終戦
強い雨の中でも、戦場には消えない炎が幾つも灯されていた。泥へと変わった地面には、多くの術士達が倒れている。騒然とした様子から、戦いの激しさが伺えた。
その中でたった一人、四之宮誠司だけが悠然と立っていた。手に呪力を籠め、握りしめる。
視線の先には、仰向けに倒れた――十文字千夜。
「まだ子供だ。君を殺したくなんてなかった。だけどここは――戦場だ」
迫りくる誠司の手を認識し、千夜は目を閉じた……。
泥に残る足跡を追い、四之宮と十文字は出会った。二つの勢力は言葉を交わさず、呪術を放ち交戦に転じた。家族以外は全て敵。それが戦場のルール。
本来の敵、六車から離れようとも、倒せる敵は倒さなければならない。最後に勝つのは一つだけだから。
四之宮の術士が一人倒れ、次に十文字の術士が倒れる。時間と共に被害は増える。天気も崩れ始め、落雷が当たり死す者もいた。
それでも誠司と千夜だけは、臆さずに戦いを続けた。指示を出し、味方を生存させるように。それでも死者が無くなったりはしない。
「貴方は人を殺せないのかと思っていたです。思ったよりも非情」
誠司に言葉をかけつつも、千夜の攻撃は衰える事はない。得意の炎の呪術で四之宮の術士を倒す。その熱量は雨も蒸発させてしまう。
その炎を掻き消したのは、誠司が起こした呪術だった。強い風が、炎を消し去ったのだ。
「大切な人の為なら、俺はどんな罪でも背負う。君を殺す覚悟だってある」
いつも通りの落ち着いた様子でありながら、確かな殺気と闘志があった。千夜でさえ、一瞬の怯みを見せるほどに。
千夜は手慣れた指使いで指紋を始める。複雑な術式でありながら、構成に要した時間はほんの数秒。
「今すぐ裁いてやるです。死をもって。――五行一貫」
五つの属性全てを撃ち放つ、千夜だけの最強呪術。五つの技を巧みに操り、最大の力を引き出す洗礼された技。
四之宮の術士を倒し、誠司へと標的を定める。
四之宮光茂。現四之宮家の当主の彼に拾われた時から、決めていた。死ぬまで光茂の為に戦うと。
本当、お互い望んでいない事をしている事は分かっている。だが逃げ出す事はできない。感情を捨て、ただ目の前の敵を打ち倒す事だけを考える。
そうしなければ、後悔する。
あの時も戦い続けた。だから自分を保っていられる。親友を救えた。
やっぱり、俺は間違っていない。だって戦争は止まらない。誰かが勝つまで。
誠司に迫っていた千夜の呪術は、目の前で相殺される。
「全ては俺の創造の一部。君がどんなに足掻こうと」
その言葉に、千夜は目を見開く。「まさか……」
「十戒――天照大神」
次の瞬間、誠司の背後から幾つものミサイルが出現した。呪術でありながら、実体を持つ兵器。それが神の力の成せる技。
一斉に発射され、敵の何人かをロックオンしたように追撃する。
千夜は全てのミサイルを打ち落とそうと、雷を落として途中で爆破させる。誠司は一切、手を緩めず様々な兵器を想像する。
腕から血が漏れだす。神の力を使った代価だ。早く終わらせなければ、戦える体力は無くなる。
その時、千夜の足元で爆発が起きた。それも誠司が創造した地雷だった。
彼女は護でギリギリ身を守ったが、既に戦えるだけの活力は残されていないらしい。ぐったりと地面に倒れている。
周りを見渡せば、他に立ち上がる者はいなかった。
その光景に、誠司は過去の自分を照らし合わせる。
あの時も戦い続けた。なにかを守れた。それは事実だった。しかし今も、あの時も、自分の周りには誰もいなかった――。
乾いた目からは、なにも溢れない。ただ虚空だけが映り続けた。
身体から多量の血が漏れだしている。それでも目の前の少年は、終わらせるために呪術を発動し続ける。
ただそれすらも、今は愚かな行為に見えた。いやそれだけではない。空から見れば、傷つく為に戦っている彼等全てが愚かで、寂しく見えてしまう。
世界から見れば、彼等の足掻きは木を揺すっていると同じ。落ちるのは無償にある葉。偶に落ちてくる林檎を掴めば、喜ぶ。まるで大きな卓上で、ゲームを眺めているようだ。
命を張って少しずらしたとして、それでどの程度変わるのだろうか。
仲間が全て倒れ、一人になっても立ち続ける青年。その目からは、感情は消え去っている。まるでバッドエンドの物語だ。
家族の為に血を浴び、戦う女。誰かの為に走り続ける少女。それによって変わるのはたかが数人の命。労力に見合わない見返り。
人を愛し過ぎたが為に、破滅した男。残るは無残な死体だけ。彼の思いは届かずに消えた。なんて不条理なのだろう。人は簡単に幸せにはなれないのだ。
全てを託し、戦い切った二人の男。その願いも果たせずに終わるかもしれない。筋書き通りいくとは限らない。
一人の少女は今も、先頭に立って仲間を誘導している。誰を信じ、何を信じているのか。それだけの希望を彼女は持ち合わせているのだろうか。無いとするならば、あまりに無情だ。
