陰陽
大蛇の攻撃を避け続ける仁と桐蔭にも、疲れが見え始めた。仁の右腕は服が焼け落ち、大きな火傷を作っていた。桐蔭もまた、各所に小さな火傷と内出血をおこしている。小さな影響が、呪力のコントロール左右する。
そんな二人を弄ぶように、観勒は式神である騰蛇に任せて責め立てている。
しかしそんな戦法に、桐蔭は違和感を覚えていた。全く呪術を使う気配の無い事に。彼の性格はまだ断片的にしか分からない。無口であるがゆえに、読み取るのもまた困難。だからといって、このような時間の浪費する戦い方を楽しむように見えただろうか。
思考を巡らせながらも、最小の呪術消費で攻撃を躱し、木の上に立つ。
考えられる可能性は――多くの呪力を使う十二天将の召喚で、呪力が切れた。または、発動できない場合。
その時、仁が発動したのは刃のような形状で敵を攻撃する。二重連星――ペルセウスだった。
観勒はその攻撃が到達する前に、黒い呪術で相殺してみせた。
当たり前の行動。だが、桐蔭の考えていた仮定を崩す行動だった。――呪術の発動。
勿論、自分のプロファイリングが間違いだった可能性もある。だが違和感は確かに存在した。
仁もまた、今の観勒の行動に違和感を覚えていた。
衰える事の無い敵の猛追を避けながら、戦いの記憶を蘇らせる。
最初、観勒に同じ呪術を発動した時、彼はどうしただろうか。……そう。あの攻撃でダメージを与えた。勿論、不意だった事もあれば、驚いていた事もある。向こうも、本当に陽と陰の同時発動をできるとは思っていなかっただろうから。
だとしても、今はあっさりと止めた。彼ほどの実力者なら、寧ろこっちの方がしっくりくる。
この差は未だに全貌の見えない、神の力と関係がある。そう仁は結論付けた。それにまだ、陰の力も把握できていない。
右腕が疼くのを耐えながら、仁は考えをまとめた。
「だいぶ、疲れが見えてきたな。先ずは弱っている方から落とさせてもらう」それを言うと、騰蛇の纏っている炎が勢いを増す。一瞬にして体を丸め、今までの数段早く仁の元へと迫った。
突如の猛攻にも、仁は焦らずに指紋をする。多少の呪力の乱れはある。しかしこのような経験は何度かある。この程度で、ミスりはしない。
「四重連星――カペラ」
発動した呪術により、騰蛇は一瞬にして氷漬けになってしまう。その呪術に観勒も驚きを見せる。
「氷の呪術とはな。更には一瞬であの威力。それが陰と陽の調和から織りなす呪術か」
仁が不敵な笑みを浮かべる。「褒めて貰ってるって事でいいのかな」
その時、騰蛇の炎は更に強くなり、氷を砕いた。「だが影は大きくなっている。もうその程度では止められない」
小さな笑いを漏らしたのは仁だった。危機的状況に加えて、強い敵。自分がどこまでやれるか、楽しみだ。だが同時に、恐怖も覚えていた。今まで出くわした中で一番の強敵。
十戒の謎については段々と解け始めたが、まだ打算が甘い。勝つためにはより完璧な方程式が必要だ。
刹那、仁と桐蔭の頭に、甲高い声が響いた。最初はラジオの無線がずれている様に、聞き取りづらかったが、段々とそれも調整されていく。
『ハロー♪ 聞こえてます。おじ様達』
聞き覚えのある声に、仁は反応する。「脳内に直接話しかけてくるなんて、どんな呪術だい。桜子ちゃん」
『あ、やっと返事してくれた』
雰囲気が変わった事で観勒も、誰かと話している事に気づく。「会話しているのか。あの小型機といい、現代では一人になる事もままならんな」
騰蛇は攻撃に転ずる。いち早く察知し、仁はそれを回避する。
「悪いけど、流暢に話してる暇はないよ」
桜子は相変わらずの調子で、会話を続ける。『逃げてても勝てませんよ。二人が意地張って突っ張ってるから、いつまでたっても打開策が見つからない。いい歳して、高校生みたいね』
