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あたしはアヒル3  作者: るりまつ
22/48

子供の嘘は思いつき 大人の嘘は思いやり


 ゴリゴリと音を立て、ベースコートを塗り込んだ真新しいサーフボードに夏用ワックスをのせながら、タケルはササラが来るのを待っていた。


 小気味よい音が辺りに響き、南の島に咲く花のような、甘いサーフワックスの香りが漂う。

 それを海からの強い風が、小高い丘の方へとさらっていった。


 風が南東のサイドオンに変わってきた。

 南風が入ってくると、カガミハマの波面は徐々に歪み始める。

 しかし、潮はそろそろ引きいっぱいから次第に上がり始め、広い扇型の海岸を守る東と西の崖の下に、ゴツゴツと見え隠れしていた岩肌を覆い、奥行きの狭い貧相な砂浜に、十分な海水を送り込んでいる頃だ。


 今からせいぜい2時間ぐらいが、今日の本カガミの波のベストサイズであり、台風が近づく中、サーフィンできるギリギリ限界の時間だった。

 その後クローズアウトになり、激しい暴風雨に一晩さらされた台風一過の翌朝、カガミハマに、見事な波の隊列がやってくる。


 朝日を受けた本カガミの波は、北からのオフショアに磨き上げられ、文字通り美しい、大きな一枚の鏡のように光り輝く。

 その見上げるように大きな波の鏡の中に、サーファー達はカガミハマの女神の、妖艶な横顔が映るのを見るという。

 そして女神と目が合った者達は、たちどころに魅了され、離れられなくなっていく……


 タケルは以前、ササラがそんなカガミハマの伝説を教えてくれたのを思い出していた。

 この辺りの海岸や、小さな海辺の洞窟、険しい崖には、それぞれ様々な伝説や迷信が潜んでいて、それはしばしばタケルの心をワクワクさせた。


 今日の波は、明日に比べたら前座のようなものだとササラは言っていた。

 それでもタケルがシークレットガーデンを出て、海岸に着いて波チェックした時には、頭オーバーのきれいな波がブレイクしていて、充分に楽しめそうだった。

 あれからだいぶ時間が経って、今はもう少しサイズアップしているだろう。

 タケルの本カガミデビューには申し分無いはずだ。


 タケルはカガミハマの女神に敬意を表し、きちんと青いウェットスーツを身に付けた。

 それからリーシュコードを点検し、しっかりと新しいボードに取り付けた。

 それは、タケルが心から慕っている哲郎が、タケルのためにオーダーしてプレゼントしてくれた物。

 その哲郎に、タケルは勇気を出して訊いた。



  『あの人のこと、好き?』



 タケルのたどたどしい質問に、哲郎はきっぱりと答えた。

 その答えを聞いて、タケルは自分のハナコに対する思いを、哲郎に正直に打ち明けた。

 哲郎は「頑張れよ」と一言だけ言うと、チャコールグレーのランドクルーザーに乗って、一人でシークレットガーデンに向かった。


 それを見送っても、タケルはもう不安な気持ちに駆られることは無かった。

 モヤモヤとした思いを口に出したことで、心の中はスッキリと軽くなった。

 迷い無く、サーファーとして今日の本カガミで、自分のベストを尽くしたライディングをする。

 そして大人の男として、自信を持ってハナコの元に会いに行く。

 それがハタチを迎えたタケルが、今、望む事の全てだった。


 海に入る支度を全て終えて、深いグリーンのヘンプTシャツをきれいに畳んで運転席に置いた時、



「よう、タケル!」



 と、ササラの呼ぶ声がした。


 声がした方を振り返ると、駐車場の入口に、ベージュに白とイエローのラインが入ったサーフトランクスに、民宿の紺色の便所サンダルという、いつも海に入る時と同じ軽装のササラが、サーフボードを抱えて立っていた。


「あ、ササラ君」


「行くぞ、早くしろっ!!」


 ササラは遅れて来たくせに、急かすようにタイドグラフ付きのデジタル時計を見たので、タケルは慌てて車の扉をロックすると、ビーチサンダルを突っかけてササラの方へ駆け寄った。


