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あたしはアヒル3  作者: るりまつ
16/48

どんぶらこ〜どんブラこ



『本日三回目、初めての日本の波』



 ホナミは確かにそう言った。

 井田は今になってようやく、なぜホナミに対してたびたび釈然としないものを感じたのか分かった。

 まるでコンビニのATMで一万円をおろして、ピンの二千円札が五枚出てきた時のような、あの感じ。

 その通りなんだけど、なんだか騙されているような、あの感じ。



 君は、無敵のような態度ではいたけれど、、、バリバリの初心者だったんだね……



 井田が自分の迂闊さに某然と立ち尽くしていると、砂を踏む軽い音を立てながら、ササラが傍にやって来た。

 ササラは民宿の名前の入った紺色の便所サンダルで、足元に転がっている、半分風化した薄茶色の犬の糞を踏んでいた。

 けれどそんな事、気にもとめていない様子で、真正面から波に突進していくホナミの姿を眺めていた。


「あーんのサル女、随分めんどくせーとこから行っちまいやがったな……。右から回れば楽なのに」


 井田はササラの足元を再びチラリと見た。

 へタレに犬の糞が地雷にように散らばっているという話は、すでにノガワタケルから聞いて知っていた。

 なので恐らく、ここで糞を踏むのはローカルにとって当たり前の事なのだろう。

 例えば『根性試し』のように。

 その足で、ハイエースに乗り込まれるような事態が起きるなら話は別だが、とりあえず井田は、その事については見て見ぬ振りをすることに決めた。

 糞よりも、今はそれ以上にホナミの事が気になった。


「……ササラさん。あのコ、初心者だったみたいです」

「へぇっ?!そうなのかよ??」

「今日がまだ三回目って、言ってました」

「はぁ〜ん。随分気合入ってんな」


 ササラは、無関心なのか感心しているのかよく分からない、間の抜けた声で返事をした。


「しかも初めての日本の波、とか言ったような、、、」

「初めての日本の波?なんだそりゃ?どういう意味だ??」

「さあ、、、よくわかりません。帰国子女なんでしょうか?」

「なんでしょうか?って、、、俺が知るわけあんめーよ。あんたのお客さんだろ?そんくらい聞いとけっつーの」


 ササラの言うとおりだった。

 千葉に連れてって、とホナミに言われた時、もっときちんと経験とレベルを確かめておくべきだった。

 そんな当たり前のことを、井田は怠った。

 なぜなら、ホナミは妙に自信たっぷりだったし、実際、朝の鬼ごっこで、タフなのは目の当たりにしていたし、体つきもその辺の男より、よっぽど頼もしそうだったし……


 いや、そんなのただの言い訳だ。

 俺は、あのコにあんまり関わりたく無い気持ちの方が先立って、車の中でも、極力コミニケーションを取るのを避けてた……


 ホナミから時折受けた、どことなくトンチンカンな質問。

 おかしなサインは、いっぱいあったのだ。

 ある程度、経験を積んだサーファーなら、当然知っているような事を、ホナミは全く理解していなかった。

 そういえば、ウェットスーツすら持っていないと言っていた。

 見逃していたわけではない。気づいていたのだ。

 なのに、それ以上追及しなかった。



 俺はバカか?頭くらいの波で入りたいって言われただけで、勝手に中級以上のレベルと決め込んで……

 ただ単に、俺がそういうとこで入れないだけじゃないか。

 ちょっと訊いてやれば良かったんだ。

 BB始めてどのくらい?

 結構、上手そうだよね? 

 普段はどこで入ってるの?