仁に襲い掛かろうとしていた騰蛇を、桐蔭が刀で攻撃し、注意を逸らす。「悪いが、これでも協力的に戦っている。邪魔をするつもりなら、呪術を止めろ」
『お互い相手を出し抜こうって気が強すぎなのよ。二人とも攻略のカギを得ているんだから、情報共有すればいいのに』
その言葉に、仁と桐蔭が目を合わせる。
溜息を漏らしてから、桐蔭が呟く。「桜子――貴様にはいつも利用されている気がする」
『あらあら、目的は同じなんだからそんな卑屈な言い方しなくても。利用じゃなくて協力よ』
桐蔭は鼻を鳴らし、呪符に文字を書き止めてから仁の元へと飛ばした。それは桐蔭が導き出した、敵の情報の全て。
「今は貴様の作戦に乗る。しかしその前に――白虎の仇は討たせてもらう」
その言葉は、感情を表に現さない桐蔭には珍しく、語気が凄まじく強かった。
呪符を受け取り、仁は苦笑いを浮かべる。「式神なんだから、そんなに怒らなくても」
『動物愛護団体にでも属した方がいいんじゃないかしら』
強まる殺気と呪力に、観勒が口角を上げる。
一枚の呪符を取り出し、桐蔭は唱える。「式神召喚――天地、青龍」
頭上の遥か上空に姿を現したのは、青と白を基調とした龍だった。大きく枝分かれした角に、鋭い手足。見る者を圧倒する灰色の眼。
その瞬間、空には大きな竜巻が起こり、地が揺れた。天地を司る青龍の影響もあるだろうが、この天変地異はそれだけでは説明が付かない程に凄まじい。
「かつては恵慈が操った式神、青龍か。面白い。貴様達は本当に驚かせてくれる」
観勒の言葉などあしらう様に、青龍は上空から舞い降り、騰蛇に牙を立てる。観勒の指示により、騰蛇は関節の無い身体を縦横無尽に動かし、第一撃を躱す。しかし二撃目、地割れが起きた事により動きが封じられ、その隙に青龍の鉤爪でもろに攻撃を受ける。
「所詮は飛べぬ龍。青龍には勝てん」
青龍と騰蛇、二匹の式神が睨み合う。
『さあさ、この隙に仁先生は打開策を考えましょう』
先程、渡された呪符を読み解き、仁は新たな可能性を構築する。
今までの観勒の戦い方。それには多くの疑問点が残る。二人の考えを照らし合わせれば、その答えは見えてくるはずだ。
陰の呪術の謎、神の力の謎。そして彼を倒す為の方程式。
考えがまとめきれず、頭を掻きむしる仁に向けて、桜子が呟く。『ヒント。陰の呪術の発動って、全部に共通点がありますよね』
仁は溜息混じり言う。「君、いつから見てたの」
その問いにも、桜子は小さな笑い声を返すだけだった。
共通点。たったそれだけのヒントだが、仁の考えを一歩前進させる。
そうだ、陰の呪術。その答えに既に自分は辿り着いている。身近にありすぎて見落としていた。
全ての謎が解け、仁は笑みを浮かべる。
その時、青龍は高く上昇していた。慌てて、仁は護で身を守る。
桐蔭の呪力がいっきに解放され、青龍の元に集まった。
「青天の霹靂」
竜巻を纏った青龍が急降下する。地上では鋭い岩石が騰蛇の動きを封じていた。
騰蛇も炎を放出し迎え撃つが、一切スピードは変わらず、隕石のような勢いの青龍が騰蛇を喰らい尽した。
黒い呪符は消え、青龍が残った観勒を睨む。
「さあ、式神は倒した。後は貴様を倒すだけだ」
観勒は表情を変えず、対峙する。「現代に来れば、子孫からこの仕打ちか。俺の時代よりも殺伐としているな」
「その理由で命乞いというなら、私には当てはまらん。元の名は七瀬。あくまで私は養子だからな。……まあ既にその名は捨てたが」
「養子か。現代では変わった事をしている」
言葉の途中で青龍が動き出し、観勒は一歩後ろに退く。
「無駄だ、十二天将最強の青龍からは逃れられん」その言葉を発した直後、桐蔭は一つ思い出す。観勒がまだ神の力の真価を見せていない事を。
