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あたしはアヒル3  作者: るりまつ
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サーフショップの店長やります



 小さな和風カフェのような外観のサーフショップ『Blue Garden』が、 吉祥寺の、井の頭公園の池の端にオープンしたのは、今から4年前に遡る。


 店長の名は井田 涼。


 出身は長野県の諏訪。

 精密機械工場で技師として働く父を持ち、諏訪湖と霧ケ峰高原を一望できる山裾の社宅で、 両親と姉妹の五人家族の長男として生まれた。


 雪を抱いた山々で、冬はスノーボード、夏は湖畔でスケートボード。好物は桃とリンゴ。

 そして気の強い姉妹に挟まれ、平凡で、平和主義のフェミニストに育つ。

 父の勧めで工業高校に進学したが、諏訪を離れたいがために東京の、なぜか文系の大学に進学し、八王子で念願の一人暮らしを手に入れた。

 

 井田が初めてサーフィンを経験したのは、大学一年の夏休みの時で、 たまたま親しくなった、鵠沼に住むサーフィン部の友人の家に泊まりに行った翌日、早朝、海に連れて行かれ、オンショア(海から吹く風)のザワつく波でロングボードを教わった。


 運動神経は良かったが、海で泳いだ経験自体が少ない井田にとって、 雪よりも頼りなく、実体が無いように感じられる水の上で、不安定に揺れるサーフボードに股がって浮かんでいるのは、初めは少し怖いくらいだった。

 しかしその不安定なボードは、パドリングによって加速して、 ひとたび波とタイミングが合うと、自然に斜面を滑りだし、その時、実は波に吸いつくように安定していることが分かった。

 そしてその瞬間、スピードを恐れずにボードの上に立つことができれば、波は雪の斜面以上に、重力と無重力の間を彷徨うような不思議な感覚を体に伝え、言いようのない興奮を感じさせてくれることを知ったのだ。


 それをきっかけに、井田はサーフィンに夢中になった。


 しかし井田の場合、夢中になったのはサーフィンそのものと言うより、サーフィンカルチャー全般に、と言った方が正しいのかもしれない。


 今でも、長野の美しい冬の雪山と、夏の緑と果物をもちろん愛していたが、若い井田にとって開放的な湘南の雰囲気と、ぬるい海と、特に水着の女の子は、タケノコのように上から下までがっちり重ね着した山の女の子より、遥かに魅力的だった。


 そのうち、古き良き時代のカリフォルニアのサーフカルチャーに傾倒し始め、所有していた4WDの寒冷地仕様のワンボックスカーを売っぱらい、程度の良いワーゲンバスを知り合いのつてで購入し、自分仕様に手を入れた。

 そして助手席に可愛い女の子を乗せて、八王子から湘南に向かうことを休日の喜びとした。


 小波と戯れた後、女の子を美味しいオーガニックランチを出すカフェに連れて行ってあげたり、ひと気の無くなった海岸で、バーナーで湯を沸かし、ホーローのマグカップに熱いコーヒーをれ、小さなフライパンでホットケーキまで焼いてあげたりなんかして、ギターを弾きながら夕日が沈むのを眺める。

 そんなマメな演出をして、女の子の喜ぶ顔を見るのが好きだった。


 だいたい一通りのことをやってあげると、もう違う女の子を喜ばせてあげたくなってしまうので、必然的に女の子の入れ替わりは早い。

 しかし、自分が女の子から振られるように上手に仕向けるので、恨まれたり揉めたりするような事もほとんど無い。

 むしろ別れた後も、その子の新しい恋人との恋愛相談に乗ってあげたりして、本当にいちいちサービス精神旺盛な、お人好しの男だった。


 そんな平和主義者のフェミニストの井田は、60〜70年代カリフォルニアの匂いがプンプンとする、サーファーやスケーターの間で絶大な人気を誇る『Green Gardenグリーンガーデン』の服をが好きだった。

  自分自身の中に、特にコレと言った特技も才能も見出す事の無かった井田は、『それなら仕事は、趣味と実益を兼ねられるモノを』と単純に考え、大学を卒業すると、御園生秀則みそのうひでのりの経営する『ガーデングループ』に就職をした。


 ガーデングループには『Green Garden』の他にもいくつかのブランドがあり、まず何年かはどこかの店舗で、販売員としての経験を積む必要がある。

『いずれはグリーンのバイヤーになれたらいいかもなぁ』と、漠然と考えていた井田は、素直にグリーンガーデンへの店舗配属を希望した。

 そして渋谷店の配属となったところで、持ち前のカリフォルニア・オタクっぶりと、女の子泣かせのサービス精神とお人好しが、大いに発揮されたのだ。


 井田は目がアーモンド形の、ややつり目がかった奥二重で、鼻筋は細く、どちらかと言うと顔の印象は薄い。

 しかし、体つきがスリムで洋服が着映えし、人に不快感を与えない小ざっぱりとした男だった。

 しゃべり方も穏やかで、笑うと日焼けした顔に白い歯が爽やかなので、 接客すると男性客にも女性客にも、すぐに好感を持たれた。

 そのおかげで、渋谷店の売り上げは飛躍的に伸びた。

 その後、異動した先の横浜店も人気店となり、それから売り上げ不振でブラックリストに乗っていた大宮店の店長にさせられ、そこで苦戦しつつも徐々に顧客を増やし、売り上げを立て直してみせた。