「遅いよ!」


「遅いよって、、、よく言いやがんなぁ。おめーのせいで遅くなったんだろが!」


「オレのせい?なんでさ??」


 タケルとササラは、静かな住宅街をビーサンと便サンを履いた足で並んで走り、ペタペタと情けない音を立てながら国道へと向かった。


「おめー、井田っていう東京のショップのヤツに、へタレの事、教えやがったろ」


「あっ!!、、、教えたかも……」


「カモじゃねーべゃ、教えたんだよ!そいつら時間ギリギリに来やがって、お陰でこっちは色々大変だったんだかんなっ!!」


 そう言いながら、細い切れ長の目でタケルの事を鋭く睨んだ。

 しかしタケルも負けずに言い返した。


「そんなこと言うなら、ササラ君だって、ユイにオレとの待ち合わせ場所、バラしたじゃんか!」


「あ?あのリス女、マジで来たのかよ?」


「来たよ、、、こっちだって大変だったんだから」


「ふん。てめーがずっと会ってくれねぇって泣いてたからよ。可哀そうだべ?」


 ササラはちょっとバツの悪そうに言い訳した。


「オレはもう会わないつもりでいたのに……急に来たからビックリしたよ」


「会わねーって、おめーが勝手に決めただけだろ?ちゃんと別れるなら別れるって、会って話し合ってケジメつけるのが男ってもんだろが」


 説教臭いことを言うササラに、タケルはケロっとして答える。


「別れるもなんも、付き合ってもねーし」


「はぁ?……おめー、、、マジでそういうとこ、冷てぇ男だよな」


 氷のような目を持つササラに、真顔で『冷てぇ男』と言われ、タケルは苦笑いした。


「おめ—と知り合ってから、あのリス女、海でうろちょろしなくなったし、化粧も格好もまともになって可愛くなったって、狙ってるやつ今いっぱいいんぞ?!」


「なんだ、じゃあオレがいなくても全然心配無いじゃん」


 タケルは平然と言って、走るピッチを速めた。


「よう、待てよ。おめーさぁ、、、本気でフカ女に入れこんでんのか?」


 タケルはササラの質問には答えなかった。

 ササラは女を名前ではなく、生き物に形容して呼ぶクセがあった。


「最近じゃリス女より、フカ女の方がずっと評判悪ぃんだぞっ?知ってっか??」


「リスもフカも、知んねーよ!」


 タケルは適当に答えを返すと、広い国道の前で一度立ち止まり、車を数台やり過ごした。

 タケルは、ハナコを『フカ女』と言われるのが嫌だった。

 フカ女の話は、この辺りでも一番救いようの無い気持ちにさせられる、言い伝えの一つだった。

 それは、実際に数十年前に行方なめかたの入江で起きた古い事件と合わさって、ハナコの悪評の元となっていた。


 タケルが、もう女の事なんてどうでもいい、というような涼しい顔をして立っているので、結局ササラも、あれこれ余計な忠告するのをやめた。

 大体これから、波の高いカガミハマにタケルを入れるというのに、変な話をして動揺させるのも良く無いように思えた。


 ま、話なら、いつでもできんし……

 カガミハマの女神は嫉妬深ぇかんな……オンナの話はもう終わりだ。


「渡んぞ」


 そう言うと、今度はササラが先に立って国道を渡った。

 海から吹き始めた風のせいで、潮の香りがぐんと濃くなった気がした。


 カガミハマの防潮堤には、すでに大勢の人が集まっていて、本番じゃなくても充分に見ごたえあるサーフセッションを、熱く見守っていた。

 一般ギャラリーの他に、翌日集まるであろう、プロサーファー達の競演を撮影するために来たと思われるカメラマン達の姿も見られた。


 国道から、カガミハマの海岸に降りて行かれる階段は、一カ所だけだった。

 そこがちょうど、沖で波が割れるのが綺麗に見える場所なので、必然的にその辺りが一番、見物人達でごった返していた。


「どけ」


 ササラは人だかりを押しのけて、急ぎ足で階段の方へ歩いて行った。

 タケルもその後に従って行くと、



『ちっ。クソローカル』



 と、誰かが言うのが聞こえた。

 それがササラの耳に届かなかったのか、届いたけど無視したのかは分からないが、ササラはそのまま悠々とした態度で階段を降り、下にいた若いローカルサーファー二人に声を掛けた。


「お疲れさん。ピーク、今、何人いる?」

「あ、ササラさん、お疲れ様っす!今、もう5人だけっす。あ、タケル君も、今日入るんすね」

「うん。よろしくね」

「俺たちもう昼前に上がったから、今は見張りっすょ〜。ササラさん、もうすぐゴウさん達、上がって来ると思うから、ちょうど入るのに良い頃じゃないっすか?」


 ササラは下まぶたを上げて目を細め、まだ整った面を保っている頭半ほどの波に、一人のローカルサーファーが、ピークからテイクオフしていくのを見つめた。

 タケルもその横で、じっと海の様子を見守った。

 アウトのピーク周辺には、今波に乗った一人を除いて、4人のローカルサーファーが待機していた。

 そこからバラバラバラっと左右のショルダーに向けて、おこぼれを待つビジターサーファー達が、ざっと見てもすでに50人近く散らばっていた。


「おっし。じゃあ昨日、おやっさん達に言われた通りだから。ビジターは誰か上がって来ても、もうこれ以上入れんなよ。ゴチャゴチャ言うヤツいたら、橋の下に連れ込んでぶっ飛ばしとけ」


「リョーカイっすぅ〜」

「どっかの知らねえ自信過剰みてぇな野郎が来ても押し切られんなよ。自信があるなら明日来いって言ってやれ」

「ははは!わかってますって〜」


 若手の下っぱ二人は、ササラにどこまで冗談なのか分からない指示を与えられ、力無く笑って見せた。


「おい、タケル。本カガミのピークデビュー、覚悟できてんだろな?」


 そう言って、今度は薄笑いを浮かべてタケルを脅す。


 それを聞いたタケルは、ゆっくりとササラの方を向くと、大きな猫目をまん丸に見開き、



 「いつでも」



 と言うと、次にはスッ、と目を細め、恐ろしく残酷な笑みを浮かべた。

 タケルのスイッチが、今まさに切り替わるのを見て、ササラは嬉しそうに言った。



「そのツラ、久しぶりに見せやがったな。楽しみになってきた」






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