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あたしはアヒル3  作者: るりまつ
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視線



 小さなトンネルを抜けると、井田とホナミは思わず歓声を上げた。


 そこは右側を今くぐって来た小高い崖、左側をもう一回り高く長い二つの崖に挟まれた、東西の風をかわす絶好のポイントだった。


 二本の腕のようにいかつい崖は入江を抱き、強い風をピシャリと遮断しながら、白い波頭の立つ沖合のうねりだけを引き寄せる。

 うねりは左の腕に従いながら、大きな波の隊列へと生まれ変わり、規則正しく行進を始める。

 そして右に向かって挙手すると、その白手袋を、内側へ内側へと巻き込みながら崩れて行き、それからふつふつ沸き立つ泡へと還り、岸いっぱいに広がり尽くす。

 あとは右の腕に沿う流れとなって、静かに沖へ戻って行く……


 それはこの辺りの海岸線に点在する、台風や猛烈な低気圧が通過する時だけ波が立つ、ローカルサーファー達の為の、小さな秘密の遊び場だ。


「すげーいい波!」

「胸肩、たまに頭、といったカンジですかね、、、」


 それはホナミの希望よりは小さく、井田の希望よりはデカかった。


「ナカムラさん、ここでよろしいですか?」

「うんうんうんうん、全然OK!早く入ろう!!」

「そうですね……」


 井田は悩んだ。

 波はイイ。想像した以上にイイ。

 しかも、こんなに良いのに、海に入っているサーファーはたった4人。

 これなら、多少ヘマこいてボードをすっ飛ばしても許されそうだ。

 しかしそれは無事、沖に出られてから悩むべき問題だ。

 今、井田にとって一番問題なのは、この比較的大きな速い波の中、


『ローリングスルーしないで、アウトに出られるのか?』


 ということだった。


 サーフィンするには、波が最初に崩れ始めるベストポジション『ピーク』まで、自力で行く必要がある。

 そのためにサーファーは、サーフボードに腹ばいになり、クロールのように水を掻く、パドリングという動作をしながらアウトサイド(沖・通称アウト)へと向かう。

 しかしその途中、アウトで既に崩れた波の、スープと呼ばれる、

真っ白な泡攻撃を受けるのは免れない。

 泡と言うと軽そうに聞こえるが、元の波が大きければ、そのボリュームと押し寄せるエネルギーはかなりのものだ。

 また、岸近くで割れる波(ショアブレイク)も侮れない。

 海水浴のシーズンになると、浮き輪で果敢に波を越えようとして、そのまま裏返しにひっくり返され、逆さクラゲのように脚を上にし、スープに揉まれて岸に打ち上げられる人の姿を見ることがある。

 そうならないように、サーファーは上ではなく、下に潜るという方法で、様々な波の攻撃をかわす。

 板が短く薄いショートボードの場合は、パドリング中、目の前に波が押し寄せて来たら、腹這いの状態から板の両側(レール)を掴み、腕立て伏せのような体勢で、下に向かって体重をかけ、ボードと身体を海中深く押し沈め、背中の上に波を通す。

 しかしロングボードは、長さと厚みによる浮力があるので、上から腕で押したぐらいでは沈められない。

 なのでレールを掴むまでは同じなのだが、そこから押すのではなく、波が被る直前に、海面で真横にパタリと自ら板をひっくり返す。

 そして、その裏返った板の上に波を通し、自分はその板の下でやり過ごし、波が去った頃合いを見て、再び板を表に返し、急いで這い上がってパドルを開始するのだ。


 しかし井田は、ローリングスルーが大嫌いだった。

 それをすると、顔に前髪が海苔のようにへばり付くし、鼻から海水が入る。

 それがアフターサーフの思わぬ時に、例えば気の利いたカフェなんかで、女の子とお茶してる時に限って突然、鼻から垂れてくるからタチが悪い。

 大体その動作自体が気に入らない。

 棺桶のフタをパタンと引っくり返して出たり入ったりする、お化け屋敷の情けない幽霊みたいで、どうしても好きになれない。

 ロングボードのプロサーファーの中には、デカい板でもコツとタイミングで上手く沈めて、ドルフィンスルーのようにカッコ良く波をくぐる者もいる。

 けれど井田はそれを目指して練習したりしない。

 というより、素人で普通そんな練習するヤツはいない。

 練習するなら、ひたすらローリングスルーだ。

 上手く出来なくてもローリングスルー。上手く出来るまでローリングスルー。

 それでも井田は、ローリングスルーの練習をしない。

 だからいざ波がデカい時、どうしてもインサイドを超えてアウトサイドに行かれない。

 なので結局、そのままパドルとプッシングスルーだけで抜けられる、コシハラ程度の波に甘え続け、気付けば早8年ほどが経過していた。

 それでも良かったのだ。今までは。



 それでも楽しく仲間達と、

 それにカワイイ湘南ガールズと

 俺は波乗りを楽しんできたんだ。

 誰も俺を責める奴なんていなかった。

 俺はそういう男で許されてきたんだ。

 しかし……今、状況は変わってしまった。


 『サーフショップの店長サンが、胸肩の波で沖にゲッティングアウトできない』

 

 それはマズイのだ。

 そんなみっともない姿を、、、

 俺の知らない他人の前ならまだしも……

 今、この生意気な小娘に見られたくないっ!!!



