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あたしはアヒル3  作者: るりまつ
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井田と社長とハナコとスバル



 ガーデングループ本部で、ファッション業界、サーフ業界へのメディア告知はぬかりなく済ませていたので、当日は早くから業界関係者や招待客が足を運んでくれた。

 そのうち、風変わりな店の外観に興味をひかれた、通りすがりの一般客や、花見客、カフェと間違えた御近所のマダムなんかが、次々とやって来ては中を覗き込むので、「もう招待状なんてどーでもえーわ」という状態となり、結局いろんな人達が店内を出入りし始める。


 接客にあたったのは、御園生と井田と、新しくスタッフとして加わったスバル君。そしてハナコだった。

 井田がハナコに会うのは、この時が二度目だった。

 一度目は、ブルーガーデンの話が決まった真冬の頃、御園生に連れられ、当時すでに行方(なめかた)の崖下の入り江で、ひっそりと営まれていた会員制のビーチクラブ『Secret Garden』を訪れた時だ。


 海辺にたたずむ、古びたコンクリートの建物の中にある、小さな入り江を一望できる秘密のサロン。

 青いアラジンストーブの炎が、高い吹き抜けに暖かい空気を送り出し、天井の黒い鉄製のシーリングファンが、そのぬくもりを静かに部屋全体に行き渡らせる。

 壁にかかった振り子時計が曖昧に時を刻む音と、囁くような潮騒が、なんとも言えず心落ち着かせてくれる……


 そんな穏やかな空間で、ハナコは化粧気の無い親しみやすい笑顔で、井田を迎えてくれた。

 親しみやすい、とは言っても小さく整った美しい顔と、スラリとした長身から漂う元モデルのオーラに、井田は圧倒された。


 なんでこんなイイ女が、こんな千葉の海辺の、時空の裂け目みたいな処に、一人きりで住んでいるのだろう……?


 そう思い、紹介されたばかりのハナコの顔を、訝しげに見つめる井田の心を勘違いしてか、御園生はニヤけた笑みを浮かべて言った。


「ハナやんは、わしの恋人やねん」


 井田は初め、御園生お得意の冗談かと思ったので、テキトーに切り返した。


「社長、そりゃまた図々しいことを」


 それを聞いて、ハナコは一瞬目を丸くして井田のことを見ると、 アッハッハ!と、美しい顔に似合わない大きな口を開け、声を上げて笑った。

 井田にそう言われ、御園生は怒るでもなく、年がいも無く照れ笑いを浮かべた。


「いや、ほんまやで、井田君。せやから人目に付かんよう、ここに閉じ込めてんねん」


 それも冗談なのか本気なのか、よく分からなかったが、御園生はさらに釘をさすように付け加えた。


「このコに惚れたらあかんで」


 その時の目は笑っていなかったので、これは井田にも冗談ではないんだなと分かった。


 それから、入り江で小波サーフを楽しんだ後、ハナコの郷土の、日本海のカニがたっぷり入った腹の温まる鍋を、昼からたらふく食べた。

 そして、冬の早い陽が沈む頃になり、井田は一人で車を運転して東京へ帰り、御園生はハナコと共にそれを見送り、そのままシークレットガーデンに留まった。

 それでようやく、さっきの話が全部冗談ではなかったんだと理解した。


 正直言って、年や身長差はもちろんのこと、名前の通り花のように美しいハナコと、大阪のおっちゃん丸出しの御園生は、全く釣り合わないように思えた。

 しかし温厚な人柄と、面倒見の良さを知るにつれ、そして豪快に笑った時、目尻と口の脇に浮かぶ、人なつこいシワを見慣れるにつれ、井田自身が御園生に親近感を感じるようになったのと同じように、ハナコも御園生のそんなところに魅かれていったのだろう、と考えるようにしていた。


 でも、本当はそんなキレイ事なんかじゃなくて、金のチカラなんだろうな……


 と、心の中で少々冷たくハナコを批判してしまう自分がいる。

 それ以来、会うのは二度目だ。

 その日、マネキンとして接客にいそしむハナコは、入り江で紹介された時とは全く違い、キッチリと計算しつくされたフルメイクを施し、細く長い脚と、形の良い胸が際立つ、セクシーな印象の服を身に着けていた。

 そんなハナコに、優しげな目で見つめられながら接客を受けたら、まるで魔法にかかったようにたぶらかされて、何でも買ってしまいそうだな、と井田はまた皮肉っぽい目でハナコのことを見てしまう。


 井田の、そんな複雑な気持ちに気づく余裕すら無いスバル君は、ガヤガヤとごった返す店内で、さっそく近所のマダム達に捕まっていた。

 延々と続くサーフィンとは関係ない長話に、終わりを付けることができず、戸惑いながらも一生懸命、爽やかな笑顔を絶やさないよう努力していた。


 19歳のスバル君は、身長は165センチと決して高くはなかったが、波に鍛えられて引き締まった体と、サーファー特有の少し色の抜けた目と髪と、濃い肌の色をしていて、海の香りを感じさせるグリーンガーデンの服がとても良く似合う。