 ……でも訊かなかった。

 面倒くさそうだったから。

 自慢話ばっかり、されそうに見えたから。

 俺よりレベル、上っぽくて、バカにされそうだったから。

 俺の出来ない技の事とか突っ込まれたら、誤魔化せそうになかったから……



 ブルーガーデンの店長になってから、自分がいかに下らない見栄に囚われていたかという事を、井田はようやく認めた。



 ……波と言うより、いつも人の目にビビってた。

 俺自身のメッキが剥げることを恐れて……



 くよくよと自分自身を責めている間にも、ホナミは押し寄せる白いスープと格闘し、インサイドで一進一退を繰り返していた。

 それを見て、なぜか涙をためたスバル君の、色褪せた瞳が甦る。

 去って行ったスバル君と、ホナミの姿を重ねると、二人に対してどうにも申し訳ない気持ちが溢れてきた。


 ホナミは、厚みのあるスープ攻撃に対して、ドルフィンスルーが上手くいかずにあたふたしていた。

ボディボードは、大型のビート板のような形の物で、その上で主に腹ばいのまま波に乗るスポーツだ。*

 海水浴場では、浮き輪やゴムボートに次いで、目にすることの多い、マリンレジャーアイテムと言えるだろう。

 しかし波乗りとして本格的に行うのなら、足先にはめるフィンが必要だ。

 ラバーフィンを両足に装着し、水を蹴るように進むキッキングによって、パドリングと同等の加速を付けて、大きな波でも、崩れる直前の、高い位置からライディング可能となり、直滑降だけでなく、波の斜面を横に滑って長い距離を乗りこなし、エアーやスピンなどの技も楽しめるようになる。

 勿論、そういったボードになると、海の家のレンタル品とは全然モノが違い、値段も10倍以上する。

 そんな意外に奥深いボディボード。

 スープをかわすには、ショートボードと同じくドルフィンスルー。

 そして今、ホナミは板のノーズを両手でしっかり握りしめ、四角い板を波の下に潜り込ませようと必死なのだが、腕の力だけに頼ってしまい、どうしても沈ませ方が甘かった。

 本人は全身潜っているつもりなのに、頭だけがお辞儀みたいに水に浸かっているだけで、下半身はほとんど浮いていた。

 そこに波がもろに当たって押し戻される。

 それでもすぐにキッキングを開始して、前に向かって行くのだが、波数がとにかく多く、ひっきりなしに攻めて来るスープを、潜り抜けられないでいた。


「、、、大丈夫でしょうか?」

「何がよ?」

「いや、初心者でこんな波で入って……」

「大丈夫だべ?初心者っつったって、なかなかイイ体してたじゃんか。体力はあんだろ」


 ササラが、最初の自分の見立てと同じような事を言ったので、井田は少し罪悪感から解放された。


「女子サッカーをずっとやってたって言ってましたね」

「はぁん、じゃあ脚力はあんだな。なら当分、足ヒレでバタバタやってりゃ抜けられんだろ。つーかよ、どっちにしても大人しく右に流されてけば、ホントは、なーんもしなくてもアウトに出られんだけどな」

「そ、そうなんですか?」

「そうよ。こんくれーの波だとよ、ヒザぐれーの深さんとこで、カレント*が川みたいに横に流れてっからよ、それに乗っかっちまえばスーッと……」


 そう言って、ササラが海に向かって左のインサイドを指差して、右の方へ水平になぞるようにした時、ちょうどアウトで大きめの波が割れ、一人の若いショートボーダーがテイクオフしていった。

 そして今までよりボリュームのあるスープが、激しく押し寄せて来たので、ホナミは急いで全体重をかけて、ボードを海中に突っ込んだ。

 しかしやっぱり頭隠して尻隠さず。

 海面にプカリと浮いたデカい尻は、激流下りのように波に揉みくちゃにされながら、岸近くまで戻された。

 そしてそれからササラの指した通り、スーっと横に、崖の方へと流れて行った。

 その時、井田とササラの脳裏に、ほぼ同じことがよぎった。

 


  『お婆さんがぁ〜 川で洗濯をしているとぉ〜


   大きな桃が〜どんぶらこ〜どんぶらこぉ〜 』



「……ほらな」

「……そうですね」


 そして二人は、その桃のような大きな尻に気を取られていて、ある重大な異変を見逃していた。

 もしその場に、脳トレゲームを得意とする者がいたとしたら、その小さな、しかしとても重大な異変にすぐに気づいていただろう。

 けれどその前に、ホナミはすっかり体勢を立て直し、ボードの上で基本姿勢に戻ると、スンナリと右の崖まで流されて、そのまま小振りな波をひと潜りするだけで、ウソのように楽々とアウトへ出て行った。


