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ep






 ――二年後。





 白を基調とした大きな部屋。窓は開いており、淡い色のカーテンが揺れている。外から聞こえるのは車のエンジン音。耳を凝らせば小鳥の鳴き声も聞こえた。


 廊下から聞こえてくる物音は、扉を閉めるとぴたりと聞こえなくなった。

 パイプの椅子に腰かけ、以前よりも少し伸びた髪を耳にかけた。




 今日は特に暑い日だった。薫子の薄い水色のワンピースは、涼しげに見える。


「あれからもう二年か」

 呟くように薫子は言った。

 高校生の時よりもどこか大人びた雰囲気があり、喋り方もおしとやかになっている。




 微笑みながら、薫子は続けた。

「色んな事が変わった。何回も話してるけど、言うわね。

呪力が消えて、戦争は終わった。そうなると勿論、呪術界は以前の形式を保てなくなる。勝った家系が新たな支配をするっていうのも、うやむやになったし。というか誰も望まなかったわ。強い力なんて、結局のところ誰も望んでいなかったのよ。……ああ、それにマントラも廃止。それぞれの家系は、普通の家族に戻った」



 ――先ずはそう。六車家から話そうかしら。



「あれから六車の血は絶えた。といっても実力主義だから最初からあってないようなものだけど。六車家に属していた家計も殆ど残ってない。とても残念だけど。……けれど六車のバックに警察っていう大きな組織があるおかげで、その後の就職先とかには困らなかったそうよ。呪力が無いと稼ぐのも難しいのよね」



 薫子は一度、息を吐いた。それから深刻そうな顔で続ける。



「戦争を始めたのは六車が原因だけれど、後ろ盾のおかげで事態はうまい具合に収束した。戦時中は結界のおかげで漏えいもなかったし。それに呪術界に入っている人は、家族を捨てる人も多いから。亡くなった人も、誰にも知られずにこの世を去った。酷いありさまだった東北のあの場所も、異常気象のせいって事で片付けられたみたい。まあ日本中であんな災害が起きたんだから、仕方ないのかもしれないわね」


 自分には知らされていないけれど、呪術界はもっと深いところと繋がっているのだろう。そうでなければ、あんな大きな戦争を起こして音沙汰無しなんて不可解過ぎる。

 今になっては知ろうとも思わないが。





「暗い話ばかりになってしまったわね。次は温かい話にするわ。そうね、十文字家にしようかしら。あそこは今まで通りに暮らしてるらしいわ。相変わらず家族で――」









 大きな和室のわりに、置かれているテーブルは小さかった。茶色く木製のそれは、どこか古めかしさを感じさせる。辺りにあるインテリア、テーブルの上に置いてある食器など全てがそうだ。