 去年、茨城で行われたショートボードの最終戦で、トライアルからプロ本線のラウンド3まで勝ち上がり、見事、プロサーファーの資格を手にしたスバル君は、早くも今シーズンの活躍を期待されていた。

 ルックスの良さからメディアの注目度も高く、その日は早速、サーフィン誌からのインタビューを一本受けることになっていた。

 サーフィン中、望遠レンズで撮影されるのとは違い、至近距離でカメラのフラッシュを受けると、スバル君は目を伏せ、恥ずかしそうに下ばかり見てしまうので、横から御園生に「もっとリラックスしーやー!」と、からかわれた。


 そんなふうにして、初日から一週間は、順調にあっという間に過ぎていった。

 肝心のサーフボードやウェットスーツは、オマケ程度にほんの少ししか売れなかったけれど、元々単価がかなり高めのアパレル類が、サーファー以外の客に予想を越えて売れたので、売上全体として見ればまあ悪く無い。

 ハナコと御園生は、一週間滞在していた西新宿の品の良いホテルをチェックアウトし、 ハナコは行方なめかたへと帰って行き、御園生は、店の2階の井田の住まいに移って来た。

 そしてさらに1週間ほど、スバル君も一緒に泊まり込み、男3人の共同生活。


 御園生は毎日店に出て、大阪弁で愛想よく、率先して立ち働いた。

 夜は2人を、駅前のハモニカ横町に連れて行ってご馳走してくれたし、忙しい隙を見て、早朝、店のロゴが大きく入った新しいハイエースを自ら運転し、スバル君や井田が息抜きできるよう、千葉の海に連れて行ってくれた日もあった。

 体は小さいけれど、本当に年齢を感じさせない、エネルギッシュでタフな男で、そして何より「人」を大切にする御園生の姿勢に、井田は改めて敬意を抱いた。

 ハナコよりも、御園生に惚れてしまいそうだ、と冗談で思うほどだった。


 それからしばらくして、公園の桜も散り果て、御園生も大阪に戻り、スバル君も江戸川区の瑞江の実家に戻り、束の間の、慌ただしくも楽しい共同生活は終わった。


 店は、当時は火曜定休で、昼の12時から夜の9時までを営業時間としていて、オープン後しばらくは、わりと閉店間際まで人の流れがあった。

 しかしそれから先は、ある程度予想はしていたが、客足は一気に落ち始めた。


 そんな頃、千葉南でショートボードのプロツアー第1戦が開幕し、スバル君は、通い慣れた海で行われたその大会で、あっさりと1コケしてしまった。

 プロとして迎えた1回目の大会で、もちろん緊張していたこともあったのだろうけど、ショップのオープンに引っかきまわされ、少々練習不足でもあったに違いない。

 ストイックなスバル君は、雑誌の取材を受けたりして浮かれていた自分を戒め、次の5月の茨城での第2戦に、早くも熱意を燃やした。

 そしてほぼ毎日、朝一で瑞江からマイカーで海に向かい、昼には東京に戻り、それから電車で午後3時には店にやって来た。

 店自体は、ゴールデンウィーク後、井田一人でも十分なくらいにヒマだったので、「無理しないで良いんだよ」と言ってみたが、スバル君としてはもちろん、アルバイト代も必要だったので、どんなに疲れていても、律儀に時間を守って来た。

 サーフィンとアルバイトを両立させようと頑張るスバル君を、井田は優しく見守り応援したが、第2戦もラウンド1からヒートアップできず、そして翌月、静岡での第3戦では、プロトライアルから勝ち上がってきたばかりの選手に、5ポイント以上の差を付けられるという屈辱的な負け方をしてしまった。


 その頃店は、ようやく夏に向けて、アパレルの他にも初心者用のサーフボードや、吊るしのスプリング※のウェットスーツなどが動き始め、井田としてはホッとしたところだった。

 それに伴って営業時間前の、朝一のスクールも少しずつ増えてきた。


「スクールは、全部自分が担当します」


 と、笑顔で言うスバル君の言葉を、井田は頼もしく思った。

 ロングボードならまだしも、ショートのスクールなんて自分にはとても自信が無かったし、 それにせっかくなら、

イケメン・プロサーファーに教えてもらった方が、客も喜ぶに違いない。


 当初、スクールの前日の夜は、スバル君は店のハイエースに乗って瑞江の自宅まで帰り、翌朝、客をピックアップしに行っていたけれど、結局、武蔵野界隈に住んでいる客が多いので、 そのうち井田の部屋に泊まって、店から直接出発することのほうが増えた。


 そしてスバル君は、時間的にも精神的にも、次第に追い込まれるようになったのだ。


 そんな日がしばらく続いた7月。

 一般的な海のシーズン到来間近の夜のことーー






【吊るしのスプリング】 オーダーではなく、既製品のもので、半袖に腿までの長さの夏用ウェットスーツ


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