「なんと……あんなに簡単に出られるんだ」


 井田は拍子抜けしたように言った。


「そうよ。なんたってここはヘタレって言うくらいだから、下手クソにとっちゃ楽園みてーなポイントだ。波はデカくても乗りやすいしな。けど、ここであんまり慣れちまうと他で出来なくなっちまうから、ある程度上手くなったらおん出されるんだけどよ。……こんなとこで出来た気になったって、しょうもねぇ」


「へー、、、そういうローカルルールなんですか。なんか、親切というか、スパルタというか……面白いですね」

「まあな。楽してたらそれ以上、上手くはなんねーからな」

「そうですね……」


 井田はちょっと耳が痛かった。


「あのサル女も、初の日本の波だかなんだか知んねーけど、ここで一本でもデカイの乗れりゃあ、経験が自信になって、もっと上手くなりてーって思うようになんべや」


 ササラは凶悪な顔をしながら、もっともらしい事を言った。

 さすが双子の父親。甘やかすだけじゃない。

 そうこうしているうちに、ホナミは波待ちラインに着いたようで、先に入っているローカル達にペコンと頭を下げているのが見えた。ローカル達はホナミを笑顔で迎え入れ、それを見た井田の顔にも、知らないうちに安堵の笑みが浮かんだ。



 いやーあんなに楽に出られるなら、俺も入ってみれば良かったな……



 井田はデカい波に、興味が無いわけでは無い。

 子供のころから、夏のスキー場に併設された、スケートボードのランプで遊んだり、スノーボードで日常的にハーフパイプに入ったりして、高さのある斜面を攻めるスリルが好きだった。

 そんな井田が、どうしても嫌いなもの。

 格好を気にするお洒落な井田が、どうしてもカッコ良く、オシャレに決められないもの。

 それはしつこいようだけど、ローリングスルー。

 とにかく、ローリングスルー。

 ローリングスルー。

 海にもスキー場みたいにリフトがあれば、どんなに楽しいだろう、と思うことが度々あった。


「良いなあ……」


 入水しなかった事をちょっと後悔しながら、一人の50代くらいのロングボードの男が、肩くらいのうねりにヨタつきながらもテイクオフし、掘れた波に振り落とされないよう、慎重にボトムターンを決め、嬉しそうに笑うのを眺めていると、男が通り抜けた、光の透ける波の壁の中に、何やらピンク色ものが巻き上がっていくのが見えた。