 釜戸さえも電気に頼らず、炭で米を炊いている。



 火の調整を終えた千足は次々とおかずを運んでくる。先ずは鯖の味噌煮。貝の味噌汁。さすがにこれはガスの火を使って温めたものだ。


 並べられているのは、四人分。

 前はもっと沢山の人が家に居た。十文字家はそれだけ大きく力のある家系だったからだ。今は四人。

 少し寂しいけれど、楽しくもある。それだけ変わったのだ。




 そして一番長く居た人は、ここにいない。

 足音を察知し、千足は窯のご飯をよそい始める。



「おはよう、お母さん。御飯の準備できてるよ」

 ぼさぼさの髪を掻き毟りながらも、彩芽は感嘆の声を漏らす。「おお、さすがは千足」

 眠たそうな目も、天使のような笑顔と美味しそうなご飯を見れば覚醒する。





「千草はもう直ぐ来ると思うけど、千夜は?」

 彩芽の問いに、千足は小さくあっちと言って、庭の方を指さした。



 目で追うと、庭には猫じゃらしを使って猫と戯れる千夜の姿があった。黒い猫、チオマルである。

「まだまだ修行が足りないです、二号」

「うにゃー」


 髭を逆立て、猫じゃらしを奪い取ろうとするチオマル。それを千夜はさらりと避けて見せる。



 彩芽は溜息を付く。「仲良いのか悪いのか。千夜も、もう成人だってのに」

 十八歳だった千夜も、今年ついに成人。しかし見た目の方はなにも変わっていない。身長も伸びたかどうか怪しいレベルだ。




「千夜ちゃんは子供っぽいのが、魅力だと思うけどね」


 猫じゃらしを取られてしまった千夜は、庭からUターンして千足達の方へ近づいて来る。

「流石です、千足。子供心を忘れない奥床しさです」 

「千足が言ってんのは、そういう事じゃないんじゃない」


 彩芽は座布団の上に座ってから、千夜を手招きする。「ほら、千夜も来な」

 そう言われ、千夜は彩芽の足の上に腰下した。そこから感じる重さすら、なにも変わっていない。


 本当に成長しているのか不安になった頃、襖が開いた。

「千草参上」

 大きな声とポージングで、千草は現れた。




 小さかった千草も二十センチ近く身長を伸ばし、小学校にも通い始めた。千夜とは違って、着実に成長している。

「おはよう、千草」

「ふふん、姉ちゃんも大人っぽくなったね」


 ただ、少しだけ小生意気に成長している気がする。

 千足も高校三年生になり、セーラーの制服姿も様になってきた。

「有難う、千草」



 お礼を言われ、千草は頬を紅らめる。「もう少し色気が出たら、僕のお嫁さんにしてあげてもいいんだけどね」

 横で話を聞いていた千夜は立ち上がる。「千足を困らせるなです」



「うるさい千夜。もう直ぐ僕の方が身長高くなるんだから、うるさい」

「身長よりも懐のデかさです」

 言い合いを始める二人を、千足と彩芽で咎める。いつもの家族の光景だった。





 そしてようやく四人はテーブルの前に付いた。同時に食材に感謝を籠めてから、箸を進める。

 その時、嬉しそうに口角を上げる千足を、彩芽は見逃さなかった。


「なんか良い事でもあった」

「最近は良い事だらけだよ。家族でこうして一緒にいられるだけで」

 優等生の返答。しかしこれが通常運転なのだから、茶化す事もできない。




 記憶を探ると、彩芽は一つの答えに辿り着く。

「あ、そっか。今日は朝陽君の日か」

「うん、学校行く前に寄って来る」



 ずばり当てられたのに、千足は思いのほか恥ずかしそうにはしなかった。



「朝からよくやるわね。帰りにすればいいのに」

 千足は屈託の無い笑顔で言った。「だって、おはようって言われた方が、今日から頑張るぞって気持ちになるでしょ」



 その言葉に、彩芽は思わず笑う。確かに、千足の言う通りだ。




 家族団欒の朝御飯。しかしこの時間になると、ある人がやってくる。正直、最初の頼りになる印象とは変わって、彩芽はその人間が苦手だった。顔はタイプなのだが……。



「千足さん、今日も来たよ!」

 颯爽と空から降って来たのは、ミディアムの髪を靡かせる久我正宗だった。爽やかな笑顔を千足に向ける。


 彩芽は思わずため息を漏らす。そして誰よりも早く、千夜が彼を睨んだ。

「不法侵入です」

「まあまあそう言わずに。俺達は家族みたいな真柄だろ」



 あまりの爽やかさに、千夜は吐き気を催す。

 千足だけは彼の登場を歓迎する。「そうですね、一緒に食べますか?」

「それは婚約の了承という事で宜しいのかな」


 唐突な言葉に、千足も冷や汗を掻く。「そ、それはどうでしょうか」

 話を聞いていた千草も、ライバルだと分かったらしく、立ち上がる。「お前に千足はやらん」

「ふん、君みたいなお子様を千足さんは相手にしないよ」

 ただでさえ、騒がしい一家が更に騒がしくなる。朝だというのに喧騒は止まない。




 彩芽は小さく溢す。「なーにやってんだか」

 呆れる彩芽に、千足は笑顔で返した。「でも、これくらいの方が楽しいですよ」



 喧嘩する三人を見ながら、彩芽は考えた。

 ――それもそうね。












 

「あれから千足さんとは、朝陽君の所に行くようになったわ。貴方も、忘れてないわよね」

 溜息を吐き、持って来ていたお茶を薫子は一服する。




「次は百瀬家の話。仁先生の話なら興味あるわよね。それに母校の話にもなるわけだし。呪術が消えたから、勿論烏枢沙摩高校は依然と同じではいられない。と言っても元から就職支援の学校だったから、そっちの方向で立て直してるわ。仁先生は相変わらずそこで教師。やる気のない顔でね」