 井田の、ちっぽけなプライドになんて気付きもせず、すっかりテンションの上がったホナミは、頭に乗せていたサングラスをダッシュボードに放り出すと、早くもオーバーオールの金具をカチャカチャ外し始めた。


「ちょちょちょちょっと待ってよ、ナカムラさん!今、車停めるから……!!」


 へタレの波と、まさにへタレな自分の事情に気を取られ、トンネルを出たところでボーっと、ハイエースを停止したままだった井田は、慌ててて駐車スペースを探そうと、辺りを見渡した。


 改めて見てみると、この小さな砂浜には特に駐車場というものは無く、海水浴客のための監視場やトイレも無い。

 サーファー達の車は、波打ち際より高い砂地に、崖肌に沿って、

微妙な間隔を置いて停めてある。

 その数はざっと10台くらい。ナンバープレートは全て地元、袖ヶ浦ナンバー。

 見た限り、もうハイエースが入り込めそうなスペースは無かった。



 どこに停めさせてもらおうか……



 それぞれの車には、海から上がった男達が一人ずついて、着替えをしたり、タバコを一服したりしながら、しかし、確実に、じっと、練馬ナンバーのシルバーのハイエースを見ている。



 おっと、、、風はかわしてるけど、視線はガンガン吹き付けてますな〜



 そして、その刺さるような視線を送って来る中に、トンネルの穴から車3台離れた所に立っている、地元の消防団のハッピを着た男がいた。


 ハッピの男は二人いた。


 一人は痩せて、背が高く、崖の方を向いて、携帯電話で誰かと話しこんでいる様子だ。


 もう一人は背が低く、ガッチリしていて、井田と目が合うと、『ようやく気付きやがったか』というような険しい表情で、両腕を胸の前で大きくクロスさせながら、ハイエースの方へずかずかと歩いて来た。


 ホナミは、オーバーオールの前をダラリと下げたまま、大きな目を見開いて、その男が近づいて来るのを見つめている。

 井田は口を曲げて小さくため息をつくと、扉を開けて「よっこらしょ」と、車から降りた。


「こんにちは」

「あんたら何の用?」


 男は挨拶抜きで、単刀直入に分かりきった事を訊ねてきた。


「あ、はいあの……海、入らせてもらおうと思って来たんですが……」

「東京から?」

「はい」

「誰に聞いた?」

「はい?」

「ココ、誰に聞いたかってよ!?」


 男がいきなり語気を強めてきたので、井田が


 ノガワタケル……


 と、答えて良いのかどうか一瞬迷った時、車の中からホナミが加勢するように、高い声で言った。



「ねえ、オジサン!!ササラ君のこと、今日どっかで見なかった?!」



 ハッとして振り返った井田に、ホナミがニッ!と笑って、男からは見えない位置でピースする。



 そうだ!インネン付けられる前に、

 その名前でハッタリかませって言われたんだった!!



 すっかり忘れていた井田は、同じくハッピの男に見えないように、ホナミに向かって歯を剥いてニッと笑い返す。


「ササラぁ?」

「そう、ササラ君!」


 井田が、オウム返しにその名前を口にする。

 すると男は眉をひそめ、井田とホナミの顔を呆れたように交互に見てから言った。



「ササラなら、あすこにいんじゃねーか」



   

  「ええっ?!」

  「ええっ!?}

 



 井田とホナミは同時に声をあげた。



「おーーーーーい、ササラぁ!!」



 その呼び声に、消防団のハッピを着た、背の高い方の男が、携帯電話を耳に当てたまま、ゆっくりと振り返る。



 うそぉ!?!?



「こん人ら、東京からオメ—にわざわざ合いに来たんだとよぉ!!」



 なんでココに居ちゃうわけぇぇ!?!?



 ササラと呼ばれた男は、携帯電話をパタンと閉じると、ハイエースの方をじっと見た。

 凍りつく井田とホナミ。

 冷たい切れ長の目をしたその男は、井田と目が合うと、下まぶたをスッと上げ、更に目を細めた。

 そして一時も目を逸らさずに、こちらに向かって歩いてくると、井田のすぐ目の前で立ち止まり、ハイエースのサイドミラーに遠慮なく手を掛けた。



「オメーは俺の知り合いか?」



 井田が返事に詰まり、引きつり顏で立ち尽くしていると、その男は獲物を見つけたトカゲのよう舌を出し、やけに真っ直ぐ生え揃った上の前歯を、右から左にチロリと舐めた。





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