 そして全国に30店舗ほどあるグリーンガーデンの中で、いつの間にかすっかり名を上げ、 その年の大阪本社の表彰パーティーで、最優秀店長として表彰され、金一封も手に入れた。


 パーティーの場で、社長の御園生と直々に話す機会があり、井田は初め、かなり緊張していたが、そのうち自分がロングボードを休日の楽しみとしていて、しかも、カリフォルニア・サーフスタイルを愛してやまないことを話すと、御園生は井田に興味を持ち、それから御園生自身のカリフォルニアオタクっぷりと、昔の日本のサーフィン事情についての熱いトークが炸裂し、もう誰も付いていけない中、井田だけは若いくせに対等に語りあうことができ、二人はすっかり意気投合した。

 そしてその時、御園生の「そのうちサーフショップをやってみたいんよ」という話に、酔った井田が「そしたら、ボクが店長やります〜」と調子に乗って言ったのが、なんと本当に実現してしまったのが『BLUE GARDEN 吉祥寺』だったのだ。


 パーティーの数か月後、御園生から本当に、


「店、立ち上げるから店長は井田君や」


 と言われた時、井田は全身から冷や汗が出た。

 そして丁寧に、正直に断った。


「すいません、実はボク、言ってなかったと思いますが、肝心のサーフィンは下手クソなんです。お恥ずかしい話、せいぜい腰腹程度の波に乗るのがやっとでして……」※


 すると御園生は笑って言った。


「えーねん、えーねん、そんなん気にせんでも。ええライダー、バイトとして見つければ、そんでええって。店のアイコンになるライダーがちゃんとおったら、店長までカリスマ・サーファーの必要なんてないて。いや、別に井田君をこきおろしてるわけやないで?」


「はぁ……」


「自分はな、店長はサーフィン、まぁ、ウマなくてもええから、とにかく客やバイトの気持ち、ちゃんと掴めるヤツに任せたいねん。一昔前みたいにな、ショップ経営者のオッサンが、なんや偉そうにふんぞり返って、客がオッサンの顔色伺ぅてるような店は、もうあかんで。そんな店はつぶれる一方や。そんなとこ、関東かてまだあるやろ?」


 井田は、黙って聞いていた。


「このまんまじゃ、若いヤツら正直やから、サーフィンなんてめんどくさ〜言うて、ようやらんようになるで。今かて、見てみぃ。海、オッサンやオバハンばっかりや。海の高齢化や。若いのおらんようになったら、サーフィン業界、しまいやで。オッサン、オバハンらの子供もモチロン、もっと、初めての若い子や女の子かて入りやすい店にして、サーフィンカルチャーに気軽に親しんでもらえるようにしたいねん。井田君やったら、きっとやれるて期待してんねん!!」


 御園生は、恥ずかしいぐらい熱心に、井田を口説いた。


「それに、実はな……」


 そして電話口で咳払いして、少しもったいつけ、それから打ち明けるように小声で言った。



「自分もサーフィン、めっちゃ、下手クソやねん」 ガハハハハッ!!!!


 御園生が豪快に笑ったので、井田もつられて思わず笑ってしまった。

 そして、コシハラ程度の波しか乗れない男は、この話を受ける決意をしたのだ。


 話はトントン拍子に進んだ。


 店は、御園生が物件を探す時のこだわりの一つである『店内から緑と空がキレイに見える、ホッとできる場所であること』を第一条件として探し、そして吉祥寺の、井の頭公園に隣接する住宅地の、池を見下ろす側にある物件に決定。

 駅としては吉祥寺よりも、井の頭公園駅のほうが近く、それほど便利で目立つ場所にあるわけではなかったが、木造の昭和レトロな元飲食店で、格子戸と窓が良い味わいを出していた。

 御園生とデザイナーと相談しながら、井田も工務店のスタッフと一緒に壁を塗り直したり、簡単な作業を手伝ったりして、店を作ることも楽しんだ。

 ディスプレー什器やショーケース、備品選びにも時間をかけ、アンティークショップなどを見て回り、壁掛けフックやハンガーも、店のイメージに合うものを妥協せずにしつこく探した。

 肝心のボードとウェット、それに付随するギアは、御園生の長年の知り合いであるメーカーから各種取り揃え、

サーフスケートも少々置くことに。

 そして最後に得意のアパレルと雑貨、アクセサリーなどをディスプレーすると、そこは昭和のたたずまいに、古き良き時代のカリフォルニアの雰囲気がしっくり馴染む、なんとも心地よい、不思議な空気感を持つ店となった。

 このまま自分の家として住みたいと思うぐらい会心の出来で、御園生も大いに満足してくれた。


 ショップのスタッフには、東京在住のスバル君という、プロになってまだ間もない、若手ショートボーダーが加わった。


 怖いぐらい順調に事が進んで行った。


 学生の頃から住み続けていた八王子の小さなアパートを引き払い、ワーゲンバスに、お気に入りの家具と古着と、3本のロングボード、それからほとんど眺めるだけの、1本のレトロフィッシュボードを積み込み、店の二階に引っ越しを済ませる。


 そして準備万端、全てが整い、桜の開花と共に迎えた『Blue Garden吉祥寺』プレオープンの日……










※腰腹程度の波—高さ1メートル弱の波。初心者〜中級者向けのサイズ

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