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あたしはアヒル3  作者: るりまつ
23/48

そばに来て


 灰色がかった雲のかたまりが、照りつける太陽を覆う時間の方が長くなってきた。


 井田とホナミを乗せたハイエースは、平貝海岸を後にして、いくつかのトンネルを抜け、高い崖の上の国道を走っていた。

 険しい崖から遥か眼下に見える海は、暗い空と同じ色に染まり、時折り強い風に引きちぎられた雲の間から光が差すと、海面は一気に藍染のような深い色によみがえり、そしてまた波頭のささくれ立った灰色に戻る。


 エアコンを効かせた車内には、優しいハワイアンミュージックが流れていて、井田はそれに合わせて気分良さそうに鼻歌を歌っていた。

 すると、ホナミがボソッとが呟いた。


「寒い」

「えっ?」


 横を見ると、助手席で大人しくしていると思っていたホナミが、腕をかかえて身を縮めていた。


「エアコン小さくしてよ」

「……気がつかなくてゴメン」


 井田は腕を伸ばし、エアコンの設定温度と風量を弱めた。

 さっきヘタレポイントで、小一時間でも真昼の太陽を全身に浴び、自分的にあり得ない奇跡の一本と言える波に乗り、その興奮の余韻に浸っていた井田は、体も頭もすっかり熱くなっていた。

 そしてテンションが上がり気味の井田とは逆に、ホナミの方は元気を失い、しょんぼりしている。

 へタレの波に乗れなかった事と、ドルフィンスルーが上手くいかなかった事、そして何よりビキニのトップが無くなっているのも気づかなかった自分自身に、さすがに落ち込んでいたのだ。

 海に入る前までは、あんなに自信満々で小憎らしかったのに比べ、今は乾いてパサパサになった短い髪に、白いメッシュキャップを深く被り、助手席で両ヒザを抱えて体育座りする姿が、井田にはちょっと可愛く見えた。



  ん?



 そんなホナミの、日焼けして赤くなった右の頬に、何か黒い小さなゴミが付いているのを発見した。

 その異物は『 人 』という文字のような形をしていて、細くて長い。

 井田はどうにもそれが気になって、運転しながら横目でチラチラそれを見た。

 そしてようやくそれが、ホナミの目元から抜け落ちた、長すぎる人工まつ毛だと気が付いた。


「ナカムラさん……ほっぺのソレは、、、鼻毛かな?何か付いてるよ」

「えぇっ!?」


 井田はワザと鼻毛と言って、元気の無いホナミをからかってみた。

 するとホナミは真に受けて、慌てて助手席のサンバイザーを降ろしてミラーを見ようとした。

 しかしそのバイザーは、生憎あいにくミラー付きでは無かったので、今度はバックミラーをひっ掴み、その向きを無理やり自分の方へ向けようとした。


「わ!ダメだよ、運転できないからっ!」


 井田が素早くその手を払い除けたので、ホナミは仕方なく手の甲でホッペの辺りをゴシゴシ擦り、それから井田に向かってグッと顔を突き出した。


「取れた?ね、取れた??ハナゲ!!」


「ちょちょっと、そんなに乗り出したら危ない、、、ぅ、まだ付いてる。ウプッ!」


 やみくもに顔を擦ったせいで、頬に付いていた『 人 』は、今度は鼻の下に移動していた。


「な、なんだかチョビヒゲみたいだよ、、、あっはっはっ!!」


 井田は耐えきれず、声を上げて笑った。


「うそ、まじ、なに??やだリョウさん、ちょっと取ってよ!!」


 散々海で恥をかいた上に、今度は抜けた鼻毛が顔に落ちているなんて、抜き忘れの腋毛を見られるのと同じくらい恥ずかしく、ホナミは顔を真っ赤にして、井田のハンドルを握る手をグイと引っ張った。


「わ、わっ!!!」


 突然手を引かれ、進行方向がギュンッ!と山側に向かって大きくブレた。目の前にゴツゴツした崖の岩肌が迫り、井田は「危ねっ!」と短く叫びハンドルを反対側に切り返す。すると今度はフロントガラスに青空がどっと流れ込むように見え、おまけに対向車がやってきた。再び素早くハンドルを切り、センターラインギリギリで進行方向を元に戻す。ハイエースが大きく蛇行したので、後ろにいた車は急ブレーキを踏み、対向車は激しくクラクションを鳴らした。しかし何とか軌道修正した井田は、ハザードランプをつけて左の崖に寄り、それからゆっくり停止した。

