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笑顔






 従者達は六車の猛攻で疲弊し、老中も正則に押され始めている。果敢に大我に挑んだ久我もまた、膝を付き崩れ去った。もう満身創痍だ。戦える身体じゃない。それどころか動けていたのがおかしいくらいだった。


 大我はそんな久我に向かってくる。その目には殺気以外の感情は存在しないように思えた。

 


 ……こんな戦い止めたい。

 それだけの思いで走り出した。千足が立った場所は、大我の正面。もう逃げ出す事はできない。




 大我の視線が下がり、千足を見下ろした。射るような目つきに、千足の足が震えた。

 退け。大我が一言発した。異様な迫力がそこにはあった。



  だが千足は経験していた。これ以上に怖い思いを。圧倒的な後悔を。そんな千足だからこそ、大我にも勝る迫力があった。


「退きません。退いたら何も報われないから」

 その時、大我が拳を振り上げた。


「朝陽君の為に戦争を起こしたのなら、どうして辛そうなのですか」


 一瞬、大我の動きが鈍った。しかしほんの一瞬。今更、迷いなど無かった。


 拳を下し、大我は笑う。

「辛い……。違うな。どうしようもないんだよ。どうしようもなく憤ってるんだ俺は」




 不意に、大我の腕が千足の首元に伸びた。逃れる事はできず、強い締め付けが彼女を襲った。呼吸をする事が困難になり、息が荒くなる。


「朝陽を誰かが殺った。だからもうアイツは帰って来ない。俺は――憎くて、憎くて仕方ないんだよ」



 気持ちが昂り、千足の腕を掴む腕が弱まった瞬間、彼女は抜け出し。大きく咳込んだ。


 あまりに弱く、あまりに脆い千足を見て、大我は言った。「分かったら消えろ」それは朝陽が好意を抱いた者への、せめてもの情けだった。



 だが期待していた結果とは違い、千足は一歩もその場から逃げようとはしなかった。その光景は、初めて彼女と出会った時を想起させる。



「今更、言い訳なんてしません。朝陽君の死因について」

「いいから消えろって言ってんだよ!」


「嫌です。だってそうしたら、大我さんは一生――後悔する」

 その言葉を大我は鼻で笑った。「後悔だ? 俺はもうしてるんだよ。朝陽が死んだ時に。それ以上なんてもんがあるものかよ」



「あります」千足は断言した。「全部終わった後で、犯人を付き止めて、どうにかして……。それで満足するかもしれませんが、それ以上の最悪ってないじゃないですか。――だって朝陽君の気持ちと違いすぎる」



 大我は震える拳を握りしめた。

「お前が……。お前如きが……。朝陽を語るな!」


 手から流血するほどに、大我が向ける思いは強かった。握られた拳は真っすぐに、千足へと向けられていた。


 当たれば即死だった。だがそれは、千足には当たらなかった。彼女が左に避けたのだ。そして千足もまた、腕に力を籠める。




「今の大我さんよりは、ずっと理解してます」

 その瞬間、彼女の右手が大我の頬を叩いた。弾けるような音が戦場に響く。



 涙を我慢しながら、千足は自分の気持ちを言葉にする。「朝陽君の事、思い出してください! 亡くなった日からずっと。……不思議なんです。朝陽君いつも笑ってた。偶に涙を流す時も、傷つく時だって、決まって人の為。そんな朝陽君の笑顔の意味、ずっと一緒に居た大我さんが分からないわけないですよね」



 偽りのない千足の真っすぐな思いに、大我の頭が錯乱する。そこにあるのは真実で、自分は長い夢を見させられていたような。


 大我の目にも涙が浮かんだ時、千足は一歩踏み出した。



「一緒に居た時間、一か月も無かったですけど、それでも私は分かってしまいました。朝陽君の笑顔は――家族が、みんなが幸せになってほしいと言う願い。そんな朝陽君だからこそ、私は好きになったんです。……どうしようもないくらいに。愛おしいくらいに」


