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あたしはアヒル3  作者: るりまつ
14/48

交渉



「ココは間違いなく、あんたらの探してたへタレってポイントだ」


 ササラという、近年まれに見る凶悪なツラ構えをした男は、そう言って薄氷のような笑みを浮かべた。

 シークレットガーデンで、ハナコに代わって電話に出たノガワタケルは、へタレポイントで何かイチャモン付けられた時には、このササラの名前を出し、知り合いのようなフリをすれば良い、というような事を言った。

 年は若く見えるが、恐らくこの辺りで、かなり顔の効くローカルサーファーに違いない。

 しかし、それがこんな危ない雰囲気の男だと分かっていれば、その名前にどれだけ効果があるとしても、口にしようとは思わなかっただろう。

 それに、それは当然本人がいないことを前提としたハッタリで、まさかここでササラ本人に出くわしてしまうとは思いもしなかった。

 全く想定外の状況に、茫然と立ち尽くす井田を面白がるように、ササラは続けた。


「さっき、トンネル出たトコで、坊主頭とすれ違ったべ?」

「え?ええ……」

「そいつがわざわざ電話で知らせてくれてよ。へタレを探してる、態度のデカい練馬ナンバーのお客さんが来るってな」


 井田の脳裏に、マークツーのフェンダーミラーに映る、刺青坊主の恨みがましい目つきが蘇る。



 あの時もうチクられてたのか……



 ササラの、ナイフで斜めに切り込みを入れたような細い目の中には、陽に焼けて、光彩がほとんど緑に褪色した、小さな瞳が潜んでいて、それが陰湿な爬虫類を連想させる。

 鼻梁は細く長く、左に少し傾いていて、冷ややかに笑う薄い唇から見える、やけに真っすぐ揃ったトウモロコシのような前歯は、恐らく『何らかの理由』で失ったものを人工的に差し替えたのだろう。

 年の頃は井田と同じか、それより少し若いか。

 いずれにしても20代半ばと言った感じで、背はスラリと高く、消防団のハッピとカツラギ織の黒いパンツからのぞく手足は筋張り、一見細身に思えたが、胸板は分厚く、首から肩にかけての筋肉の盛り上がりがハッキリと分かる。

 髪は坊主頭をそのまま放置して三ヶ月が経過したような、味もそっけもない黒髪で、外見ではそれだけが唯一、平和そうに見えた。


「まず、オメーの名前はなんだ?」

「……自分は井田です。慣れ慣れなしくお名前を出してスイマセン」

「オレの名前と、へタレのことは誰に聞いた?」


 井田は答えに詰まった。


「ここは正式には平貝って名前の海岸だけど、海水浴場でも何でもねぇ。波がちっこくて乗りやすいから、この辺のローカルのガキや、下手っぴなヤツらに譲ってやってるポイントだ。

 へタレってのはこの辺でも、もっと内輪だけのフザケた呼び方で、ヨソのお客さんには特に知られないようにしてるはずなんだけどよ」


 じわじわと獲物を追い込むように話していくササラ。

 それを聞きながら、井田は初めてノガワという男に対する疑問を感じた。



 ……ひょっとして俺は、最初からハメられてたのか?

 そう言えば『ハッタリです』て言った後、あいつ気味の悪い笑い方してたよな。

 ここに、この男がいるって知ってて、面白がってそう言ったのかもしれない。

 へタレって名前だって、この辺でもうっかり口にしちゃマズイんじゃないか。

 クソ、、、バカにしやがって……!!



 井田は無性に腹が立ってきた。

 そして秘密の宝探しのような気分で、この場所にのこのこやって来た事を後悔した。

 けれど、もうこうなっては仕方がない。

 後ろでは、さっきまで得意顔だったホナミが、エクステに覆われた目をイソギンチャクのように見開いて、フリーズしているに違いない。

 井田も負けずに、決して大きいとは言えない普通の目で、ササラの細目をガッチリ見返し、しかし謙虚に説明することにした。



 まさか消防団の人間が、いきなりビジターを殴ってきたりしないだろ……



「……ある知り合いの、知り合いから……この時間でも、まだここなら頭くらいのサイズで入れるだろうって聞いて来たんです。

 それで着いたら、ササラさんがどこにいるか訊いてくれって頼まれまして……」


 井田は最後の部分だけ、少し話を作り変えた。

 しかし、この緊急事態に於いては仕方が無いし、誰に責められることでも無い。


「だからそれは誰だってばよ?」


 井田はもう躊躇せず、ササラにその名前をチクった。


「ノガワタケルってコに」

「はあ?!タケルぅ??」


 その名前を聞くと、ササラは細目を見開き、すっとんきょうな声を上げた。


「オメ—、タケルの知り合いか?」

「いえ、、、だから、知り合いの知り合いで……」

「あいつ、どこに居やがった?!」

「へっ?」

「オレは朝から、あんのヤローずっと探してんだ!電話しても出やしねぇ。井田さんよぉ、あんたタケル、どこで見かけた?!」



 どこで見かけたって……『ササラ君どこかで見かけませんでしたか?』が、『ノガワタケル』と入れ代わっちまったじゃねーか、、、どうなってんだ??