 後ろの車は、大げさにアクセルを踏み込むと、井田に睨みを効かせて追い越して行った。

 去って行く車に向かって、井田は申し訳なさそうに右手を上げると「びっくりしたぁ……」と呟いて、前髪を掻き上げた。



   カッチッ、カッチッ、カッチッ、カッチッ、カッチッ・・・・



 ハザードランプの音が、心臓の鼓動のように響く。


「ナカムラさん、、、運転中に腕引っ張られるの、今日、これで二度目ですけど……」


 助手席で、ホナミはシートベルトにサルのようにしがみ付いてフリーズしていた。

 そして数回瞬きすると、ようやく口を開き、


「ご、ごめんなさい、、、」


 と、初めて素直に謝った。

 そして鼻の下にチョビヒゲを付けたまま、うつむいてしまった。


「そういうのはクセなの?危ないからもう本当に勘弁してね、、、」


 井田はホナミの衝動的な行動をたしなめた。

 しかし、そのうつむくヒゲ面を見ていたら、なんだかまた、ホナミのそういった不器用さが気の毒に思えて来た。

 

 半分伏せた目元からは、もうイソギンチャクの触手のようなまつ毛はほとんど無くなっている。

 どこか安い技術の店で付けたのであろうエクステは、繰り返したドルフィンスルーと、最後にへタレの波に激しく巻かれたせいで、あっさり取れてしまったようだ。


「こっち向いてごらん」

「 …… 」


 しかしホナミは叩かれる前の犬みたいに、身を固くしてじっと下を向いたままだった。

 井田は助手席の肩に手を当てて、ホナミの顔を覗き込んだ。

 そしてその素顔を、しばらく見つめた。

 まばらに生えた草のように、寒々しくなってしまった目元だが、その方が少年のような作りの顔には、スッキリと良く馴染む。



  カッチッ、カッチッ、カッチッ、カッチッ、カッチッ・・・・



 井田は右手を伸ばし、それから鼻の下に付いたままの、長い人型のまつ毛をそっとつまんだ。


 その時、指先が少し、唇をかすめた。



「取れた」



 そう言って井田は笑うと、それをホナミに見せた。

 それからフッと息を吹きかけ、そのウソのマツ毛を吹き飛ばした。



「こんなの付いてない方が可愛いよ」



 ホナミはハッとした。

 そして短くなったまつ毛を確認するように数回引っ張り、それから急に不機嫌な顔になった。

 白いメッシュキャップのツバを押し下げ、顔を隠す。

 それからまた左足をダッシュボードの上に乗せ、足の裏でエアコンの吹き出し口を塞いだ。



 カッチッ、カッチッ、カッチッ、カッチッ、カッチッ・・・・



 俺、なんか悪い事言ったかな……



 井田にとって、女の子を褒めるという事はごく当たり前の自然の事だった。

 それは学生の頃のナンパ癖から発展し、アパレルの職について更に磨きがかかり、井田の一つの才能とも言えた。

 なので、褒めどころの無いホナミにようやくかける事のできた『カワイイ』という言葉だったのに、そんな顔をされて心外だった。



「まだ寒い?」

「ちょっとね」



 ホナミは前を向いたまま、組んだ手でわざと腕を擦って、そのまま黙りこんだ。



 気難しいコだな……



 井田はそんなホナミを見ながら、ハザードランプを右ウィンカーに変えて、再び静かに車を発進させた。

 崖を吹き上がる風が唸り、車体を震わす。

 井田はエアコンの風量を最小にし、それからカーステのボリュームを上げ、重い沈黙を誤魔化した。

 ヘタレの海で共通の時間を過ごし、今はホナミに訊いてみたいことはたくさんあった。



 君は今、何歳なの?

 

 始めてボディボードやったのは海外だったの?

 

 キャバクラでバイトしてるというのは本当?



