。


「……もっとサーフィンに集中したいんです。いろいろ面倒見てもらってるのに勝手なこと言って、店長にも社長にも本当に申し訳ないと思うんですけど……次は絶対に、勝ちたいんです!! ……負けたくないんです」


 勝ちたい、という言葉にスバル君は力を込めた。

 その強い気持ちは、大会なんて出たこともない井田にだって、充分理解できる。

 スバル君自身も、そうやって勝ち上がってきたとはいえ、 やはりプロトライアルから来た同じ年頃のコに大差を付けられて負けたのは、相当悔しかったのだろう。

 プロになれたのが、まぐれだなんて思われたくない。

 だから今の環境でも頑張って、きっと勝ってみせる。

 そう思っていたが、現実はやはり厳しかった。

 都内から2時間以上かけて海に通わなければならない生活よりも、移住できる環境があるならば、より海の近くに住みたいと願うのは、勝ちを取っていかなくてはならないプロサーファーなら当然のことだろう。

 スバル君が店のPCで波情報を見ながら、午後の波のサイズアップに無念の苦笑を浮かべ、窓から見える公園の、カモの浮かぶ池を眺めて独り言を言うのを井田は聞いたことがある。



 この池が、海だったら良いのにな……



 まだ未成年の、子供じみたつぶやきだったかもしれないけれど、 それはスバル君の紛れもない本心だった。


『負けたくないんです……』と言ったあと、ふいにスバル君の色褪せた茶色い瞳に涙が浮かんできたので、井田は慌てて立ち上がり、その肩をポンポンッと叩くと、二階の部屋に連れて行った。


 結局その晩、スバル君は井田の部屋に泊まることになった。

 ケチャップの多めに入ったチキンライスと、残り野菜で簡単なスープを作ってやると、 スバル君は、嬉しそうに残さず食べた。


 それから二人で、遅くまでいろいろな話しをした。

 サーフィンの他にも、家族のこと、車のこと、海ばっかり行ってて最近別れてしまったカノジョのこと……


 そして翌早朝、スバル君は何かふっ切れたような顔をして、ハイエースでスクールのお客さんをピックアップしに行った。


 スバル君のサーフィンに対する思いを、全てしっかり受け止めた井田は、 その旨を御園生に伝えた。

 スバル君の事を思えば、一刻も早い方が良いと思った。


 御園生は、非常に残念がった。

 しかし結局、素直でマジメなスバル君の、プロサーファーとしての成長を祈って快く送り出し、これからもサポートしていくことを約束した。


 そして7月が終わる前。

 スバル君は紺色のステーションワゴンに、

 身の回りの荷物と、大切なショートボードと、夢を積み、

 伊良湖、伊勢、紀伊をつたって徳島へと、

 細い海を渡って行った。









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