 そこで薫子は微笑む。

「でもそれだけじゃなくて、驚きの事実があるの。明も関係しててね。実はあの二人――」














 逸る胸に手を当てる。緊張は一切、緩和されない。掌に人を書いて飲み込んでも効果は得られない。

 隣にいる仁も微笑むばかりだ。




 彼は自分の家なのだから、緊張はしないだろうが、こちらは気が気ではない。無礼の無いように、もう一度自分の身なりを確認する。


 黒いスーツは少し恥ずかしいけれど、ネクタイもきちんと締めてある。完璧だ。

 心の準備が整いきる前に、仁は襖を開けた。

 更に心臓が波打つ。




 入った先で目に飛び込んできたのは、予想通り厳格そうな男の人だった。和室が似合う出で立ちと服装で、強いオーラを放っている。

 仁とは真逆の人だった。




 既に座布団の上に座っている仁に声をかけられた事で、自分だけが立っているという浮いた状態に気づいた。顔を紅らめながらも天津は行動する。



「失礼します」

「ああ、楽にしてくれ」

 聡士と天津の間で堅い会話が交わされる。



 順序通りに、居住まいを正してから、天津は風呂敷に包まれた酒瓶を差し出す。



「つまらないものですが、どうぞ」

「ふむ。中々の上物だ。有り難く頂こう」

「お酒の事は詳しくないですが、喜んで貰えて光栄です」

 慣れない敬語に、天津は更に上がってしまう。




 見かねた仁は言った。「緊張してるから、もう少しにこやかに」

 息子に注文されるも、聡士は鼻を鳴らすのみだった。




 上がり切っている天津では、話を切り出せなそうなので、仁が話を始める。

「それで本題だけどね、僕達の――」

 仁の言葉に割って入ったのは、天津だった。「仁先生を私に下さい!」




 唐突な言葉に聡士は思わず、口角を上げる。仁に関しては笑いを堪え切れずにいる。

「天津さん、男らし過ぎ」



 自分の失態に気づき、天津は更に顔を紅潮させる。「私、なんたる失態を……」

 何度も頭を下げる天津。そんな彼女の真摯な気持ちは、聡士に伝わっていた。その場で立ち上がり、彼は仁に言う。


「相手の気持ちもちゃんと考えてやれよ、仁」

 立ち去る聡士の言葉を、仁はまだ理解しきれなかった。




「あ、あれ。仁先生のお父さんは……」頭を上げたばかりで、天津は状況を理解できていないらしい。

「さっさと行っちゃったよ。こういうの苦手な人だからね」

 苦笑する仁を見て、天津はほっと胸を撫で下ろす。

 自分が緊張しているのを気づいて、聡士が立ち去った事を察した天津は、もっと親睦を深めようと決意した。




 けれどこんなにあっさりと婚約を承諾してもらえるとは思っていなかった。呪術界でも百瀬は厳しい家系と有名だった。なにより婚約の条件はとても厳しいと。


 承諾したのってやっぱり……。

 そこで天津の中に、良くない可能性が浮上した。




「いやぁ、報告も済んで良かったね」仁は大きく伸びをする。

 そんな彼に天津は小さな声で訊いた。



「仁先生は本当に私が好きで、婚約するんですか?」

 躊躇いながらも、確かに彼女は真剣な眼差しだった。仁はならべく、目を合わせないようにした。


「今更なにを言ってるんだい。好きじゃなきゃ付き合わないし、婚約なんて尚更」

 そんな仁を見て、本心を隠そうとしている事を察した天津は、距離を少し詰める。ここで退いたら、またはぐらかされる。




「言葉でならなんとでも言えます。私に星読みの力があったから、仕方なく婚約したんじゃないですか。呪術とは関係の無い力だし、それができないと家督は継げないって聞きます」


 意地悪で酷い聞き方をしているのは分かっている。それでも彼の本心が知りたい。


「いつも嘘で自分を隠して、不敵な笑み浮かべて。そんなのずるい」

 困惑した表情を見せる仁に向け、涙ぐみながら天津は告げた。「私ばっかり好きで、ずるい」




 そんな彼女を見て、仁はとても愛らしいと思った。だが彼女を満足させるのはとても難しい。

 仁は落ち着いた様子で言った。


「正直、君がまだ生徒に見えてしまって躊躇する事もある。それでも天津さんが好きなのは本当だ。ただそれを証明するのとはとても難しいよ。愛情の度合いなんて測れないし、それに――」