 千足は天使のような笑顔をしていた。


 大切、好き、愛おしい。そんな感情がありながら……。死んだ朝陽を見て、千足は笑顔でいる。

 それではまるで、自分が積み上げて来た思いが、小さく醜いものみたいではないか。


 その時、大我の中でなにかが弾けた。




「辛かったですよね。私なんかよりもずっと。だからもう、無理しないで下さい」千足は手を差し伸べた



 たった一言。それだけで自分がしてきた事が分かった。自分はずっと、無理をしていたのだと。

 だが今更、どうすればいいかなど分からなかった。大我は千足の手を取らず、一歩引いた。


 大我さん。

 千足が名を呟いた時、既にその姿は無かった。




 緊張が解け、千足の身体は自分の意志と反して、仰向けに倒れそうになった。それを間一髪のところで、久我が受け止める。

 だが彼も受け止めるのに精いっぱいで、片膝を付いてしまう。


「大丈夫ですか、久我さん!」

 久我は笑顔を繕ってみせる。「こんな時も人の心配かい」



 真っすぐに見つめてくる久我の視線が眩しく、千足は目を背けた。

「それくらいしか、私にはできませんから」

「やれやれ自覚無しは怖いな。でも君のそういうところ、俺は好きだよ」



 ド直球な久我の言葉。どう受け止めていいのか、千足は困惑してしまう。結果、愛想笑いを浮かべる事にした。


 そこでようやく、ずっと久我に支えられていた事に気が付いた。

「流石に恥ずかしいので、下していただけますか」



 これは失礼。千足を立たせて、周りを見渡すが状況はなにも変わっていない。相変わらずの十文字劣勢。無駄話をしている暇などないらしい。



 大我との対話で周りを見えていなかった、千足。そのせいで、目の前に映る光景に理解が追い付かなかった。正則が、老中に刃を突き立てたのだ。元々、素手だった。戦場ならば近くに落ちていても不思議ではない。だが今はそんな事よりも、助けなければ……微力であろうとも。



 だがその前に、状況はまた移り変わった。正則が刃を落としたのだ。そして彼の身体が震えだす。まるでなにかに戦くように。


 久我は千足の手を取った。「今は動かない方が良い。なにか様子がおかしい」

 その真剣な眼差しに、千足も同意を示す。久我は護を張り、飛び交う矢、衝撃波から千足を守る。




 正則は頭を抱え、その場に膝を付いた。「なんだよこれ。身体が蝕まれていくような……!」

 形容し難い感覚に、正則は吐き気すら覚えた。これがこのまま続くのなら、死んだ方がましだ。そんな事を思う瞬間すらある。



 そしてそれは現実のものとなった。切り付けられた背から血が噴き出し、途端に身体が楽になった。

 薄れゆく意識から正則が最後に見たのは、血にまみれ、鬼のような目を向けた人間だった。



 大我様……。

 正則は見た気がした。大我のような、戦場の鬼を。



 正則の背後に立ち、日本刀を振るった彩芽は、刀の血を掃った。

 彼女の姿を目の前で拝んだ老中は、愕然とした。子供の頃から彩芽を見て来た。だというのに、こんな姿は初めて見た。血を浴びる彩芽の姿を。



「鮮血の姫君……」

 老中はそう呟き、気を失った。年老いた彼には、刺激が強すぎたのかもしれない。




「アタシの家族を傷つける様なら、誰でも殺す。さあお前等、反逆の狼煙を上げるよ」

 彩芽の一言で、十文字は動き出した。これが最後の戦いだ。














 雨が強まり、視界がぼやけだした。森の中では足場も悪く、木に身体を預けながら歩くのが限界だった。


 ずっと頭にあった違和感が無くなった。その代償として、酷使し続けて来た大我の身体は悲鳴を上げていた。


 大我は全てを知った。だからこそ歩まなければならない。自分の過ちがどれほどのもので、朝陽に対してどれほど酷い仕打ちをしたか。それは天秤などでは測り切れない。

 だとしても、最後に信念を通すのなら、歩みを止めるわけにはいかない。自分を恐れず、一歩も引かなかった千足のように。




「まったく朝陽の野郎、あんなに良いお嫁さんを置いて逝っちまうなんてよ」


 もしも朝陽が千足と結婚したら――自分は兄貴なんて二人に言われたりして。三人で家柄関係なく、飲んで。


 子供ができたらそれはまあ、可愛い事だろう。朝陽みたいに強くて、千足みたいに優しい子。そいつはもう最強だ。



 そんな夢みたいな生活。だが、ありえた世界かもしれない。もしもそんなものがあるなら、どれほど幸せなものか。




 今広がっているのは、戦争の音。悲しい叫び声に、人を殺めて喜ぶ声。しかし全てを起こした原因は自分にある。だから止めなければならない。それがせめてもの償いであり、大儀だ。



 大きく一歩を踏み出した時、脚に鈍い感覚が生じた。痛みは無い。だが足の感覚は薄れつつある。多く出血しているのだろう。しかし大我は振り返る事は無かった。ただ前に進む。




 肩になにかが刺さった。次は腹に。次は……。もう分からない。刺され過ぎたのか、それとも自分の身体が無いのか。それでも自分の目に、手は映っている。それだけあれば前には進める。だったら諦めたりはしない。



 一歩。たった一歩でいい。それがどんなに小さくても、前に進めるのなら。

 


 最後に気づかせてくれて――ありがとな。














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