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あたしはアヒル3  作者: るりまつ
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必ず戻ってくるから



 タケルは、シークレットガーデンの無垢の床に、グッタリとうつ伏せで倒れていた。

 ハナコはカウンターの中のシンクで、ザブザブと顔を洗い、良く乾いた清潔なタオルで、そっと押さえるように肌に残った水滴を拭っていた。



「……ごめん。顔にかけちゃった……」


「随分たくさん……予告も無しに出してくれたわね」



 何のことは無い、鼻から溢れた海水の話だ。



「朝一でも、結構、波キツかったの?」


「そうでもない。普通。セットで頭オーバー」



 ……頭オーバーって普通なのかしら。



 ふとハナコの頭に、井田の顔が浮かんだ。



「急いでたから、鼻抜くの忘れてた」


「油断してると蓄膿症になるわよ。あなたいかにも、副鼻腔、大きそうだもの」



 オレ、いかにもフクビクウ大きそうな男……



 タケルはハナコのその言葉を、自分に置き換え再現し、一人想像してクックック、と笑った。


 ハナコに股間を蹴りつけられた痛みが去っても、タケルはそのままダラリと大型犬のように床に寝そべり、ラウンジのデッキの向こうに見える海の方を見ていた。


 そうしてじっと寝そべりながら、瞬きもせずボーっと両目の先の2点に焦点を拡散させていく。

 すると、窓の外の青い空が、ラウンジの中にグッと入り込んできて、逆に床板のほうが空よりずっと、遠くに突き出しているかのように見えてくる。

 その遠近感の狂った空と床の間に、ややグレーがかった海が見え、大量の白い雲が、手で掴めそうなほど近くを漂っている。


 タケルはしばらくの間、そのフワフワとした錯覚を、目で楽しんだ。



                雲



     床        風             板


 青    空  青           雲  雲         光   塵



               灰   板       茶  雲  白         

        塵

 

       空  波            空  風     風 風   雲 


    光             塵

               風           白   灰         雲


                     青

                 



 目の前に浮かぶ雲たちは

 

 まるで意思を持った生き物のように

 

 形を変えながら流れていった。

 

 置き去りにされた青や茶や灰などの色達が、

 

 タケルの呼吸に合わせてゆっくりと収縮し始め、

 

 束の間、酒に酔ったような恍惚とした気分に包まれる。

 

 そして自分の体も、

 

 雲と一緒に流されて行きそうになっていると、


 どこからともなく小さな赤アリが一匹やってきて、

 

 床に伸びたタケルの腕に這い上がって来た。

 

 アリは、腕に生えた体毛に少し戸惑って、

 

 細い触覚を振りながら、ひと通りタケルの点検を終えると、

 

 また何事もなかったように床に降りて行った。


 そのアリの行方に焦点を合わせると、自然と遠近感が元に戻り、タケルの浮遊状態も治まった。


 焦点が戻ったついでに、壁の振り子時計を見る。

 短針が10を、長針が5を過ぎたところだ。

 それを見てタケルはムクリと上半身を起こし、背中を丸めてあぐらをかいた。

 そしてそのまましばらく空を見上げ、考え事をしているようだった。



「何か食べない?」



 ハナコは、タケルが落ち込んでいるのかと思って、その後ろ姿に優しく声をかけた。



「いや……いらない」


「お腹すいてないの?」


「うん。……そろそろ行かなきゃ」


「行くって、どこへ?」


「ササラ君のとこ」



 タケルはきっぱりとした声で言った。

 そしてゆっくり立ち上がると、色あせたデニムパンツの尻を、パンパンッ、と両手で払う。

 頭の中のスイッチは、すっかり切り替わっていた。



「ササラ君のところって……」


「うん」



 ハナコはすぐにその意味を察した。

 そしてタケルと同じように、空を雲が足早に駆けていくのを見た。



「……これから、カガミハマに入るの?」


「うん」


「手カガミ……じゃなくて?」


「うん。本カガミ、入らせてくれるって言うから」


「何もこんな日に……」



 ハナコは咎めるように言った。



「ササラ君からの御招待だ。男として受けないワケにいかねーべ」



 そう言って大きく伸びをして振り向くと、ハナコがいつになく深刻な顔で、自分を見つめている目とかち合った。

 その暗く強張った表情のせいで、タケルの心ににわかに不安が広がり始めたので、急いでそれを打ち消すように、パンッ!と大きく両手を叩き、ニヤッと白い歯をムキ出すと、



「ハイッ!タケルちゃん、いよいよ念願の本カガミ・デビュー!!!!イェ〜〜〜イ!! カッコイイじゃぁーーん!! しっかぁもぉ〜〜!大型台風接近中!!!! 」


       