早計な攻撃だったかもしれない。躊躇し迷いが生まれた時、観勒が青龍の頭に触れた。
「何をしている」
思わず、そんな言葉が口から出た。
次の瞬間、青龍は色を変えた。青と白の身体は、頭から次第に黒く塗りつぶされる。その間、苦しむように暴れまわるが、観勒は動じなかった。僅か数秒の間に全身は黒く塗り替わる。
「これが陰の力。……やれ、黒き龍よ」
青龍は方向を転換し、今度は桐蔭へと向かい牙を立てる。あまりの出来事に桐蔭は動けずにいた。
「飼い犬に噛まれるとはこの事だな」
寸前のところで、桐蔭の前から青龍は姿を消す。呪符を破り捨てたのだ。身は助かったが、先程までとは明らかに二人の状況は一変していた。
「最善の判断だ。しかし召喚士が呪符を捨てては、敗北を認めたと同じだな」
その言葉に桐蔭は反論できず、ただ立ち尽くしていた。
戦意を失っている桐蔭を見て、観勒は一歩ずつ近づいた。
やがて傍に落ちていた刀を拾い、振り下ろそうとした時、横からの呪力に気づき黒の呪術でそれを止める。既に、目の前に桐蔭の姿は無かった。
今度は仁が、観勒の前に立ちはだかった。
「まだ敗北は認めてないよ。そうだろ、七瀬」
不敵な笑みを浮かべる仁を見て、桐蔭も一瞬だけ笑みがこぼれた。
切り札の式神が倒されただけで、敗北したと決めつけた自分が馬鹿らしくなる。
「貴様はいつも自信に満ちているな。高校で戦った時も、研究室で互いの正義が食い違った時も」――そして今も。
桐蔭は仁の隣へと歩を進め、観勒と向かい合った。
「信じているぞ、仁」
「なんだか照れくさいね。十年越しの仲直りか」
その時、木々が大きく揺れた。雨、竜巻、地震。それだけに留まらず、雷が鳴り始めた。
観勒が呟く。「随分とバランスが崩れているな」
そしてほぼ同時に、彼の身体が黒く染まり始めた。その異様な光景に、仁と桐蔭も防御の姿勢を取る。
「邪神の洗礼だ。長く使いすぎると、俺の体内の呪力を喰らい始める」
その言葉を聞き、仁は一切引かずに、それどころか前に出る。「陰の呪術。それは陽と表裏一体の呪術。自分が活用していたのに、こんな簡単な事に気づかないなんてね」
隣で聞いていた桐蔭が言う。「答えを出したようだな」
仁は頷き説明を続けた。「陽がなければ、陰は存在しえない。つまり、僕達から呪術を発動しなければ、貴方は攻撃できない」
「ほう。そこまで言い切るか。だが俺には陽の呪術も使える。忘れたのか」
その言葉には桐蔭が返答した。「陽は使えない。そうだろう、仁」
「察しが良いね。十戒、禍津日神の力は陰の力を強めるもの。そうでなければ、白虎を一瞬で喰らう程の式神なんて、説明が付かない。例えそれが同じ十二天将であってもね。二度目の二重連星をあっさり止めたところが、裏付けでもある。そしてその強力な力が故に、陽の呪術を発動できないデメリットが存在する」
「正解だ。詳しく言えば、禍津日神は近くの陽の呪術を吸い取り陰に転換する。故に、段々と俺の呪術の質は上がる」
「なるほど。でも陽が消え去り、今度は貴方の呪力を……」
頷きながら、呪術の読解を深めていく仁。「そうなると、青龍が黒くなり支配権を剥奪されたのも納得だ」
不服そうに、桐蔭も賛同する。「陽が陰に書き換われば、術式の書き換え同様に可能か」
謎が解けたのは良い。しかしあっさりと打ち明けてしまう態度。本来の予定通りにはいかないかもしれ
ない。嫌な予感が仁を突き動かした。
「まさか、攻撃さえしなければ俺が自滅する。などと平和的な考えをしてはいまい」
仁の顔が微かに綻ぶ。「実はしてたり、してなかったり」
既に観勒の身体の八割が、黒くなりつつあった。それと比例するように、天変地異は凄みを増す。