「いえ、見てはいないです。朝、行方のシークレットガーデンていう店の女性に電話したら、そのコもソコに居たみたいで、ポイントの事とあなたの事を教えてくれたんです」

「シークレットガーデンだぁ?!?!……あのくそバカ、、、またフカ女のとこに入り浸ってやがんのか。……ったく、肝心な日だってのに」

「フカ女?」



 なんだ?フカ女って…ハナコさんのことか??



 井田は、その耳慣れない言葉を訊き返したが、ササラはそれには答えず、呆れたように首を振り、大きな溜息をついた。

 それからハッとして、井田の顔をまじまじと見つめた。


「シークレットガーデンに電話したって……?あんた、御園生のおっさんの……シークレットガーデンの客か?」

「……いえ、御園生社長の、、、吉祥寺のブルーガーデンというショップの店長です」


 ササラは、ハイエースのボディーに大きく入った、ショップのロゴに目をやった。


「ブルー、、、て……へえ!!そうなのかよ??そう言えばあのおっさん、東京に店出すって、冬頃、誰かと二人で挨拶に来たって、うちのオヤジが言ってたなぁ。……あれ、あんたか?!」

「はぁ、恐らく自分だと思います。……社長のことは御存じなんですか?」

「ああ、知ってんよ。うちのオヤジがやってる『寝来葦洞』って民宿の、昔からのお得意さんだ。今はチバ来てもフカ女のとこに泊まっちまうけど、そんでも来た時は顔出して、メシだけでも食いに来てくれるよ。……なんだ、めんどくせえなぁ、サッサとそれ言えよ」

「すいません、、、何だか言うタイミングが分からなかったもんで」

「オレだって、ブッ飛ばしちまってからじゃ遅ぇんだから……」



 やっぱりブッ飛ばすつもりだったんだ……



 井田は、内心ホッとした。

 そして、その暴走族の当て字のような、何とも読みようのない、風変わりな名前の民宿のことを思い出した。

 カガミハマの東の丘の中腹にある、古ぼけた宿だったが、本カガミとその横の、手カガミと呼ばれる二つの隣り合うポイントが一望できる、絶好の場所に建っているので、サーファーの間では人気があり、常連客が多いという。

 その宿の息子だというササラの気迫は、タケルと御園生と、フカ女という名前のお陰で、すっかり和らいだ。


「んで、そのもう一人の……サルみてーな、オンナみてーな男もスタッフか?」

「いえその、、、サルみてーな男に見えるかも知れませんが、女の……客です」

「オンナ?!……の、客か……。そいつは失礼したな、、、」


 ササラが気まずそうに口ごもると、ホナミはニッと笑い、青い胴体の鼻オバケを手にして振ってみせた。

 するとササラは突然、細目を見開き、


「あっ!それ『海ホタル君』じゃねぇか!!」


 と、思いがけず大きな声を出したので、ホナミの方が驚いた。


「アンタ、これ海ホタルのUFOキャッチャーで取ったんだろ?!」

「そ、そうだよ」

「これ取るのに、、、いくら突っ込んだ……?」


 恐る恐る訊くササラ。


「200円」

「に、にひゃくえん?!マジかよ??アンタ、これ一回でゲットしたの?!?!」

「そう」


 いともあっさり答えるホナミ。

 

「信じらんねえ、、、こんなずんぐりした変な形の……オレよぉ。ガキにせがまれてコレ、取ろうとしたんだけどよぉ、3,000円も突っ込んで、結局取れなかったんだよなぁ〜。ガキはギャーギャー泣きわめくし、ヨメにはバカにされんしよぉ。良いなぁ〜アンタすげぇなぁ〜。コレ欲しかったんだよなぁ〜」


