ヘタレですか?
ヘタレポイントへ通じると思われるトンネルは、ノガワタケルが言っていた通り、かなり小さく、そして暗かった。
肌色の小高い崖に、無口な子供のように控えめに口を開いたそのトンネルの前で、井田はハイエースを一度停車し、念のため高さを確認しようと車外に出た。
ホナミも大きなサングラスを掛けると、井田の後に従った。
風が低く唸り、土埃と共に井田とホナミの背中を押して、その暗い穴に早く入れと誘いをかける。
葦の原と、崖の上のこんもりとしたシイの木々が、二人を見降ろし、噂話をするかのようにざわめき始める。
ルーフレールにボードを積んでいるわけではないので、高さ的には問題無い。
けれどそれより気になったのは、入口の横にぞんざいに置かれた、太いチェーンと鉄の札だった。
灰色の長い鎖は、トンネルの番をする蛇のようにとぐろを巻き、それにくくり付けられた鉄の札には、赤黒いペンキで『立入禁止』と書かれていた。
そのどぎつい色をした文字の底辺から、ペンキが筋となって垂れて固まり、何やら遠い過去、血糊の付いた指先で書かれたかのように見える。
井田は、まるで冴えない探偵みたいに、それを恐る恐るつまみ上げた。
ヂャリヂャリという、重い金属音を立てながら解けるチェーン。
所々、錆びてはいたが、土や埃で汚れているわけではない。
恐らく長いあいだ放置されていた物ではなく、今、誰かが持って来て、そこに置いていった物と思われる。
「ここ……入っても良いんだよね??」
井田が自分に問いかけるようにつぶやくと、トンネルの奥を覗き込んでいたホナミが、
「あ、車が来た!」
と叫んだので、井田はチェーンを放り出し、ホナミと同じく暗闇の中に目を凝らした。
すると、小さく見える半円形の、あちら側の光の中に、車高の低い車の影がゆっくりとこちらに向かってやって来るのが見えた。
井田とホナミは、道のど真ん中に停めたままだったハイエースに急いで戻り、一度バックし、葦を踏み倒しながら、道の左いっぱいに車体を寄せた。
小石を踏みしめるタイヤの音と、低いエンジンを響かせながら闇の中から現れたのは、濃紺の、かなり年式の古いマークツーだった。
うぉっ!!ブタ目のマークツー?!渋い……
つぶらな瞳のようなに大きなヘッドライトの付いたレトロなワゴン車。
多少のガリ傷は付いていたが、程度はかなり良さそうだ。
滅多にお目にかかれないクラッシックカーに出逢え、井田はつい、その袖ヶ浦ナンバーの車を舐めまわすように見た。
乗っていたのはスキンヘッドの上半身裸の男。
開け放した運転席の窓枠に、良く陽に焼けた腕を乗せ、目は既に井田を鋭く見据えている。
その腕にも肩にも、フルカラーのタトゥーが鮮やかにプリントされていた。
年は井田よりもだいぶ若く、助手席には、 色白ガリガリの女が乗っていて、ツヤの無い長い茶髪が、幽霊のように顔を覆っているのを気にもせず、携帯ゲームにふけっていた。
量販店で買ったような、パステルカラーのサーフブランドの服を着て、いかにもイナカのヤンキー女といった風情である。
コイツ、車とオンナの趣味が全然合ってないな……
井田は、自分の尺度でざっと品定めを済ませると、窓越しに、そのスキンヘッドと大人しく目を合わせて会釈した。
黄ばんだショートボードを、むき出しのまま無造作に荷室に積んだマークツーは、ピカピカのハイエースのナンバープレートを確認すると、オス猫がシッポを高く上げ、タマを見せつけ、ゆっくり歩いて牽制するように、ジワジワとわざとらしく徐行した。
井田はパワーウィンドーを下げて「こんにちは」と声に出して挨拶した。
するとスキンヘッドは無言のまま、井田のことをジロリと見上げてブレーキを踏んだ。
ヤンキー女は、相変わらず激しく指を動かし、ゲームに熱中している。
ホナミは井田の横で、サングラスを掛けたまま大人しく黙っていた。
「あの、ちょっとお聞きしたいんですけど、このトンネルの先にあるのは『ヘタレ』っていうポイントですか?」
井田が丁寧に訊くと、スキンヘッドは眉根を寄せ、
「あ"ぁっ?!」
と言ってきたので、ひょっとして風の音で聞こえなかったのかと思い、井田は軽く咳払いしてから、もう一度大きな声で訊いた。
「ヘタレですかっ?!」
するとスキンヘッドは、急に動揺して声を荒げた。
「ヘタレだとぉっ?!て、てめぇっ!誰に言ってやがんだ!!オレにか?!?!」
「えぇっ?!やっ、そうじゃなくて、、、ここヘタレなんですよね?!」
「 よおっ、エラそうに高いトコからモノ訊いてんじゃねーぞ、コラぁっ!!」
「あ、すんません」
威嚇しようと、スキンヘッドがやたら大きな声でわめくので、井田は頭を掻きながら扉を開けて、ハイエースから降りようとした。
するとスキンヘッドは、慌てて地面に「ペッ!」と唾を吐き捨て、井田の下車を阻止すると、マークツーのギアを素早くローに入れたまでは良かったが、クラッチを急に上げ過ぎ、ややエンスト気味に、カクカクカクッ、、、と気の毒に車体を震わせ、逃げるように発進した。
井田が窓から頭を突き出し、その後ろ姿を見送ると、遠ざかるマークツーの、磨き込まれた銀色のフェンダーミラーに、スキンヘッドが井田の顔を恨みがましく睨みながら、携帯電話を耳に当てるのが見えた。
「何だありゃ、、、?免許取り立てか?? ずいぶん見かけ倒しだな……」
「ねえねえ、あれがさっき言ってたローカルってヤツ?」
ホナミが好奇心たっぷりに訊いてきた。
「そうなんだろうね、多分。……でも、ヘタレって言っても通じてなかったみたいだよね?ここ、ひょっとして違うのかな??」
井田は場所を間違ったのではないかと、不安になった。
しかしそんな事はお構いなしに、ホナミがまた例によってズレたことを訊いてきた。
「アタシ達、今、いじめられたの?」
「……あんなの、いじめられたうちに入らないでしょ?」
「でもリョウさんスゴイじゃん!あの刺青坊主、軽くあしらっちゃってさ!!」
ホナミが、ワクワクした様子で言ってきたので、井田はため息をついた。
「いや、、、ただ単にさっきのコが気が小さ過ぎるだけですね。それにもう僕、いいオトナですから」
そう言いながら井田の頭に、かつて地元、諏訪のちんけなゲーセンで、仲間とカツアゲみたいなことをやったり、やられたりしていた恥ずかしい過去が甦る。
今でこそ三流とは言え大学を出て、平和で温厚な社会人を装っているけれど、昔はただの、目立ちたがりのイナカの少年だった。
仲間とつるんで夏は商店街でケンカ、冬はスキー場でナンパ、という長野のヤンキールートを通過儀礼のように通ってきた。
そんな井田にとって中途半端なヤンキーよりも、雪崩と、諏訪湖に浮かぶ鳥の形の足漕ぎボートと、胸肩以上の波の方がよっぽど怖かった。
さーて、とにかく先に進むか、、、。波が小さいよーにっ!!
ふと、サーファーらしからぬ事を祈る自分に気付き、井田はひとり苦笑すると、再び車を発進させた。
そんな井田の横顔を、余裕の笑みと勘違いして、ジッと見つめるホナミであった。