 なのにその好奇心は、井田の頭の中で膨らむだけで、気軽に口にすることができなかった。

 今朝、吉祥寺を出発した時から、二人の間の距離はちっとも変わっていないように思えた。


 一連の陽気な曲が終わり、滑らかなアコースティックギターの前奏が流れ始める。

 それから、優しく語りかけるような男性ヴォーカルが、沈黙の隙間をゆっくりと満たしていった。


 優しさの中に、愁いを秘めたような歌声は、ホナミの心も和らげてくれたようで、しばらく黙っていたホナミは不意に顔を上げると、井田に質問した。


「これ、なんて曲?」


「ん?これは E Pili Mai 」


「えぴりまい?」


「そう。ハワイ語」


「ふーん……」


 ホナミはダッシュボードに載せていた足を降ろし、また両手でヒザを抱えて体を小さく丸めると、その切ないようなヴォーカルに、じっと耳を傾けた。


「なんていう意味?」


「え? 『そ……」


 井田はホナミの質問に答えようとして、一瞬ためらった。

 ホナミはまつ毛の足りない淋しい瞳で、その答えをじっと待つ。


「そ、、、れはどういう意味だったかな、、、その辺にケースがあるから解説みてごらん」


「 …… 」


 ホナミは運転席と助手席の間に置かれた、何枚かのCDケースの中から、ヤシの木と青い海の写真が入ったからっぽのケースを手に取った。

 そして中の解説書を抜いて広げ、しばらくじっと目を凝らして読んでいたが、すぐにそれを畳み始めてケースの中に戻し、


「酔った」


 と言って放り出した。


「だ、大丈夫??」


 井田が訊くと、


「あろはーー、オエェ〜〜〜〜〜ってカンジ」


 と、つまらない冗談を言ってきたので、井田は思わず噴き出した。

 それを見てホナミにも笑顔が戻った。

 曲が変わって、また少しアップテンポの明るい曲が流れ始める。

 そこで井田は、ふと思いついて言った。


「帰る前に、ちょっと休憩して行こうか」

「休憩?」

「うん、シャワー浴びて」

「 …… 」


 ホナミがポカンと口を開け、その意味を図りかねているのに気付き、井田は慌てて付け加えた。


「あ、いや、休憩ってそれじゃなくって、、、あの、ちょっと先に、ブルーガーデンのオーナーがやってるビーチクラブがあるんだ。そこで何か食べよう。潮も落せるし。ナカムラさんもお腹減ったでしょう??」

「あ、ああ、うん、、、。すごく減った!激減り!!」


 あと一つ長いトンネルをくぐれば、シークレットガーデンはもうすぐそこだ。

 台風は本州に近づき、やや速度を速めたものの、関東への最接近は夜の予想だった。

 まだ行方の入り江で腹ごしらえをして、ゆっくり帰っても問題は無い。

 それにもう海には入ってしまったんだから、後は波がどれだけ上がろうが、井田にとってはどうでも良かったし、しょぼくれてしまったホナミを、もうちょっと楽しませてあげても良いかな、という持ち前のサービス精神が頭をもたげ始めた。

 それからもう一つ。

『珍しくチャレンジャーね。』と言って笑ったハナコに対して、今日の奇跡の一本を報告したい気もあった。証人を連れて。


 井田はまたアップテンポの曲に合わせて、鼻歌を歌い始めた。

 ハイエースは、最後の暗い長いトンネルに入る。

 ヘッドライトの明りだけが頼りのトンネルの中、暗い助手席で、ホナミは抱えたヒザの上に顔を伏せた。


 

  胸の中がモヤモヤする


  本当に酔っちゃったのかな……


  ごはん、食べれるかな……


  熱があるのかも……顔が熱い  


  日焼けのせい? 


  なんだか鼻の下がヒリヒリする   


  リョウさんの触れたとこが……痛い……



 少し顔を上げて、鼻の下をそっとなぞる。

 真っ暗なトンネルの先に、半円型の出口が月のように浮かんで見えた。

 ホナミは上目づかいでそれを見ながら、井田と二人で覗き込んだ、へタレのトンネルの事を思い出していた。


 あの低い暗いトンネルに入る前と、出た後では、ホナミの中の何かが変わってしまったような気がした。




     E Pili Mai .....



     そばに来て 


            か……




                                        



 もうすぐまた、二人はトンネルを一つ抜ける。






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