 羨ましそうに何度もしつこく言うササラ。


「ササラ君、子どもがいるの?」

「ああ。4歳の双子がいるんだ」

「女の子?男の子??」

「男だ。ケンタとコウタってんだ」


 ホナミに馴れ馴れしくササラ君と言われても、ササラは気を悪くするでもなく、それどころか自慢げに、子ども達の名前まで教えてくれた。


「ふーん。じゃあケンタとコウタにあげる。一個しかないけど」


 そう言うと、ホナミはニッコリ笑って運転席の窓の方へ身を乗り出すと、青い胴体の鼻オバケ『海ホタル君』をササラに差し出した。


「マジで?!良いのかよ??」


 井田は、自分と同じ年くらいに見えるササラに、4歳の、しかも双子の子供がいると言うことに内心驚いたが、それよりも、まるでササラの方が4歳児のように興奮し、ホナミからソレを受け取るのを見て、噴き出しそうになってしまい、慌てて下を俯いた。


「わりぃな、ありがとよ!」


 ササラが嬉しそうに『海ホタル君』のコイルストラップをビヨンビヨンと伸縮させているのを見ながら、ホナミが窓から顔を出し、井田の耳元でコソッと囁く。


「ねえ、アタシ今、カツアゲされたの?」

「シッ!!」


 またズレた事を言って来るホナミに、井田は小さく答えた。


「これは、カツアゲでは終わらせない。これから交渉だ」


 そして、無邪気に喜ぶササラに向かって、人畜無害な善人ヅラを浮かべ、話を切り出した。


「ところでササラさん。僕はもう結構なんですが、このオンナのお客さんに、ここでボディボードさせてあげてもらえませんか?」


 井田は、自分は遠慮するけれど、ホナミだけは入れてやって欲しい、というような言い方をして、この胸肩〜頭の波が立つ海に、自分が入らなくても済むように、上手く話を持って行こうとした。

 するとすっかり上機嫌だったササラは、ハッと我に返り、また両目を鋭く細めて井田とホナミを交互に見てから、右手にはめた潮見表付きのデジタル時計に目をやった。


「……ダメだ。もう時間切れだ」

「えーっ!?」

「ここは、今入ってるあの4人が上がったら、もうさっさと車も全部、追ん出して、トンネルの入口にチェーン掛けて閉鎖すんだ」

「閉鎖?」

「そうだ。台風でこれ以上波がデカクなってから、下手なバカが来て溺れっと困るかんな」


 それを聞いて、ホナミは頬を膨らませ、ササラに向かって叫んだ。


「だったらそれ、返してよ!アタシのぬいぐるみ!!」

「えぇっ?!」


 ササラは一瞬動揺したが、薄い唇をへの字に曲げて、


「一度貰ったもんは返せねぇな」


 と、意地悪く言ったので、ホナミは眉を吊り上げ、窓枠を掴んで上半身を外に突き出し、大きな声で叫んだ。



「泥棒!カツアゲ!!」



 そしてササラの残忍なトカゲのような細目を、イソギンチャクのようなキツイ目で睨みつけた。

 甲高い叫び声は、崖に大きく反響し、遠巻きに見ていたローカル達が、一斉にハイエースの方を向く。

 ササラはグッ、と言葉に詰まると、眉間に深いシワを寄せ、下まぶたをワナワナ震わせ、最初の時よりもっと凶悪極まりない顔つきになった。



 あぁ、、、せっかくこれから、平和的交渉の始まりだったのに、、、

 今日はこのコのお陰で、何もかもがメチャクチャだ……



 井田はもう、このまま自分はボコボコにされる覚悟を決めた。


 トカゲVSイソギンチャク


 それは海ホタル君をめぐる、レベルの低いガチンコ対決。

 しかし、ササラもホナミも一歩も引かず、二人の間に激しい火花が散る。

 崖の上を吹きすさぶ風の音と、波のブレイクする音だけが、へタレポイントを支配した。

 海の中の4人のサーファー達も、ボードに跨り、後ろを振り向き、何事が起きたのかと固唾を呑んで、オカの様子を見守っている。

 しばらく強烈な睨み合いが続き、そして……




  「……わかった」




 先に目を逸らしたのはササラだった。


「そのかわり、きっかり1時間だ。12時には閉鎖すっからな」


 そしてそれだけ言い残すと、ササラは海ホタル君をハッピの内側に隠し、後ろを振り向き、近くに停車していたローカルの男達に向かって、張りのある声で指示をした。



「よぉ!このお客さんの車、停めっから、場所作ってやって!!」



 ホナミはニタッと笑って、勝利のVサインを出し、井田はその場に、がっくりとしゃがみ込んだ。









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