世界はあまりに残酷なのだから。
この戦争で何人死んだのだろう。きっと簡単には数えきれない。見渡せるだけでも目に余る。その人達を不幸と思うのか、幸せと思うのか。それは人それぞれの価値観によって変わる。
だが俺ならば羨ましいと思う。バランスの崩れた世界で、生き続けるのはあまりに酷だ。
ずっと俺は死にたいと思っていた。きっと勇気があれば死んでいた。
そして今ならば簡単に死ねる。諦めれば死ねるのだ。もう沢山苦しい思いをしてきた。死ぬには十分な程に。
でもなぜだろう。俺は今抗っている。死にたくないと。
残酷な世界だって再認識した。なのにまだ……。
答えは明白だ。まだ抗う人がいるからだ。自分だけじゃなく沢山の。
なんの為に世界は存在するのだろうか。俺が今問われれば、抗う人の為だと答えるだろう。
全てを受け入れて、規定通りの生活を送った瞬間に、世界は滅びるのだ。無駄だと分かっていたとしても、葉を落とすだけの行為だとしても、抗い続ける限りそこに存在する。
形だけの世界ではなく、自分だけの世界が。
だから俺は――呪力を消す。
誰が為じゃない。世界に抗う為に。
生き続けるために。
その日、世界から大きなモノが消えた――。
「良太郎……」
不意に、薫子はその名を呟いた。なぜだか分からない。ただ消えてしまいそうな予感がしたのだ。当たり前にいた存在がまた。
ただ次の瞬間、さっきまでの異常気象が嘘のように消えた。雨は止み、風は静まった。雷の音も聞こえない。
そして同時に薫子は感じた。自分の中から呪力が消えていくのを。それが消えたとしても、薫子の身体に異常はきたさなかった。まるで最初から付属品だったかのように。
後ろを歩いていた者達もそれを感じ取ったのか、次々にその場にへたり込んだ。戦争の終結を意味しているかのように。
「貴方は自分の正義を貫いたのね」
出会った時から変わらない。馬鹿なくらい真っすぐで、誰にも自分の意見を真っ向から伝えていた彼。それは例え、世界の歴史であろうと変わりはしなかった。
そんな良太郎を、薫子は心から尊敬した。
――お疲れさま。
十文字の陣営でもその異変には気づき出した。戦いは止まり、彩芽は刀を落とした。千足だけはひたすらに手を動かし、治療を続けた。
そんな姿を見て、彩芽は微笑んだ。
ようやく間違いに気付けた気がした。
そして千夜も、目を開けた。視界には眩しいほどの太陽が映った。それを背に浴びている誠司の目からは、涙が零れていた。
戦っている最中は無だった彼からは信じられない光景。
「戦う理由が無くなって安堵したようですね」
誠司は黙って、立っている。
勿論、その言葉が彼に響くとは思っていない。千夜自身に投げかけた言葉なのだから。
彼はきっと、ようやく解放されたのだ。全ての因果から。
生きているという実感を朝陽で感じ、千夜は起き上がろうとはせずに、もう一度目を閉じた。
大きな岩に仁は腰かけた。
驚きはしない。こうなると思っていたからだ。しかし教え子がやり遂げたのだ。誇らしくは思う。
立ち上がり刀を鞘に納めている桐蔭に向かい、仁は言った。
「そういえば、桜子さんからの通信。いつの間にか切れてたね」
あの時は戦いに夢中になっていて気付かなかったが、脳内に直接語りかけてくる感覚が無い。まあ今は呪力が消えてしまったのだから、当然なのだが。いつからなのだろう。
「我々に助言が必要ないと判断したのだろう。そういう女だ」表情を変えず、桐蔭は言う。
「高く評価してるんだね。桜子さんの事」
桐蔭は鼻を鳴らす。「あの甲高い声を聞かずに済むと思えば、幾分気が楽だ」
安堵する彼をしり目に、仁はそれだけで終わらない気がしていた。彼女は執念深そうだ。
立ち去ろうとする桐蔭の背に向け、仁は言った。
「意外と普通なんだね」
足を止めたのを確認し、仁は続ける。「長年思い続けた、君の理想が現実になった。喜んだ顔が見れると思ったけど」
「仁。成功しないと思う実験を行う科学者がいるか」
自信に満ちた声に、思わず仁は頬が緩む。あの時からずっと、研究馬鹿だ。しかしそれは、自分も同じ。
「僕も間違っているなんて思ってない。このまま呪術が残り続けたら、世界にはもっと沢山の技術が増えた。沢山の可能性が秘められていた事を。でも今回は君に勝ちを譲るよ。悔しいけどね」
高校の頃。大学生になっても仁は負けず嫌いだった。その彼があっさりと認めた。だが桐蔭も因縁のライバルとの勝利を、悠長に喜ぶ気にはなれない。
「引き分けだな。呪力を消すという私の考え自体、お前の理論の妨害だ」桐蔭は振り向き、仁を見た。
「だから次は、決着を付けよう。仁」
今度こそ桐蔭は歩き出した。その背を仁は眺めた。過去の自分たちに重ねて。