 そう言って、ラウンジの中を小躍りしながら無駄にはしゃいでみせた。

 しかし、ハナコはニコリともせず、ラウンジはさっきより重い空気に包まれた。

 タケルは自分のカラ騒ぎに、自分でムッとすると、口をとがらせつぶやいた。



「……最高だべ?」


「確かに。……ササラ君らしい最高の……ハタチのバースデープレゼントね」


「え?」


「それと比べたらつまらないかもしれないけど……はい 」



 そう言うと、ハナコはバーカウンターの中からタケルに向かって、何か緑色の物を投げてよこした。



「 ……!!」



 目の前にヒラリと頼りなく飛んできたソレに慌てて手を伸ばし、

床に落ちる寸前に拾い上げた。

 手にしたのは深いグリーンの、ヘンプ素材のTシャツだった。



「お誕生日おめでとう」



 ハナコが素っ気なく言う。



「……知ってたの?オレの誕生日」



 目を丸くしてハナコを見るタケルの顔に、あっという間に笑みが広がる。



「知ってるも何も、あなた一ヶ月位前からずっとアピールしてたじゃない。来る度につまんない替え歌、歌ったりして」



   たん、たん、たーけるーのたんじょうびー


     な〜み〜もなーいのーにふ〜らふら〜



「えぇっ!?ううううそぉっ!?!そ、そんなの歌ってた?!?!?マジでっ!?!?」



   ……オレ、超バカみたいじゃね?!? 



 動揺で、黒目が左右に泳ぐ。

 本人にはそんな記憶は無かったが、どうやら無意識のうちに口ずさんでいたらしい。

 そんなタケルの落ち着きのない様子を見て、ハナコはうなだれ、両腕を組むとため息交じりにポツリと小さくつぶやいた。



「…だわ」


「え?何??」


「心配だわっ!!!……って言ったのよっ!!」



 タケルが訊き返すと、ハナコはキッと顔を上げ、語気を強めて言った。


「あなたって本当に……頼りないっていうか何て言うか、、、そんな調子で本カガミの波なんて乗れるの?」


 そしてプイと横を向いた。

 なんだかバカにされたような気がして、タケルはムッとして言い返した。


「な、なんだよぉ、大丈夫だよ!カガミハマの本番は明日だべ?だから今日、オレみたいなビジターがピーク・デビューさせてもらえんだし、それになんたってササラ君がナビしてくれるんだから……」


「そんな甘えた気持ちで入るんなら、やめときなさいよ。ササラ君や、他に入る人達の足手まといになるだけじゃない?」


「だ、、ち…違げぇし、、別にそんなつもりじゃねーよ、、、」


 急にイライラし始めたハナコは、キツイ言葉を放つと、もうタケルの方は見ようともせず、眉をつり上げ、可愛い唇を思いきり歪めると、そのままジッと黙ってしまった。



「そ、そんな不細工な顔すんなよ、、、」


「……」


「ハナ、どうした?……怒ってんのか??」



 そんな表情を見るのは、ハナコと知り合って以来、初めての事だった。



「ハナ……?」



 タケルは右手にグリーンのヘンプのTシャツを持って、バーカウンターの方にそろそろと近づくと、さっき引っくり返したスツールに手を付いて、ハナコの機嫌を伺うように、そっと顔を覗き込んだ。

 するとハナコは、さらに首を捻ってそっぽを向いた。

 その時タケルは、唇を固く結ぶその横顔に、怒り以外の何かが隠されている事に気が付いた。



  『 危ないから行かないでよ…… 』



 それは、ハナコの本音だった。

 