「俺の身体が陰に飲み込まれた瞬間、それが完全なる状態。世界の全ての陽の呪力は対価となり、俺は最強の術士になる」
世界の全ての呪力を対価にする。その言葉はあまりに悍ましい事を意味していた。「そんな膨大な量。貴方の血ではとても払いきれない。――死ぬ気か」
「なにを言っている。俺は既に朽ちた身だ」
訴えかけるように、仁は視線を合わせた。「それは関係の無い人の身体だ。甘い考えは捨てて、貴方を倒す事だけを考えるよ」
「俺を倒すか」
観勒が呟いた時、既に彼は仁の背後を取っていた。身体能力が桁外れに上昇している。それは予想の範疇には無かった。
桐蔭の制止も遅れ、手刀で仁は吹き飛ぶ。そして逃れる為にその場から離れようとした桐蔭にも、陰の発が飛んでくる。今までとは桁外れの威力のものが。
「体内の呪力は活性化を始めている。完全な状態でなくとも、貴様らを葬るのは容易い」
観勒の無表情の顔が、段々と崩れ始める。まるで陰に飲み込まれるように。
枝を掴み、仁は立ち上がる。
陽の呪術を発動すれば、それ以上の威力で返される。かといってなにもしなければ、肉弾戦。持久戦になればこちらの呪力が先に底を尽きるだろう。どう考えても絶望的だ。
だが一つ可能性があるとしたら……。
仁は桐蔭の元へと移動し、彼に肩を貸した。
「僕の呪術に合わせて、呪力を送ってくれ。二人の力を合わせないと勝算は無い」
荒い息を整えながら、桐蔭は言う。「いつまでも科学者らしい言い方だ」
「今は教師だけどね」
遠くへ吹き飛ばした二人を直ぐに見つけ、観勒は人間を超越した速度で近づいて来た。
「諦めろ。貴様等は直ぐに消える」
どんな状況でも、仁は自信と共に不敵な笑みを浮かべた。
「光がなきゃ、影は生まれないんだ。影だけになってしまえば、世界に拒まれるだけだ」
「世界に拒まれるか……。悪いが、一番の友から裏切られた俺は既に、世界から拒絶されている」
「でも僕達はまだ、誰かの光であり続けなきゃいけない。だから……」
仁は指紋により、星の形を描いた。それは幾重にも重なり、複雑な術式へと変わる。陰と陽の完璧なまでの調和が織りなす、呪術。
「五重連星――スピカ」
その瞬間、仁と桐蔭、二人の呪力が混ざり合った術式から、五属性全ての力が集約された衝撃波が放たれる。大きな星の形をしたそれは、真っすぐに観勒に迫る。
陽の呪術だけでは、数倍の威力で返されてしまう。ならば陰と陽の二つを同時に放てる呪術。連星ならば可能性はある。それが仁の出した答えだった。
目の前から迫る攻撃を無視して、観勒は後方を向いた。「背後からの呪力反応に気づかないとでも思ったか、正面は幻」
後方にいた仁に向かい、観勒は呪術を放った。
だがそれすらも、呪符で精巧に造られた偽物。
「召喚士の小細工か」
直ぐに観勒は本当の位置を割り出し、上空に目を向けた。刹那、スピカは放たれた。反応が遅れたものの、観勒も陰の呪術で攻撃を返す。二人の呪力が籠められた技にも引けを取らない威力のもので。
ほぼ互角の技。その勝敗を分けたのは、地球そのものだった。突如、観勒のいた地が割れ、体制を崩した。その事により呪力が乱れたのだ。
「世界に拒絶された。時間を超えても、それは変わらぬという事か」
表情を変えず、そのまま観勒は押し負けた。儚く、観勒は散った……。
大きな衝撃波の後に残ったのは、依代であった人間だけだった。
仁と桐蔭は地上から降り、その場に仰向けに倒れた。
絶望的状況を乗り越えた。その隣にいるのが、もう共に戦うとは思っていなかった旧友。その事実に、二人は可笑しくて、笑った。
戦場の中でも、二人の笑い声は響いた。
後は星の流れに身を任せるだけ――。




