切なく気まずい ヒマつぶし
カガミハマの前を通る国道から、一本脇道に入った静かな住宅地に、この町の影の有力者とも言える男の、大きな平屋建ての屋敷と、数台の車を停められる個人駐車場があった。
その砂利の敷かれた駐車場は、台風のカガミハマの波に期待して集まって来た、地元以外のサーファー達の車で、すでに満車となっていた。
駐車場の持ち主の男は、カガミハマの漁師達のドンで、親しいビジターサーファーに、好意でこのスペースを貸していた。
とあるケンカがきっかけで、なぜかこの男とカガミハマのローカル達に気に入られていたタケルは、その個人駐車場の一番奥の、ケヤキの大木の下に、空色の小さなワンボックスカーを停め、窓とドアを全開にした荷室に、頭の下に手を組んでゴロリと横たわっていた。
八月の、真昼の直射日光を遮るケヤキの木陰は、居心地良い特等席となり、はね上げ式の荷室のドアには、半乾きの青いスプリングのウェットスーツと、丁寧にハンガーに掛けた、真新しいTシャツが吊るされ、揺れていた。
ケヤキの枝が、時折り激しい音を立てて揺れ、荷室の中に生温かい湿った空気が吹き込んでくる。
台風は刻一刻と近づいているはずだったけれど、タケルは波情報をチェックする気さえ起らなかった。
青い空に白い雲の塊りが明らかに増え、東へ南へと気まぐれに変わる風の中で、深いグリーンのヘンプTシャツが、踊るように揺れているのを見つめながら、タケルはハナコの事を考えていた。
ハナコが投げてよこした、タケルのハタチのバースデープレゼント。
ぞんざいな態度だったけれど、心の中には自分と同じ想いが溢れている。
と、ハナコの手の甲に、自分の唇を付けて見つめ合った時、タケルは確信した。
ハナ……早く会いたいよ。
ほんの1時間ほど前、シークレットガーデンで会っていたのに、タケルはもうハナコに会いたい気持ちでいっぱいになった。
うわの空のような気のない素振りをするかと思えば、イスから転げ落ちたタケルの髪を、優しく撫でてくれた。
我慢できなくて抱き寄せて、床に押し倒した時の無防備な半開きの唇。
驚いたような目をして、本当は誘惑してる。
タケルの唇を誘ってる。
ホントはオレのこと待ってるんでしょ。
オレとしたいんでしょ。
オレもハナとしたいよ。
いつもオレの傍にいて欲しい。
全部独り占めにしたいんだ。
誰にもとられたくない。
じっとしてると不安になるよ。
こうしてる間に、ハナの気持ちが変わるんじゃないかって……
切ない痛みが走り、タケルは思わず目を閉じて、自分の胸を右手で抑えた。
好き過ぎて、苦しいよ……
その時、風の音に交ざって砂利を踏む微かな音がした。
ハッとして目を開くと、揺れるヘンプTシャツの横に、女のコが立っていた。
「タケル君……」
「結衣、、、」
ユイと呼ばれたその子は、肩に届く茶色に染まった髪を片手で押え、強い風で顔が隠れるのを防ぎながら、荷室に横たわったタケルに向かって微笑んだ。
小麦色に日焼けした身体に、水色のノースリーブのロング丈のワンピースを身に付けていて、薄い生地が木漏れ日に透け、綺麗な体のラインがクッキリ見えた。
「メールしても全然返信無いから、どうしてるのかな、って心配してた」
そう言いながら、イチゴみたいな赤いビーチサンダルを脱ぐと、荷室の中の雑多なモノを押しのけて、寝そべるタケルの横に、その身を滑り込ませてきた。
その動きがあまりにも自然で素早かったので、タケルは拒むタイミングを逃した。
「ササラさんに聞いたら、今日ここで待ち合わせしてるって聞いたから、来ちゃった」
「 …… 」
ユイは仰向けのタケルの横に、添い寝するように片肘を付き、久しぶりに見るその顔を、優しい目でじっと見つめた。
無言のままのタケル。
ただでさえ蒸し暑いのに、そこにユイの体温が加わり、暑苦しい、というより息苦しい。
ケヤキの枝が揺れる音と、セミの鳴き声が混じり合い、胸の中までにわかにザワめき始める。
「今日、お誕生日でしょ?おめでとう」
「 …… 」
「海入ったあと、夕方時間あるよね?」
「ない」
無言を通すかと思ったら、そこだけは言葉に出して否定するタケルに、ユイはプッと噴き出し笑いをした。
「用事があるの?」
「 …… 」
「パーティーは夜でしょ?」
「……?」
タケルはユイの顔を見て、キョトンとした。
「聞いてない?ササラさんから」
タケルは眉をひそめて首を振った。
「『NIGHT HELON』で、タケル君のバースデーパーティーするって、張り切ってたよ」
タケルが目を見開いて困った顔になったので、それを見てユイはまた笑った。
どうやらユイは、タケルの無言癖には慣れているようで、タケルの表情を読み取りながら、勝手に会話を進めていく。
「パーティーの前に……ウチ、おいでよ」
「 …… 」
「シャワー入ってさっぱりしたいでしょ?」
そう言ってタケルの広い胸に、自分の柔らかい胸をこすりつけるように、体を重ねてきた。
水色のカットソーワンピの胸元が引っ張られ、ユイの深い胸の谷間がよく見えた。
タケルは、その見慣れた胸の谷間をしばらく見つめ、それからまたきっぱり断った。
「行かない」
それを聞いて、ユイは思わずフーッとため息をついた。
同時に、今まで無理に浮かべていた笑顔も、はかない風船のようにしぼんでしまった。
ユイはタケルの首元に自分の顔を埋めると、小さな声で訊いた。
「……ねぇ、大学でカノジョできたの?」
「できねーよ」
「じゃ、えっちの相手、できたんでしょ?」
「できねーって」
「東京引っ越してからずっと誰ともしてないの?」
「してない」
「うそ!!信じられないよそんなのっ!!」
ユイは急に顔を上げると、タケルの胸を小さな拳で叩いた。
「 ……信じなくていいよ、、、」
タケルは面倒くさくなって、ユイを押しのけて体を起こすと、荷室の縁に腰を掛けて外を向いた。
するとユイもすぐに起き上って、タケルを問い詰めた。
「だって変じゃん、彼女もヤリ友もいないのに……なんで?なんでユイと会ってくれなくなったの??2年もやったらもう飽きた??」
「 …… 」
「タケル君から会いたいって、言ってくれたことほとんど無かったけど……会えば優しくしてくれるし、、、口下手なだけで、私達それなりに、上手くいってるのかなって……勝手に思ってた」
「 …… 」
「受験だから、しばらく会えなくても我慢しなきゃって思ってたけど、大学生になったら今度はユイのこと全然シカトして、、、ひどいよ……」
ユイの責めるような目に涙が浮かぶ。