 ようやくそれが読みとれた時、タケルの胸がチクンと痛んだ。



 そっか……そうだったのか……



 タケルは、スツールに手を付いたまま大きく深呼吸すると、もう一度ハナコの顔を覗き込んだ。


「ハナ、ごめん……。ふざけてるように見えたかもしんないけど、オレ全然そんなつもり無いし、むしろ実は……正直、怖い。

 だから、それ誤魔化したくって…なんか、はしゃいじゃったりして、、、。

 それに確かに、オレはバカだし、落ち着きねーし……だから心配かもしんないけど、、、」


 そこまで言うと、タケルはハナコから受け取ったグリーンのTシャツを自分の顔に押し付けて、照れくさそうに笑って見せた。



「けど、もうこれあるから。大丈夫。 な? 」



 それを聞いて、ハナコがようやくチラッとタケルの顔を見た。その瞬間を逃さず、ハナコにも自分自身にも言い聞かせるように言った。



「ありがと。最強に心強いお守りだから」



 するとハナコは、カウンターの中からのろのろと出て来てタケルの前に立つと、何か言いたそうに、自分のショートパンツの前裾を、モゾモゾと握ったり引っ張ったりした。


「……タケルはすぐ浮かれるし……肝心な時に、しくじるから……その、、、」


「おいおいおいおいちょっと待て!!!怖いって正直に白状してるヤツに、普通そういう事、言うかぁ?!?!こういう時はさあ、もっと優しく励ましてくれるもんじゃねーの?!」


「わ、悪かったわね……」



 タケルと同じく、ハナコも本当は不器用で、未熟な女だった。

 ハタチになったばかりと23歳。

 まだ若く、狭い世界にいて、自信過剰で…… なのに臆病だった。


 お互い、この入り江にあまりにも自由に出入りしていて、自分が本当はカゴの鳥であることを忘れている白い文鳥と、人の庭であることを知らずに舞い降りてくる、ただの茶色いスズメのようなものだった。


 しかし二人がいつの間にか強く魅かれあうのを、誰にも止めることなんてできなかった。その頃は。


 タケルの前にぎごちなく突っ立ったままのハナコ。

 二人の身長は、ほとんど同じだった。

 だから向かい合えば、互いの瞳は、その真っすぐ先にある。



「浮かれてないし、しくじらない。 ……オレを信じてよ」



 タケルは、ハナコの目を見ながらきっぱり言った。

 それからTシャツを左手に持ち替え、ハナコに向かって右手を差し出した。



「もし今日、最高に良い波に一本乗れたら…… 夜、もう一度ここに戻って来る」 



 ハナコもタケルの目を見ながら、素直にその手に自分の右手を重ねた。



「そしたらその時は、コレを着て来る」



 そう言ってニッコリ笑い、タケルはハナコに一歩、歩み寄り、重ねられた手を優しく握り、自分の口元に引き寄せた。

 そして目をつむると、その手の甲に、厚みのある柔らかい唇をそっと付け、かわいらしい音を立てた。



    

      チュ。




 ハナコの不安げな顔に、一瞬、光りのような笑みが差し……そして次の瞬間にはもう、いつもの美しく、気位の高いハナコに戻っていた。



「期待しないで待ってるわ」



 タケルもそれに応戦するように、自信に満ちた不敵な笑みを浮かべ、



「必ず、戻って来るから」



 と言うと、握っていたその手を静かに離し、くるりときびすを返した。

 それから肩にグリーンのTシャツを引っ掛け、ラウンジの外へと通じる廊下へ悠々とガニ股で歩いて行った。


 つまらない替え歌が、暗い廊下の壁に反響する。




   たんたんたけるのたんじょうび〜


           な〜み〜がありすぎ……




 その時、

 強めの風が鉄の重厚な外扉からゴォォッ……と吹き込み、タケルの歌声はかき消された。


 その風が上窓を通って海へと抜ける時、



       

             

         フフフフフフッ…… 



                        

                    

  と、ガラスが震えるかすかな音がした。






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