「ん?」

「あ?」



 井田とササラは、同時にそれに気が付いた。


 そのピンク色の物体は、波の中を駆け上がり、波先から飛び出るように姿を現し、それから崩れる波の飛沫と共に、ボトムに叩き込まれて見えなくなった。



「んん?」

「あぁ?」



 二人は、また同時に声を上げた。

 そしてしばらくすると、それはやや右寄りのインサイドにプカッと浮き上がり、そのままスープの中で、恥ずかしそうに見え隠れしながら、崖の方に流れて行った。


 波間に漂う三角形のピンクの物体。

 それは紛れもなく、ホナミのエアーパット入りビキニブラだった。



「あぁぁっ!アレアレアレ!!あれええっ!?!?」



 井田は目を丸くし、それを指差しながらササラを見た。

 するとササラも、細目を目一杯見開いて、前歯の揃った口をポカンと開けて、崖に沿ってアウトにどんどん流れて行く、ピンク色の中華チマキを眺めていた。

 それから二人はハッとして、ラインに着いて波待ちしているホナミを見た。

 赤いボディボードに両肘を付き、ローカル達と楽しそうに話しているホナミの背には、やはりビキニらしきものは見えなかった。


「やっぱり外れちゃったじゃないか、、、」


 井田は青ざめ、つぶやいた。


「おい、どーするよ……つーかよ、なんであのブラ、沈まねーんだ??」

「なんだか、パットに浮き袋みたいなのが入ってるらしいんです。てゆーか、なんで他のローカルさん達、普通に彼女と話してるんでしょうか……??」


 確かに。トップレスのホナミと、平然と談笑しているローカル達。


「あいつら多分、女だって気付いてねんじゃねーの??」


 そ、そんなわけないでしょうがっ!と言いかけて、井田は口をつぐんだ。



 ……そうかもしれない。あのよく日焼けした逞しい体に、短い髪。

 ブラをしている方が違和感あるかも。

 しかしそうは言っても、このままノーブラで放っとくワケにはいかないだろ……

 いや、それともこのまま男ってことにして、静かに一時間様子を見るか?

 いやそんなまさか! ……ていうか、ナカムラさん、、、

 なんであんたが気付いてないんだよっ!!



 井田が悶々としていると、横でササラが大きな声を張り上げた。



「おーい、アンターーー!よぉ、ビキニ流れてんよ!!おーいっ!!!」



 しかしその声は、強い風と波の音にかき消され、話しに夢中のホナミには、全然聞こえていないようだった。

 その代わり二つの崖に反響し、ほとんど帰り支度を済ませていた、他のローカル達の耳に届いてしまった。


「なんだ?ビキニ流れたって??」

「ほんとかよ。ヒャハハ!!」

「どれどれ?!」


 退屈していたローカル達は、それを聞きつけ、一斉に波打ち際の方へ集まってきた。

 いくら声を張り上げても、ホナミの耳には届かないと悟ったササラは、唇に指を当て、鋭く口笛を一吹きした。

 その高音は、風と波の間を突き抜けて、アウトにいる一人のショートボードの少年の耳に届いた。

 少年は振り向き、岸に集まるササラとローカル達の姿を見た。

 そしてホナミを含めた5人で顔を突き合わせ、何やら相談を始めた。

 しばらくして話がついたようで、ホナミはその少年と、他の二人のショートの青年とロングの熟年男に笑顔で会釈し、スイスイと一番ピークよりに移動して行った。

 どうやらササラの口笛は、波待ちする5人に、『早くしろ』と言う催促として取られたようだ。

 ササラのやる事、全てが裏目に出た。

 ホナミは『次、乗るよ』というのを井田に知らせるため、半身を捻って岸を向き、誇らし気に手を振った。



「うわああああああああっ!!こっち向くな、波乗るなっ!!!」



 井田は叫び、顔面蒼白になって両手を大きく振り回した。

 同時に岸にいる10人位のローカル達も、同じように手を振った。



  ねーちゃん、こっち向いてー!!


  トップレスでトップスピン、かましちゃってちょーだい!!


  ショータイムの始まりかー!!


  いっそのこと、下も脱いじゃってばよー!!


      ヒューヒュー!!    

                ゴーゴー!!

    ギャハハハーー!!!



 普段、刺激の少ない生活をしているローカル青年達は一気に盛り上がった。

 それをたしなめ、叫ぶササラ。


「おい、よせバカ!まだ着替えてねーヤツいねぇのかよ!?!?誰か行って、あのサル女、何とかしてやって来いっ!!」


 しかしササラが言い終わる前に、井田はとっくにハイエースに駆け戻り、荷台からペパーミントグリーンのロングボードを引っ張り出して、服を脱ぎ捨て素っ裸になると、大麻柄のボードショーツを急いで穿き、まさかの時の為にと思った白いラッシュガードを、昔懐かしアイビールックのように首に巻き、ボードにリーシュコードを付けるのも忘れ、そのまま裸足で右手の崖に走って行った。


 おそらく犬の糞をいくつか踏んだことにも気付かないで……






*ボディボードの乗り方は、腹這いで波に乗るプローンスタイルの他に、片膝を立てて乗るドロップニースタイルがある


*カレント 潮の流れ

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