「ああ、もう。そんなのどうでもいいです」

「どうでもって……」


 天津は更に仁に詰め寄った。「キスしてくれれば、証明って事にしてあげます」



 一瞬、動揺を見せる仁だったが、直ぐに大人の落ち着きを取り戻す。

 頬を紅らめ、懇願する彼女の姿はやはり愛らしい。気持ちは証明できなくとも、これが愛なのだろう。


「明は甘えん坊だね。――いいよ」

 真昼の空の下、二人は一室で初めての口付けを交わした。あまりに純粋で、穢れのない口付けを。


















 薫子の顔も紅潮していた。

「あの二人の事を考えるとこっちまで恥ずかしい」



 真夏の気温と相まって、発汗を感じる。用意していた団扇で仰ぐ。

「禁断の愛ではあるけれど、明も卒業しているし、時効って事でいいんじゃないかしら。なにより好き同士なら」


 そう言いながらも、薫子の目は憂いと寂しさを纏っていた。



「次はそうね。私達、四之宮の話でもしようかしら。先ずは、姉さんの話をしなきゃね。あの人は相変わらずどこでなにやってるか分からないけど――」









 辺りに広がるのは木々ばかり、人家すら無い。唯一、桜子のいる一軒家を除いては。


 大きな古屋の庭に、彼女は腰かけていた。座るだけで木製の床が軋む程だが、風情はある。

 庭からは、広大な敷地をようしている畑が見える。大根やさつまいも、じゃがいもなどの根菜が主に植えられている。




 畑を耕しているのは、色素の抜けた髪をした一人の少年。とても一人では手に負える面積ではないが。


 そんな中、段ボール箱を持った桐蔭が近づいて来る。長い髪は一つ結びしており、手に付けた手袋も汚れている。その様子から彼も畑に手を加えているようだ。



 段ボールを庭に置くと、桜子が訝しい目で見て来た。

「え、それって肥料」

「そうだ。より安全に多くの野菜を育てられる」


 その言葉を聞き、桜子は顔をしかめる。「無農薬で栽培するって言ったじゃない。健康に気を遣わなきゃ」

「人手が足らん」

「おじ様って頭が堅いのね」



 不貞腐れた様子の桜子を見て、桐蔭は言った。「お前もそう、変わらん年になって来ただろう」

「あらあら、一応、女子大生は名乗れる年よ」

「通ってから言うんだな。引き籠り」



 言い争う二人に向けて、遠くにいた恵慈が声をかけた。「おい、手伝ってくれ。そろそろ日が暮れる」


 子供に言われては、桐蔭も突っ立て議論しているわけにもいかない。彼の元に向かう前に、桐蔭は言った。

「恵慈と一緒に働ける場所を用意してくれた事には、感謝する」




 段々と遠くなる背を眺め、桜子は微笑んだ。

 いつの間にか、畑には数十人の人間がいた。帽子を被った場違いな男もいれば、タオルを頭に巻いた相応の恰好をしている人もいる。



 沈む夕陽を眺めながら、桜子は考えた。「そろそろ目覚める時期ね」

 東京に旅行でもして、ついでに寄り道。アタシにもお礼を言いたい人はいるし。


 そのまま背を軋む床に預け、桜子は寝ころんだ。夕陽が心地よい、夏の日和。















「結局、姉さんのおかげで戦争は終わって、姉さんが六車九朗が首謀者である証拠を提示したおかげで、丸く収まった。なにもかも姉さんのおかげだけど……。なんかムカつく」


 八つ当たりだと知りながらも、過去の事を考えれば、薫子の怒りは仕方ないとも思えた。

 なにより彼が姉を選んだ事が、少しだけ悔しい。




 息を吐いて、呼吸を整えてから薫子は口を開く。



「最後に私の話。あれから高校を卒業して、大学に進学した。父さんも快く承諾してくれたわ。理系の大学なのだけれど、そこで私は呪力に似た物質を発見したの。私の願いはそれを悪いように使われない事。たったそれだけ」


 薫子は、目をつぶりぴくりとも動かない彼の顔を見た。「だって貴方が救ってくれた世界だもの」



 戦争から二年の月日が流れた。それでも水無良太郎は目を覚まさない。


 発見された時には、恵慈と共に倒れており、身体からは大量の出血痕があった。病院に運ばれたものの、原因は不明。植物状態のまま、歳月が過ぎた。



 二年間、毎日のように薫子は彼の入院する病院に足を運んだ。話す話題も尽き、何度目の話になるだろうか。


 自分のやっている事が無駄な行為に思えてきて、段々と胸が苦しくなる。



 戦争は終わった。だけどそれは、六車朝陽、水無良太郎。数えきれない程の人々の犠牲の上に。





 席を外そうと薫子が腰を浮かした時、機械の音が鳴った。けたましい程の音が。勿論、自分の携帯ではない。病院では電源を切っている。


 その音が止んだ時、良太郎の目が開いた。

 ずっと、待ち望んでいた瞬間だった。



 夕陽に照らされながら、良太郎は上半身を浮かした。

「貴方は、誰ですか」



 泣かないと決めていた。笑顔で迎えると。彼がどんな状態でも。


「良太郎の婚約者。覚えていてくれたら嬉しい」


 さっきのは間違いだ。彼等はきっと犠牲なんかじゃない。少なくとも私には――英雄に見える。 



 呪力という特殊な力が廻り合わせた、二人の物語は終わった。ここからはまた、新たな物語が始まる。

 苦難を乗り越え、今も同じ場所に立っている二人なら、きっと幸せな物語になるだろう。


 夕焼けは二人の新たな出会いを色付けた。穏やかな風は二人の心に寄り添う。奇跡のような廻り合わせに。
















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